昨夜は夫も息子も結局帰宅できなかった。
余震はまるで船酔いのようにずっと続いた。自宅では電気や水道は全く問題なかったが、ガスをつけるのが不安だったので、夕食もレンジで簡単に済ませた。被災者の方たちは暖かいものが召し上がれない。どれだけのストレスだろう、と暖かいお茶を飲みながらつくづく思った。
一人、真夜中まで絶え間なくリビングで流れ続けるニュース映像に釘付けとなり、茫然自失という状況だった。
あの家の中にまさか人が、あの車の中にまさか人が・・・、と壊滅的な街の映像を見ながら知らず知らずに涙がにじんでいた。そして津波や火災のすさまじさに言葉を失った。
思い出したように従妹や友人たちにメールで無事かどうか、と送り続けた。ネットもメールも不安定で、夕方送ったものが夜に着いたり、ということがあったようだった。
何とか皆が無事だ、と連絡がついたのは明け方になってからだった。本当にほっとした。
このままパジャマに着替えてベッドに入って大丈夫だろうか、と迷いつつ横になり、2時間ほどトロリとしただろうか。
朝6時半頃、息子から電話があった。「レストランで3時頃に寝て今起きた。食事も飲み物も出してもらえるから大丈夫だ、毛布はないけれど、ダンボールを敷布団と枕の代わりにして、銀のシートをかぶって寝た」ということだった。テーマパークの最寄駅を通るJRは運休。
夫は7時に職場を出て、JRが止まっていたので地下鉄でターミナル駅まで出て、入場制限等の中、3時間ほどかかって帰宅した。息子の花粉症の薬をもらいに行く日だったので、それも帰宅途中にクリニックに交渉して受け取ってきてもらった。
私が勤務する大学では2時間繰り下げて入試を実施したようだった。
私は午前中に予約していたマッサージをキャンセル。あとで担当の方に聞くと、ほとんどの方がキャンセルで、水は濁り、ペットボトルで対応したとのこと、ビルのエレベーターも正面しか動いていなかった、ということだった。
そして午後のピラティスもスタジオが営業中止ということをネットで知り、キャンセル。
その後はひたすら息子からの連絡を待った。
そうしている中でも今度は原発の事故の情報。いったい日本はこれからどうなってしまうのか、と恐ろしく思う。被害の全貌がわかってくるに連れて、亡くなった方も行方不明の方も数字は増える一方だ。
12時半過ぎに息子から「お昼も食べた。JRは動かないから無料のシャトルバスで地下鉄の駅まで出て、帰る」と連絡があった。でも、それから6時間ほどメールをしても電話をしても音信不通。
結局、バスは3時間ほど待たないと乗れないと言われ、地下鉄の駅まで8キロ弱の道のりを2時間かけて友人達と歩いたという。それから地下鉄を乗り継ぎ、あまりにお腹がすいたので、途中、新宿でみんなでラーメンを食べてきた、と途中の駅から電話があった。
帰宅は7時過ぎ。本当に顔を見るまで気が気ではなかったが、本人はすっかりハイテンション。テーマパークのチケットは1年有効で再利用できるとのこと。しかもフリーで食事も飲み物も出て、クッキーのお土産まで頂いて帰ってきた。こちらが心配するより、よっぽどたくましくしぶとくやってきた。帰り道の代替プランを提案できて“鉄男”もみんなの役に立ったようだ。それでもさすがに疲れたと見えて、入浴後ころりと寝てしまった。
被災された方々には心からお見舞いの言葉を、そして亡くなられた方にはご冥福をお祈りしたい。一瞬にしてすべてを奪われた方たち、どれだけ無念だったことだろう、と胸がつぶれそうな思いだ。取り残されている方たちが一刻も早く救出されることを願いたい。
余震はまるで船酔いのようにずっと続いた。自宅では電気や水道は全く問題なかったが、ガスをつけるのが不安だったので、夕食もレンジで簡単に済ませた。被災者の方たちは暖かいものが召し上がれない。どれだけのストレスだろう、と暖かいお茶を飲みながらつくづく思った。
一人、真夜中まで絶え間なくリビングで流れ続けるニュース映像に釘付けとなり、茫然自失という状況だった。
あの家の中にまさか人が、あの車の中にまさか人が・・・、と壊滅的な街の映像を見ながら知らず知らずに涙がにじんでいた。そして津波や火災のすさまじさに言葉を失った。
思い出したように従妹や友人たちにメールで無事かどうか、と送り続けた。ネットもメールも不安定で、夕方送ったものが夜に着いたり、ということがあったようだった。
何とか皆が無事だ、と連絡がついたのは明け方になってからだった。本当にほっとした。
このままパジャマに着替えてベッドに入って大丈夫だろうか、と迷いつつ横になり、2時間ほどトロリとしただろうか。
朝6時半頃、息子から電話があった。「レストランで3時頃に寝て今起きた。食事も飲み物も出してもらえるから大丈夫だ、毛布はないけれど、ダンボールを敷布団と枕の代わりにして、銀のシートをかぶって寝た」ということだった。テーマパークの最寄駅を通るJRは運休。
夫は7時に職場を出て、JRが止まっていたので地下鉄でターミナル駅まで出て、入場制限等の中、3時間ほどかかって帰宅した。息子の花粉症の薬をもらいに行く日だったので、それも帰宅途中にクリニックに交渉して受け取ってきてもらった。
私が勤務する大学では2時間繰り下げて入試を実施したようだった。
私は午前中に予約していたマッサージをキャンセル。あとで担当の方に聞くと、ほとんどの方がキャンセルで、水は濁り、ペットボトルで対応したとのこと、ビルのエレベーターも正面しか動いていなかった、ということだった。
そして午後のピラティスもスタジオが営業中止ということをネットで知り、キャンセル。
その後はひたすら息子からの連絡を待った。
そうしている中でも今度は原発の事故の情報。いったい日本はこれからどうなってしまうのか、と恐ろしく思う。被害の全貌がわかってくるに連れて、亡くなった方も行方不明の方も数字は増える一方だ。
12時半過ぎに息子から「お昼も食べた。JRは動かないから無料のシャトルバスで地下鉄の駅まで出て、帰る」と連絡があった。でも、それから6時間ほどメールをしても電話をしても音信不通。
結局、バスは3時間ほど待たないと乗れないと言われ、地下鉄の駅まで8キロ弱の道のりを2時間かけて友人達と歩いたという。それから地下鉄を乗り継ぎ、あまりにお腹がすいたので、途中、新宿でみんなでラーメンを食べてきた、と途中の駅から電話があった。
帰宅は7時過ぎ。本当に顔を見るまで気が気ではなかったが、本人はすっかりハイテンション。テーマパークのチケットは1年有効で再利用できるとのこと。しかもフリーで食事も飲み物も出て、クッキーのお土産まで頂いて帰ってきた。こちらが心配するより、よっぽどたくましくしぶとくやってきた。帰り道の代替プランを提案できて“鉄男”もみんなの役に立ったようだ。それでもさすがに疲れたと見えて、入浴後ころりと寝てしまった。
被災された方々には心からお見舞いの言葉を、そして亡くなられた方にはご冥福をお祈りしたい。一瞬にしてすべてを奪われた方たち、どれだけ無念だったことだろう、と胸がつぶれそうな思いだ。取り残されている方たちが一刻も早く救出されることを願いたい。