ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2011.3.10  なかったことに出来ないから人生なのでは?

2011-03-10 21:26:53 | 日記
 最近の子どもたちはゲームでなんでもかんでも簡単にリセット出来てしまう。だから、命に対してもそうだし、人に浴びせる言葉もそうだし、いろいろなことをいともたやすく取り扱うように言われている。
 でも、人として生きている上で、自分のしたことをなかったことには決して出来ない。一度言ってしまったこと、書いてしまったこと、やってしまったことはなかなか取り返しがつかない。こちらは忘れても、その相手はなかなか忘れないものだ。
 だからこそ、きちんと考えて発言したり、書いたり、行動したりしなければいけない、と伝えたい。

 でも、これは子どもに限らないのでは・・・、と思うことがある。
 たとえば、先日、ある方のブログにコメントを寄せられていた方が、何があったのか、これまでのコメントを全て削除するように要求されていた。
 コメントを全て削除するように要求された方には、ご自分の何か、あるいはブロガーとコメンテーターの関係をリセットしなければならなくなった深刻な理由でもあったのだろうか。

 ところで、私も皆さんからブログにコメントを寄せて頂くようになってから、他のブログにコメントを書かせて頂いたりすることも、また他の方たちのコメントも参考に読ませて頂くこともある。

 よほどのことがない限り、コメントは匿名(ハンドルネーム)だし、一方的なコメントや攻撃的なコメント、支離滅裂なコメント等々本当に様々である。もちろん、そうしたコメントに対して一つ一つ律儀にお答えのコメントをしなくてもいいし、場合によっては削除したり保留にしたり、受け取り拒否をしてもいいのかもしれない。
 が、私はそれはしたくない。
 誰に見られても良い、という前提でコメントを寄せておられるのだから、一方的に受け取り側が調整するのは失礼だと思う。もちろん誹謗中傷、公序良俗に反するものは困りものだが。

 それにしても実に色々な方がいるなあ、としみじみ思う。自分がどこの誰かわからなくても、ハンドルネームでも、社会人として大人としての常識と美学は必要なのではないか。いまや追跡しようと思えば、すぐにどこの誰のコメントか、見当がつくことだってあるのだから。

 あとからまずいと思ったら、安易にも削除をお願いすればいいのだ、というようなことでいいわけがない。そして、削除は当然管理人しかできないから、管理人がそれを是としなければそのコメントはずっと残る。後で自分が後悔するようなコメントは、やはり送信前に再度確認するという配慮が足りなかったものだと思う。大人なら自分がその責任を負いつつコメントをすべきではないか、と自分に言い聞かせている。

 自分のしたことや言ったことを簡単になかったことに出来たら、人生こんなにお気楽なことはない。
 言ってみれば再発だって、なかったことに出来たらどんなにいいか。でも、それが出来ないからこそ人生。それを受け入れて、それでも前向きに生きていくしかないのだ。
 日々、自分の言動に責任を持って真剣に生きるしかないのではないか。

 さて、昨夜は心配したほど寝つきが悪くはなかったが、やはり、というか案の定というか明け方4時過ぎに早朝覚醒してしまった。お腹の気持ち悪さはそれほど酷くなく(控えめに食べているのが良いらしい。)、ロキソニンだけ飲み、今のところナウゼリンのお世話にはならないで済んでいる。火照りは結構あり、だるい感じだけれど、なんとか今回は乗り切れそうだ。

 今日もまだまだ寒い一日だった。息子はようやく今日で学年末試験が終了。注文していた学生服一式も届いた。185センチはさすがに大きい。
 明日は早起きしてお友達とテーマパークへお出かけするという。羨ましいほど青春真っ只中だ。
コメント (2)
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