日々の覚書

MFCオーナーのブログ

現金なき世界 - A World Without Cash -

2022年01月23日 22時21分09秒 | 時事・社会ネタ

皆さんご存知の通り、ゆうちょ銀行が小銭取り扱いを有料化すると発表した。やらないと言ってるのではなく、有料化すると言ってるだけなのだが、実質的には、小銭取り扱いを拒否しているのと同じ事である。札なら預かってやるけど小銭なんか持ってくるんじゃねーよ、と言われているに等しい訳で、言うならば、ゆうちょ銀行は預金者というか世間にケンカを売ってるのだ。実に消費者というかユーザーをバカにした行為であるが、マスコミは怒る事もなく、時代はキャッシュレスですから、なんて、ゆうちょ銀行擁護ともとれる報道内容に終始してる。実際問題、家に相当ある小銭をどうしたらいいのか? 私事ですが、僕は何年も前から小銭貯金をしてて、毎晩持ち金を計算して、99円以下の小銭は貯金箱に入れて、いっぱいになったら銀行に持っていく、という実にいじましい事をずっと続けているのだが、その小銭はどうしたらいいのだ。家でタンス預金でもしてろ、というのか。仮にそれで100万円貯まっても、小銭だから銀行は引き受けてくれない訳だ。バカにした話である。

以前、銀行に小銭を持って行って貯金しようとしたら、べらぼうな手数料を取られて、はらわたが煮えくりかえった経験があるが、近頃、いやかれこれ10年以上前から、銀行は小銭いや現金を扱う事に消極的だ。(銀行から見れば)少額の預金者を何人か失っても、小銭は絶対扱いたくないらしい。某メガバンクのネットバンキングのサイトでは、取引は全てネットで出来るので銀行には来ないで下さい、と言わんばかりで、一般人が銀行に来る事で生じる面倒な業務はやりたくない、というか、そういう業務をなくす事で人減らしをしたい、というのが本音なのであろう。

報道では、ゆうちょ銀行が小銭取り扱いを有料化した理由として、小銭数え機の使用頻度が増え、故障が多くなって、対応が大変だ、と主張しているが、そんな程度で機械が壊れる訳はない。今まで何年も使っていたはずだ。我が社の取引先に、銀行で小銭やお札を数える機械を作っている会社があるが、こんな事言われて怒ってると思うぞ。そんな、理由にもならない理由で小銭を拒否してる訳で、やはり裏にはもっと大きな陰謀が動いていると見るべきだろう。大規模リストラの準備中というのは、いかにもありそうな話だ。銀行が店舗での業務を止めて、行員や店舗を減らしていくと、一体何万人が職を失うのか? 空恐ろしい話である。そりゃ、大きな声では言えないよな。

銀行が小銭を扱ってくれなくなると、どうなるのか。普通のレジなら嫌がられるけど、セルフレジなら文句言わないだろう、なんてセルフレジに小銭を突っ込んでくる輩が増えて、故障が増えるのか。スーパーやコンビニでは使えない、となると、お賽銭や募金くらいしか使い道がない。神社や寺や街頭で募金呼びかけてる人たちは、たくさん入ってくる小銭をどうしているのだろう? いや、スーパーだって、それなりに小銭の支払い多いと思うし、そういうとこの小銭は取り扱ってやるのだろうか。ずるいな(笑) 

前にも書いたけど、中国のマネとかしてキャッシュレスの風潮が気に入らなくて、現金の信頼性が低いとか、治安に問題があり現金持って外を歩けないとか、そんな国と日本を一緒にして、時代はキャッシュレスなんです、我が国は遅れてます、などと煽ってくるのに乗ってたまるか、と僕なりに抵抗を続けてきた。若い人はそうでもないだろうが、昭和30年代後半生まれは、今財布にいくらあって、いくらまでなら使ってもいいとか、口座にもそんな金はないから高価な物は買えないとか、そういうのを常に把握して買い物等々に臨んでいるので、キャッシュレス(交通系ICカードとか何ちゃらペイとか)とかだけになってしまうと、残額等が分からなくて非常に困るのだ。で、ついつい自分の購買能力を超えた買い物をしてしまって、口座の残額が足りなくなったりして債務不履行になってしまい、サラ金や身内から借金して支払いに充てるようになったり、最悪の場合は自己破産という事になるのである。いや、昭和30年代後半生まれだけではなく、若い人たちだって、気がついたら口座残額がゼロいやマイナスになってたりする事は大いにあり得る。結局、キャッシュレス時代だなんてカッコいい事言うけど、借金で苦しむ人を増やすだけではないのか。

ま、キャッシュレスにして、現在の所持金とか口座の残額とか、そういうのを見えにくくして金を使わせよう、つまり消費させよう、という狙いもあるのだろう。銀行が現金を扱わなくなると、リストラも出来るわ経済も回るわ、でウハウハだな(笑) 結果として借金抱えて自殺者が増えても自己責任か。

という訳で、家にある小銭は自分で使うしかなさそうなので、まずは、自販機での買い物は10円玉のみにしようと思う(笑) スーパーやコンビニでセルフレジがあれば、ひたすら1円玉を入れさせて頂く。確か、1円玉を20枚以上支払いに使う場合は、相手の同意がいるとかなんとか聞いた事があるが、機械相手でも同じなのだろうか。ま、いいか。

前から、現金以外受け付けない店とかは多くて、持ち合わせのない時もあるので、現金とキャッシュレスの両方に対応してくれるのが、こっちからすると有り難いのだが、そのうちキャッシュレス以外は認めません、現金払いの方は入店しないで下さい、という店ばかりになるのだろう。確かに安心だ。レジの現金目当ての強盗とか来なくなるだろうし。でも、やりにくくなるなぁ、と昭和30年代後半生まれは、ため息をつくのみ。年を取っても社会で生きていく、というのはこういう事なんだね(笑)

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筒美京平を悼む

2020年10月25日 18時08分44秒 | 時事・社会ネタ

随分時間が過ぎてしまったが、作曲家の筒美京平が亡くなった。享年80歳。ここ数年闘病中で、今月初めに亡くなっていたのだが、公表されたのは数日後だったらしい。またひとり、日本の音楽界のみならず、大衆文化にまで大きな影響を及ぼした人物がいなくなった。悲しいことだが、昭和・平成と時代は移り、令和となった今、我々は今後もこういった悲しい現実を受け止めていかねばならない。謹んでご冥福をお祈り致します。

筒美京平については、ここで僕がどうこう言う人ではない。数多くの名曲を生み出し、偉大な業績を残した作曲家である事は、日本人なら誰でも知っている。1960年代から作曲家としての活動をスタートさせ、70年代には既にトップの作曲家としての地位を確立していた。ヒット曲は多かったけど、単に良い曲というレベルを超越した、聴く者の感性を刺激するような、忘れる事の出来ない印象的なメロディを書く人だったと思う。70年代の頃までは、大半の歌謡曲はいわゆる“詞先”、つまり作詞家の書いた歌詞が先に用意され、作曲家はそれにメロディを付ける、という制作方法が中心だったそうだが、筒美京平が当時手がけた曲を聴いてると、詞に曲を付けた、というのが信じられないくらい、言葉に左右されない自由な発想でありながら、日本語が無理なくフィットした、印象的で個性的な曲ばかり。ヒット曲が多過ぎて、曲名を挙げる事すら無意味になってしまうのだが、敢えて例を挙げると、ジュディ・オングの「魅せられて」かな。阿木燿子による“詞先”だが(何かのインタビューで、70年代の頃は自分の作品は全て詞先だった、と阿木燿子本人が語っているのを見た事がある)、よくこんなメロディが付いたな、という感じ。歌詞をフツーに読んでも、こんな譜割りというかリズムにならない。日本語のアクセント等を崩さず、尚且つ決して日本的ではないメロディ。洋楽の日本語カバーと思ってしまうくらい。凄い人だ。

70年代に既に大御所だった筒美京平は、80年代に入ってもヒット曲を量産した。アイドル系の曲を手がけるのが多くなったような気がするが、鳴り物入りでデビューしても今ひとつぱっとしなかった歌手が、筒美京平作品を歌ったらヒットが出た、という例もいくつかあったように思う。あと、中堅歌手が、筒美作品でイメージを変えたとか。あの頃、筒美京平は“パクリの帝王”なんて言われて、要するに、ヒットしてる洋楽曲のおいしい所を自分の作品に取り入れたりしていたので、このように不名誉というか中傷というか、ま、ひどいことを言われていた訳だが、ヒットを生む為にはそんなの常識であって、筒美京平はこれっぽっちも悪くない、と僕は思っている(昔も今も)。だいたい、完成した作品を聴いてみれば分かるが、パクリとはいえ、オリジナルとは違う、新たな魅力を持つ曲に仕上がっていたので、凡百のパクリ野郎とはレベルが違うのだ。ステージが高いというか。やはり凄い人だ。

さすがに90年代に入ると、歌謡曲のあり方も変わり、筒美京平作品がチャートを賑わす事は少なくなった。ただ、新世代のJ-POPの担い手として登場した小沢健二やDOUBLEといったアーティストが筒美京平の曲をレコーディングしており(カバーではなく新曲である)、かつての歌謡曲を単なるヒット曲ではなく、日本のアイデンティティと捉える人たちに筒美京平はリスペクトされ(この言い方嫌いだが。笑)、大きな評価を受けた。そういえば、20年程前のインタビューで、筒美京平が「スピッツは僕の感性に近いものがある」と語っていたのを思い出す。作曲家生活20周年或いは30周年の節目に、豪華CDボックスセット等が発売されたのも、筒美京平を正しく評価するのを後押ししたと思う。筒美京平は21世紀になっても凄い人だった。

とにかく、筒美京平は偉大な人で、名曲もたくさんあって却って出てこないくらいなのだが(笑)、ここで個人的に印象深い筒美作品を紹介させて頂く。

早見優は1982年デビューで、この年は新人が豊作だった事でも知られるが、彼女はデビュー後しばらく、伸び悩んでいたように思う。露出は多かったけど、素人目にも歌ってる曲のイメージがバラバラで、方向性を絞れていないように感じられた。ところが、デビューから約1年後、早見優は筒美京平作品を歌う事で、ブレイクしたのである。それが有名な「夏色のナンシー」だった訳で、明るくキャッチーなこの曲、早見優のイメージにもピッタリで、それまでの曲とは明らかに一線を画していた(それまで出来が悪かった、という意味ではありません)。ま、同じ1982年デビューの小泉今日子と同じパターンだね。

だが、僕は「夏色のナンシー」より、その次に出た「渚のライオン」を推したい。ナンシーと同様、夏のイメージだが、何故か知名度が低いんだけど、こちらも名曲。メロディもいいけど、軽やかな疾走感の曲調が素晴らしい。テンポ良すぎて3分も経たずに終わってしまうのが、また、はかなくてよろしい(笑) 明るい曲なんだけど、どことなく哀愁を感じさせるのもいいね。地味だけど筒美京平の真骨頂と呼べる作品。

洋楽好きなら、Drドラゴン&オリエンタル・エキスプレスというグループの「セクシー・バス・ストップ」という曲は知ってると思う(1976年発表)。当時から、洋楽という触れ込みだけど作ってるのは日本人、それも筒美京平作曲だというのは知られていて、この頃、特にディスコ系のヒット曲は、そういう噂(つまり実は日本人の手になるものなのだ)がよく流れていて、あのアラベスクにも“実は日本人”疑惑があった。ま、逆に言えば、どう聴いても洋楽だけど、日本人の感性にもピッタリ、という音楽を作る事に、実は日本人は長けており、その筆頭格が筒美京平であった、という事である。言うならば“日本人が作る洋楽”、なんか意味不明だけど(笑)、ここに海外にはない、日本の歌謡曲の奥の深さを感じるのは僕だけではないはず。

で、そのDrドラゴンこと筒美京平は、「セクシー・バス・ストップ」のヒットを受けて、こんなアルバムを作っていた。実は、当時このアルバムの事は知らなくて、後追いで聴いたのだが、全編フィリー風のサウンドて統一されたディスコ・インスト・アルバムであり、そのグレードの高さに、最初聴いた時はブッ飛びました(笑) ただフィリー風とはいえ、楽器やメロディで和テイストを加えているのが素晴らしいところで、本当にエキゾチックというかオリエンタルというか、摩訶不思議な魅力にあふれたアルバムである。多分、MFSBとかバリー・ホワイトとかの本家と比較しても、決して遜色ない出来映えだ。この当時、筒美京平も多忙だったはずだが、その合間を縫って、こんなアルバムを作っていた訳で、やはり凄い人である。

松本伊代は、筒美京平による「センチメンタル・ジャーニー」でデビューして、すかさずスターダムに駆け上がった訳だが、当時(今も?)の慣例として、デビュー・アルバムも全曲筒美京平の作品となった。これがまた素晴らしい出来映えなので、先入観を捨てて(笑)、是非皆さんに聴いて欲しい、と思う次第なのであります(笑) ウェスト・コーストっぽい雰囲気があるかな。

収録曲は、佳曲揃いなのだが、僕が特に推したいのが1曲目の「ワンダフル・ハート」である。アコギのカッテイングで始まるイントロからして、既に名曲の風格十分。中間部のギターソロも凄い。松本伊代の歌も、お馴染みの鼻にかかった感じではなく、とてもナチュラルで良い感じ。サビの男声コーラスとの絡みもGood。ほんと、本人も今では絶対歌う事はないだろうと思われる(笑)ので、余計に隠れた名曲としての名を欲しいいままにしている「ワンダフル・ハート」なんであるが、こういう曲にも筒美京平の凄さが息づいているのである。

と、ここまで書いて気づいた。↑の松本伊代に関する記述は全て間違っています。大変申し訳ありません。松本伊代のデビュー・アルバム『センチメンタルI・Y・O』の10曲のうち、筒美京平作曲は「センチメンタル・ジャーニー」を含めてもたった3曲だけでした。ずっと長いこと、全曲筒美京平の曲と思い込んでました。お恥ずかしい限りです。謹んでお詫び致します。でも、「ワンダフル・ハート」が名曲である事に変わりはありません。筒美京平作曲ではありませんが名曲です。実際の作曲者である亀井登志夫にも大変申し訳ない事をしました。ほんと、穴があったら入りたいです。以後、厳重に注意します。自戒を込めて、↑の文章もそのままにしておきます。申し訳ありませんでした。

という訳で、本当に偉大な人を、日本の音楽界は失ったと思う。けれど、筒美京平の作品は、今後も生き続けていくであろうし、その作品が生き続ける限り、我々は筒美京平の名を忘れる事はないだろう。

合掌

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ポイント

2020年09月12日 21時56分43秒 | 時事・社会ネタ

どこのブログ・サービス会社も同じと思うけど、うちのブログでは、ネタに困った時のためか、「今週のお題」ってことで、毎週色々なテーマを提供している。で、今週のテーマは“9月1日よりマイナポイント事業が始まりました。利用してますか?”だった。

僕はというと、まだ利用どころか、登録すらしていない。というか、それ以前にマイナポイントのシステムがよく理解出来ていない。とりあえず、今理解してるのは、マイナンバーカードを登録してキャッシュレスで買い物すると、利用金額の25%が還元される(上限あり。最大5000ポイントまで)ということ、キャッシュレスサービスは何でもOKという訳ではなく、対応していない会社もあるということ、そして、マイナポイント事業は今年9月から来年3月までの期間限定ということ、くらいである。

妻は既に登録を済ませていて、僕も登録しようとしたら問題が発覚した。自分の持っているクレジット・カードが、マイナポイント未対応だったのだ。交通系ICカードは対応しているが、以前、消費税のキャッシュレス還元サービスに登録した際、獲得したポイントは指定場所で受け取って下さい、と言われて面倒になり、せっかくのポイントを受け取りに行かなかった事があって(せいぜい10数ポイントだったと思うけど^^;)、マイナポイントも同様だったら面倒だな、なんて思ったりして、交通系ICカードでの登録は迷っているところ。

こういう、ポイント還元事業とか、とても良い企画ではないかと思うのだが、いかんせん、登録・手続き当が面倒臭すぎる。ホームページとか見ても分かりづらいし、勇んで登録しようとしたが、あまりに面倒なので諦めた、という人も多いはずだ。さすがお役所仕事という感じ。もう少し、なんとかならないのか。まさか、手続き簡単にして、大勢の人が登録してしまうと、処理が大変で困る、なんて理由で、わざと分かりにくくしてるのではあるまいね(笑)

と言いつつも、多分2~3日中には登録するであろう(笑)

さて、世間の話題は、実はマイナポイントより自民党総裁選ではないかと思うのだが、8年近く在任した安倍首相が辞任を表明して、次の自民党総裁を決める選挙を行うことになり、世間の関心は完全にそっちに向いている。同時期、旧民主党の合流新党の代表選が行われたが、自民党総裁選に話題を奪われ、立憲民衆党の某幹事長が、マスコミ関係者にうちの代表選も取り上げてくれ、と異例のお願いをしたらしい。ま、旧民主党の残党による新党結成(しかも名前は一緒)なんかより、要するに総理大臣を選ぶ自民党総裁選に話題が集まるのは当然。誰も民主党なんかに期待していないのだ。

その自民党総裁選、投開票は9月14日ということで、もうすぐ。今回の総裁選は、国会議員と県連代表の投票で決めるという事で、党員投票は行われない、いわゆるフルスペックの選挙ではないことで、密室政治だの何だのと、マスコミや野党が批判しているが、一足先に投開票が行われた民主党の合流新党だって、国会議員票だけで決めてたではないか。何故、あれを密室と誰も言わないのか。おかしいではないか。結局、自民党(政府)への批判は単なる難癖でしかない、というのが今回の一件でもはっきりしたという訳だ。

この度の自民党総裁選を、フルスペックで行わない事について、愚かなマスコミ達は「石破を当選させない為に、策を弄してるに違いない」と下らない事を言ってるが、悲しいかな、それに洗脳されてしまう国民も多いので、ここはひとつ、自民党はフルスペックでやっても良かったのでは、という気もする。フルスペックでも、おそらく石破氏は勝てないだろうから、結果を見てみんなが納得するのではなかろうか。国民人気は石破が一番と言われるが、地元での選挙は常に圧勝なもんで、そう見えるだけではないのか。キャリアも長く、党の要職を務めた経験もあるのに、派閥が19人しかいないなんてヘンだよな。ま、人望がない、って事なんだろうけど、韓国擁護一色の発言やこれまでの経歴、テレビでの発言も言葉だけキレイで中味なし、というのを見ても、申し訳ないが、首相になる人物とは思えない。

という訳で、自民党総裁選、注目である(笑)

でもって、全く関係ないが、最近買ったCDから(爆)

The Man With The Horn/Miles Davis

1950年代から活躍する大御所中の大御所、解説不要のジャズ・トランペッターのマイルス・デイビスが、1981年に発表したアルバム。僕はジャズには疎いのでよく知らなかったけど、マイルスは70年代中頃から一線を退き、しばらく隠遁生活を送っていたらしい。本作も、マイルス・デイビス5年振りだか6年振りだかの新作、って事で当時メディアは盛り上がってたような。なんか、前年のジョン・レノンと似たような雰囲気(笑) で、世間というかジャズ・ファンの期待を背負って発表された新作が、当時主流のフュージョンに接近したような内容だったもんで、かなり賛否両論だったような気がする。

帝王マイルスの久々の新譜ってことで、当時FMでもよくかかっていたので、ジャズに疎い僕でも耳にする機会が多く、個人的には、思ったより聴きやすくていいんじゃないの、なんて感じで捉えていた。実際、音もモダンな感じだったし、曲も分かりやすいし、珍しいのかどうか分からないけど、ボーカル入りの曲もあって、難しい事考えなくても楽しめるアルバムなのは確かだ。あれから40年近くが経過した今聴いても、その印象は変わらない。

このアルバム、あのマーカス・ミラーが参加してて、これ以降、マイルスはマーカスに全幅の信頼を置くようになり、アルバムのプロデュースも任せ、レコーディングにツアーに、マーカスと行動を共にするようになる。当時は、マイルスが日和ったなんて言う人もいたけど、最後の10年(マイルスは1991年に亡くなるので)の幕開けとして、マイルス自身には転機となったアルバムであるのは間違いないだろう。

The Ozzman Cometh/Ozzy Osbourne

今さらだが、オジー・オズボーンって凄い人なんだな、と思う。ほんと、今さらだけど(爆)

ロックを知り初めし頃、同時期のパープルやェッペリンみたいにFMなとで耳にする機会が少なかったせいもあり、僕はブラック・サバスはほとんど聴いてない。名前を知ってただけ^^; 後に、80年代になってから、突如オジー・オズボーンという人のアルバムが売れた出した頃も、元ブラック・サバスの人だなんて、全く知らなかった。

けど、そのオジーのソロ曲はよく知ってた。というか自然に覚えていた。学生の頃、周囲の仲間でオジーの曲をコピーしてるのが多くて、見てるうちに覚えてしまったのだ(笑) 「クレイジー・トレイン」も「ミスター・クロウリー」も「オーバー・ザ・マウンテン」も、仲間たちが演奏してたので知ってたけど、本家のオジーのバージョンは聴いた事なかった(爆) 思えば当時、大学生のバンドなんてハード・ロックのコピバンが多かったし、前述のオジーの曲はどれもキャッチーでカッコ良く、皆がこぞってコピーしたくなるのは当然。実際、自分も後年「月に吠える」をコピーした事があるし^^;

で今回、初めてオジーのCDを買った訳で、ま、初めてではないにしろ、改めてじっくりと聴いてみると、やっぱ良いですねぇ(笑) どの曲もほんとキャッチーで良く出来ている。昔の印象では、ボーカルはヘロヘロみたいに思ってたけど、決してそんな事はない。力強くて迫力満点でもないけど^^; ほとんど初めて聴いた90年代の曲もいい。大したもんだな(えらそーに)

このアルバム、単純にベスト盤と思って買ったのだが、クレジットをよく見ると、ソロ初期の曲は、ドラムとベースが差し替えられているようだ。ウィキペディアによると、当時契約の関係で、ベースのボブ・デイズリーとドラムのリー・カースレイクと揉めてたので、ベスト盤では差し替えたのだそうな。ま、色々と事情はあるのだろうが、昔の録音に手を加えないで欲しいな、と個人的には思うんだけどね。差し替えられても、違いが分かる訳ではないのだが(爆)

ま、とにかくオジー・オズボーンって人は、曲作りも上手いし、無名のギタリストを抜擢して育てながらヒット作を作り、(マネージャーをやってる奥さんの功績との声もあるが)大規模なメタル・フェスを大成功させ、ブラック・サバスのオリジナル・メンバーでの復活も成し遂げ、と実は凄い人なんである。正にメタル界のカリスマ。本人に、そんな雰囲気がないのも、また素晴らしい(笑)

最期に余談だが、最近TBS『半沢直樹』を見ている。非常に面白いのだが、反面見てると疲れる、というのもあって、何が原因なのだろう、とずっと考えていたのだが、同じ原作者の『下町ロケット』と比較してみると、なんとなく見えてきた。その違いとは、

・『半沢直樹』の登場人物には、高邁な理想がない
・『半沢直樹』の悪人は、とことん悪人である。

あくまでも個人の感想だが、『半沢直樹』の人たちは、はっきり言って自分の事しか考えてない。『下町ロケット』の佃製作所などのような、良い物を作って社会に貢献したい、という理念がないのである。自分の事しか考えてないから、悪人はひたすら悪人というのも当然。

だから、やや疲れるのである。決して、俳優たちの濃い演技のせいばかりではないと思う(笑)

とはいえ、確かに面白い。僕は評判になった前回(もう7年前らしい)は見てないけど、それでも内容は理解出来る。一回飛ばしてもついていけるのもいい(笑) 今月で終わりらしいのが残念だが、せめて最終回は爽やかな後味で終わって欲しいな(笑) 夏も終わるしね(意味不明)

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A New Life Is Born

2020年05月23日 21時48分26秒 | 時事・社会ネタ

去る5月14日に、北海道・関東1都3県・関西2府1県を除く、39県で緊急事態宣言が解除となり、一週間後、関西2府1県でも解除された。外出自粛要請が出され、学校も休校となり、ステイホームが流行語となるくらい、外出せずに感染拡大を防ごうという、国を挙げての対策が功を奏したのか、このところ感染者減ってきたし、となると停滞していた経済を立て直さなければ、という事での解除と思う。ま、とはいえ、しばらくは油断せずにステイホーム、というのは続くのだろう。なんとなく、慣れてしまった感もあるし(笑)

この緊急事態宣言に伴う生活の変化だが、近頃“新しい生活様式”なんて言い出して、まるで定着させようとしてるかのように(笑)、あちこちでプッシュしてるようだが、ま、手洗いうがい励行はいいけど、マスクはちょっとねぇ。冬ならともかく、これから暑くなってくると、マスクはキツいよ。それと、飲食は料理に集中して黙って手早く、ってのもどうなんだろ。こりゃ完全に“飲み会”はアウトだ。出たくない忘年会や新年会等の会社の行事がなくなるのはいいけど(笑) 僕は、飲みに行く時は妻か友人と一緒で、一人というのは、ほとんどないが(出張に行った時たまにあるかな)、飲み屋でマスターや他の客と会話しながら飲むのが好きな人も多いし、そういう人にはツラいよな。店には行くけど、ひたすら一人で酒を楽しむ、という人ならいいけど。

今後、“3密”を徹底的に避ける生活が定着すると、打撃を受けるのは、大衆演芸ではなかろうか。芝居でも落語でも演奏でも、客を前にして反応を確かめながら芸を披露するスタイルだけに、無観客は厳しいなぁ。スポーツの場合、やや乱暴だが客はいなくても試合は出来る。そりゃ、落語だって無観客でも出来るだろうけど、なんか違うんですよ。こないだR-1の決勝だったかな、自粛要請を受けて、無観客でネタを披露してたけど、あれ、やりにくかっただろうな。さらに今度、無観客はもちろん、演者も司会も全てリモートという演芸番組まで放送されるらしい。一体どうなるのだ? 大衆演芸の衰退に繋がっていくのではないのか? それとも、新しいスタイルになれば新しいスタイルに適応した芸人が出てくるから、全く問題ないのか? 時代は変わっていくものさ、という結論で、本当に問題ないのか?(笑)

時代は変わる、といえば、やや古い話なのだが、去年の大晦日のNHK紅白歌合戦に、AI美空ひばりなるものが登場した。皆さんご存知、近頃注目というか、一部ではすっかり定着したAIに美空ひばりのデータをインプットして、言うならば、美空ひばりのそっくりさんを作って、新曲を歌わせてしまった訳だ。これを見て、あの山下達郎は自分のラジオ番組で「あれはただの冒涜です」と発言したらしい。

美空ひばりだけてなく、手塚治虫AIというのもあって、今年、その手塚治虫AIによる“新作”が発表された。こういう、人工知能に亡くなった有名人のデータをインプットして、そっくりさんを作ってしまう、という手法は、これから当たり前になっていくのだろうか。AI黒沢明とかAI志村けんとかAI忌野清志郎とかAI川端康成とか、何でもアリだな^^;

僕は正直言うと、このような風潮は好きではない。紅白のAI美空ひばりもみてたけど、確かに、凄いなとは思ったけど、こんな事やってて楽しいのかな、というのが正直な感想だ。冒涜とまでは言わないけど、山下達郎の気持ちは分かる気がする。手塚治虫AIだって、前編はまぁ面白かったけど、後編はひどいもんで、これがAIの限界か、と思ったりした。AIオリジナルなキャラクターならともかく、過去の偉人のコピーで喜んでいるのなら、所詮AIだよな、なんて思ってしまう。

ただ、この件については、某漫画誌に掲載されていた、とあるライターのコラムが非常に気になった。彼は、山下達郎の発言を取り上げて、どちらが正しいと言うつもりはないと言いつつ、達郎のようにAIに否定的な意見が出る事を、テクノロジーの発達に対するアレルギーみたいなもの、と断じていて、新しいテクノロジーに対しては、誰もが最初は嫌悪感を示すけれど、時が過ぎれば容認される、ワープロだってYMOだって、最初はそうだった、AIだって同じ、敵対視しなくてもいいんじゃないの、という論調でまとまっていた。それを読んで、あぁこの人は分かってない、と思ったのである。

僕は、山下達郎の発言を直接聞いていないので、発言の真意は推測でしかないのだが、彼はAIという技術で、不世出の天才を無責任に再現してしまう事を批判したのではなかろうか。新しいテクノロジーに対する嫌悪感などではない。AI美空ひばりには、才能に恵まれ、人一倍努力して、名声を勝ち得た人に対する敬意というものが根本的に欠けている事を批判したのだろう。生まれ持った才能というのは、誰にでも与えられているものではなく、いわば神に選ばれた人が授かるものなのであって、それは正に畏敬の存在なのである。そういう、才能にあふれた生身の人間が作り出した芸術を、簡単にコピーしようとする、またそれを恥じるのではなく胸を張っている、その姿勢が達郎は気に入らないのだろう、と思う。そして、このコラムを書いたライター氏は、全くそれが分かってない。言うならば、神に選ばれた人をバカにしているのだ。たまたま、この人がやっただけで、要領が分かれば誰にでも出来る、だからAIで再現するのを、テクノロジーの進化は素晴らしい、などと手放しで褒めるのである。そして、自分は柔軟な感性と思考の持ち主である、とアピールしているだけなのだ。

AIが進化すると、いずれは人間の仕事をAIが奪ってしまうのでは、という杞憂に対して、あくまでもコントロールしたりメンテナンスしたりするのは人間なのだ、という専門家(らしき人)は多い。しかし、僕は昔、手塚治虫の漫画で、ロボットの修理をするロボットというのを見た事がある。AIの暴走を人間は止める事が出来るのか。AI美空ひばりで喜んでいる程度ならいいけどね。

個人的には、AIに期待する事もある。だけど、フレディ・マーキュリーAIなんてのが登場しない事を祈る(笑) それでも喜ぶファンが多そうなのが怖いけど(爆)

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緊急事態宣言延長

2020年05月05日 16時43分50秒 | 時事・社会ネタ

新型コロナウィルス感染に対して、史上初の緊急事態宣言が発出されたのは、約一ヶ月前のこと。そして昨日、当初期間は5月6日までだった緊急事態宣言の延長が発表された。5月31日までだそうな。5月14日頃に様子を見て、そのときの状況によっては、早めの解除もあり得る、と安倍総理は会見で言ったそうだが、ま、我々が知ることの出来る範疇で判断すると、もうあと一ヶ月近くこの状態が続くと思った方が良さそうだ。えらいこっちゃ。

緊急事態宣言が発出された時、安倍総理は「人との接触を8割減らす」のを目標とする、と言っていたが、これは結構大変な数字である。僕も、テレビ等で一日の濃厚接触者の目安というのを見て、自分に当てはめてみたら、通勤・仕事(社内外)も含めて、毎日80人ほどの人と濃厚接触してるらしく、緊急事態宣言後、通勤は特別措置でマイカーにして、仕事に関しても、営業活動は自粛(客から来るなと言われたのも含む)せざるを得ないもんだから、実は先月からほとんど外回りはしていない状態で、その結果、推定60人くらいだったと思われる通勤・仕事(社外)での濃厚接触者がゼロになった。それでも、削減率は75%(60人÷80人)である。8割減らすのが、いかに大変であることか。

濃厚接触と言えば、先日BSフジの『プライムニュース』を見てたら、哲学・社会学の学者の人が出てきて、なかなかに興味深い事を言ってた。曰く、濃厚接触と聞いてエロティックな事を連想してしまった人は少なからずいるはずで、そういう人たちの中には、エロい事はしてないので濃厚接触ではない、と思い込んでいる人も多いはずだ。濃厚接触とは元々英語の概念で、「close contact」が元の言葉だそうだが、これは親しく接する、密接な関係にある、という意味で、セクシャルな意味ばかりではない。けど、これが「濃厚接触」と訳された事で、実際には「濃厚接触」であるにもかかわらず、自分は「濃厚接触」はしていないと思っている人が大勢いた可能性があり、こういう人たちが、「濃厚接触」の意味を正しく認識して行動していたなら、或いは「close contact」が違う言葉に訳されて、違う解釈をされていたなら、もしかすると違った展開になったかもしれない、という内容で、あ、そうか、なるほどと思いましたね。

話は戻るが、緊急事態宣言を受けて、政府或いは各自治体から、不要不急の外出の自粛要請と同時に、飲食店等の営業時間の短縮や休業の要請もあり、自営業の人たちにはかなりの打撃である。ま、そりゃ、都心で店なんてやってれば、家賃その他の経費もかかるだろうし、その地域で働く人や遊びに来る人がいなくなったら商売にならないだろう。観光地も同様。なので、コロナ感染拡大の影響で客が減り、一気に倒産に追い込まれた、なんて話を聞くと、恐るべし新型コロナ、と思うのと同時に、長年そこで商売してるにもかかわらず、一ヶ月か二ヶ月商売不振になっただけで潰れてしまうなんて、言っちゃ悪いが相当な自転車操業みたいな感じで、そういう感じで都心で商売してる人が多いのなら、それはそれでまた問題だぞ、なんてことも思ってしまう。確かに、そういう人たちには、こういう事態だし、国や自治体が援助してやらないと、どうしようもないだろう。口で言うほど簡単でないのはわかるけどね。自粛要請するのなら、補償とセットであるべきだ、という意見もあるが、店が開いてなければ人が来ないだろう、というのはちと違うような気もする。本来なら、国が言わなくても、キャパクラとか客が減るはずだし。結局、国民一人一人の意識の問題なのだ。

今回の、緊急事態宣言期間延長に関しても、それ以外でも、新型コロナウィルスに関する報道、それも特にテレビの報道の論調が、ひたすら暗く不安を煽るものばかりで、こんな事になったのも全て政府のせいだ、安倍は今すぐ辞めろ、と言わんばかりで、確かに、政府に全く責任がないとは言わないが(中国からの入国制限が大甘なのは政府というより国の責任)、世間の反安倍派は何でもいいから、いつでもどんな時でも安倍総理を批判する材料ばかり探していて、平時ならともかく、有事の今、安倍批判ばかり繰り広げて一体何になるのだ? コロナが収束しないので内閣総辞職します、と言えば満足なのだろうが、その後を誰が引き受けるのか? 反安倍派が支持する野党の連中も、この時期に火中の栗を拾おう、なんて気概のあるヤツはいないだろう。反安倍の連中は、とにかく批判ありきで、それ以外の事を何も考えていない。もし、安倍総理が今辞めると言ったら、無責任だの何だのと、また批判するのである。ほんと、戦後教育の悪い部分ばかり体現してる奴らなのだ。はっきり言いますが、良い子はそういうのまともに聞いちゃいけません。

話がそれたが、新型コロナのせいで商売あがったり、補助金くれなきゃお先真っ暗、みたいな企業ばかりみたいに、テレビでは報道してるが、言葉は悪いが、コロナのおかげで商売繁盛という会社も多いはずだ。或いは、苦境に立たされたけど、ちょっと発想を変えて乗り切ったとか。不景気だから国に何とかしろ、と言うだけの企業ばかりではないのだ。そういうのをもっと報道しないと、希望が持てない。ま、安倍総理を辞めさせる事しか考えていないんだから、仕方ないけどね^^;

とにもかくにも、緊急事態宣言は延長され、少なくとも今月いっぱいは、この状態が続くのである。個人的には、もう勘弁して欲しい、というのが本音。何しろ、前述したけど、4月以降営業活動つまり外回りをしていないのだ。毎日会社でデスクワークというのも、つらいものがある。仕事があればいいけど、無い時もあるし。もう30年以上も営業職でやってきたもんで、すっかりリズムやサイクルが営業仕様になっている。はっきり言って、ただ机に座っているだけの日もあった。マジ、4月はほとんど仕事してません(笑) これほど仕事しなかったのは、新入社員の時以来ではなかろうか。早くコロナ騒ぎが収束して、生活(仕事)のリズムが元に戻る事を願ってやみません。

その日に向けて頑張ろう!

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