朝日新聞社のネット記事を見ていて、勝間和代さんのコラムが目にとまった。以下転載させていただく。
※ ※ ※ ※ (転載開始)
勝間和代の人生を変える「法則」(2011年2月28日)
大半の人は、自分を平均以上だと思っている――自信過剰バイアス
「行動ファイナンス」という学術分野があります。
これは、人間が合理的存在であるという前提を否定し、さまざまな感情的バイアスがかかったなかで金融行動の意思決定を行っているとする考え方です。 例えば、なぜバブルが生じるかについての論拠のひとつに、「自信過剰バイアス」と呼ばれているものがあります。
これは、人は自分の能力を、客観的な見方より高く見積もる傾向があるということです。平たく言うと、ほとんどの人は自分の能力を、その人が所属するグループの平均よりも優れていると考えているのです。
だからこそ、統計的には負けるとわかっている競馬やパチンコにも、自分だけは勝てると思って手を出してしまいます。また、専門家がしのぎを削っている株式市場でも、自分だけは、みんながまだ気づいていない、割安な銘柄を見つけられると勘違いしてしまうのです。
この自信過剰バイアスについては、オプションの計算式であるブラック・ショールズモデルを開発したことで著名な米国の経済学者、フィッシャー・ブラック氏が1986年に論文の中で指摘し、その後もさまざまな追試が行われています。
日本で行われた実験では、運転免許を持っている人のグループで、自分の運転テクニックがそのグループの平均より上か、平均並みか、下かと各人に評価してもらうと、統計的にはあり得ない、7割の人が「上」と答える結果になりました。
実はこのバイアスは、私たちがついつい他人を批判しがちになることにもつながります。すなわち、他人の行動を見て、自分がもし同じことをすればよりうまくいくと、自信過剰になってしまうからです。
しかし実際には、当たり前のことですが、株式市場や運転テクニックと同じく、自分でやってみると意外とうまくいかなかったり、初心者のうちは平均以下だったりします。
自分は無意識のうちに常に自信過剰になっている――このことさえ理解していれば、他人に対して過度に批判的にならず、自分に対しても、うまくいかなかった場合にむやみに落ち込まずに済むと思います。心の安定剤として、ぜひ、覚えておいてください。 (経済評論家)
転載終了 (※ ※ ※ ※)
なるほどな、と思った。
無意識のうちに人は常に自信過剰になっている・・・そしてついつい他人を批判しがちになる、・・・実に耳が痛い言葉だ。心していかなければならない。ただ、半世紀近く生きてくると、自分が人並みに出来ない複数の分野は十分わかっているつもりだ。
学生時代に運転免許は取ったけれど全くのペーパードライバー。運転には向いていない、というのもよーくわかっている。子どもの頃から、走るのはそれほど遅くなかったけれど、持久力はないし、球技は不得意だった。体を丈夫にするために、とスイミングクラブには通ったから金槌ではないけれど、概して運動は苦手。それでも、最近ではのんびりマイペース体を動かすことの気持ち良さがわかり、きつくないホットヨガとピラティスだけは再発後も細々と続けている。
読み書きや言葉に関する分野は好きだけれど、高校に入ってみたら本当に情けないほど数学も物理も出来なかった。音楽や美術は好きだったけれど、ピアノのレッスンがずっと続けられたわけでもないし、クラリネットも中高の6年間だけ、合唱も大学時代の4年間だけ。特に造詣が深いわけでもなんでもない。
こんな状態で自分のことは棚に上げて息子にはあれもやれ、これも頑張れ、と叱咤激励するのはまずいよな・・・、と下を向きつつしばし反省する。
もちろん、一応働く主婦だから素早く食事は作るけれど、料理は好きではない。ボタンつけやら最低限のそのまた最低限はやるけれど、裁縫もとんと苦手。一人暮らしが長かった夫の方がよほどマメかもしれない・・・。最近ではアイロンかけも夫にお任せだし、私はアイロンをかけなければ着られないような洋服は着ないことにしている。夫のワイシャツに関してはすっかり外注。こう書き連ねてみると、穴があったら入りたい名ばかり主婦である。
どんな集団にいても平均より上にいなさい、と言うのは、“言うは易し”だ。どんな集団にも1番がいるのと同様、1番ビリもいる。平均があるということは、それ以上、それ以下があるということだ。
そういえば高校に入った時に「一学期ショック」という言葉があった。入試に合格して、皆が同じように優秀だから、中学時代のような成績はとてもとれない、普通に努力していれば3で、逆にちょっとさぼればあっという間に2がつく、うんと頑張らないと4や5はつかない、ということだった。優秀な仲間たちに囲まれて、落ち込むことも多かったけれど、学業面でも部活や特別活動面でも知らないうちに切磋琢磨され、とても充実した高校時代を送れたことを今もとても嬉しく誇らしく思っている。
息子は既に、3年前の中学入試で篩にかけられた。そしてちょっとサボればどんどん転落することも経験した。今回の内部入試でなんとか希望のコースに滑り込んだけれど、この後、そこでまたずっと平均より上にいなさい、と言うのは酷だろうな、とも思っている。
ただ、最初から諦めることはない。努力は嫌い、ダサイなどと言い切らないで、心機一転、なんとか自分の立ち位置を確認しながらの3年間を過ごしてほしいと思う。
3月初日は冷たい雨の1日。今週もまだ寒い日が続くようだ。免疫力が下がっているとちょっとした風邪も大敵だ。手洗いうがいを励行して乗り切りたいと思う。
※ ※ ※ ※ (転載開始)
勝間和代の人生を変える「法則」(2011年2月28日)
大半の人は、自分を平均以上だと思っている――自信過剰バイアス
「行動ファイナンス」という学術分野があります。
これは、人間が合理的存在であるという前提を否定し、さまざまな感情的バイアスがかかったなかで金融行動の意思決定を行っているとする考え方です。 例えば、なぜバブルが生じるかについての論拠のひとつに、「自信過剰バイアス」と呼ばれているものがあります。
これは、人は自分の能力を、客観的な見方より高く見積もる傾向があるということです。平たく言うと、ほとんどの人は自分の能力を、その人が所属するグループの平均よりも優れていると考えているのです。
だからこそ、統計的には負けるとわかっている競馬やパチンコにも、自分だけは勝てると思って手を出してしまいます。また、専門家がしのぎを削っている株式市場でも、自分だけは、みんながまだ気づいていない、割安な銘柄を見つけられると勘違いしてしまうのです。
この自信過剰バイアスについては、オプションの計算式であるブラック・ショールズモデルを開発したことで著名な米国の経済学者、フィッシャー・ブラック氏が1986年に論文の中で指摘し、その後もさまざまな追試が行われています。
日本で行われた実験では、運転免許を持っている人のグループで、自分の運転テクニックがそのグループの平均より上か、平均並みか、下かと各人に評価してもらうと、統計的にはあり得ない、7割の人が「上」と答える結果になりました。
実はこのバイアスは、私たちがついつい他人を批判しがちになることにもつながります。すなわち、他人の行動を見て、自分がもし同じことをすればよりうまくいくと、自信過剰になってしまうからです。
しかし実際には、当たり前のことですが、株式市場や運転テクニックと同じく、自分でやってみると意外とうまくいかなかったり、初心者のうちは平均以下だったりします。
自分は無意識のうちに常に自信過剰になっている――このことさえ理解していれば、他人に対して過度に批判的にならず、自分に対しても、うまくいかなかった場合にむやみに落ち込まずに済むと思います。心の安定剤として、ぜひ、覚えておいてください。 (経済評論家)
転載終了 (※ ※ ※ ※)
なるほどな、と思った。
無意識のうちに人は常に自信過剰になっている・・・そしてついつい他人を批判しがちになる、・・・実に耳が痛い言葉だ。心していかなければならない。ただ、半世紀近く生きてくると、自分が人並みに出来ない複数の分野は十分わかっているつもりだ。
学生時代に運転免許は取ったけれど全くのペーパードライバー。運転には向いていない、というのもよーくわかっている。子どもの頃から、走るのはそれほど遅くなかったけれど、持久力はないし、球技は不得意だった。体を丈夫にするために、とスイミングクラブには通ったから金槌ではないけれど、概して運動は苦手。それでも、最近ではのんびりマイペース体を動かすことの気持ち良さがわかり、きつくないホットヨガとピラティスだけは再発後も細々と続けている。
読み書きや言葉に関する分野は好きだけれど、高校に入ってみたら本当に情けないほど数学も物理も出来なかった。音楽や美術は好きだったけれど、ピアノのレッスンがずっと続けられたわけでもないし、クラリネットも中高の6年間だけ、合唱も大学時代の4年間だけ。特に造詣が深いわけでもなんでもない。
こんな状態で自分のことは棚に上げて息子にはあれもやれ、これも頑張れ、と叱咤激励するのはまずいよな・・・、と下を向きつつしばし反省する。
もちろん、一応働く主婦だから素早く食事は作るけれど、料理は好きではない。ボタンつけやら最低限のそのまた最低限はやるけれど、裁縫もとんと苦手。一人暮らしが長かった夫の方がよほどマメかもしれない・・・。最近ではアイロンかけも夫にお任せだし、私はアイロンをかけなければ着られないような洋服は着ないことにしている。夫のワイシャツに関してはすっかり外注。こう書き連ねてみると、穴があったら入りたい名ばかり主婦である。
どんな集団にいても平均より上にいなさい、と言うのは、“言うは易し”だ。どんな集団にも1番がいるのと同様、1番ビリもいる。平均があるということは、それ以上、それ以下があるということだ。
そういえば高校に入った時に「一学期ショック」という言葉があった。入試に合格して、皆が同じように優秀だから、中学時代のような成績はとてもとれない、普通に努力していれば3で、逆にちょっとさぼればあっという間に2がつく、うんと頑張らないと4や5はつかない、ということだった。優秀な仲間たちに囲まれて、落ち込むことも多かったけれど、学業面でも部活や特別活動面でも知らないうちに切磋琢磨され、とても充実した高校時代を送れたことを今もとても嬉しく誇らしく思っている。
息子は既に、3年前の中学入試で篩にかけられた。そしてちょっとサボればどんどん転落することも経験した。今回の内部入試でなんとか希望のコースに滑り込んだけれど、この後、そこでまたずっと平均より上にいなさい、と言うのは酷だろうな、とも思っている。
ただ、最初から諦めることはない。努力は嫌い、ダサイなどと言い切らないで、心機一転、なんとか自分の立ち位置を確認しながらの3年間を過ごしてほしいと思う。
3月初日は冷たい雨の1日。今週もまだ寒い日が続くようだ。免疫力が下がっているとちょっとした風邪も大敵だ。手洗いうがいを励行して乗り切りたいと思う。