ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2012.3.26 23年度最後の週スタート

2012-03-26 21:00:00 | 日記
 今日から今年度最終週。今日はまだ2月の寒さというが、明日あたりからようやく暖かさが続くようだ。週末の桜の開花が本当に待ち遠しい。

 既に異動の内示が出ているので、早くも引継やら来年度の布陣やら準備やらで、慌ただしい1週間が始まった。

 昨日でデカドロンは飲み終えたのに、いまだ火照りがとれない。朝、鏡を覗くと、りんごのほっぺの自分がいた。いまだ味覚異常も残っており、空腹で胃が痛いほどなのに食欲はいまいち。ナウゼリンを飲み、3日ぶりに何とかほぼいつもの量に匹敵する朝食がとれた。
 家を出た時には何やら足取りがふわふわしていたが、とりあえず仕事に行けば仕事の顔だ。

 お昼は自席で持参したお弁当を食べたが、食欲はまだ今一つ。相変わらずお腹のモタモタ感が続いている。また、ロキソニン効果が切れたと見えて、またもや胸痛の鬱陶しさがぶり返している。

 今日、夫と息子はマリナーズ対ジャイアンツ戦を観に、東京ドームへ出かけた。イチロー選手を見られることに息子は興奮気味だ。そんなわけで、今夜は帰宅後の夕飯の支度からは解放されている。
 一人の夕飯はごくごく適当に済ませ、土日殆ど何も出来なかった家事の帳尻合わせで洗濯機を回した。

 さて、今週は通常通り明後日が通院日だ。
 夫と息子は水曜日早朝より3泊4日の鉄道旅行に出かけてくれる。多忙な年度末に休みをとって息子の相手をしてくれる夫には、本当に感謝だ。
 投与日以降の土曜日までの体調不十分な数日間、自分の世話だけをしていればよい環境は、今の私にとって何よりのプレゼントだ。

 息子も部活の冊子に書く旅行記のネタが得られて何よりだろう。
 それにしても12月に塾を辞めて以来、すっかり自宅でブラブラと遊んでばかり。このまま何ら目標もなく4月に進級することについて、正直、気が気ではないのだが・・・。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2012.3.25 そして、今日もひきこもり・・・

2012-03-25 19:56:33 | 日記
 昨日は、日中あれだけダラダラと寝たというのに、不思議とすんなりと入眠出来た。が、やはり寝過ぎだったのか、今朝も4時半には目覚めてしまった。
 体は重く背中はベッドに張り付いたまま。食欲もなくそのままうじうじ。

 昨日同様、夫が先に起きて朝食の準備。目覚めてもリビングに行けずに、またしても予約していたヨガをキャンセル。そして、赤いヨーグルトと果物を少し頂き、最後のデカドロン3錠を飲んだ。デカドロンを飲めばだるさもとれて、ステロイド・ハイになって今日こそ動けるだろう、と期待したのだが。

 2人は、私が一人でダラダラ出来るように気を利かしてくれて、遅い朝食後、クリーニング屋さんに行ったついでにサイクリング、その帰りにランチをしてきた。私は相変わらずリビングでビデオを見ながら、うつらうつら。先日の通院日に読み残した本の残りだけ読み終わった。

 またしても、家から1歩も出ないというなんとも情けない土日になってしまった。だが、ここで無理に体に鞭打って見たところで仕方ない、と諦める。明日になればまた新しい1週間が始まる。仕事に行くとなれば、さすがに少しはシャンとするだろう。
 夕方、もう暗くなり始めてから、洗濯物の片づけと拭き掃除だけ済ませた。

 ナベルビン投与の後は、発熱防止のためにロキソニンを2日間内服しているせいか、いつもの鬱陶しい胸の鈍痛、圧痛もあまり気にならない。そしてステロイドのおかげで、瞼の爛れも大分落ち着いている。
 それは良いことなのだが、気持ち悪さは落ち着いてもなぜかだるさがどうしても取れない。

 “春眠暁を覚えず”の季節であることをいいことに、眠れる時には眠ったほうが良いのかもしれないけれど、このままひきこもりになってしまうような、焦りというか怖さを感じてしまう、貧乏性の私である。


コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2012.3.24 寝ても、寝ても・・・

2012-03-24 20:57:40 | 日記
 昨夜は、我が家で一番の宵っ張りの夫が、珍しく入浴もせずにさっさと寝てしまった。
 私も早めにベッドに入ったが、案の定気持ち悪くて3時半頃に早々と目覚めてしまった。それ以降、右に寝返りをうっても左に寝返りをうっても眠れず、眼がギンギンに冴えて仕方なかった。
 さすがにその時間に起き出す元気もなく、ベッドでうじうじ。朝の連続テレビ小説を見、小さな男の子2人のお母さんである末期がん患者さんが、ファッションショーで奇跡の笑顔を見せるというシーンで朝から涙をこぼした。
 結局目は覚めていても、体は泥のように重く起き出せず、昼近くまでそのまま寝室の天井を眺めていた。
 さすがに空腹の夫が起き出して、寝坊助の息子の朝食の準備をしてくれた。

 私が起きてから出来たことは、朝食の片付けと洗濯物たたみだけ。夫と息子をそれぞれクリニックに追い出して、赤いヨーグルトと果物を少しお腹に入れて、イメンド80mg、デカドロン3錠、ロキソニン、マグラックスをおまじないのように飲む。

 夫は、先週撮影したMRIの結果を聞いてきた。総合病院の読影結果は“異状なし”。それをクリニックの院長が伝えてくれたそうだ。「こんなにずっと痛いのになんでもない筈がない、骨が浮いて突き刺さって神経を刺激しているのかもしれない、水がたまっているのかもしれない、水を抜くくらいならよいけれど、おそらく手術だと思う。」と、実に鼻息荒かった夫だが、「筋力をつけるように」と帰されて、なんだかいきなりテンションが下がっていた。とりあえずほっとした。夫が手術で入院などという話にでもなれば、我が家はたちまち立ち行かなくなる。運動不足と加齢現象は間違いないだろう。

 息子は花粉症の薬の受領。来週は夫と2人で鉄道旅行に出かけるので、ちょっと早めの受診となった。
 私は2人が帰宅するまで、とリビングで撮り溜めたビデオを見始めたが、いつのまにかイメンドの眠気に耐え切れず、そのまま玉砕。寝ても、寝ても眠くてだるくて、無気力感で体中が一杯。朝3時半に起きてからみごとに11時間後に、その帳尻を合わせるように数時間たっぷり寝込んでしまった。

 そんなわけで夕食も夫に準備させてしまった。鼻がやけに敏感になっていて、匂いの強いものが吐き気を招く感じだ。普段は美味しそうな匂い!と感じるのに。ナウゼリンを飲み、お昼に飲みそびれたロキソニンを飲んだ。

 もしかしたら行けるかも、と予約しておいたヨガも土壇場キャンセル。前売り券を買ってある映画でも観に行けたらいいかな、と思っていたが、とんでもなかった。今日も今日とて、家から一歩も出ず仕舞い。

 明日は少し復活していますように。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2012.3.23 ビデオの中の幸せな家族の時代

2012-03-23 20:30:15 | 日記
 以前にも書いたかもしれないが、夫は息子が3,4歳の保育園児だった頃のビデオを見るのが好きだ。
 まさに親ばか丸出しなのだが、実に野放図で、伸び伸びと屈託のない息子の姿に心洗われるのだと思う。

 確かに、今は見上げるほど大きくなった息子は、いったいどこの誰だろう、この子と同じ子なのかしら、と思ってしまうほど。その本人ですら、ちょっと頬を赤らめながら「これが自分だなんて・・・」とテレまくっている。
 そうして大量のビデオをボーッと見ていると、何時間あっても足りないし、ああ、こんなに可愛かったのに、今は・・・と思うのもなんだかなあ、だ。なので、私はあまり没頭しないことにしている。
 けれど、とびとびに見ながら、可愛い声や喋りっぷりを耳に挟むと、寸暇を惜しんで国内はもとより、海外にも足を延ばして実に色々な所に連れて行ったあの頃は、文句なしに楽しかったな、と思う。
 息子の底抜けの笑顔を見る、ただそれだけのために一体どれだけの気力、体力、財力を使ったことか。
 
 ふと、夫が「この頃は本当に一番幸せな家族の時代だったかなあ」と漏らした。「お母さんも健康そのものだったし、○○(息子)は勉強の“べ”の字も関係なかったし・・・」と。
 本当にそうだ。ラッパをプーッと吹いてみせるだけで、皆から拍手喝采されて「偉い!凄い!」と言われていた息子も、今では「微分積分、対数が分からないとは何事だ!」と何とも気の毒な事態になっている。
 かくいう夫も12年前の画像を見ると、お腹の“お”の字も出ていないし、白髪の一本もない。本当に若い。私も硬い髪の毛がふさふさで、眉毛もげじげじ、睫毛もたっぷりなので、今と比べ物のないほど眼力がある。

 あの頃は目立った心配事もなく、文字通り幸せだったのだろうけれど、では今は不幸なのか、と言えばそんなことはない、と思う。負け惜しみでもなんでもなく、素直に。
 現実には、毎週の病院通いが欠かせなくなった。いつまでという期限すら、ない。そして一度脱毛した髪の毛はすっかりコシがなくなり、ヘニャヘニャで、いまだに眉毛も睫毛もろくに生えてこない。また、いつそういう治療に移行するかもわからない。
 けれど、今はこうしてまだ普通に働けて、自分の足で行きたいところに行ける。
 この年になって新しい友人も出来て、ちょっとした新しいことにチャレンジする気持ちも残っている。

 だから、夫には「あの頃が一番幸せな時代だった」と言われるのはちょっと哀しい。
 そして、今も幸せだな、と言ってもらえるように、やはり私も笑顔でいなければな、と反省するのだ。
 
 さて、体調。昨夜は昼食が遅かったので、夕食時には食欲もなく、ナウゼリンを飲んでからごくごく少しだけお腹に入れた。やはり既にモタモタ感があった。2人が豪快に食べているのを横目で見つつ、のいつもの投与日の夕食風景だ。せっかく夫が買ってきたケーキも手をつけられずじまい。
 それでもマイスリーに頼らずなんとか眠ることが出来た。

 今朝も食欲はなく、ナウゼリンを飲んで半分ほどお腹に入れ、イメンド80㎎、デカドロン3錠、ロキソニン、マグラックスを飲んで家を出た。出勤後、たまった仕事を全速力で片づけて午前中をやり過ごす。
 昼もナウゼリンを飲んでから少しだけお腹に入れて、ロキソニンとマグラックスを飲む。

 今日は4月1日の異動内示。来年度も今のポストに留め置いてもらえることが分かってほっとした。とりあえず1年間は、今までのペースで働かせて頂けることが何より嬉しい。それにしてもやはり、内示が出てしまうとなんだか職場がそわそわして落ち着かない。今のメンバーで仕事をするのもあと数日となった。

 夕食を作るのもいまいちノリが悪いが、これは早く帰宅した方の義務、ということで台所に立つ。ナウゼリンを飲んでみたが、結局2人と一緒に食べることが出来ず、冷たくなったものを一人ぼそぼそと押し込んだ。
 気持ちが悪い中での炊事は拷問だ。それでも2人がいるから何とか作るのであって、一人だったら食事さえも作らずじまいかもしれない。
 木曜日通院とすると、投与翌日だけ頑張って仕事をして、土日は具合が悪くても家でダラダラ出来る、というのはある意味良いかもしれないけれど、そうなると土日は単なる休養でリフレッシュのお楽しみを入れるのは難しい。
 やはり水曜日通院で、なんとか木金とやり過ごし、土曜日くらいはダラダラしても日曜日は自分の元気度アップのために使えるこれまでのパターンが続けられると良いな、と思う。


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2012.3.22 ハーセプチン152回目(3倍量15回目)、ナベルビン28クール1回目

2012-03-22 21:39:43 | 治療日記
 今日は昨日に比べてかなり暖かく、春らしい日という予報。6日ぶりに登校する息子と夫を送り出した後、昨日に続いてブーツを脱いでショートコートで出かけた。朝はまだ寒さが残っているし、日中の暖かい時間は病院にいて、帰路は明日の雨を彷彿とさせる曇天と、残念ながら春の日の恩恵を被ることは出来なかった。

 今朝は最寄駅でもJR乗換駅でも順調に乗り継いで、2駅ほど過ぎたところで席も確保できて、車中で読書することが出来た。病院では、いつもどおりの時間に自動再来受付機にIDカードを通せた。

 今日は診察前に採血とレントゲンの予約。採血は30人待ちだったが、30分ほど待って順番が来た。今日は男性の看護師さん。4本採取で針刺は上手だったが、抜く時がちょっとひっかかって残念だった。
 2階に移動してレントゲン受付へ。こちらも10分ほど待って、正面からの撮影のみで無事に終了。
 再び1階に戻って、腫瘍内科の受付。あと小一時間は採血の結果が出ないだろうと、9階のメンタルヘルスセンターへ移動した。先月末、大雪の日に初めて訪れて以来3週間ぶりだ。「おはようございます」と挨拶をすると、受付の女性が私のことをしっかり覚えていてくださった。今日は利用券を5ポイント分、券売機で購入。前回は時間がなくて20分で止めて頂いた「リラクティブ」を正規時間の30分利用した。波の音等のヒーリング・ミュージックと心地よい光の点滅、それにバイブレーションが加わって途中で眠くなってしまうほど。連続で2ポイント分1時間利用される方も多いそうだ。
 すっかりいい気分になって退出する時、お忙しい山本先生が出てきてくださってご挨拶。今回ヒーリングのCDを監修された、ということでチラシを頂戴した。
 1階に戻り、自動血圧測定器で血圧測定。106-61、脈は79。いい感じだ。そうこうしているうちに「中待合へどうぞ」のランプが点いた。混雑した待合室でまだかまだか、とそわそわしつつ本を読んでいるより、格段に楽な時間の過ごし方だ。

 「さて、どうでしたか。」と先生から体温計を渡されて診察開始。体温は6度2分。この2週間、風邪が長引いて、いつもよりも火照り、だるさが酷かったこと、時折、胸部中央部の圧痛、鈍痛があったことをお話する。デカドロン3錠を2錠にするのは念のため次回に、ということで、今回はやはり3錠を3日分処方された。
 白血球は2700。前回4000台だったが、またいつものペースに戻った感じだ。レントゲンは前回に比べて特に変化なし。腫瘍マーカーCA15-3は1割ほど上がって再び上限値を超えた。が、先生がおっしゃるには、上限値すれすれくらいで上がったり下がったりしているのが続く分にはそれほど心配することはない、とのこと。要はナベルビンが奏功してギリギリそこで押さえてくれている、という理解だ。次回はいつものように来週水曜日に予約が入った。

 化学療法室へ移動。10分ほど待って点滴椅子に案内された。さらに30分ほどしてベッドに移動して、化学療法認定看護師のKさんが針刺。今日は圧痛があったが、逆血は全く問題なく一回でOK。最近は「ポートの調子が良いですね。」とのこと。一時は、何度も複数人で確認しても駄目で、先生が見にいらしたこともしばしばあり、かなりのストレスだった。いったいなんだったのか。
 Kさんのお話によれば、4月から乳腺外科が新しく設置されることになり、同時に病棟に異動になるそうだ。化学療法室には5人の看護師さんが付くことになり、針刺し名人のOさんが今後はリーダーとして回していくとのこと。そうなると4月からは、私が最初にお世話になった4年前からお世話になっている方は、Oさんだけになってしまう。
 春は出逢いと別れの季節だな、としみじみ思う。Kさんには「病棟に行けばまたお会い出来るけれど、なるべくなら入院はしない予定なので・・・」、と軽口を叩いた。

 今日はハーセプチン、グラニセトロンとデキサート、ナベルビン、生理食塩水の4本。ハーセプチンが始まる直前に針刺し名人Oさんの目の前でイメンド125㎎を飲む。お昼前に点滴開始。Oさんに「この病院に転院してきて丸4年が過ぎました。今年は5回目の春です。息子はまだ小6でした。転院すぐの当時は5回目の春なんて先のことはとても考えられませんでした。高校卒業まで見られれば、と思っていましたが、今は目指せ!成人式です。」と話す。Oさんも転院当時はお嬢さんが保育園児だったが、もうランドセルを背負った小学生だ。2人でしみじみとしてしまった。

 点滴中も読書をしていたが、途中どうしようもなく睡魔に襲われ、諦めて本を閉じて爆睡。
 一時間以上寝てしまった。薬をチェンジする気配は何となく気づくのだが、起きることなくお任せしてしまった。2時間20分ほどで無事終了。
 抜針はもう一人のKさん。衝撃はそれほどなかったが、ポートを強く押されてちょっと痛んだ。終了時の血圧は103-50。
ちょっと下が低いのは起きたてだったからか。

 会計へ移動。20分ほど待って無事終了。今日も5万円弱をカード支払い。いつもの院外薬局で30分ほど待ってイメンド、デカドロンを受領する。今日の薬局を含めた病院滞在時間は6時間弱。
 
 なんとかランチタイムに滑り込みで間に合い、ゆっくり食事をすることが出来た。遅い昼食が終わったのは4時近く。マグラックスを飲む。帰宅したのは、定時で仕事を上がった時の時間と同じだった。今日も今日とて一日仕事だった。

 今日は息子の終業式。午後は保護者会で成績表等が渡された。夫に代理で出席してもらったが、お父さんの参加は夫一人だったそうだ。担任から淡々とクラスの状況報告、5月の修学旅行の説明等があって終了だったとのこと。
 成績表については多くを語らない夫と息子であった。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする