熊本城の本丸御殿「昭君之間」
熊本城は、1608年に加藤清正により築城された。
西南の役(明治10年)開戦の3日前に天守閣と本丸御殿が焼失した。
天守閣は昭和35年に再建築されていた。
築城400年に合わせて、今年の2月に約5年かけた本丸御殿が復元された。
その陰には、当時の絵図や文献が残っていたことが大きな要因である。
本丸御殿に入ると木の香がする。
建築や内装には最上級の技術が施されている。
配膳を行っていた大御台所の「御膳立之間」。南に繋がる「イロリの間」の床材にはヒノキが用いられ、吹き抜けの天井を支えているのは、直径1m、長さ12mもの巨大な赤松の梁。最上部には煙出も復元された。
復元の作業工程がビデオに映し出されている。
藩主が会見場とした「昭君之間」は、荘厳な雰囲気が漂う。
最高格式に設けられた部屋の各所には漆塗りや飾り金具が配され、圧倒される立派なものだ。
いい機会に熊本城を本丸御殿を見学できた。
(7月18日記 池内和彦)
熊本城は、1608年に加藤清正により築城された。
西南の役(明治10年)開戦の3日前に天守閣と本丸御殿が焼失した。
天守閣は昭和35年に再建築されていた。
築城400年に合わせて、今年の2月に約5年かけた本丸御殿が復元された。
その陰には、当時の絵図や文献が残っていたことが大きな要因である。
本丸御殿に入ると木の香がする。
建築や内装には最上級の技術が施されている。
配膳を行っていた大御台所の「御膳立之間」。南に繋がる「イロリの間」の床材にはヒノキが用いられ、吹き抜けの天井を支えているのは、直径1m、長さ12mもの巨大な赤松の梁。最上部には煙出も復元された。
復元の作業工程がビデオに映し出されている。
藩主が会見場とした「昭君之間」は、荘厳な雰囲気が漂う。
最高格式に設けられた部屋の各所には漆塗りや飾り金具が配され、圧倒される立派なものだ。
いい機会に熊本城を本丸御殿を見学できた。
(7月18日記 池内和彦)