石破茂という政治家は、自らの力量で総理にのし上がったわけではない。岸田文雄、菅義偉の都合で、評判が悪いにもかかわらず権力の座を手に入れたのだ。
マキャヴェリは「一私人の身から、ただ運に恵まれただけで君主になった人たちは、少しも労せずに勲位を得ても、国を維持するにあたっては非常な困難に直面する」(『君主論』池田廉訳)と書いている。
石破は大きな派閥の長ではなく、リーダーとして自民党を引っ張ってもこなかった。かえって党内野党として、マスコミに迎合し、言いたい放題であった。高市早苗さんをトップにしたくないという者たちの、権謀術策で選ばれたのである。
マキャヴェリは「そもそも人は、はじめのうち基礎づくりをしておかなければ、あとになって基礎づくりをしても、それにはきわめて大きな努力が必要となる。しかもそれには建築家の苦労はもちろん、建物そのものへも危険がおよぶ」(『同』)と指摘している。
石破には本当の味方がいない。彼が主張した政策のほとんどは、総理就任後にことごとく反古にされた。「裏金議員」の非公認、早期解散の否定、アジア版NATO、緊縮路線などである。これでは誰からも信用されないだろう。マキャヴェリが好んで口にした「民衆から愛されるとともに恐れられること」という政治家でもない。「石破かよ」と嘲笑されている始末だ。スタート時の内閣支持率も低い。短期政権で終ることは確実であり、それが日本のためにもなるのである。