ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2011.3.26 ごくありふれた土曜日

2011-03-26 18:05:09 | 日記
 三月も残すところ5日というのに本当に寒い日が続く。今日はとても風が冷たい一日だった。
 花粉症の息子は、2週間前にテーマパークから帰宅することが出来ず、その時は、お医者さんにお願いして夫が薬だけ受け取ってきたので、今日は朝一番で耳鼻科の診察へ。
 私は洗濯の後、東京都が行っている、日用品等を救援物資として送るという企画に賛同して、家にあった衛生用品や使い捨てカイロ等を総動員して詰め込んだ袋を都庁宛に送った。
 その後、開店直後のスーパーで夫と一緒に、お一人様1本の牛乳を買い、3週間ぶりでホットヨガに参加してきた。

 ヨガスタジオは、地震があった当日は定休日だったが、翌日スタッフが行ってみると棚のものが全て落ちて散乱して大変だったそうだ。翌週は都内のどのスタジオも殆どクローズ。先週末あたりから、計画停電の様子を見ながら従来の半分程度のレッスンをこわごわ開講している感じだ。再開直後は、貸し出し用のタオル等の準備も出来ないので自分で持参してください、ということだったようだ。
 普段なら1ヶ月先の予約が出来るのだが、今は2日後までしか予約がとれない。
「下駄箱には鍵をかけないでそのままどうぞ」だったし、いつも水やサプリメント等でいっぱいの棚も最低限のタオルしか置いていない。また、水やタオルの自動券売機も休止しており、フロントで直接購入の形になっていた。
 3週間ぶりだったので、体は硬くなっているし、いつもは10分もしないで汗が噴き出してくるのに、今日は後半になってようやく滲んでくるほどで、代謝が悪くなっていることを実感した。それでも久しぶりに汗をかいてシャワーを浴びると、本当にすっきりしてリフレッシュできた。次回はいつ行けるかわからないけれど、とにかく体の調子を思えば細々とでも続けたほうが良さそうだ。

 その後、夫と息子と合流してランチをして帰宅した。
 昨日も、被災地ではない地方都市で居酒屋を営むご主人が、予約がどんどんキャンセルになってしまい、計画停電でいつ電気が消えるかもしれない中、とても営業を続けられないので閉店する、というテレビのニュースを目にした。「家にこもっていないで外食もしないといけないよね。」と我が家は能天気に出かけてきたが、本当に息子が良く食べるのであっけにとられるほどだ。

 こんなふうにごくごくありふれた土曜日を送ることが出来たことに感謝である。
 唯一いつもと違うのは救援物資を送ったことと、牛乳が複数本買えなかったことくらいだろうか。

 一昨日までは胸の痛みが結構強かったので、このまま酷くなったらどうしよう・・・とかなり落ち込んでいたけれど、今日は痛みも殆ど気にならず、とてもすっきりしている。
 本当に痛みがあると気持ちが前向きになれない。うまくコントロールしてつきあっていくのは、“言うは易し”の大変なことだと思う。

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2011.3.25 生協の威力

2011-03-25 20:17:01 | 日記
 東北関東大震災から2週間が過ぎた。今日で亡くなった方が1万人を超えたという。
 一瞬で家を失い、大切な人を失い、さらには故人を偲ぶための写真等思い出の品すらない。想像に絶する哀しみの中、被災地の方たちは今日も前を向いて生きておられる。本当に言葉がない。どうか1日も早く・・・、と相変わらず祈るばかりだ。

 我が家では、食材は週に1度生協から宅配してもらっている。毎週金曜日が配達の日だ。ちょうど2週間前の今日、地震発生の日に帰宅すると1週間分の食材が届いていた。かなりの量なので息子がいれば家の中に入れるのを手伝ってもらうのだが、その日は前に書いたとおりテーマパークに遊びに出かけており、1人でえっちらおっちら搬入した。家の中ではリビングの背の高い置物が倒れたり、台所では調味料のビンが倒れたり、ドレッサーの中身が飛び出したり・・・と若干の散乱があったけれど、とりあえず後片付けをして、食材もなんとか冷蔵庫等におさめて納品書を確認した。その日は何の欠品もなかったので、地震後1週間は牛乳やパン等の日持ちのしないもの以外は買い物せずとも何ら困ることがなかった。
 そして先週。欠品が出ているだろうか、と覚悟していたが、たまたまなのかどうか、東北地方のものが1品だけ翌週回しとなり欠けていただけで、殆ど揃っていた。
 そして今日。注文書にはスーパーで夕方になると買えないものもちょっと追加してあった。やはり乳製品は欠品、水は1週遅れか代替品、日持ちのするパンは被災地に支援物資として送るので欠品ということだった。
 が、わずかこの3点だけだ。
 そして支援募金もいつもの注文書でできるという。被災者支援と被災地取引産地・メーカー支援の2点を目的としているそうだ。さっそく次回に行おうと思う。

 夫はスーパーでいろいろ眺めながら買い物をするのが好きだ。(そもそも食品Gメンだったからか、食いしん坊だからか)その楽しみがなくなるため、生協宅配導入には結構後ろ向きだったのだが、私は一人で週に何度も買い物に行けないし、重い物も持てない。週に1度、夫と一緒に買い出しに出かけたとしても、食べ盛りの息子がいるので、途中で1度くらい買い足ししないととても間に合わないし・・・ということで、生協に注文するようになって早くも1年以上が過ぎた。
 生協の担当者が言っていた通り、1週間分ほぼ献立をたてながら注文するので、確かに無駄な買い物はなくなっているし、今まで買ったことのない果物や野菜等にも挑戦することが出来てとても助かっている。
 今回はその威力をまた、知った。こんな状況でもきちんと配達して頂けるということに。

 もちろん被災者の方たちや原発の現場で命を賭して作業をされている方たちを想うと、こうして日々普通の生活をして申し訳ない、という気持ちはある。けれど、日本中の皆があまりに内向きになっては、大打撃を受けた経済はますます動かなくなってしまうだろう。
 そして、ひよこさんがご自身のブログコメントで私に返事を書いてくださったとおり、「大災害により日本中が影響を受けて、あらゆる地域で生活が変化しつつありますが、自分が再発患者であることだけは、何の変化もありません。感謝しつつ治療優先の生活で良好なQOLを目指したいです。」に同感だ。
 無駄な買いだめをする必要はないけれど、ちゃんと消費していくこともやはり必要なのだろう、と思う。

 今夜は、間違いなく計画停電が実施されると言われている。あわてて帰宅して、パパっと夕食の支度をして、夫も帰ってきたので、電気がついているうちにあわただしく夕食を済ませた。ろうそくもラジオも懐中電灯も用意してスタンバっている。
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2011.3.24 賢く怖がりたい

2011-03-24 20:12:18 | 日記
 福島原発事故の影響で、ここ東京の飲料水にも危険信号が出た。乳児に限り水道水を飲むのは避けて、ということだ。

 あっという間にスーパーからミネラルウオーターが消えているらしい。夫は昨夜帰宅が遅かったが、念のためスーパーを覗いたところ、何もなかったそうだ。「自販機で500mlが2本買えたよ」と持ち帰ってきた。

 乳幼児をお持ちの親御さんの不安はよくわかる。妊婦さんも、授乳中の方も当然不安になるだろう。けれど、こうして働いていると、朝から並んで買いに行くわけにもいかない。あわててみたところで仕方ないし、我が家には飲ませてはいけないとすべき乳児はいない。とりあえず過剰反応せず、冷静に心穏やかに過ごしたいと思う。

 それにしても、出荷制限を受けた農家の方々のことを思うと、本当に心が痛む。パセリ農家の方が「これまで大切に育ててきたのに・・・」と肩を落としてインタビューに答えておられたけれど、そこに住み続ける不安に加え、生活の道そのものが断たれてしまう。ホウレンソウやカキナといった葉物だけでなく、対象品目が増えれば、消費者はさらに福島県産や関東産のものの買い控えをするだろうし、大丈夫なものまで値崩れし、廃棄処分になるとしたら、なんとも言えない気分になる。

 そして、今は葉物だけの被害でも、放射能はいずれ土壌に染み込んでお米等他の作物にも波及していくのだろうか。

 放射線は目に見えないから不気味だといえば不気味だ。もちろん、私たちがん患者はこの目に見えない放射線にとても助けられている。手術、化学療法に比べ、体に優しいといわれる治療だ。術後の放射線治療もレントゲン撮影もCT検査もみんなそうだ。
 6年前、温存手術の後、規定通りに週5日5週間、切れ目なく25回の1回2グレイ、合計50グレイ(シーベルト)の放射線治療を受けた。
 その時は痛みも何もない。万歳をして寝ている姿勢でマーキングされた部分に数分照射されるだけ。けれど、何回か続けていくうちに皮膚が赤くなり軽いやけどしたようになって、かゆみが出た。薬を処方して頂き、特に大事にはならなかったけれど。なんともない方もいるというけれど、私はだるくて眠くて仕方なかった。免疫力が下がっていたとみえて、息子が小学校から運んできたインフルエンザにもあっという間にかかった。
 もちろん今は見た目は何ともない。だが、不思議なことに暑い夏でも照射した部分の皮膚からは汗があまり出ない。組織としては死んでいるんだな、と思う。そしていったん放射線治療した皮膚は伸びが悪くなるので、乳房再建手術もできないという。だから(皮膚が伸びないので)私は左胸から中心静脈ポートを留置することが出来なかった。骨髄抑制もあるのか、治療後数年間は白血球の数値が3000行くか行かないか、という状況だった。

 被曝、被曝、もっと西に避難する必要がある、と煽る意見も多い。けれど、本当にそうなったら、東日本に住む人たちはみな脱出しなければならなくなる。そんなことはあまりに非現実的だ。

 この事故を受けて、骨髄移植・被曝治療の専門家である米国人医師、ロバート・ゲイル博士が来日したという。博士は旧ソ連のチェルノブイリ原発事故の後、現地で被曝者の治療にあたった経験をもち、「チェルノブイリ—アメリカ人医師の体験上・下」(岩波新書)という著書がある。1999年の東海村JCO臨界事故の際も来日している。一昨日の都内での記者会見によれば、「原子炉が爆発したチェルノブイリや、臨界が起きて至近距離で破壊力の大きい中性子線を浴びたJCO事故と、現時点では放射性物質のほとんどが格納容器内に収まっている福島の状況は全く異なる」ということだった。また、「現場で作業をしている人と、そうではない人のリスクも全く違う」「今の福島のレベルであれば、一般の住民にとっては、喫煙の方がよほど発がんリスクが高い」 とも。
 チェルノブイリのように、放射線に汚染された牛乳を飲んだ乳幼児が数多く甲状腺がんを発症して亡くなったという事態等と今回の状況は違うのだ、ということを信じるしかない。

 もちろん放射線を決して甘くみてはいけない。けれど、いたずらに怖がって無謀な行動をおこすことなく、賢く怖がりたい、と切に想う。

 今日は2週間近く学校に行けない息子に気分転換させるためと、夫が休暇をとってくれた。2人で朝一番でスーパーに出かけたところ、息子の生命線(?)の牛乳は買えたけれど、水は500mlのペットボトルが一人1本だったそうだ。

「こんなにも学校に行きたいと思ったことはない。」と息子がいう。その学校からは4月の入学式前に臨時登校日の連絡があった。地震の翌週もまだずっと登校するつもりで置きっぱなしの体操服やら何やらがどうなっているのか、とりあえず引き取ってもらわないことには学校も新しい生徒を新しい教室に入れられないだろう。汚れ物を考えただけで怖い気がする。

 職場では計画停電が6時過ぎから10時までの予定だったため、出勤して昼近くまで一切空調が切られていた。あまりに寒く、コートを羽織って仕事をした。寒いと痛む。今日は右胸にズキズキする痛みがあり、嫌な感じ。
 今日は早めに入浴して休みたい。

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2011.3.23 笑顔と「ありがとう」-メーリングリストより-

2011-03-23 21:59:24 | 日記
 大学の合唱団の同期メーリングリストの書き込みが、地震発生後から復活している。同期のうち岩手県在住が一人と、実家が福島県が一人。皆で心配していた2人の家族・実家とも無事、という連絡がついたのは地震後5日ほど経ってからだった。

 以下、岩手県在住者からのものをかいつまんで紹介させて頂く。彼からは一度メーリングリストに返信があったが、その後は余震等でメーリングリストには書き込めない状況だとのこと。携帯アドレスを知っているメンバーがそちらに連絡をとり、もらった返事を載せてくれていた。以下、抜粋して転載させて頂く。

※ ※ ※ ※ ※ ※

こんばんは。返事遅れました。今朝は午後2時まで、去年秋から移転新築工事してた●●支店の引越し作業をして、午後は買い出ししてたので、今返事しています。
 買い出しで長時間並んだ後のレジの会話が、「頑張って下さいね、頑張りましょうね」になってたり、気仙沼に向かう自衛隊の災害支援トラックに帽子を振って、頑張れ~と叫ぶと、自衛官がしっかり敬礼を返してくれたり。
 詳しくは、落ち着いてからMLに書き込みしますが、何より幸いなのはみんな、とてつもなく素晴らしい笑顔だということです。
 私の勤務先の●●でも停電や建物被害で窓口やATM休止でお客様にご迷惑をかけましたが、苦情が1件もありません。
 停電で信号が機能していない夜の交差点での譲り合いとか、日本人は本当にすごいです。
 ガソリンスタンドでは長蛇の列は普通ですが、みんな、ありがとうと言って帰るようです。
 これなら、私たちは復興できるなと思いますから、みんな仲間だから一緒に元気で頑張りましょうね。

※ ※ ※ ※ ※ ※

 本当に日本人は凄い、と思う。既に目一杯頑張っている人に対して、さらに「頑張って」とはとても言えないし、言いたくない。これは自分の患者としての経験として痛感していることだからだ。けれど、笑顔と「ありがとう」、このふたつを忘れない限り、これからの私たちはきっと救われる、と信じたい。

 今朝も福島県を震源とする大きな地震が2回続いた。緊急地震速報も落ち着く気配がない。自宅ではメールとネットの調子が良くないのだが、地震以降いろいろなお店からの雑多なメールが途絶えている。
 昨夜驚いたのは、旅行会社からの被災者支援宿泊プランのお知らせ、というもの。確かに必要なのかもしれないけれど、本当に必要な人がこれを見られているのかどうか・・・、ちょっと首をかしげてしまった。

 なんとなく暗い気分で帰宅すると、お花が届いていた。今日は黄色と濃いオレンジのミックスと黄色のチューリップが5本、ブルースターが3本、ピンクがかった紫色のスターチスが3本。チューリップはまさしくビタミンカラーで、元気をもらった。各々花言葉は「恋の宣言」「信じあう心」「上品」だという。早速水切りをして活けて、ほっとしながら嬉しく眺めている。
 
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2011.3.22 晴れの旅立ちの日に寄せて

2011-03-22 20:07:16 | 日記
 今日は勤務する大学の卒業式・学位記授与式の予定日だった。式を執り行う予定だった会場は、既に被災地からの避難所となることに決まっている。

 式は中止になり、今日から事務室の窓口で学位記をお渡しすることになった。
 晴れがましい式典もなく、学長や研究科長から直接頂くことすら叶わず、事務室で私から手渡されても嬉しくないだろうな・・・、と思いつつ、「おめでとうございます」という気持ちだけはありったけ込めてお渡ししている。

 この3連休。私はしっかり休ませて頂いたけれど、後期入試の判定や合格発表等で出勤した教職員は数多い。節電でエレベーターは当然休止。廊下は真っ暗、事務室も暗いし、空調も切っているので寒さは身に沁みる。昨日は春分の日にもかかわらず、朝から冷たい雨が降り続いた。

 今日も朝から雨。事務室が寒いのは重々わかっていることなので、しっかり冬の厚着をし、膝かけをし、肩からもストールをかけてしのいでいる。
 寒いと胸の痛みと息苦しさが増すように思う。痛む時はすぐに薬に頼らずに深呼吸をして気持ちを落ち着けるように努めているが、”心の痛み”という気分的なものも多分に影響しているのかもしれない。休んではいても常に小骨が喉にひっかかったような感じがあり、疲れが取れない。眠りもずっと浅い感じが続いている。テレビの映像を見ているだけの私でこうなのだから、阪神大震災を経験された方たちが当時の記憶が蘇ってとても辛い、というのを聞いて、さもありなんと思う。

 大学の生協食堂でも今日から1日1品の提供に限っているようだ。私はお弁当を持参したのだけれど、当分の間は、いったいいつまで続くのだろう。
 福島県の原子力発電所だけでなく、同県や茨城県の大規模火力発電所も現時点での復旧の見通しが立たないほどの被害だという。今夏、今冬だけでなく来夏も綱渡りが続きそうだ、ということだ。

 卒業式だけでなく入学式を中止する大学も出てきている。私の勤務する大学ではまだ中止決定ではないが、早晩明らかになるだろう。
 息子の通う中学校・高校でも、新入生に対しては4月の入学式は実施の予定です、と連絡しているようだが、いつ状況が変わるかわからない。

 昨朝、9日ぶりに80歳の祖母と16歳の孫の男子高校生が無事救出された、という明るいニュースが新聞の一面を飾った。ふと、自分の母と息子に重ね合わせてしまい、9日間をいったいどんなふうに過ごしたのだろうか・・・と言葉に詰まった。2人だったからこそ頑張れたのだろう、と思う。本当に人間という存在は、うんと儚いかと思うと、その生命力は計り知れないほど強い、と思う。が、高校生のお父様のコメント「私たちだけが喜ぶのは申し訳なくて・・・」にまた、胸が痛んだ。

 嬉しいはずのニュースを喜べない。
 気持ちを押し込めて、押し込めて・・・皆の気持ちが後ろ向きにならないことを、希望だけは決して捨てないことを心から望みたい。

 こんな冷たい雨が降っているけれど、出勤時、沈丁花の芳しい香りが鼻をくすぐった。そしてまだまだ固いと思っていたコブシの花の蕾が大きく膨らんでいる。この10日以上の間、落ち着いて学内の木々や植物に目をとめることすらできなかった。あたりには確実に春の足音が近づいている。
 心から希望の春を待ちたい、と思う。


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