日々の覚書

MFCオーナーのブログ

オール・バイ・マイセルフ

2024年03月17日 15時03分56秒 | 時事・社会ネタ
ご存知の方も多いと思うが、あのエリック・カルメンが亡くなった。享年74歳。妻のエイミー・カルメンは、"Love is all that matters...faithful and forever"という一説を引用して、エリックが天に召された事を報告し、喪に服す間そっとしておいて欲しい、と声明を発表したそうな。謹んでご冥福をお祈り致します。

僕がエリック・カルメンを知ったのは、1976年のこと。ラズベリーズを解散したエリックがソロデビューした頃だ。当時、毎週聞いてたFM東京の『ポップス・ベスト10』にランクインしてきた「オール・バイ・マイセルフ」を聴いたのが最初だった。ほとんどの人がそうだろうけど^^; この曲に続く「恋にノータッチ」もヒットして、『ポップス・ベスト10』では1位になったと記憶している。この2曲のヒットで、エリック・カルメンの人気と評価は日本でも定着し、やや遅れて発表されたデビュー・アルバムも評判となった。邦題は『サンライズ』だったと記憶しているが、特にオープニングのプログレッシブなイントロダクションが話題となり、あの原田真二も、自身の1stアルバムを出す際、エリックの1stのオープニングみたいな事をやってみたかった、と影響を受けた事を当時のインタビューで語ってたのを覚えている。

エリックがウケたのは、やはり分かりやすいメロディのせいだろう。先のデビュー・アルバムにしても、「オール・バイ・マイセルフ」はピアノ・バラードだけど「恋にノータッチ」はキャッチーでポップだし、ロックンロール調の曲も収録されていて、バラエティに富んでいるし、またポップでノリが良くても、メロディになんとなく哀愁を感じさせたりなんかして、そこいらも日本でもウケた要因と思う。

個人的には、エリックというと、「オール・バイ・マイセルフ」より1977年の「愛をくれたあの娘」、1978年の「チェンジ・オブ・ハート」の方が好きで、特に「チェンジ・オブ・ハート」は我が人生でも10本指に数えられる名曲なのではないか、ってくらい好きでよく聴いた曲である。が、評判は良いものの、それらの名曲たちは「オール・バイ・マイセルフ」ほどヒットせず、その音楽性とは裏腹に、エリックはマニア受けするアーティストみたいな感じになっていった。

しばらくチャートでも名前を見る事のなかったエリックが復活したのが1987年。例の『ダーティ・ダンシング』収録の「ハングリー・アイズ」がビルボードのTOP10に入るヒットとなったのだ。但し、この曲エリックの自作ではない。いわば仕方なく歌ってみた、というのがヒットして、再び脚光を浴びる事になった訳で、エリック本人としてはめちゃ複雑だったであろう。けど、エリックが再評価されたのは喜ばしいことであり、それに乗っかって出たベスト盤を僕も買ったのである(笑)


当時の邦題は『ハンクリー・アイズ~メイク・ミー・ルーズ・コントロール/ベスト・オブ・エリック・カルメン』となってて、「ハングリー・アイズ」にあやかった物であるのは一目瞭然(笑) ま、僕自身も久々にエリックの名前を見て、久々の復活で再度エリックに興味を持ったりしてたもんで、このベスト盤は嬉しかった。「チェンジ・オブ・ハート」もちゃんと入ってたし(笑) 出来れば「噂の女」とか80年代のシングル曲も収録して欲しかったけどね。

ちなみにこのベスト盤、『MFCオーナーの私的歴代最高のアルバム500選』では344位である(だから?)

ところで、エリック・カルメンといえば、なんだかんだ言っても「オール・バイ・マイセルフ」なのだが、あんまり意識してなかったけど、実はこの曲結構カバーが多い。セリーヌ・ディオンあたりよく知られていると思うが、他にもフランク・シナトラ、シャーリー・バッシー、トム・ジョーンズといった大ベテランもカバーしてるのは意外だった。うん、確かにシャーリー・バッシーなんて似合いそうだ(笑) で、調べてみてさらに意外だったのは、なんとシェリル・クロウもカバーしていること。知らなかった。どうもデビュー直後のシングルのカップリング曲として世に出たらしいのだが、もちろん未聴である。多分、現在では入手困難だろう。シェリルはアルバム未収録音源もカバー曲も多いのは納得してたけど、「オール・バイ・マイセルフ」もやってるとはね。

脱線するが(笑)、「オール・バイ・マイセルフ」のカバーについては、僕はセリーヌ・ディオンが出してるのを知らなくて、もちろん聴いてもいない。最初に聴いたのは多分、2001年の映画『ブリジット・ジョーンズの日記』だったと思う。いや、この映画を見たのではなく^^;、当時、これのテレビCMで主人公がベッドに座って「オール・バイ・マイセルフ」を歌う(多分、レコードか何かに合わせて)シーンがあり、それが印象に残っていたのだが、あれは誰のバージョンだったのか、今さらながら気になって調べてみたら、サントラにはジェイミー・オニールという人のバージョンが収録されているらしい。ところが、さらに驚くべき事実に気づいてしまった。なんと、このサントラにもシェリル・クロウの曲が収録されていたのである(笑) 自作曲のようだが、オリジナル・アルバム未収録。もちろん聴いた事ない。「オール・バイ・マイセルフ」の事を調べたら、ミョーにシェリル・クロウの名前が出てくるあたり、何かの因縁か強い絆でもあるのか(笑)

ま、そんな訳で、それほど熱心に聴いてた訳ではないものの、やはりリアルタイムで知ってたミュージシャンが亡くなるとはショックというか、エリック・カルメンに関しては、あぁあなたもですか、という心境だ。避けては通れない事ではあるものの、残念でしかたない。

安らかにお眠り下さい。
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杜の詩

2023年10月21日 14時59分23秒 | 時事・社会ネタ

何かと話題の多い昨今である。10月だというのに夏日の地域がある、という異常気象だし、ウクライナがまだあんな状態なのに、イスラエルが戦争状態になってるし、阪神がセ・リーグ優勝して、日本シリーズ進出も決めたし(笑)

それにしても、21世紀の今、戦争とは...ロシアによるウクライナ侵攻もまだ終わる様子がないのに、イスラエルとパレスチナいや正確には、パレスチナのガザ区のテロ組織ハマスが戦争状態になっている。あの地域は、遙か昔から宗教上の問題で民族間での対立が絶えないエリアであるし、その背景も色々と複雑かつ難解で日本人には理解し難いものがあるので、あまりどうこう言うつもりはないが、テレビの報道番組などを見ていると、イスラエルがその軍事力に物を言わせて、一般人だろうがハマスだろうが見境なくガザ地区を攻撃しまくっていて、ハマスはその報復に、イスラエル領の人たちを人質に取っている、要するに悪いのは圧倒的にイスラエルという事になっていて、それはちと違うんじゃないの、なんてさすがに思ったりする訳だ。勘違いする人も多いと思うけど、今回の抗争は、イスラエルvsパレスチナではなく、あくまでもイスラエルvsハマスなのであって、ハマスはガザ地区を実効支配しているテロ組織であり国家ではない(ついでに言うと、バレスチナも国家ではない)。分かりやすく言うなら、共産党が九州を実効支配してるようなもの、と解説する人もいる。なるほど。で、このハマスというのが、わざと住宅地や学校、病院の地下とかに基地を作ったりしてるもんで、ハマスを壊滅させようと攻撃すれば、必然的に一般人も巻き添えになってしまうのだ。で、イスラエルはハマスの拠点を攻撃する際、前もって告知して避難勧告を出してるようだが、それでも犠牲者は出る。それをハマスが、イスラエルは鬼だ、みたいに外国のメディアに訴え、各国のメディアはそのまま報道するから、全てイスラエルが悪いのだ、と思ってる人ばかりになるのである。特に日本では。

今欧米では、アラブ系(イスラム系)による反イスラエル(=反ユダヤ)運動があちこちで起きていて、このままヒートアップすると各地のユダヤ人たちが襲撃されかねない。何でも、アメリカ自体は今回の件ではイスラエル支持を表明しているようだが、国民の中にはユダヤ人嫌いが多くて、反ユダヤが当たり前という空気になっているらしい。ユダヤ人差別は元々あったようだが、どうしてこうなってしまうのか。ユダヤ人嫌いなら、本当はホロコーストは正しい行為だった、と皆さん思ってるんでしょうかね。近年多く出現した偉そうにダイバーシティとか主張する人たちは、ユダヤ人差別を止めさせてユダヤ人を擁護すべきでしょう。その他の人たちと同様に。けど、あっちでは、白人とユダヤ人は侮蔑しても差別してもかまわない存在、という事になってるようだ。あと、東洋人もかな。

いきなりだが、東京の明治神宮の外苑の再開発計画について、反対する声が多い。最近、著名人たちが反対声明を出した事で、テレビや新聞でも取り上げられ、一般にも広く知られるようになった。故坂本龍一氏も反対の立場だったらしく、その遺志を継いでサザン・オールスターズというか桑田佳祐も、この問題をテーマにしたシングルを発表したりしてる。ま、こういう問題に、多くの人が関心を持つのはいい事だが、同時に、関心を持つなら、内容もちゃんと理解していなければならない。

今回の神宮外苑再開発の中味はというか、開発する側からの目的は、簡単に言ってしまうと、

・神宮球場、秩父宮ラグビー場を取り壊して、新たな野球場とラグビー場を作る
・公園内に商業ビルを建てて集客を狙う

こんな感じで、反対してる人たちも、これだけなら特に文句もないのだろうけど、この為に神宮外苑の森林を伐採する、というので問題になっているのだ。確かに、あの神聖な神宮外苑の森林を伐採して丸裸にしてしまうなんてめちゃくちゃで、神をも恐れぬ罰当たりな行為である。しかも、そんなとんでもない再開発計画が、議会も通さず、ゼネコンと知事の間だけで水面下で進められていた、と聞かされれば、冗談じゃねぇ撤回しろ明治神宮を何だと思ってるんだ、となるよな。よく分かります(笑) 実際、僕も最初そのように聞いたので、絶対撤回させるべきだ都議会は何やってんだ、と思ったけど、しばらくして、東京都のHPでこの再開発計画の資料を見てみると、一番問題となる森林の伐採については、全て伐採する訳ではなく、また伐採した分は新たに植樹するので、森林自体が縮小される事はない、有名ないちょう並木にも手はつけない、という内容になってた。ま、少しは考え直したのかな、とは思ったけど、反面、最初に外苑だけでなく内苑の森林も伐採される、とも聞いていて、外苑の再開発以上にそっちが大問題だ、と思っていたのだが、資料にはその事は、つまり神宮内苑の再開発の事は記載がなくて、あれ?どうなってるの?という心境でもある。

ま、森林の一部は伐採するけど、ちゃんと元通りにします、という計画だし、反対派の人たちも多少納得したのかもしれない。ただ伐採するなだけでは森は守れない訳だし。一時期に比べ、これに関するニュースも見なくなった。伐採した分は植樹する、と言っても、すぐに元通りになる訳でもないし、その辺はもっと追求する必要はあるかな。個人的には、内苑に手をつけないのなら、あれこれ言うつもりはない。明治神宮と杜は今の状態を守るべきである。

それにしても、この神宮外苑再開発で感じたのは、何故、由緒も人気もある神宮球場と秩父宮ラグビー場を立て直すのか、ということ。確かに老朽化してて危険かもしれないけど(ブラジルあたりで、サッカースタジアムが老朽化してて、試合の最中に観客席が崩れた、なんて映像見たことあるし)、ほんとにそれだけかね。先の東京オリンピックの時にも揉めたけど、スポーツ界の人たちって、すぐ競技場作りたがるよね。古くなってるから、オリンピックなんていいチャンスだ、どうせ金はかかるんだから、ついでにいいだろ、ってとこかな。未来に向けてレジェンドを残さねばならない、という意味不明の事も言ってたな。日本には特定の競技の会場がないから、オリンピックを開催するとなると作らねばならない、というのはおかしな考えだが、多少分からなくもない。が、立派な競技場があるのに、さらに作らせようとするのは絶対におかしい。今回も、本当に新競技場が必要なのか、なんとなく怪しい。

それと、この再開発計画で、個人的に一番あほらしと思うのは、外苑の一角に商業ビルそれも地上40階とか38階とかの高層ビルを建てようとしてる点だ。何故、日本ではどこへ行っても、都市部の再開発というと高層ビルを建てたがるのか。こないだ都内にあべのハルカスを抜いて日本一となる高層ビルが完成した。が、同じ都内に、2027年にもっと高いビルが完成するらしい。なのに、また神宮外苑にも作ろうとしている。自然保護だ環境問題だとあちこちでやかましく言ってる時代に、高層ビルなんて時代遅れではないの、というか、高いビルを作ろうという発想自体、あまりカッコよくないな、と思う。既にたくさんあるし、高さを競うのはもういいでしょ。バカと煙は高いところに上る、というか、高いところが好き、というか、まぁ昔から言われているけどね。

ちなみに、この「バカと煙は」の格言だけど、言い回しが違うと意味も変わるらしい。つまり、

①バカと煙は高いところに上る→愚か者はおだてに乗りやすい
②バカと煙は高いところが好き→バカ(お調子者)は状況や危険も顧みず高いところ(目立つところ)に行きたがる

このように意味が違うのだそうな。今まで、同じように使ってたな。ちなみに、ほとんど②の意味かと思ってた。勉強になりました(笑)

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球史に名を刻むエースたち

2023年06月24日 11時51分48秒 | 時事・社会ネタ

ご存知の方も多いと思うが、元広島東洋カープのエース、北別府学氏が亡くなった。享年65歳。白血病で闘病中だったらしい。まだ若いのに残念だ。謹んでご冥福をお祈り致します。

前にも書いたが、僕が最も熱心にプロ野球を見ていたのが80年代で、この時期は広島の黄金期だったと言ってもいい。実際、1980年から89年の10シーズンで、リーグ優勝3回、日本一には2回輝いている。3回なら大した事ないと思うかもしれないが(パ・リーグだと80年代は西武が6回優勝してるし)、あの常勝ジャイアンツですら、同じ10シーズンでリーグ優勝4回・日本一2回である。ほとんど変わらん。セ・リーグでは、80年代は広島と巨人の2強時代だったと言っても大げさではなかろう。その広島の黄金期を支えたのが北別府だった。

北別府学。1975年のドラフト1位で広島入団。ルーキーの年にプロ初勝利をマーク、1978年のシーズンから11年連続2桁勝利を記録、1982年に20勝、1986年に18勝で最多勝利投手となり、1986年には広島が優勝してMVPにも輝いた。実働19シーズン、毎年勝ち星を記録して通算213勝、文句なしに広島いや球界を代表するエースだった。200勝を達成した時は、最後の200勝投手なんて言われてたっけ。正に記録にも記憶にも残る、素晴らしいピッチャーだったと思う。

中日ファンだった僕からすると、北別府はほんと憎たらしいピッチャーだった。80年代の中日は、毎年のように広島に負け越しており、1984年に広島と優勝争いをしてた時も、広島に勝てなくて優勝出来なかったくらいで、とにかく広島を苦手としていて、そんな広島を象徴するのが北別府だったのだ。マジ中日戦で北別府が打たれた記憶が全然ない。他の試合で見てても、打たれても大崩れせず、大量失点とかまず考えられないピッチャーだった。バッタバッタと三振の山を築くタイプのピッチャーが好みだった当時の僕としては、絶妙のコントロールで勝負する北別府のスタイルはあまり好きではなく、けど打てないので、余計に憎たらしいピッチャーだったのである。今となっては懐かしい。若かったよな、何もかも(意味不明)

押しも押されもせぬ広島のエースだった北別府だが、日本シリーズで活躍した印象が薄い。1984年の日本シリーズは山根投手の方が目立ってた記憶があるし、セ・リーグのMVPになった1986年のシリーズですら、大野とか金石の方が印象に残ってたりする。1991年のシリーズでは、満を持して第3選に先発したが、好投むなしく西武・秋山のソロ・ホームラン一発で負け投手になっていた。大エースだったけど、日本シリーズには縁がなかったのだな。そういう人、案外多いけど。

地方球団ゆえか、実績もあり、実は結構男前であるにもかかわらず、北別府はやや地味な存在であったのは否めない。メディアに積極的に登場していた様子もない。ローカル放送ではそうでもなかったのだろうけど。ここいらは、広島も中日も似たようなもんだな。ただ、北別府学が球史に名を残した偉大なプロ野球選手であった事は、紛れもない事実である。

ところで、偶然にも同じ日に、元中日ドラゴンズの杉下茂氏の訃報も伝えられた。享年97歳。今では、その名を知らない人も多いかもしれないが、かつて中日のエースだった人だ。ただ、前述の北別府とは30歳ほど年齢が違う事からも察せられるように、かなり前の人である。が、ある意味、北別府以上の実績を残した選手と言えるかも。謹んでご冥福をお祈り致します。

杉下茂。1949年に中日ドラゴンズに入団し、一年目のシーズンは8勝に終わるも、翌年からは6年連続で20勝以上を記録(つーか、この6シーズンだけで168勝!)、中日での10シーズンで通算211勝を挙げ、この数字は後に山本昌に破られるまで、50年近くも球団最多記録だった。その後、1959年と1960年の2シーズンは監督兼選手として中日に在籍したが選手としては記録なし、1961年に大毎(現在のロッテ...かな。笑)へ投手コーチとして移籍して、現役復帰して4勝をマークし、生涯通算215勝とした。数字だけなら北別府とほぼ同じ。

杉下と言えば、なんと言っても1954年の中日の初優勝である。この年、杉下は32勝12敗防御率1.39という圧倒的な成績を挙げて投手部門のタイトルを総なめにし、中日の優勝に貢献してMVPを獲得した。その勢いを日本シリーズでも持続し、西鉄ライオンズ相手に7試合中5試合に登板して4試合で完投、3勝1敗の成績で中日を初の日本一に導きシリーズMVPとなった。

現役引退後は、阪神や中日の監督となったが、あまりいい成績は残せなかったようだ。その後、野球解説などやりつつ、1985年に野球殿堂入りしている。僕が中日愛(笑)に目覚めたのは、1974年の中日20年振りの優勝を経験してからだが、その時点で20年前の優勝時のエースが杉下だった訳で、申し訳ないが、当時は名前すら知らないし、もちろんプレーだって見た事はない。思い起こせば1982年、この年中日はリーグ優勝し、日本シリーズで西武と対戦したが、この時のシリーズ第4戦を西武球場まで見に行った事がある。その際購入したパンフレットに、過去の日本シリーズの歴史が第1回から詳しく掲載されていて、それを見て杉下という人は凄いピッチャーだったのだ、と遅まきながらようやく理解した。もっとも、そのパンフレットを見て知ったのだが、1950年代のプロ野球のピッチャーって、凄い人がたくさんいて、稲尾や杉浦は別格だけど、決して杉下だけが凄かった訳ではない。凄い時代だったなぁ、と1982年当時も思ったくらいで、今の感覚だとイメージ出来ないかも。ま、野球自体が違ってたというのもあるけどね。どっちがいいかはともかく。

杉下は、”フォークボールの神様"と言われていたが、実はフォークは1試合完投しても数球しか投げてなかった、とか、学生の頃から野球やってて、それなら肩も強いだろう、と徴兵されてから手榴弾遠投大会みたいなのに指名されて出場したものの、実は野球やってたけど弱肩で、そんな事言えないので、隠れて一所懸命練習してたら肩が強くなった、とか、なかなかに昔の人らしいエピソードの持ち主でもある。

北別府と杉下、正に新旧の大エースの訃報が同時に入ってきたのは、きっと何か意味があるのに違いない。あの頃とは、プロ野球も随分変わってしまった。そして、あの頃を象徴していた名選手たちが次々といなくなっていくのは、本当に寂しいものだ。仕方ないのは十分分かってるけど。

余談だが、ここ何年もプロ野球を以前ほど見てないので、当然、各チームの選手たちも知らない人が多い。世代交代しているので当たり前なのだが、反面、監督は皆知ってる人で現役の姿を見ている人たちばかり。そういうのを見ていると、監督は若返ってる感じはしない。皆さん高齢という感じでもないけどね。調べてみると、僕より年上は2人だけで、あとは60年代生まれが5人、70年代生まれが5人となっている。一番若い人で1977年生まれなので現在46歳。もう少し若い監督がいてもいいのでは、と思ったりする。あの星野仙一だって、初めて中日監督に就任した時は39歳だった。そろそろ80年代生まれの監督が登場してもいいのでは。ま、僕がプロ野球をよく見ていた時期の監督たちも、考えてみれば、当時の自分の父親と同世代と思われる人が多かったけどね^^; それと、昔と比べると、選手寿命が長くなってるような気もするので、指導者が現役引退後の仕事とするなら、若い監督は誕生しにくくなってる、というのはあるかも。

北別府学氏と杉下茂氏、ともにプロ野球の歴史に大きな足跡を残した大投手である。安らかにお眠り下さい。

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週休3日制

2023年04月29日 15時27分42秒 | 時事・社会ネタ

唐突だが、前からコーヒーメーカーというかエスプレッソ・マシンみたいなのが欲しくて、要するに、泡が立ってて尚且つ濃いコーヒーを家で飲みたいのである。電器屋に行くと色々眺めてたりするのだが、値段はピンキリで、結構お手頃なのもあるし、買ってみようかと思いつつ、まだ手を出していない。どういうのが欲しいのか、というイメージも固まってないし。周囲の人に色々聞いてみると、だいたい帰ってくる言葉は次のふたつ。

掃除大変だよ
最初だけだよ

ま、そんなもんかも(笑) じっくり考えます(笑)

ところで、最近テレビの朝の情報番組で見たのだが、神奈川県内のとある企業が、今年の4月1日より完全週休3日制を導入したそうな。導入した理由は「人材確保のため」。少子化の影響もあり、若い労働力が少なくなっていて、結果、企業間で取り合いになる、という完全な売り手市場になってて、中小企業は、ただでさえ人が集まらないのに、こんな状況だと誰も来てくれなくなる、そうなると、会社の存続すら危うくなってくるので、今の若い人は休日出勤と残業を嫌がる傾向にあることから、思い切って週休3日制にした、という訳だね。一年以上前から準備を進め、社内の調整をしてきたらしい。もちろんというか何というか、反対派も社内には多く、かなり話し合いも重ねてきたようだ。いやはや、大変だね。

この会社の場合、週休3日とはいえ、会社自体を完全に休みにするのは週に2日で、3日目の休みは交代で取るらしい。慣れるまでというか、軌道に乗るまでが大変だ、という気がする。ちなみに、同じ神奈川県内の、とある温泉旅館が、旅館としては例を見ない定休日を導入した、という事もあった。確か、毎週水曜日を定休日として、もちろん宿泊予約は取らない。一見非常識な定休日導入だが、業績には特に影響せず、従業員の所得を増やす事にも成功したらしい。大したもんだ。

しかし、この週休3日、決して中小企業だけの話ではなく、冒頭の写真にもあるように、国家公務員も週休3日拡大の方向に進んでいるらしい。若い人が来ないのは、霞ヶ関も同じという事だ。まぁ、若い人がいなければ中小企業の存続が危ういのはもちろんだが、国家公務員もなり手が減れば、これは国家存亡の危機でもある。週休3日でも何でも、若い人に来てもらえるなら取り入れよう、という気にはなるよな。それにしても、割と若い人には人気あると思っていた三次産業がこれなら、一次産業や二次産業はもっと大変だ。後継者不足は、確かに何十年も前から言われていたけどね。農業・林業・建設業の衰退は、正しく日本の終焉に繋がる。ほんと、若い労働力が減少すると、国家が滅んでしまう。何とかならないのか。だからと言って、移民を増やせと言う気はありませんが(笑)

週休3日もいいが、気になるのは海外の反応である。というのも、会社の人から聞いたのだが、その人はアメリカ人から、日本は休みが多過ぎ、と何度も言われたらしい。何を言うか、よく働く日本人の事を外国人はエコノミック・アニマルなどとバカにしてたではないか、と言いたくなるが、アメリカあたりでは一人一人のバカンスは多く皆よく休むが、会社が休みになるのはせいぜい週1回、あとはホリデー(祝祭日?)だけで、週休2日でホリデーとは別の休業日もある日本企業は休み過ぎ、という事になるんだそうな。社員個人が休むのは構わないが、会社が休業になるのは困る、って訳ね。分かるような気もする。

それにしても、週休3日が現実になるとはね...(苦笑) 古い話で申し訳ないが、僕が大学出て今の会社に入社した時、まだ完全週休2日ではなく、隔週で土曜日休みになっていた。第一土曜と第三土曜だったかな。だから、月に2~3回は土曜出勤があったのである。その後、毎年少しづつ土曜休みが増え、完全週休2日となったのは、1991年頃だったかと思う。当時、毎週土曜日が休みだと持て余してしまってする事ない、とぼやいている人たちも多かった。年齢は関係なく(笑) 今、週休3日の話が出ると、休みが多くて持て余してしまう、というより、週3日も休業したら業務に支障が出ないか、という声が周囲では多い。皆でたくさん休んで、手が回らないとこはAIに任せましょ、って事になるんだろうか。いいのかそれで(笑)

個人的には、今の週休2日のままで、月に1回土日月の3連休があれば十分です、はい(笑)

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女の子以外全部

2023年03月21日 22時24分35秒 | 時事・社会ネタ

いやいや、盛り上がってますね、WBC。我が日本代表チームは、日本時間の今日(3/20)行われたメキシコとの準決勝で、6-5とサヨナラ勝ちし、決勝進出を決めた。WBCは皆さんご存じの通り、今回は第5回で、6年振りの開催となる訳だが、実は日本は過去4回のWBCに全て出場し、優勝2回、ベスト4が2回と、つまり毎回出場すればベスト4以上、という他国とは比較にならない実績を誇っているのである。今回も既に5大会連続ベスト4という、前人未踏の記録を打ち立てたのに加え、3度目の優勝も射程圏内に入った。決勝はアメリカとの対戦。相手にとって不足なし。頑張って下さい。

日本はWBCでは、輝かしい実績を残しているにもかかわらず、国民の関心は今イチのような気がしていた。が、今回は今までとは違い、最初っからかなり注目を集めている。やはり、大谷とダルビッシュが参加した、というのが大きいと思う。他にも、今年からメジャーでプレイする吉田をはじめ、投手では佐々木、山本、野手なら村上、山田、岡本、山川など、スター選手が顔を揃えており、加えて、母親が日本国籍というメジャーのヌートバーの参加も話題となった。東京ラウンド前の中日や阪神との練習試合の段階で、既に話題を独占し、大会が始まると負け無しで決勝まできた訳で、やはりスポーツ大会というのは、スターが参加すること、観客が多いこと、そして自国チームが強いこと、で盛り上がるのだな、と当たり前のことを実感する。グッズもよく売れてるようだし。

昨夜テレビで見たのだが、準決勝当日、朝から店を開けるというビア・レストランがあって、もちろん、皆で朝からビール飲みながらWBCをテレビ観戦する訳だが、相手がメキシコという事で、普段メニューにないタコライスとか特別に用意して客を待ってるらしい。予約もいっぱいで、「こういうイベントは経済回しますね」とニコニコ顔だった。

話変わるが、パソコンを買い替えたのである(唐突)。実に我が生涯で4台目(4代目?)。どうでもいいことだが、僕のパソコンの変遷を振り返ってみると、

1台目・・・1998年5月、Window95、富士通
2台目・・・2006年1月、WindowsXP、富士通
3台目・・・2014年3月、Windows7、マウス
4台目・・・2023年3月、Windows11、マウス

だいたい8年ごとに買い替えている。この8年というのは別に深い意味はなく、たまたまである(笑) 2台目に替えた時は、色々な面で1台目が使い物にならなくなってきていたのが理由だったが、3台目に替えた時は、2台目の動きが悪くなってどうしようもなくなったのと、WindowsXPのサポートが終了する、というタイミングが重なった、という感じだった。で、今回だが、正直マシンの動き等には不満はなかったのだが、Windows8のサポートが3年前に終了しており、その時点では買い替えるつもりはなく(8年経ってなかったし。笑)、OSのみグレードアップしようとしていたのだが、すぐにWindows10が入手出来なかった事もあり、結局そのままWindows8を使い続けていて、ま、マイクロソフトのサポートは受けられなくても、セキュリティソフト等は最新版でもWindows8に対応していたので、さほど問題はないだろう、と思ったというのもあるが(笑) 幸いなことに、特に問題はなく、そのままWindows8を使い続ける事が出来た。ありがとうございます(爆)

と、まぁ、そんな訳で、時は来たりて、最近になってようやく、新しいパソコンに買い替えたのである。8年過ぎたし(爆) 今回の4台目も3台目と同じ、マウスコンピューター製にした。やはりパソコンは、いや電化製品は日本製に限る(笑) 今までは店頭で現物を見て決めていたのだが、近頃はどこへ行ってもノートしか置いてないので(実はノート嫌いのデスクトップ派なのだ)、マウスの通販で購入した。ミニタワーとのことだったけど、結構デカいのが来た(笑)

新しいパソコンのセットアップはすぐ出来たのだが、3台目で使っていたソフトを4台目にコピーして使おうと思ったら、やはりうまくいかなかった。当然と言えば当然だが、3台目のソフトたちは、新しいOSに対応してないのである(苦笑) Windows11で起動させてみると、対応してないのでバージョンアップして下さい、今すぐサイトにアクセスすればOKです、費用もバージョンアップ費だけで済みます、という事になるのを期待していた僕が甘かった(爆) ま、前回もそうだったけど、各種ソフトの最新バージョンをいくつか購入する事になってしまった。なんというか、いい商売してるよな(爆) 仕方ないけど(爆)

という訳で、現在新しい4台目のパソコンで、プログを書いております。今後とも、よろしくお願いします(笑)

さらに話は変わって、最近買ったCDから。

 

エブリシング・バット・ザ・ガール(以下EBTG)を2枚続けて聴いたのである。先に聴いたのは左の『Amplified Heart』だが、発表されたのは右の『Home Movies The Best Of Everything But The Girl』が先。どちらも、聴くのは初めて。

『Home Movies』は彼らの1984年のデビューから1993年までに発表したアルバムからのセレクトで、1994年に出た『Amplified Heart』の曲は含まれていない。僕個人は、EBTGに関しては、アルバムとしては1990年の『The Language Of Life』(名盤!)と1996年の『Walking Wounded(哀しみ色の街)』くらいしか聴いてないが、ストレートでシンプルで無駄な装飾のない、いわばストイックに作品を作る人たち、というイメージを持っている。R&Bやボサノバの影響下にあるのは間違いないだろうが、アコースティックギターとボーカルだけで成り立っているような楽曲に、最低限の音を足していって完成する世界、それがEBTG唯一無比のものなのである、と。だが、この度『Home Movies』を聴いてみて、少しだけそのイメージが崩れた。デビュー当時のEBTGの音は、僕がイメージするのより、もっと明るくてポップな雰囲気だったのだ。ま、ちょっと意外だったかな。大した事ではないが。

『Home Movies』には、ロッド・スチュワートでお馴染みの「もう話したくない」やサイモン&ガーファンクルの「ニューヨークの少年」といった曲もカバーも収録されている。これがまた、EBTGのイメージにぴったりで違和感ゼロ。温かみのあるアコギの音、トレイシー・ソーンのボーカルも良い。この人の歌は好きたな。淡々としてるけど優しげな雰囲気。間違いなく、僕の好きな女性ボーカルのベスト5に入る。

初期の作風から徐々に変化して、独特の世界を築きあげてきたEBTGだが、90年代初頭、もう一人のメンバー、ベン・ワットが病に倒れ、活動休止を余儀なくされる。ベン・ワットはかなり重病で一時は生死の境をさまよった事もあったらしいが、回復して1994年に『Amplified Heart』を発表するのだが、このアルバムで聴けるのが、前述したような、シンプルで研ぎ澄まされたストイックな世界である。それでいて、決して冷たさを感じるものではない。サウンドも歌も、あくまでも優しく温かい。けど、軽い緊張感を感じさせる音でもある。ハマったら抜け出せないタイプかな(笑)

EBTGだが、型にとらわれない活動を続けているようだが、今年、新作を出すらしい。オリジナル・アルバムとしては、なんと24年振りだそうな。現在の彼らは、どんなサウンドになるのだろう。ちょっと楽しみ^^

続いては、

A. O. R./ムーンライダーズ

前回ムーンライダーズを取り上げて、あれこれ書いてたら、長い事聴いてなかった本作を聴いてみたくなって購入した。正直、等して聴くのは20数年振りと思うが、やっばり良い。

このアルバム、メンバーの岡田徹と白井良明がプロデュースとアレンジを全て担当し、それだけでなく、バック・トラックもほとんどこの二人で作っているので、バンドのアルバムと言っていいのかどうか^^; 岡田、白井以外のメンバーは、ほぼ歌うだけだしね。ただ、型にはまらないバンド形態やレコード制作というのを、あれこれ試してきた人たちなので、本作での試みは、新しいバンドのかたち、を模索した結果なのだろう、と思う。

中身は、タイトル通り、アダルトな雰囲気の曲が多く聴きやすい。「幸せの洪水の前で」「さよならを手に」といった名曲も多い。80年代的なアプローチの曲もないことはないけど(笑)、1992年時点での最新型のムーンライダーズがこれだったのだろう。ただ、彼らはこの路線に安住することなく、これ以降も色々なスタイルを追求していくので、ご安心を(誰に言ってんだか。笑)

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