ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2011.3.15 計画停電の後に

2011-03-15 06:14:07 | 日記

 昨日、予定通り出勤したが、息子は通学に使う私鉄が全面運休のため、昨日今日と休校。計画停電の影響で各路線の運休が相次いだ。夫は3時間近くかけて、別の経路を使いつつ無事出勤し、再び帰宅難民にならないようにかなり強引に早目に退社してきた。
 私の職場でも、予定時間より30分も早く電車が止まってしまい、2駅分歩いて登庁した職員が数多くいた。
 午前中の停電は結局なかったが、急遽休みになった息子が大活躍で、スーパーでティッシュや電池等の買い出しに行ってくれた。私が昼休みに駅前まで遠征したときには既に売り切れだった。

 3月で退職する方たちと以前からお昼を学内のレストランで、と約束していたのだが、残念ながら停電により臨時休業ということだった。やむなく生協食堂に行ってみると、カレーだけなら提供が出来るということだったのでとりあえず頂戴し、地震の募金箱が出ていたので気持ちだけ募金してきた。

 明日は通院日。
 病院のホームページで、昨日から平常通り診察業務を行っているという確認はできたが、「東日本大地震による被災患者受入要請が出ているため、重症患者さんを優先的に受け入れています。受診に際して、予約の有無に拘らず長時間お待ちいただくことがありますので、あらかじめご了承願います。 病院長」というお知らせが出ていたので、今日は大事を取って病院の最寄駅前のホテルに宿泊する。
 昨日は、病院の最寄の駅を通るJRが全面的に運休だった。が、とにかく今日中に最寄駅まで到着し、朝一番で病院に到着できればなんとか治療できるのでは、と思っている。

 職場では今後の対策会議があったが、自分が生きているうちにこんな事態が起こるとは思っていなかった、という上司の発言があった。本当にそうだ。1000年に一度の規模、マグニチュード9.0だという。生と死が本当に紙一重であることを嫌というほど見せつけられた。そして、自然の猛威の前では人間なんてどれほど無力なものだろう、と唇を噛む。
 阪神淡路大震災の直撃を経験した大学時代の友人のメーリングリストの弁によれば、今回の被害も規模も前回の震災の比ではない、という。
 ホテルを予約した時は、こんなことになるとはゆめゆめ思っていなかった。最近どうしても病院滞在時間が長時間に及び疲れがかなりひどく、夫に相談すると、少しでも楽ならホテルに前泊してくれて全く問題ない、と言ってくれた。それで、「当日の夕食の準備はしていくから」と予約していたのだ。
 昨日、空き部屋を検索したらどこも満室だったので、本当に良かった。

 それにしても、まだ小さかった頃は台風が来れば停電、ということもあったけれど、本当にラジオとろうそくを準備したという経験は数十年ぶりだ。昨日は朝のうちに夕食の支度をしておき、いつ停電が来てもいいように帰宅後は早めに食事を済ませた。(いろいろと買い物を引き受けてくれて、グッジョブ!と褒めてあげようと思っていた息子が、実はお使いのお釣りを5,000円なくしてきて、私たち2人から大目玉というおちがついたのだが。)

 結果的に計画停電は実施されず、そのままテレビもPCも使うことができた。拍子抜けだったが、実際にろうそく1本の明かりで食卓を灯してみたら、とても暗く、テーブルの上の食べ物は何も見えなかった。夕食時間帯の4時間停電はやはりきついことだろう。
 それでも、家族とこうして暖かい食事がとれることを感謝しなければいけない。
 被災地の方々に、一日でも早くこうした食卓が戻ってくるように神様に祈りたい。

コメント (3)
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