社会を見て、聞いて、感じる。

人生そのものがフィールドワーク。

12月22日(土) 育児は若いうちがいい。

2018年12月23日 11時06分20秒 | 2018年

 時系列では、昨日の日記からそのまま続く。

 そろそろ寝ようと思った0時過ぎに娘が起きてくる。これまでの経験からいって、この時間帯なら起きてもまたすぐ眠れるだろう、本番は次の明け方だろうと思っていたのだが、そうは問屋が卸さなかった。抱っこをしている段階からなかなか眠らず、しっかり眠ったと思っても布団に置いたら起きてしまう。更に、起きた後も少し様子が違って、決して眠くないわけではないのだが、とにかく甘えたい、くっついていたいという欲求を強く感じた。夜間断乳やお腹の不調で、大きな不安を感じているのかもしれない。結局、13回連続寝かし付け失敗という過去最高記録を叩き出し(実際はそれ以上だが、13回以降は数えるのをやめた)、2時を過ぎた頃に妻に交代してもらった。私はもう半分意識がなかったので定かではないが、妻が何とかうまく寝かし付けてくれたようだ。

 次に起きたのは4時半。娘が大きな声で泣いている。妻も途方に暮れている。再び起きて娘を受け取り、おむつを交換してから居間で抱っこで過ごす。私もめちゃくちゃ眠くてふらふらだが、それは娘も同じだ。いつものお姫様抱っこではなく、正面から抱きしめるようにしたら安心したようで、そのまま私の肩に顔を乗せてうとうとし始めた。ここで布団に置くのを失敗して起こしてしまうのは可哀そうなので、そのまま椅子に座って抱っこを続ける。途中で何度か目を覚まし、その度に歩いたり踊ったり(揺らしたり)したものの、最終的には完全に熟睡し、布団に置くこともできた。安らかな表情で眠る様子を見て、心から安堵した。時刻は6時を回っていた。

 9時半起床。妻と娘はもう起きている。妻に聞いたところ、7時半過ぎに起きたそうだ。娘はほとんど眠っていないということだ。大丈夫だろうかと心配したが、それなりにご機嫌は良さそうだし、早めのお昼寝も結構長く眠れたので良かった。

 昼前に家を出て、駅の反対側にあるウインズ(場外馬券売場)へ。寝ぼけ眼を擦りながら歩く。今日の阪神競馬場の第5レース(2歳新馬戦、芝1800m)に、私が今期のPOGで1位指名した馬、リスト(父・ディープインパクト、母・シルヴァースカヤ)が出走するのだ。初めてのPOGで指名したシルバーステートのとてつもない走りに魅了されて以降、この兄弟は毎回指名している。ただ、今回のリスト君はお兄さんたちとは違って調教での走りが良くないので、正直なところ現時点ではそれほど期待できないのかなと思っていた。

 応援馬券を購入し、そのままウインズでレースを観戦。スタートしてから終始ジョッキー(武さん)が押しっ放しで、それでも勝負所の第4コーナーあたりでついていくことが出来ず、何の良いところもなく8着に敗れた。調教を見て覚悟はしていたが、やはりドラフト1位の指名馬がこの惨敗はショックである。失意の中、明日の有馬記念の馬券を買ってから帰宅する。

 午後、水道屋さんがいらっしゃる。1週間ほど前からお風呂場のシャワーから水漏れが起きていて、当初はぽたぽた程度だったものが段々と水量が増えてきた。大家さんに連絡をして、水栓を交換してもらうことになったのだ。いらっしゃったのは以前にも来て頂いたことのある方で、作業をやりながらも色々と教えて下さり、今回も私は作業を隣で見ながら「ふむふむ」と勉強していた。そして、無事に水漏れは直り、新しい水栓とシャワーが設置された。この家は築40年なので、こういうトラブルは今後も起こるだろう。しかし、大家さんはいつも真摯に対応して下さるし、私たち夫婦もそういったものを楽しめるタイプである。生命に支障が出ない程度の故障やトラブルなら、たまには構わない。

 昼食はピザ。

 整腸剤の効果もあるのだろう、娘の下痢はそれなりに快方に向かっている。しかし、おむつかぶれのほうがひどくなってきて、赤くただれてきてしまった。そのため、おしっこをするだけでも沁みるようで、その度に泣いている。おかげですぐに気付けておむつを交換してあげることは出来るが、排泄のたびに痛い思いをするというのはかわいそうだ。しばらくは排便のたびにお湯でお尻を洗ってからしっかり乾かして薬を塗るという基本を大切にして、出来る限り清潔な状態を保つようにしよう。

 娘のお昼寝に合わせて、居間で1時間ほど眠る。

 入浴を終え、娘を寝かし付けてから夕食。久しぶりにキムチを食べた。辛かったが、何となく元気が出るような気がする。

 22時過ぎに一度娘が目を覚ましたが、すぐにまた眠ってくれた。

 23時前に就寝。さすがに眠くて仕方ない。今更ながら、子育ては体力勝負だということを痛感する。あと10年、いやせめてあと5年早かったらどんなに楽だっただろう。


12月21日(金) 今年最後の飲み会。

2018年12月23日 07時01分22秒 | 2018年

 3時、娘に起こされる。とはいっても泣いているわけではなく、ご機嫌で部屋を這い回っている。体調が悪化していないようで安心すると同時に、これは簡単には寝てくれそうだなと悟る。妻も起きているので、まずはお任せして私は眠る。

 4時半前になって妻が自力で寝かし付けることを断念し、私を起こす。1時間半も頑張ってくれたようだ。どうしても母乳の匂いがしてしまうので、夜間断乳をしながら母が赤ちゃんを寝かし付けるのはかなり難しいのだ。特に今日は難易度が高く、私が抱っこをしてからもなかなか(布団に置いても大丈夫なような)熟睡には至らなかった。結局私も30分以上時間を掛け、無事に娘を布団に寝かせたのは5時過ぎだった。

 8時起床。朝食はトーストとウインナー。妻がトーストを焼いてくれていたのだが、焼いているのを忘れてパンが丸焦げになっていた。

 午前中、妻が娘を連れて菊名にある内科(下痢の診察)と皮膚科(下痢に伴うおむつかぶれの診察)へ出掛ける。とはいっても、今朝になって娘はかなり元気になっているので、一応という感じだ。私はというと、洗濯が終わっていなかったので20分ほど後から追い掛けた。

菊名までは、ひたすら住宅街を歩く。この辺は土地の値段もかなり高いので、住んでいるのはお金持ちばかりだ。だから、停まっている車も高級車が多い。

 病院に到着すると、ちょうど診察は終わったところだった。私たちは下痢の原因について、先日私が鍵を忘れたせいで娘を30分以上寒空の下にいさせてしまったことだと考えていたのだが、先生曰くお腹を冷やしたくらいの下痢が2,3日続くことはなく、何かしらのウイルス的なものによる胃腸炎だろうとのことだった(ノロウイルスの可能性もあるらしい)。ただ、いずれにしても対策としては悪いものを出し切ってしまうことに尽きる、とのこと。薬は整腸剤を出して頂いた。また、これは全くの勉強不足だったのだが、下痢をしている間は母乳やミルクよりもお粥などを食べたほうが良いらしい。「大人が下痢した時に、お粥より牛乳を飲む人はいないでしょう?」だそうだ。なるほど、確かにその通りだ。これまで私は、お粥を含め離乳食は胃に負担が掛かるから、こういう時は母乳やミルクの割合を増やしたほうがいいと思っていた。危ない危ない。勉強になりました。皮膚科のほうではいつもの乳液を頂くと共に、たまに目元にできる赤い腫れを写真に撮っておいたものを見てもらったところ、じんましんだと教えて頂いた。ただ、それほどひどいものではないので、現状のままなら様子見で大丈夫らしい。

 薬局で薬を頂き、3人で家に帰る。

 私はまたすぐに家を出て、買い物がてらウォーキングに出掛ける。

 11時を過ぎてお腹も空いてきたので、「広島屋」で早めの昼食をとることにする。注文は、メンチカツ定食。料理を持ってきた女将さんが、「良かったらウインナーも食べてね」と微笑んでくれる。厨房から顔を出した大将も「良かったら食べて」と声を掛けてくれる。この圧倒的なホーム感は何だろう。メイン料理はメンチカツだったはずなのだが、ウインナーの美味しさが強く心に刻まれた。お会計の時に大将にお礼を言うと、「明日休みだからさ、早朝サービスだよ」と笑っていた。こんなに温かい気持ちになる食堂に出会えるとは。お店を出る時には、既に次は何を食べようかと考えていた。

 新横浜駅方面へ引き返す。途中、ドラッグストアで買い物をしてから、12時過ぎに帰宅。歩行距離は6.8キロだった。思っていたより歩いていた。

 午後、ここ数日の疲れが一気にやってくる。娘がお昼寝をしている間に少し仮眠をとることができたが、それでもやはり身体が重い。

 娘のお風呂を早めに済ませ、17時過ぎに家を出て職場の旧プロジェクトチームの飲み会(忘年会)へ出掛ける。このチームは部署や役職を超えて結成されていたもので、今は事務方のトップになった上司もいらっしゃるのだが、みんな気心の知れた関係なので、チームが解散した以降もこうして飲み会を継続している。何を言ってもいいし、何を言われても大丈夫な関係性が構築できているメンバーなのだ。今日は、1軒目では魚料理、2軒目では鳥料理を食べながら、真面目な話からとんでもない下衆な話まで、良い話も、悪い話も、良くも悪くもある話も、とにかくたくさん話をした。私にとっては、これが今年最後の飲み会だった。休みに入って以降もたくさんの職場の飲み会に誘って頂いてきたが、最後の飲み会がこの皆さんとの飲み会だったことを嬉しく思う。来年から、どうぞよろしくお願い致します。

 23時過ぎに帰宅。入浴を済ませ、妻とお喋りをして、さあそろそろ寝ようかと思った0時過ぎに、娘が起きて来る。ここからは明日の日記に続く。