にほんブログ村
↑
会津っぽに応援のクリックをお願いします
中共の船が巡視船にぶつかってきた証拠品であるビデオを、民主党政権が全面公開にしないならば、国民がエキサイトすることになるだろう。まさしく、売国的な行為であるからだ。それもわからずに、中央突破すれば、いくら忍耐深い国民でも、歯止めが利かなくなるに違いない。公安や警備の警察関係者も、そのことを上層部に意見具申すべきだ。野党時代の民主党は、何かすると情報公開を要求してきたくせに、それと全く反することを、平気で行っているのだから、許しがたい。国民の怒りが爆発した騒動としては、国労の順法闘争に抗議した上尾事件というのがあった。1973年3月13日のことである。たまたま私が乗っていた山手線も、目白駅でストップしてしまった。運転手が逃げ出したと思ったらば、乗客が騒ぎ出したのである。雨が降っていたために、蝙蝠傘を手した人も多く、それで窓口のガラスが割られたりで、一挙に不満が爆発したのだった。それからは誰も手が付けられなくなった。しかたなく歩いて池袋駅まで行ったが、そこも大変な騒ぎであった。民主党政権は、国民を甘く見てはいけない。隠そうとすればするほど、日本人の愛国心が高揚するだけだ。大騒ぎになる前に、あらかじめ手を打つべきなのである。
にほんブログ村
↑
会津っぽに応援のクリックをお願いします
「あまり強硬なことを言うのは間違っている。外交というのは足して二で割ることだから」ともいわれるが、中共などと交渉するのに、そんなことでいいのだろうか。今は亡き江藤淳は「日本的交渉法」(『こもんせんす』に収録)という一文を残している。江藤によると「足しで二で割ってまん中をとる」というのは、あくまでも日本人だけのことのようだ。「両方とも原則を捨てる」ということが前提になっているからだ。しかし、外国に対しては、それは通用しないのである。そこで江藤が問題にしたのは、日本人にとって、他人がどういう存在であるかということだ。「もともと日本人は、どうも他人というものは存在しないと思って生きているんですね。他人は自分の延長だと思っている。したがって自分が肚の中で考えていることと、ほかの人間も本質的には同じことを考えているだろう」と決めてかかっているので、「自分の延長としてとらえることのできない人々ばかり」の外国人に面食らってしまうというのだ。評論家としての江藤の功績は、他者という概念を導入したことであった。その方法論をもって、日本外交の拙さを批判したのである。菅直人首相も、前原誠司外務大臣も、「他人は自分の延長だと思っている」のではなく、国益を優先させて、突き放した見方をすべきなのである。
にほんブログ村
↑
会津っぽに応援のクリックをお願いします
崩壊前のソ連がそうであったように、中共は危機的な事態に直面しているのではなかろうか。反日デモにしても、あれは中国共産党が裏で糸を引いている。国民の目を外に向けようと必死なのである。中国共産党一党独裁への国民の不信感は高まっており、何か一つきっかけがあれば、暴動に発展するのは明らかだ。特権階級化している層が富を独占化しているからだ。北朝鮮へのテコ入れも、それをしなければ、自分たちも一蓮托生だからだろう。中共軍が北朝鮮に駐留するというのも、時間の問題ではないかと思う。北朝鮮が倒れれば、民主化の波が一挙に押し寄せてくるからだ。また、ここにきて頭を抱えているのは、韓国ではないか。北朝鮮に中共軍が居座ることになれば、それこそ軍事的な脅威が高まるのは必至である。頼みの綱の米国は、東アジアから手を引こうとしている。そうなると日本しかいないが、朝鮮半島に手を出せば、清国を宗主国としていた朝鮮の独立運動に手を貸したのと同じことだ。それが明治27年の日清戦争の引き金となったのである。良かれと思ってやったことが、手痛いしっぺ返しを食らった教訓を、日本人はまだ忘れていない。今の日本ができるのは、せいぜい自らの領土を守り、国内の治安を確保するだけだ。
にほんブログ村
↑
会津っぽに応援のクリックをお願いします