約1年半と短い期間だったが
旅行会社で働いた事があった。
確か 次女が半日の幼稚園に通っていた頃で
1時間のランチブレイクを利用して
娘を幼稚園に迎えに行き
シッターに連れて行ったり、、してたよな、、。
その頃 夜中のシフトで働いていたバッキーは
早めに起き 子守をしたり
私の帰宅が遅くなる夜は
夕飯の準備 もしてくれた、、んだ。
私が勤めていた旅行会社は
一般のトラベルエージェンシーと変わりないが
留学エージェンシー である会社がオープンしたものだったので
主に日本からやって来た留学生と触れ合う機会も多かった。
大学を卒業したばかりのマレーシア人の青年が
日本人と始めたその会社は
まだ規模が小さく
留学先は その町にある学校でしかなかったが
その分
学生たちとカウンセラーたちとの交流に
家庭的な雰囲気は感じさせた。
ただ 経営の仕方が悪かったんだろう
2年もしないうちに倒産した。
昨日話した 25年ぶりに再会 した彼は
その会社を通じてアメリカに留学していた学生さんだ。
彼が9歳年上のホストマザーと結婚したのは
知っていたけど
その数年後にその町を離れた私は
それっきり
その後 その町を訪れる事は 何度も あったが
彼とすれ違うこともなかった。
彼は 今 その町の大学でドラムを教えたり
町のシンフォニーで演奏したり
ドラムの個人指導をしたり、、、と
そんな 仕事をされているようだ、、。
奥さんが 今年 60才になられた と聞き
驚いた私に
” 全然 そんなに見えないよ!!” と
その声から
今もアツアツの彼の想いが伝わって来た事だ。
ホストマザーだった奥さんは
その頃 3人のお子さんを持つシングルマザー
だから
2人が不倫をしたのではないんですよ、、^~^
”この夏から私もこの町で住む様になるから
又ゆっくり 会いましょ” と言って
彼の連絡先を聞いた。
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写真は日曜にパットさんと行った町のバイカーバー