あけましておめでとうございます。昨年末の記事『私達はタネである』という記事で、『これを知るために』のカテゴリーを終わりにするつもりでしたが、言葉足らずのように思いましたので補充記事を書くことにしました。
『ネ』が根っこであり『アイデンティティ』であるというまではよいのですが、ではその『ネ』が何であるか・・・・・これをはっきりさせて置かなければならないと思い至りました。『ネ』とは、これから、つまり『未来を発現するもの』で『設計図のとおりに発現させる力』です。これを日本語では『タカミムスヒ』『カムミムスヒ』という二つの『チカラ』の形として『ネ』という音(とカタカムナ文字と)を当て表しています。形として現れるチカラと力そのものとして現れるチカラとを継続して発現させるものです。青い花を咲かせる朝顔と芽を出し成長して花を咲かせる力です。その『ムスヒ』はこの世の根源と直結しており、その相似象として響きあって無限の力とつながっています。それで楢崎先生と宇野先生のお二方は相似象という言葉を当てられました。私達はこのお二人の先達のご恩を決して忘れてはなりません。そしてついでながら申し上げますが、この世の根源、つまり『ネ』のそのまた『ネ』が何かというと、先人が等しく『思議すべからざるもの(不可思議)』と言われて、私たち宇宙に存在するものが考えてもわからないものと降参することが心の平穏を保つ唯一の術だと言われたものです。それの変遷が、存在するものの在り様で、それを命の営みと言ってきました。私達は結局存在の根源について知っているようで知らない・・・・・不可思議と達観し諦観することのみが、それに生かされて生きる道だったのだと思います。ですが、カタカムナの人々は、その『ネのネ』に名前を付けたのです。
『カ』
カ(ka)と呼びます。これがその不可思議なるものの名前です。定義したんですよ。こうして、端的に言いますが、日本語を話す人は物事の根源にあるものを、表現はできなくても、認識できるようになったのです。これが日本人を特殊ならしめている唯一の原因だろうと思っています。
それからこれは私の願いでもありますが、人間の種の青い花は、血統という『ネ』を持って咲かせる者と、もう一つあこがれ・法統という『ネ』を持って咲かせる者とがいると思っています。後者は強い願いの力であるカムミムスヒを祈り重ね撚り合わせ、新しいタカミムスヒを生み出すのだと思います。有難いご縁があってカタカムナの山を登ることになった皆様のご精進をお祈りしています。これで拙いながらも補充記事を足して、このカテゴリーを終わりにしたいと思います。