つれづれなるままに

日々の思いついたことやエッセイを綴る

東日本大震災支援(2)

2011年04月30日 | 日記

今回の東北行を終え、私個人のルールではありますが、決めたことがあります。
それは、今後、私は被災地の方々へ「頑張ってください」という言葉は使わない、ということです。女川の病院や、避難所となっている石巻の渡波小学校でその言葉が出かけたとき、被災者の方の表情が一瞬曇ったのを見て、私は咄嗟に言葉を呑み込みました。迂闊に口から出てこようとする、その場をつなぐための力の宿らぬ言葉がどれだけ被災者の方たちに嫌な思いをさせるか。そんな言葉なら、ない方がずっと良いと感じました。言葉が出てこなければ、それが事実。たとえかける言葉が見つからなくても、そのことをとがめる人は、おそらく被災地にはいないと思います。
私は、ついこの前までは、被災地の方たちには、とことんまで頑張ってほしいと思っていましたし、今でもそう思っています。でも、だからこそ、その気持ちを心の中に留め、己のパワーにするべきだと感じました。

移動中、成澤氏から「震災後、被災地では知らない人同士でもあいさつを交わすようになった」と言う話を聞きました。実際に、信号の動かなくなった交差点での譲り合いはもちろんのこと、ごくごく普通に道を行き交う人々が「こんにちは」と声をかけたり、会釈をしたり。お互いの事情を知らぬからこそ、ほんの少しずつ心配りをして、無意識のうちにお互いが少しでも気持ちよく過ごせるようにしている場面が被災地の至る所で見られました。そんな強さや優しさ、温かさに触れられたことで、自分にとって今回の東北行は非常に得るものの大きいものとなりました。もちろん、被災者ではない自分は、絶望的なまでの居場所のなさを痛感し通しでしたが、それでも、最終的には自分が励まされ、仲間とその家族に明るい報せを伝えて帰ってくることができました。
このような自己完結の結果に対して、様々は批判もあるかもしれませんが、私自身は、気持ちの整理をつけるための、被災地入りであったので、恥ずかしく思うところはありません。

実際に被災地に行ってわかったことは、「知っている」ことと「理解する」ことの違い。端的に言えば、理解することに意味なんてないのかもしれない。それくらい理解の範疇を超えた光景の連続でした。そのこともあって、言葉は悪いかもしれませんが、私は現在、非常にスッキリした気分でいます。いま焦っても、いま気負っても。つまりは覚悟が決まったという意味です。
女川で働く工藤氏はこう言っていました。

「何かできることを、と気負わないでください。もちろん無理をしている部分もあるだろうけど、被災した人たちは結構強いです。今ではなく、長期的に何かできることが最高だと思います」

5年、10年。もしかしたら、20年。
心が共にあるならば、一緒に歩んでいくことはできるでしょう。
自分には家族のように大切な仲間たちが宮城にいます。その「家族」のためにもまず、自分自身が強くいなければならない。だからこそ、笑う時には笑い、楽しむときにはとことん楽しむ。そうして心を健全に保とうと思います。それがわずかながら、ほんのわずかながらの復興の力となるのだと信じています。
そして今、私は

「東北の人たちに負けるわけにはいかん」
そんな内なる闘いを独り勝手に繰り広げています。

若鍋聡志

コメント
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