先週、NHKのドラマ「四十九日のレシピ」が終わった。
キャッチコピーは「わたしがいなくなっても、あなたが明日を生きていけるように。大切な人を亡くしたひとつの家族が、再生に向かうまでの四十九日間」だという。レシピには「料理の作り方」の他に「処方箋」という意味があることがタイトルの由来になっているそうだ。
原作は読んでいないけれど、ポプラ社小説大賞特別賞を受賞した伊吹有喜さんの長編2作目だという。リアルタイムでは見られなかったので、録画してちょっと遅れて全4回分観終わった。不器用な生き方をする父と娘のやりとりに、毎回涙線が緩んでしまった。
最終回で心に残った言葉が、この「親が子を支えるように、踏切板となって次の世代を前に飛ばすための人生、いつだって誰かの人生が誰かのテイクオフ・ボード(踏切板)になっている」という台詞だ。
5歳の時に父と再婚した主人公の育ての母(乙美母さんを略して乙母:おっか)が急逝する。2人とも後悔がある。父は最後の朝に冷たい態度をとったこと。娘は初対面の時に乙母が作ってくれたお弁当をひっくり返したこと。
乙母は、主人公(娘)の父と33年間連れ添い、自らは子どもを産むことなく亡くなる。乙母は女性として幸せな人生を送れたのだろうか、と問う。主人公は辛い不妊治療を何年も続けているが、子どもを授からない。 夫の愛人に子どもが出来たことを知り、離婚を決意して実家に戻ってきている。
乙母の遺言は「四十九日には、読経等ではなく明るく自分のレシピにある料理で大宴会をやってほしい」ということ。更生施設・リボンハウスでボランティアをしていた乙母の教え子の女の子が四十九日までの間お手伝いを依頼されている、とやってくる。乙母はそうした女の子たちが施設を巣立つ時に、その子の記録である「足跡帳」を作ってプレゼントしていたという。そして、父娘は大宴会に乙母の足跡帳を作って飾ろうとするのだが、父も娘もこれまで乙母が生まれてから亡くなるまでのことを何も知らなかった(足跡帳を埋められない)ということに茫然とする。そして、娘は子どもを産まなかった女性はそうでない女性に比べて足跡帳が真っ白なのだろうか、と悩む。
リボンハウスの園長さんが言った言葉が表題だ。
私はシングルだけれど、誰かのテイクオフ・ボード(踏切り板)になって次の世代につないでいけると思っている、と言うのだ。
そういう生き方もあるのだ、と思う。
次代を担う子どもを産み育てることも大切で素晴らしいことだけれど、そうでなく、自分が行うことで、自分の存在を次世代に継承する生き方も素晴らしい、と思う。
リボンハウスの沢山の女の子たちが四十九日の大宴会に次々にやってきて、真っ白だった足跡帳を「乙美先生、●●を教えてくれて、ありがとう」の言葉で一杯にしてくれる。そして、主人公は乙母は幸せだったのだと気付き、再びこれからの人生、夫と2人で齢をとってゆくことを決意するのだ。
お手伝いに来た女の子は、乙母の残した「暮らしのレシピ」により身の回りのことが出来るようになった父の前から四十九日の後、忽然と消えてしまう。その子の名前は「IMOTO」。硝子に映って逆さから読むと「OTOMI」となっている。彼女は、乙母が父と娘の再生のために姿を変えてやってきたのでは・・・、と暗示するファンタジーのようなラスト。
私が息子を授かったのは結婚6年目。子どもが欲しいと思ってからずいぶん時間がかかっている。不妊治療に踏み切ることまではしなかったけれど、これからは子どものいない人生を送る=夫と2人で生きていく=のかもしれない、と思ったこともあった。
帝王切開でお腹を開けられた時に「子宮内膜症がこんなに酷いのに、良く自然妊娠しましたね。」と言われたほど。実際に治療を経験したこともないのに「辛いのがよくわかる」などとは辛い治療をされている方に失礼だからとても言えないけれど、赤ちゃんがほしい・・・、と思い詰める気持ちは他人事ではない。子どもは決して作るものではなく、やはり神様から授かるものなのだ、とも思った。義母に妊娠を伝えた時、最初なかなか信じてもらえず「貴女は子どもが出来ない人だと思った。」と言われたのを覚えている。
当たり前だけれど、いろいろな人生、いろいろな生き方がある。それこそ百人百様。誰しも皆、自ら幸せな人生を送りたいし、出来れば他の人も幸せにしたいと願うものだと思う。自分は踏み台になってもよい、それで誰か幸せになってくれるのなら、笑顔になってくれるのなら・・・そんなふうに自分を差し出せたら、凄い・・・と思う。
昨夜遅く、住んでいる市で今朝9時過ぎから午後1時までと、午後6時過ぎから10時までの輪番停電の連絡が入った。こうした状況がいつまで続くことかわからないけれど、今回被災された方たちのことを思えば、このくらいの不便は当然だ、と思う。
その影響で電車も運休のようで、学校は休校の連絡が入った。
キャッチコピーは「わたしがいなくなっても、あなたが明日を生きていけるように。大切な人を亡くしたひとつの家族が、再生に向かうまでの四十九日間」だという。レシピには「料理の作り方」の他に「処方箋」という意味があることがタイトルの由来になっているそうだ。
原作は読んでいないけれど、ポプラ社小説大賞特別賞を受賞した伊吹有喜さんの長編2作目だという。リアルタイムでは見られなかったので、録画してちょっと遅れて全4回分観終わった。不器用な生き方をする父と娘のやりとりに、毎回涙線が緩んでしまった。
最終回で心に残った言葉が、この「親が子を支えるように、踏切板となって次の世代を前に飛ばすための人生、いつだって誰かの人生が誰かのテイクオフ・ボード(踏切板)になっている」という台詞だ。
5歳の時に父と再婚した主人公の育ての母(乙美母さんを略して乙母:おっか)が急逝する。2人とも後悔がある。父は最後の朝に冷たい態度をとったこと。娘は初対面の時に乙母が作ってくれたお弁当をひっくり返したこと。
乙母は、主人公(娘)の父と33年間連れ添い、自らは子どもを産むことなく亡くなる。乙母は女性として幸せな人生を送れたのだろうか、と問う。主人公は辛い不妊治療を何年も続けているが、子どもを授からない。 夫の愛人に子どもが出来たことを知り、離婚を決意して実家に戻ってきている。
乙母の遺言は「四十九日には、読経等ではなく明るく自分のレシピにある料理で大宴会をやってほしい」ということ。更生施設・リボンハウスでボランティアをしていた乙母の教え子の女の子が四十九日までの間お手伝いを依頼されている、とやってくる。乙母はそうした女の子たちが施設を巣立つ時に、その子の記録である「足跡帳」を作ってプレゼントしていたという。そして、父娘は大宴会に乙母の足跡帳を作って飾ろうとするのだが、父も娘もこれまで乙母が生まれてから亡くなるまでのことを何も知らなかった(足跡帳を埋められない)ということに茫然とする。そして、娘は子どもを産まなかった女性はそうでない女性に比べて足跡帳が真っ白なのだろうか、と悩む。
リボンハウスの園長さんが言った言葉が表題だ。
私はシングルだけれど、誰かのテイクオフ・ボード(踏切り板)になって次の世代につないでいけると思っている、と言うのだ。
そういう生き方もあるのだ、と思う。
次代を担う子どもを産み育てることも大切で素晴らしいことだけれど、そうでなく、自分が行うことで、自分の存在を次世代に継承する生き方も素晴らしい、と思う。
リボンハウスの沢山の女の子たちが四十九日の大宴会に次々にやってきて、真っ白だった足跡帳を「乙美先生、●●を教えてくれて、ありがとう」の言葉で一杯にしてくれる。そして、主人公は乙母は幸せだったのだと気付き、再びこれからの人生、夫と2人で齢をとってゆくことを決意するのだ。
お手伝いに来た女の子は、乙母の残した「暮らしのレシピ」により身の回りのことが出来るようになった父の前から四十九日の後、忽然と消えてしまう。その子の名前は「IMOTO」。硝子に映って逆さから読むと「OTOMI」となっている。彼女は、乙母が父と娘の再生のために姿を変えてやってきたのでは・・・、と暗示するファンタジーのようなラスト。
私が息子を授かったのは結婚6年目。子どもが欲しいと思ってからずいぶん時間がかかっている。不妊治療に踏み切ることまではしなかったけれど、これからは子どものいない人生を送る=夫と2人で生きていく=のかもしれない、と思ったこともあった。
帝王切開でお腹を開けられた時に「子宮内膜症がこんなに酷いのに、良く自然妊娠しましたね。」と言われたほど。実際に治療を経験したこともないのに「辛いのがよくわかる」などとは辛い治療をされている方に失礼だからとても言えないけれど、赤ちゃんがほしい・・・、と思い詰める気持ちは他人事ではない。子どもは決して作るものではなく、やはり神様から授かるものなのだ、とも思った。義母に妊娠を伝えた時、最初なかなか信じてもらえず「貴女は子どもが出来ない人だと思った。」と言われたのを覚えている。
当たり前だけれど、いろいろな人生、いろいろな生き方がある。それこそ百人百様。誰しも皆、自ら幸せな人生を送りたいし、出来れば他の人も幸せにしたいと願うものだと思う。自分は踏み台になってもよい、それで誰か幸せになってくれるのなら、笑顔になってくれるのなら・・・そんなふうに自分を差し出せたら、凄い・・・と思う。
昨夜遅く、住んでいる市で今朝9時過ぎから午後1時までと、午後6時過ぎから10時までの輪番停電の連絡が入った。こうした状況がいつまで続くことかわからないけれど、今回被災された方たちのことを思えば、このくらいの不便は当然だ、と思う。
その影響で電車も運休のようで、学校は休校の連絡が入った。