福島原発事故の影響で、ここ東京の飲料水にも危険信号が出た。乳児に限り水道水を飲むのは避けて、ということだ。
あっという間にスーパーからミネラルウオーターが消えているらしい。夫は昨夜帰宅が遅かったが、念のためスーパーを覗いたところ、何もなかったそうだ。「自販機で500mlが2本買えたよ」と持ち帰ってきた。
乳幼児をお持ちの親御さんの不安はよくわかる。妊婦さんも、授乳中の方も当然不安になるだろう。けれど、こうして働いていると、朝から並んで買いに行くわけにもいかない。あわててみたところで仕方ないし、我が家には飲ませてはいけないとすべき乳児はいない。とりあえず過剰反応せず、冷静に心穏やかに過ごしたいと思う。
それにしても、出荷制限を受けた農家の方々のことを思うと、本当に心が痛む。パセリ農家の方が「これまで大切に育ててきたのに・・・」と肩を落としてインタビューに答えておられたけれど、そこに住み続ける不安に加え、生活の道そのものが断たれてしまう。ホウレンソウやカキナといった葉物だけでなく、対象品目が増えれば、消費者はさらに福島県産や関東産のものの買い控えをするだろうし、大丈夫なものまで値崩れし、廃棄処分になるとしたら、なんとも言えない気分になる。
そして、今は葉物だけの被害でも、放射能はいずれ土壌に染み込んでお米等他の作物にも波及していくのだろうか。
放射線は目に見えないから不気味だといえば不気味だ。もちろん、私たちがん患者はこの目に見えない放射線にとても助けられている。手術、化学療法に比べ、体に優しいといわれる治療だ。術後の放射線治療もレントゲン撮影もCT検査もみんなそうだ。
6年前、温存手術の後、規定通りに週5日5週間、切れ目なく25回の1回2グレイ、合計50グレイ(シーベルト)の放射線治療を受けた。
その時は痛みも何もない。万歳をして寝ている姿勢でマーキングされた部分に数分照射されるだけ。けれど、何回か続けていくうちに皮膚が赤くなり軽いやけどしたようになって、かゆみが出た。薬を処方して頂き、特に大事にはならなかったけれど。なんともない方もいるというけれど、私はだるくて眠くて仕方なかった。免疫力が下がっていたとみえて、息子が小学校から運んできたインフルエンザにもあっという間にかかった。
もちろん今は見た目は何ともない。だが、不思議なことに暑い夏でも照射した部分の皮膚からは汗があまり出ない。組織としては死んでいるんだな、と思う。そしていったん放射線治療した皮膚は伸びが悪くなるので、乳房再建手術もできないという。だから(皮膚が伸びないので)私は左胸から中心静脈ポートを留置することが出来なかった。骨髄抑制もあるのか、治療後数年間は白血球の数値が3000行くか行かないか、という状況だった。
被曝、被曝、もっと西に避難する必要がある、と煽る意見も多い。けれど、本当にそうなったら、東日本に住む人たちはみな脱出しなければならなくなる。そんなことはあまりに非現実的だ。
この事故を受けて、骨髄移植・被曝治療の専門家である米国人医師、ロバート・ゲイル博士が来日したという。博士は旧ソ連のチェルノブイリ原発事故の後、現地で被曝者の治療にあたった経験をもち、「チェルノブイリ—アメリカ人医師の体験上・下」(岩波新書)という著書がある。1999年の東海村JCO臨界事故の際も来日している。一昨日の都内での記者会見によれば、「原子炉が爆発したチェルノブイリや、臨界が起きて至近距離で破壊力の大きい中性子線を浴びたJCO事故と、現時点では放射性物質のほとんどが格納容器内に収まっている福島の状況は全く異なる」ということだった。また、「現場で作業をしている人と、そうではない人のリスクも全く違う」「今の福島のレベルであれば、一般の住民にとっては、喫煙の方がよほど発がんリスクが高い」 とも。
チェルノブイリのように、放射線に汚染された牛乳を飲んだ乳幼児が数多く甲状腺がんを発症して亡くなったという事態等と今回の状況は違うのだ、ということを信じるしかない。
もちろん放射線を決して甘くみてはいけない。けれど、いたずらに怖がって無謀な行動をおこすことなく、賢く怖がりたい、と切に想う。
今日は2週間近く学校に行けない息子に気分転換させるためと、夫が休暇をとってくれた。2人で朝一番でスーパーに出かけたところ、息子の生命線(?)の牛乳は買えたけれど、水は500mlのペットボトルが一人1本だったそうだ。
「こんなにも学校に行きたいと思ったことはない。」と息子がいう。その学校からは4月の入学式前に臨時登校日の連絡があった。地震の翌週もまだずっと登校するつもりで置きっぱなしの体操服やら何やらがどうなっているのか、とりあえず引き取ってもらわないことには学校も新しい生徒を新しい教室に入れられないだろう。汚れ物を考えただけで怖い気がする。
職場では計画停電が6時過ぎから10時までの予定だったため、出勤して昼近くまで一切空調が切られていた。あまりに寒く、コートを羽織って仕事をした。寒いと痛む。今日は右胸にズキズキする痛みがあり、嫌な感じ。
今日は早めに入浴して休みたい。
あっという間にスーパーからミネラルウオーターが消えているらしい。夫は昨夜帰宅が遅かったが、念のためスーパーを覗いたところ、何もなかったそうだ。「自販機で500mlが2本買えたよ」と持ち帰ってきた。
乳幼児をお持ちの親御さんの不安はよくわかる。妊婦さんも、授乳中の方も当然不安になるだろう。けれど、こうして働いていると、朝から並んで買いに行くわけにもいかない。あわててみたところで仕方ないし、我が家には飲ませてはいけないとすべき乳児はいない。とりあえず過剰反応せず、冷静に心穏やかに過ごしたいと思う。
それにしても、出荷制限を受けた農家の方々のことを思うと、本当に心が痛む。パセリ農家の方が「これまで大切に育ててきたのに・・・」と肩を落としてインタビューに答えておられたけれど、そこに住み続ける不安に加え、生活の道そのものが断たれてしまう。ホウレンソウやカキナといった葉物だけでなく、対象品目が増えれば、消費者はさらに福島県産や関東産のものの買い控えをするだろうし、大丈夫なものまで値崩れし、廃棄処分になるとしたら、なんとも言えない気分になる。
そして、今は葉物だけの被害でも、放射能はいずれ土壌に染み込んでお米等他の作物にも波及していくのだろうか。
放射線は目に見えないから不気味だといえば不気味だ。もちろん、私たちがん患者はこの目に見えない放射線にとても助けられている。手術、化学療法に比べ、体に優しいといわれる治療だ。術後の放射線治療もレントゲン撮影もCT検査もみんなそうだ。
6年前、温存手術の後、規定通りに週5日5週間、切れ目なく25回の1回2グレイ、合計50グレイ(シーベルト)の放射線治療を受けた。
その時は痛みも何もない。万歳をして寝ている姿勢でマーキングされた部分に数分照射されるだけ。けれど、何回か続けていくうちに皮膚が赤くなり軽いやけどしたようになって、かゆみが出た。薬を処方して頂き、特に大事にはならなかったけれど。なんともない方もいるというけれど、私はだるくて眠くて仕方なかった。免疫力が下がっていたとみえて、息子が小学校から運んできたインフルエンザにもあっという間にかかった。
もちろん今は見た目は何ともない。だが、不思議なことに暑い夏でも照射した部分の皮膚からは汗があまり出ない。組織としては死んでいるんだな、と思う。そしていったん放射線治療した皮膚は伸びが悪くなるので、乳房再建手術もできないという。だから(皮膚が伸びないので)私は左胸から中心静脈ポートを留置することが出来なかった。骨髄抑制もあるのか、治療後数年間は白血球の数値が3000行くか行かないか、という状況だった。
被曝、被曝、もっと西に避難する必要がある、と煽る意見も多い。けれど、本当にそうなったら、東日本に住む人たちはみな脱出しなければならなくなる。そんなことはあまりに非現実的だ。
この事故を受けて、骨髄移植・被曝治療の専門家である米国人医師、ロバート・ゲイル博士が来日したという。博士は旧ソ連のチェルノブイリ原発事故の後、現地で被曝者の治療にあたった経験をもち、「チェルノブイリ—アメリカ人医師の体験上・下」(岩波新書)という著書がある。1999年の東海村JCO臨界事故の際も来日している。一昨日の都内での記者会見によれば、「原子炉が爆発したチェルノブイリや、臨界が起きて至近距離で破壊力の大きい中性子線を浴びたJCO事故と、現時点では放射性物質のほとんどが格納容器内に収まっている福島の状況は全く異なる」ということだった。また、「現場で作業をしている人と、そうではない人のリスクも全く違う」「今の福島のレベルであれば、一般の住民にとっては、喫煙の方がよほど発がんリスクが高い」 とも。
チェルノブイリのように、放射線に汚染された牛乳を飲んだ乳幼児が数多く甲状腺がんを発症して亡くなったという事態等と今回の状況は違うのだ、ということを信じるしかない。
もちろん放射線を決して甘くみてはいけない。けれど、いたずらに怖がって無謀な行動をおこすことなく、賢く怖がりたい、と切に想う。
今日は2週間近く学校に行けない息子に気分転換させるためと、夫が休暇をとってくれた。2人で朝一番でスーパーに出かけたところ、息子の生命線(?)の牛乳は買えたけれど、水は500mlのペットボトルが一人1本だったそうだ。
「こんなにも学校に行きたいと思ったことはない。」と息子がいう。その学校からは4月の入学式前に臨時登校日の連絡があった。地震の翌週もまだずっと登校するつもりで置きっぱなしの体操服やら何やらがどうなっているのか、とりあえず引き取ってもらわないことには学校も新しい生徒を新しい教室に入れられないだろう。汚れ物を考えただけで怖い気がする。
職場では計画停電が6時過ぎから10時までの予定だったため、出勤して昼近くまで一切空調が切られていた。あまりに寒く、コートを羽織って仕事をした。寒いと痛む。今日は右胸にズキズキする痛みがあり、嫌な感じ。
今日は早めに入浴して休みたい。