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5月18日(土) 原爆の図。

2024年05月20日 08時02分07秒 | 2024年

 4時50分起床。目覚ましなしで起きられた。

 今日は妻と娘が保育園時代のお友だちとお出掛けをするということで、私はおひとりさま時間を頂いた。せっかくなので、前から一度行ってみたいと思っていたところへ行こうと思う。

 身支度を整え、5時半前に家を出る。

 5:40発の小川町行き急行に乗る。

 目的地の最寄り駅は東武東上線の「つきのわ」なので、この電車に乗れば1本(2時間弱)で行けるのだが、鉄道オタクの端くれとしてそんなつまらない経路は選べない。

 池袋で下車し、6:50発の西武線特急ちちぶ3号に乗り換える。5年ほど前にデビューした新型の001系車両、通称「Laview」(ラビュー)への初乗車である。

 「Laview」という名称の由来は、(L)「贅沢(Luxuly)なリビング(Living)のような空間」、(a)「矢(arrow)のような速達性」、(view)「大きな窓から移りゆく眺望(view)」だそうだ。

 確かに窓はとても大きい。しかも足元まで窓が続いているので、とても開放感がある。

 座席の座り心地も素晴らしい。身体が優しく包み込まれるような設計になっている。

 速達性については微妙かもしれないが、「Laview」の名に偽りなしと言えるだろう。

 下車駅・飯能までの所要時間は約40分。

 窓が本当に大きくて、存分に景色を楽しむことが出来た。

 飯能で西武秩父行きの普通列車に乗り換える。

 8両編成と聞いて「何でそんなに長編成なの?」と思ったが、後続の急行や準急列車からたくさんの登山客が乗り換えて来た。

 8両編成のおかげで座席にはかなり余裕がある。

 ここまで座席がふかふかのボックスシートは貴重である。JRの211系もふかふかだったが、あちらのボックスシートは首都圏ではもう絶滅危惧種になっている。

 快適な座席だったが、1駅で下車。何なら歩ける距離だった。

 東飯能でJR八高線に乗り換える。

 お隣の高麗川で下車。また1駅だけの乗車である。ここからは気動車(キハ110系)に乗り換える。

 気動車特有の力感とオイルの匂いが懐かしい。

 珍しく紙の文庫本を持ってきたのだが、車窓から目が離せない。

 このあと結構歩く予定なのだが、今日は暑くなりそうだ。

 小川町で下車。朝一番に新横浜から乗った急行の終着駅である。随分と遠回りしたな。

 ここからはその東武線を引き返す。乗ってきた気動車の奥に乗り換える予定の見慣れた電車が見える。

 東武東上線に乗り換える。これに乗ったら1本で横浜へ帰れる。他社線乗り入れってすごい。

 つきのわ駅へ到着。新横浜からの所要時間は3時間25分だった。

 随分と遠回りをしたが、楽しかった。

 目的地までは約2キロ。もちろん歩く。

 気温は思ったほど高くないが、日差しがかなり強い。

 しかし、なかなか楽しいお散歩道である。

 気になる店構えだ。時計が止まっているので廃業してしまったのかと思ったが、帰りに通ったら営業されていた。

 この食堂も気になる。お店の方が開店準備をしているから現役なのだろう(ここも帰りに通ったら営業されていた)。

 目的地が近づいてきた。ちょうど良いくらいのウォーキングコースだった。

 「原爆の図 丸木美術館」に到着。丸木位里・丸木俊ご夫妻が描いた「原爆の図」を中心に展示する美術館である。

 展示室内は撮影禁止なのでここでは紹介できないが、圧巻だった。うまく言葉で表現できないほど衝撃的な作品が並んでいた。

 夫妻のアトリエだった部屋で休憩。位里さんの実家が広島にあったことから、2人は原爆投下直後に東京から広島入りした。そこで見た光景がどれほど悲惨なものだったのか、彼らは生涯をかけて15部の連作「原爆の図」を制作し、後世に伝えてくれている。彼らの作品は被爆者・被害者からの直接の聞き取りにも基づいており、その対象は広島・長崎の原爆に限らず、沖縄戦や戦後の第五福竜丸、水俣病、日本が加害者であった南京大虐殺などにも及ぶ。それらは今でも-今だからこそ-目を向けなければならない過去の現実であり、それらを繰り返さないために今何をすべきなのか、強烈な圧力で私たちに問いかけていた。

 企画展示コーナーで開催されている松下真理子さんの個展『人間動物』も観る。松下さんはガザへの空爆が開始される直前までパレスチナに滞在されていたそうで、帰国後は積極的にパレスチナの現状を発信されている。実は今回の私の主目的はこの個展だったのだが、正直なところ彼女の作品は私には難解だった。しかし、きちんとした人が見れば深く感じるところがあるのだろうと思う。

 生まれて初めて画集を買った。「原爆の図」はそれくらい衝撃的な作品だった。

 美術館の裏には都幾川が流れている。

 草の勢いが強く川面はほとんど見えないが、これぞ芸術家が住む場所という雄大な自然を感じられる景色だ。

 帰りも歩く。

 帰り道の途中にある洋食店「キッチンひより」で昼食。

 アイスコーヒーで喉を潤す。女将さん(?)の接客がとても温かく、自然と笑顔になる。地元のお客さんが多く、1時間ほど滞在しただけだが地域に愛されているお店であることがよくわかった。

 コーンクリームスープが濃厚で美味しい。

 料理は4食限定の焼きメンチカツ。キャベツを練り込んだメンチカツを、油ではなくオーブンで焼いているそうだ。

 外はサクサク、ナイフを入れると中からジュワっと肉汁が溢れてくる。ジューシーなのに油っこさはそれほどなく、デミグラスソースとの相性もすごく良い。ハンバーグとメンチカツの良いところを合体させたような美味しさである。

 大満足でお店を出て、つきのわ駅へ戻る。

 帰りは素直に最短経路で帰ってきた。ただ、車両故障の関係で東上線のダイヤが乱れており、森林公園、和光市、小竹向原、武蔵小杉と4回も乗り換えがあった。まあ、それはそれで楽しいのだが。

 15時前に帰宅し、買ってきた画集を開く。現地では見ることが出来なかった第15部「ながさき」(長崎原爆資料館所蔵)を見て、現地で実物を観てみたいと思った。今度九州(特に佐賀)出張があったら足を延ばしてみよう。

 カーペットの上で少しお昼寝。今更気付いたが、顔と首がヒリヒリする。

 17時過ぎに妻と娘が帰宅する。娘は久しぶりに保育園のお友だちと会えてとても楽しかったようである。

 入浴を済ませてから夕食。餃子と焼売がメインだったが、私は控えめにしておいた。月末に健康診断があるので、お昼のメンチカツの分をどこかで調整しなければならない。

 洗濯を済ませ、娘を寝かしつける。事前に自分の歯磨きも済ませておき、計画的に娘と一緒に寝落ちする。おそらく21時半には眠っていたと思う。