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12月17日(月) 大人げなく、涙腺崩壊。

2018年12月18日 18時59分22秒 | 2018年

 8時半起床。朝食は、お菓子のカントリーマウムをふたつほど食べる。

 午前中、録画しておいた「しくじり先生」の南海キャンディーズの回を観る。私は山ちゃんのラジオ「山里亮太の不毛な議論」(TBSラジオ)が大好きなこともあって、この放送をとても楽しみにしていた。しくじりのテーマは、嫉妬。嫉妬が原因でコンビ仲が悪化し、一時は共演NGまでいった山ちゃんとしずちゃんのしくじり(しくじったのは主に山ちゃんだが)が題材になっていた。山ちゃんのくずっぷりに驚き、めちゃくちゃ笑ったが、一方で嫉妬心との向き合い方やその活用の仕方については本当に参考になったし、自分に置き換えてみて反省する点や今後に活かせそうな点が数多くあった。更に、最後に山ちゃんが涙ながらにしずちゃんに謝罪したシーンでは、思わずこちらも涙してしまった。一緒に見ていた妻も同じだった。彼らが今は心を通じ合い、一緒に楽しく漫才が出来るようになって本当に良かったと思う。

 昼食は妻のつけ麺を少しもらう。

 妻が娘を連れてショッピングに出掛けるのに合わせて家を出て、私はウォーキングへ出掛ける。新横浜駅近くで妻と娘と別れ、菊名駅方面へ。菊名駅を過ぎたところで、温かいミルクセーキを買って少し休憩する。歩いているだけだと、なかなか身体が温まらないのだ。

 今日中に出したい郵便物があって、家を出たところから歩きながら郵便ポストを探していたのだが、このあたりは集荷が1日2回で、2回目も14時前後と早いので、今から出しても間に合わない。そのため、結局近くにある大きな郵便局(港北郵便局)まで行くことになった。そこのポストだと、19時まで1時間おきに集荷があるようだ。

 せっかくなので新しいルートを歩きたいと思い、以前に何度かバスを使って行ったショッピングモール(トレッサ横浜)を目標に定めて歩いてみる。バスに結構乗った記憶があったのだが、案外歩いてもそれほど時間が掛からないことがわかった。

 そこから更にバス通りに沿って先へ進む。これなら、いつでもバスに乗って新横浜へ戻ることが出来る。しかし、どこで間違えたのか、新横浜方面へ向かうバスが通る道を外れてしまい、気付いた時には鶴見駅とよくわからない地名をつなぐバスしか走っていない道を歩いていた。

 土地勘が全くない場所なので、何となく自宅方面の方向を目指して歩いていく。地図アプリで現在地を確認するなんて野暮なことはしない。すると、30分ほど歩いたところで、新横浜駅行きがあるバス停を見つけた。これはバスに乗ってから気付いたのだが、いつの間にかこれまで何度も歩いている妙蓮寺駅の近くまで戻ってきていたのだった。

 バスで新横浜駅へ戻り、17時過ぎに帰宅。体感としては10キロ以上歩いたような疲れがあるが、ウォーキングアプリを見ると6.6キロしか歩いていなかった。アップダウンの多い道だったこともあるが、聴いていたラジオがつまらなかったのも疲れを感じた原因だと思う。今日聴いていた「三四郎のオールナイトニッポン0」は普段は面白いのだが、今日はゲストのなかやまきんに君が2時間滑り倒していて、最初はそのつまらなさを笑うというスタンスでいられたものの、30分ほどした頃から本当に笑えなかった。

 本当はウォーキング中にどこかで食事をとろうと思っていた(だから昼食もほとんど食べなかった)のだが、結局歩いただけで帰ってきてしまった。そんな話を妻にしていたら、買っておいてくれたハーゲンダッツを食べさせてくれた。ありがたい。

 夕食は、昨日の焼肉で残ったお肉を使った料理たち。おそらく一番良いお肉だったであろう鹿児島和牛の分厚いところはステーキ風に、豚トロは大根と一緒に炒めてあった。こういう食べ方も美味しい。

 娘が眠ってから、妻と一緒に「西郷どん」を2話連続(最終回とその1回前)、2人で泣きながら一気に観た。明治維新の立役者でありながらそれに取り残された武士たちの心に最後まで寄り添った西郷と、欧米列強との圧倒的な差を痛感しそれを埋めようとなりふり構わなかった大久保の、それぞれの信念、覚悟、そして最期。どちらの生き方も、とてつもなくかっこ良かった。こういう人たちが今の日本の礎を築いたのかと思うと、なんだか誇らしい気持ちにもなった。

 恥ずかしい話、私は歴史に全く疎いので大河ドラマを最後まで視聴したのはこれが初めてだったのだが、こんなに面白いものだとは思わなかった。いつの間にか、西郷どんや周囲の魅力溢れる人たちにどんどん惹きこまれていった。そして、鹿児島や奄美大島に行ってみたくもなった。一方で、明治維新の立役者たちが今の日本を見たらどう思うだろうかと考えさせられもした。今となっては国を変える手段として武力行使は選択肢になりえないのかもしれないが、そもそも彼らのような気概を持った人間は今も存在するのだろうか。もし存在したとして、それを表現、実践する場や方法はあるのだろうか。あるとしたら、それは一体何なのだろうか。そう考えると、あまり前向きな答えは思いつかない。

 しかし、彼らの生きた時代に比べてありがたいのは、(日本においては)国家やイデオロギーのために個人があるという考え方がかなり薄まっていることである。国のために、忠義のために死ねるという人はほとんどいないだろう。それはとても良いことだと思う(まあ、最近はその代わりに企業に命を捧げる、というか奪われる人が増えているが…)。国のために何が出来るかではなく、国が何をしてくれるのかという姿勢は一見我儘なように見えるが、健全なあり方だと私は思う。ただ、だからといって過去の人たちの生き方を否定することはない。彼らのおかげで今の日本がある。胸を張って良い世の中とは言えないが、少なくとも幸せに生きられる土台はある。今の私たちの生活が、かつて国作りに命を賭けた人々のおかげで存在しているということを、強く実感させられる。私にとって初の大河ドラマは、そんな体験だった。

 ちょっと大袈裟だろうか。