つれづれなるままに

日々の思いついたことやエッセイを綴る

億萬山七福尊真延寺の土井慈功住職より(その2)

2009年11月07日 | 名所
                   億萬山の額

(その2)
一方、福とは何にか。いつも七福尊に礼拝して問答している。福とは遠い世界にある恵まれた豊かさと認識するようになった。幸せのように身近に存在するものでないらしい。この豊かさを招来させる手段の一つが神仏を礼拝することになっている。

すなわち心を浄化させて今まで見えなかった遠い遠い未来の現象を捕えて現実化させる。この事を瞬時に捕えることもあるが、長年月を要する場合もある。
現実に我々庶民が未来の姿を透視できる手段が礼拝して心を静めて鏡面にすることだ。

浄福するのに七福尊を礼拝して御利益が得られると信じられている。
七福尊は前世、現世、来世の三世の中で現世利益を担う仏である。七福尊は我々と同程度の人格を有し、如来、菩薩とは違う。如来は悟覚した仏、菩薩は準悟覚した仏である。簡単に言うと七福尊は俗人であるが一芸に秀い出た仏である。

人間界では野球選手のイチロー、版画家の棟方志巧などに相当するが、七福尊は常に心が安定しているが、人間はそうではない。心がいつも変動している。礼拝することによって心を安定させて七福尊と同等になって語り合い御利益を受けることになる。
(つづく)

(11月7日記)

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