日々の覚書

MFCオーナーのブログ

ベルセバと人は呼ぶらしい

2023年02月05日 21時11分01秒 | 時事・社会ネタ

前回のブログはジェフ・ベックの訃報を受けてのものだったが、そうこうしてる間に、高橋幸宏が亡くなり、トム・ヴァーラインもこの世を去り、鮎川誠まで鬼籍に入ってしまった。なんということか。仕方ない事ではあるものの、ショック大きい。謹んでご冥福をお祈り致します。

報道では、高橋幸宏については、やっばりYMOの人と紹介されていて、もちろん間違いではないのだが、個人的にはサディスティック・ミカ・バンドで彼の事を知ったので、やはりミカ・バンドの人ってイメージ。この頃既にあの独特のノリのドラミングは完成されていたのだが、YMO以降はドラマーのイメージは希薄になり、ボーカリストとしての方が知られているのだろう。それも、ファッションセンス抜群のオシャレな歌手として。ソロ活動をしつつも、ミカ・バンド再結成にも当然参加していたが、2006年の再結成時にはドラムが叩けなくなってた、という話を聞いて、やや残念な気がした。でも、確かに、いい雰囲気の歌手だよね。そういえば、以前、東京スカパラダイス・オーケストラと組んで、「Watermelon」という曲を出した事があったが、ま、フツーにシティ・ポップだった。個人的には、この曲の方が思い出深いな。

1982年頃、テレビCMで流れてるのを聴いて、シングルを買ったような。今回、改めてジャケットを見てみたら、「このレコードは、何をかくそう、スーパーニッカのCMに使われているものです」としっかり書いてある(笑) 両A面て感じで、「Are You Recieving Me」はニューロマンティック風、「And I Believe In You」がスローで壮大な曲、という印象。今聴くと、かなり時代を感じると思う(笑)

鮎川誠は、もちろんよく知ってたけど、サンハウスもシーナ&ロケッツも、ちゃんと聴いた事はない^^; ロックンロール系のバンドにはあまり興味なかった、というだけのことで、鮎川誠が嫌いとかいうのではない。むしろ、外見も含めて、キャラを上手く作ってしまったというのは凄い事と思う。それを利用しながら活動を続けてきたと言えるのではないかな。バンドでやってるのは割にシンプルなロックンロールだったけど、実は色々なポップ・ミュージックに造詣が深く、当時僕が愛読していたFMfanという雑誌の、ビルボードの最新チャートを見ながらあれこれ喋る、というコーナーを担当してて、実に色々な事(歌手だけでなく、プロデューサーやセッション・ミュージシャンも含めて)に詳しく、毎回貴重な蘊蓄を披露してくれたので、とても勉強になった。

前述した通り、シーナ&ロケッツはあまり興味なかったので、手持ちのレコードもほとんどない。唯一持ってたのがこの「Lemon Tea」である。当時も今も、これを聴く度に思うのだが、誰が聴いてもこの曲「Train Kept A Rollin'」だよね(笑) 作曲クレジットは鮎川誠になってて、オリジナルという事にしてるのだが、よく問題にならなかったもんだ。ネットとかない時代だったからかな(違うと思う) ま、確かに、ノリもスピード感も申し分ない名曲ではあるのだが...^^; 日本語の歌詞がちょいとエロティックに感じるのだが、こういうのも問題なかったのかな? SNSとか存在してなかったからか(だから違うって)

というわけで、お二人とも、安らかにお眠り下さい。

で、いきなりだが、最近買ったCDから。

If You're Feeling Sinister/Belle And Sebastian

最近、個人的には90年代に再び興味を覚えてまして(笑)、聴くのもジャンル問わず90年代物が多かったりするし、BSで『101回目のプロポーズ』の再放送見てたりなんかしてる(爆) 不思議なことに、音楽にせよドラマにせよ風俗にせよ、90年代物って80年代物ほど時代を感じる事が少ない。つまり、古臭く感じない、という事なんだが、90年代初頭バブルがはじけ、高度成長の頃からイケイケで常に前だけを向いて突き進んできた日本及び日本人が、いきなりストップをかけられたような時代、空白の10年とか言われて、経済成長が止まってしまった時代、実際1997年に30代から50代の、働いて消費する世代人口がピークとなり、それからずっと減少し続けている、というのもあって、何かこう、停滞しているような空気があった時代、この頃生まれた物(事)って、決してバブリーではなく、新しいんだけど、地に足のついたというか、堅実というか、冒険はせず確実に実利を取るというか、そういうのが主流だったような感じもあって、それが現在に至るまで変わってないので、結果として古く感じないのかな、なんて思ったりもするのだが、まぁたぶん、そういう事ではないのだろう(爆)

で、ベル・アンド・セバスチャン(以下ベルセバ)である。これは、1996年発表の2作目でメジャー第一弾であるらしい。このバンドの事は知ってたけど、音を聴くのは初めて。例の、レココレの90年代ベスト・アルバム200選にランクインしてて、興味を覚えたのだ。で聴いてみると、意外に60年代的な感触だったので驚いた。ちょっとサイケな感じもあって、ザ・フーとか思い出してしまったね。僕は60年代はリアルタイムで知らない(物心ついてない)ので、懐かしいという感覚はなく、あの頃の音を今再現してる、という感じ。ただ、それが古臭くなかったのが90年代の不思議なとこで、ジャンルは違うが、僕はシェリル・クロウ、パール・ジャム、ブルース・トラベラーといった当時のオルタナ系に、同じ事を感じていた。ベルセバも、そういう点では似てる。当時、既に30を超えていた僕がそう感じたくらいだから、当時の若者たちは、もっと新鮮に感じたのではなかろうか。一時的な流行より普遍性を重視した音楽。それが90年代には先端であったのだ。

このベルセバ、これまた90年代には多く見られたけど、中心人物が一人いて、他のメンバーは流動的らしく、ま、要するにソロ・プロジェクトみたいな感じかな。こういう形態の方が、音楽性を守り抜いていくには良いのかも。アルバム制作だツアーだと周囲の意向に振り回される事も少ないだろうし。

僕個人の印象だと、90年代以降、ミュージシャン達のアルバム発表のサイクルが長くなったと思っていて、じっくりと作品を練り上げて満足いくまで時間をかける、というのが当たり前になってきたという事だろうし、以前であればレコード会社の意向とかもあって、短期間でアルバムを仕上げざるを得なかったのが、メジャーなレコード会社に所属しなくてもレコード制作が可能になった、というのもあり、ミュージシャンたちが主体的に活動出来る条件が整った訳で、結果、寡作なミュージシャンが増えた。ファンも移り気ではなくなったし、そういう意味でも90年代は、実は色々な変化・改革があったのだ。

という訳で、ベルセバにはあまり触れてないね(笑) 60年代の音楽を連想する、と前述したが、派手ではないが、じわじわと来るタイプなのではないかと思っている。気がつくと、またCDに手を伸ばしているような。こんな音楽が出てきたのも90年代の特徴ではないかな。

90年代も遠くなってしまった...

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ジェフ・ベックを悼む

2023年01月15日 21時50分00秒 | 時事・社会ネタ

またしても訃報である。あのジェフ・ベックが亡くなった。享年78歳。細菌性髄膜炎らしい。報道によると、急に罹患して亡くなったようだ。文字通り急死だ。覚悟はしていたようでも、やはりショックである。謹んでご冥福をお祈り致します。

テレビ等の報道では、必ずと言っていいほど”3大ギタリスト"と紹介されていた事でも分かるように、ジェフ・ベックは昔から偉大なギタリストとして有名だった。僕もロックを聴き始める前からジェフ・ベックの名前は知っていた。何故かは分からないが。まともに聴いたのはBBAの「迷信」が最初と思うが、その後すぐ『ワイアード』が出て、僕ら当時の中学生はジェフ・ベックの虜になってしまった。いや、確かに、『ワイアード』の衝撃は凄かったのだ。特に「レッド・ブーツ」や「蒼き風」の2曲。この2曲がFMでかからない日はなかった、と断言してもいいくらい。ギター持ってた奴らは皆この2曲を一所懸命コピーしてた(笑)

僕はというと、皆と同じように、『ワイアード』の衝撃は受けていたし、翌年出たヤン・ハマーとの『ライブ・ワイアー』もFMで聴いて、カッコいいなぁと思ってたので、ジェフ・ベックは結構好きだったのだが、心酔するには至らなかった。それが変わったのは、遅ればせながら『ブロウ・バイ・ブロウ(ギター殺人者の凱旋)』を聴いてからである。

忘れもしない、僕が『プロウ・バイ・ブロウ』を初めて聴いたのは、1978年の4月頃のことだった。発表されてから約3年過ぎてたけど^^; いやもう、一発でKOされましたね。一曲目の「分かってくれるかい」のイントロのギターのカッティングにドラムのフィルが被ってくるあたりで既に昇天してたと思う(笑) それからは毎日のように『プロウ・バイ・ブロウ』を聴いてた。ちょうどフュージョンが流行り始めていた時期で、僕自身ハード・ロック離れを起こし始めていた頃でもあり、この手の音楽は実に新鮮だった、というのもあるが、とにかく中味が素晴らしかった。何から何までとにかくカッコ良くて衝撃だったのである。ギター・インストというのは特に珍しくなかったと思うが、ロック畑のベックがジャズ的なアプローチで、ジャンル分け不能、正にクロスオーバーなサウンドを提示したこと、それもロック系ミュージシャンだけで、そういうアルバムを作ってしまったこと、これは後から考えてみると、凄いことだったのだ。そう、あの頃のベックは凄い人だったのである。"3大ギタリスト"の中では、一番先鋭的な感覚を持っているように思えた。ただ、『ブロウ・バイ・ブロウ』関しては、ベックもさることながら、他のミュージシャン、特にドラムのリチャード・ベイリーのプレイに耳がいっていたような気もする。ちょうどドラムを始めたばかりだったしね。

その後ひたすらベックに熱中してたか、というと意外とそうでもなく^^;、数年経ってから、旧作を色々と聴いていくようになって、いつの間にかジェフ・ベックはフェイバリット・ミュージシャンになっていた。アルバムだと『ジェフ・ベック・グループ』が一番好きかな。1989年に久々に出た『ギター・ショップ』は、発売とほぼ同時に買って聴いたが、今イチだった。ギターは相変わらず唸りを上げているのにバックがとても冷めてるような気がした。『プロウ・バイ・ブロウ』や『ワイアード』みたいな、火花散るインタープレイの応酬、ようなのが感じられなかったのだ。そのせいかどうか知らんが、ベックはそれから約10年間沈黙する。

1999年に『フー・エルス!』で復活してからの、いわばデジタル・ロック路線以降のベックもずっと聴いてた。思い出すのは、2000年12月の来日公演で初めて生でベックを見たこと。感激したなぁ。思えば、あの時47歳くらい。実に若々しかった。万年青年って感じ。個人的には、ジャクソン・ブラウンとジェフ・ベックは見た目が変わらないミュージシャンの双璧である。

僕がベックを好きなのは、その音色、フレーズ、などにいちいち興奮してしまうからだ。ハードロックだろうがクロスオーバーだろうがデジタル・ロックだろうが、ベックはいつも変わらぬプレイを聴かせ、僕はそれを聴くたびに興奮させられている。いつだって気分が高揚してくるのである。『フー・エルス!』以降のアルバムも全て聴いているが(ライブは除く)、どれを聴いても同じ事を感じる。そのギターをミュージシャンたちが対抗しながら盛り上げていくのが理想。

という点では、復活後のデジタル・ロック路線にも多少は不満もあって、前述したけど、僕は他のミュージシャンとベックによる火花散る演奏が聴きたいのである。さすがに、テリー・ホジオと一緒にやったライブは、かなりテンション高い演奏が楽しめるけど、こういうのでなければ、ベックはボーカルがいる時の方がいい味出してると思うので、複数のゲスト・ボーカルを迎えた『エモーション&コモーション』や若手ミュージシャンと組んだ『ラウド・ヘイラー』といったアルバムの方が好きだ。とにかく、ベックがただ一人でギター弾いてるだけ、なんてのは面白くない。

最近では、ジョニー・デップと共演したアルバムを出したりして、かなり意外だったけど、デップと張り合ってテンシン高いプレイを聴かせているのかな、なんて思っていた矢先の訃報であり、なんというか、見た目のせいもあり、この人は死なない、みたいに思ってたので、その分ショックもデカい。年を取っても、大御所みたいにならずに、ひたすらギターを引き続けていた、その姿は正にミュージシャンの鑑である。

という訳で、また一人偉大なミュージシャンが天に召されてしまった。

ジェフ・ベックを偲んで、となると「哀しみの恋人たち」といった曲の方が雰囲気出るが、個人的にはこの曲好きなので。

Jeff Beck - Diamond Dust - London (1976) - YouTube

映像はないけどライブらしい。貴重かも。

安らかにお眠り下さい。合掌。

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新聞がなくなる?!

2023年01月09日 13時13分18秒 | 時事・社会ネタ

大変遅くなりましたが、明けましておめでとうございます。本年も当ブログをよろしくお願い致します m(_ _)m

それにしても、年が明けてからあっという間に松の内が明けてしまった^^; 早いものである。今年もまた、こんな感じで一年が過ぎるのだろうな。

年明けと言えば、明けて早々にこんな記事を見た。

1年で200万部減「新聞離れ」は止まらず 「一般紙」は15年後に消える勢い(亀松太郎) - 個人 - Yahoo!ニュース

ま、簡単に説明すると、日本の新聞の発行部数が減少の一途で、このままでは一般紙は15年後にはなくなってしまうぞ、という内容である。新聞を発行している新聞社の、本業による主な収入は購読料と広告料なので、発行部数が減っていけば、その両方とも落ち込むので、当然経営も苦しくなる訳だ。これは最近言われ始めた事ではなく、20年以上も前から業界内では公然の事実であり、2007年か2008年頃には、新聞をはじめとする紙媒体への広告出稿量が、ネットに抜かれてしまったりもして、新聞業界の衰退は何年も前から始まっていたのだ。よくここまでもったなぁ、というのが正直な感想。新聞は何年も前から既にオワコンなんである。

個人的には、新聞をはじめとする日本のマスコミは腐っていると思ってるので、新聞が消滅しても全く構わない。日本の新聞(マスコミ)ときたら、偏向した思想に基づく偏向報道が目に余るし、記者クラブとかを作って自分たちだけでネタを独占してたりするし、日本は報道の自由がない、などと言いながら、報道しない自由は最大限行使してるし、二言目には言論の自由とやらを主張するくせに、自分らの気に入らない発言をする人物は徹底的に抹殺しようとするし(最近だと自民党の杉田水脈議員が良い例だ)、勝手に国民の代弁者みたいな事を言うし、他にも言いたい事はたくさんあるが^^;、とにかく中立公正でないマスメディアなど必要ないのであり、新聞が消えようと、新聞社が倒産しようと、別にどうでもいいのである。

ただ、ちょっとややこしい事情もあって、僕が勤務する会社が、実は新聞業界にかなり世話になっていたりなんかする。新聞印刷工場に設備を納入しているのだ。あまり詳しく書くとばれてしまうので(笑)、この程度にしておくが、つまり新聞が消えてしまうと、我が社の売上にも影響するのだ。現に、ここ何年か、新聞関連の売上は正に減少の一途であり、会社としてはかなり以前から新聞業界に見切りをつけて他業種にシフトしていて、新聞関連の売上が落ちても、大勢に影響ないようにしている。とはいえ、ゼロになった訳ではないので、やはり新聞業界の衰退は死活問題でもあるのだ。僕個人としては、非常に矛盾した状況に置かれているのである(笑)

こういう問題とは別に、新聞業界というか、新聞製作の現場でも色々と問題を抱えている。発行部数が減ったとはいえ、ゼロになった訳ではないので、新聞発行自体は続けていかねばならない。が、それが非常に厳しい状態なのであり、一番の問題は労務関係、要するに、人手不足なんである。皆さんご存知のように、新聞の朝刊は朝配達されるので、真夜中に印刷している。前日の夜11時頃から日付変わって2時頃までが、朝刊印刷の時間帯であり、それからトラックで販売店に運ばれて、そこから各家庭に配達される。これを毎日休みなく続ける訳だ。つまり、新聞印刷及び新聞輸送・配達という、新聞事業にとって最重要な業務が、深夜・早朝勤務加えて年中無休という、考えようによっては、かなりキツい職場なんである。そのキツい職場では、常時従業員の募集をしているのだが、典型的な3K(古い^^;)のせいか、全く採用出来ないので、仕方なく高齢のベテランに働いて貰っている、とうのが現状。このままでは、新聞社が倒産する前に、新聞を配達出来なくなってしまう。

ちなみに、近年少なくなったけど、新聞には夕刊もある。夕刊は夕方配達するので、印刷するのはその日の昼間だ。なので、勤務する人は、深夜に朝刊印刷を行い、そのまま会社に泊まって翌日の昼間夕刊を印刷してから退社する、というローテーションになる。これもちょっとキツい。

新聞の価値がどうなのか、という問題はさておき、読者がいる以上新聞は発行しなければならない。しかし、現実には人手不足の問題がある。そこを是正して、昔からの体制にこだわるのではなく、確実に問題を解決出来る方向に、新聞社は進むべきなのだが、僕の知る限り、新聞社の人って、危機感があるのかないのか、部数減の問題にしても、本当に真剣に対策を考えてるのかどうか、とても怪しい。部数を維持する為に、学校と手を組んで、授業に新聞を使う或いは入試問題等に新聞記事を引用する、といった策を弄しているらしいが、なんか見当違いな気がする。新聞社の人たちは、若い人たちに何故新聞を読まないのか(取らないのか)、実際に聞いてみた事はあるのだろうか。

という訳で、とりあえず、現場の問題を解決する案として、下記はどうだろうか?

①朝刊を止めて、夕刊のみとする。
②日曜祝祭日の新聞発行を止める。

これを実現させれば、少なくとも、現場の労務問題は解決の方向に向かうはずだ。年中無休の深夜勤務がなくなり、平日昼間の勤務が基本となる。それなら応募してみようか、という人も増えるのでは。しかも、現場では新聞印刷だけなので、時間外勤務はほとんどない。管理職でなければ、定時に出勤して定時に退社する事が出来る。たまに号外とかあるが、ほんとにたまに、だし、今でも余程でなければ号外を刷らない、という社も多い。オリンピックとかワールドカップとか、予め予定が分かっているもので、日本が勝ったら号外とかメダル獲ったら号外とか決めてあるケースがほとんどだ。つまり予期せぬ残業はまずない。昨年7月の安倍元総理暗殺事件なんて、レア中のレア。製作現場だけでなく、新聞輸送のトラック運転手や配達する新聞販売店の人たちにとっても、平日昼間の勤務が基本になれば、かなり負担は減るだろう。

また、労務問題だけでなく、深夜及び休日の工場稼働がなくなるので、電気代などの経費も削減出来るのではないか。良い事づくめである(笑)

いつ頃からか知らないが、新聞は朝読むものだった。が、いつからか、そうではなくなったと思う。個人的な経験で言うと、僕は、平日に朝刊を見る事はほとんどない。朝は出勤前の支度等々でバタバタしてるし、朝刊の記事って前の晩にテレビ等で知っているものがほとんどなので、わざわざ見る必要もない、というのが理由。これは昔からそう。90年代までの日本では、朝の通勤電車の中で新聞を読むサラリーマンを多く見かけたが、これはおそらく通勤時間が長いので暇つぶしだろう。朝、新聞を求めている人は、夜ニュース番組が始まる前に寝てしまう朝の早い人、くらいなのではないか。けど、夕刊は多少需要がある。またしても自分の経験からで申し訳ないが^^;、僕は夕刊は結構読んでた。昼間はテレビ見ないので、夕刊の記事が新鮮だし、文化・教養関連記事が充実してるので、つい読んでしまうのだ。朝刊に比べるとページ数も少ないので読みやすい、という利点もある。なので、思い切って朝刊止めて夕刊のみにした方が、読者にもメリットあるのではなかろうか。

と、こんな事を考えているのである。朝刊止めて夕刊だけにする場合、購読料とかページ数とか広告掲載とか、色々とクリアしなければならない問題はあるが、それほど難しい事ではあるまい。部数減少によって経営も考えねばならない訳で、夕刊のみの発行とする事で、労務問題を解決しコストを抑え、部数が減っても体制を縮小しながら発行を続けていく方針に転換しなければ、生き残りは難しい。他の業界では昔からやっている事だ。新聞業界って、実は特殊(悪い意味で)なのである。前述したけど、当の業界の人たちが、それを自覚してないのも困ったものだ。新聞社だけでなく、メーカーなども同じ。今のままでは危ない、と言ってはいるけど、具体的には何も考えていない。発行形態とか業界内部での常識・風習といったものに、メスを入れる気はないのである。今や、新聞というメディアの信頼度は地に墜ち、読者も大きく減っている。新聞業界がビンチになっても、誰も助けてくれないのだ。そのことを新聞業界人は分かってない。海外では、新聞の発行部数を維持する為、政府が国民に新聞購読を奨励し、購読費の補助を行っている国もあるらしいが、日本ではそんな事はしないだろう。政府はともかく、新聞社側が権力との癒着がどうたら、とか噴飯物の理屈をつけて拒否するだろうしね。

前述したように、新聞はもうオワコンであり、業界人自らが改革しなければ、衰退していくだけである。今のままでは、新聞がなくなっても誰も困らない。なんとか生き残ろう、そのためには皆に購読して貰うように頑張ろう、と努力する姿勢を見せなければ、何も始まらないのだ。でないと、本当に15年後には新聞が消えてしまう。ま、その頃には、さすがに僕も引退してるだろうから、どうでもいいと言えばどうでもいいのだが(笑)

ま、今が正念場と思うよ、新聞業界は。

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R. I. P.

2022年07月10日 12時46分05秒 | 時事・社会ネタ

皆さんご存知の通り、元内閣総理大臣の安倍晋三氏が、選挙応援演説の最中に、狙撃されて亡くなった。正に「凶弾」である。このような形で、偉大なる政治家の命が絶たれた事に、大きな怒りと恐怖、そして虚無感を感じる。狙撃犯はすぐに身柄を拘束され現在取調中とのことだが、どう考えても個人の犯行とは思えない。犯人を洗脳し、資金援助し、情報提供した存在が背後にあるはずだ、と思う。これについて今後、徹底的に捜査を行い、当人だけでなく、関係者や組織の存在も洗い出し、背後関係等も全て解明し、実行犯を含む関係者を全て厳罰に処し、とにかく厳しい態度と姿勢で臨むべきである。現役の政治家が暗殺されるだなんて、これは言論弾圧以外の何者でもない。誰もがコメントしているが、民主主義に対する冒涜であり挑戦である。この事件の関係者を全て検挙し裁判にかけた上で処罰すること、そして今後同じような事が起こらないように、法整備等を進めていくこと、これが徹底して行われなければ、民主義国家でも法治国家でもない。これを見ている人の中にも、安倍氏は好きでない、政治信条が合わない等の考えの人もいるだろうし、安倍氏は国政から退くべきだ、と思っていた人も多いだろう。しかし、そういった人たちも、このような形で安倍氏がフェートアウトするのを望んでいた訳ではないはずだ。これはテロだ。テロは絶対に許してはならないし、日本でテロを起こしてはならない。思想信条を超えて、日本人はテロ撲滅の為に団結しなければならない。

安倍晋三氏は、本当に偉大に政治家だったと思う。安らかにお眠り下さい。

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イアン・マクドナルドを悼む

2022年02月13日 21時05分14秒 | 時事・社会ネタ

またしても訃報である。あのイアン・マクドナルドが亡くなった。享年75歳。癌を患い闘病中だったらしい。ニューヨークの自宅で、家族に囲まれながら安らかに息を引き取ったそうな。偉大なるミュージシャンがまた一人いなくなってしまった。謹んでご冥福をお祈り致します。

イアン・マクドナルドと言えば、なんといっても、まずはキング・クリムゾンだろう。オリジナル・メンバーとして1969年のデビュー・アルバム『クリムゾン・キングの宮殿』に参加し、50年以上を経た現代に於いても超名盤としての評価を欲しいままにするデビュー・アルバムに多大な貢献をした。曲作りはもちろん(収録曲の作曲クレジットは、は基本的にはメンバー+ピート・シンフィールドとなっているが、タイトル曲と「風に語りて」はイアン・マクドナルドとピート・シンフィールドの二人だけのクレジット)、演奏面でもマルチ・プレイヤーとしての才能を発揮している。アルバムのクレジットを見ると、イアン・マクドナルドの担当は“reeds, woodwind, vibes, keyboads, mellotron, vocals”となっていて、これだけでも十分だが、ギターのクレジットはない。けど、「エピタフ」や「宮殿」のアコースティック・ギターは、実はイアン・マクドナルドが弾いている、という話もあり、実はクリムゾンはイアン・マクドナルドのバンドだったのだ、とも言える訳で、実際、イアン・マクドナルド(とマイケル・ジャイルス)が脱退すると言い出した時、ロバート・フリップは、それなら自分が辞めるから思いとどまって欲しい、と逆に提案したそうな。当然ながら、フリップも分かっていたのだ。クリムゾン=イアン・マクドナルドなのだ、という事を。

僕もクリムゾンに関しては完全に後追いなので、フリップのコンセプトの元に動いているバンド、と思い込んでいたのだが、『宮殿』を買った際、前述のクレジットを見て音を聴いて、バンドの中心はイアン・マクドナルドだったのだ、とようやく理解した。地味だけど凄い人だったのだ。

キング・クリムゾンを脱退してから、マイケル・ジャイルスとの『マクドナルド・アンド・ジャイルス』を発表。こちらも一見地味ながらも名盤であり、人気も高い。1971年の発売以来、一度も廃盤になっていないというから、その人気のほどが窺える。個人的には、かなり後追いで聴いたのだが、「明日への脈動」とか好きです。

そして、時は来たりて1977年、イアン・マクドナルドはフォリナーの結成に参加する。バンド自体はミック・ジョーンズが中心で、イアン・マクドナルドはいわばサポート役、共同プロデューサーにも名前を連ねているが、完成した1stアルバムに於いて、少なくともサウンド面では、イアン・マクドナルドはさほど目立っていない。元クリムゾンのメンバーがいる、という事で話題になり、フォリナーに注目した人も多かったようだが、フォリナーの音には、特にプログレらしさとかクリムゾンらしさとかは感じられなかった。サックスやフルートを演奏している曲も2~3曲で、それ以外はギターを弾いていたようだ。ただ、少ないとはいえ、イアン・マクドナルドのフルートをフューチャーした「スターライダー」はアルバム中でも聴き物のひとつであるし、ライブでも目玉となっていた。また、アルバム中1~2曲は、イアン・マクドナルドが作曲に関わった曲が収録されていて、それらの曲が良いアクセントとなり、アルバムに深みを与えていた。クリムゾンの頃とは違うけど、やはりバンドに多大な貢献をしていたのである。

イアン・マクドナルドは、1980年頃までフォリナーに在籍し、3枚のアルバムに参加した。ポップでキャッチーだけど、それだけでもないフォリナーの音楽に、欠かせない存在となっていたように思えたので、脱退後の『4』を聴いた時、このハード路線が、イアン・マクドナルドの志向に合わないので脱退したのだろう、と解釈していたが、後にミック・ジョーンズが「イアンには非ロック的部分での貢献に期待していたが、段々それも叶わなくなってきた」と発言しているのを見た事があり、それが本当だとすると、ハード路線に行きたかったのは、イアン・マクドナルドの方だった、という事になる。『4』でのハード路線は、イアン・マクドナルドがいなくなったので、結果的にそっちに行かざるを得なかった、というのが真実なのか。3作目の『ヘッド・ゲームス』では、あまりにもイアン・マクドナルドがギターを弾きたがるもんだから、ミック・ジョーンズも困っていた、という話も耳にした。確かに、ギターが目立つアルバムではあったけど、ミック・ジョーンズからすると、ギタリストは2人もいらない、ってとこかな。今となっては、どうでもいい事ではあるが。

そういえば、数年前のフォリナー同窓会ライブに、イアン・マクドナルドは参加してたのか?

フォリナー脱退後は、目立った活動はなかったけど、1999年にキャリア初のソロ・アルバムを発表した。

Drivers Eyes/Ian McDonald

非常に申し訳ないのだが、このアルバム、出たのは知ってたが聴いた事はない。なかなか力作のようで、色々なゲストが参加しており、フォリナー時代の盟友ルー・グラムも一曲で歌ってるとか。聴いておけばよかった。ちなみに、イアン・マクドナルドの訃報を受けてのことか、アマゾンの売れ筋ランキングに、昨日あたりからこのアルバムが登場している。

ソロ・アルバムといえば、ウィキペディアによると、2019年にも『Take Five Steps』というアルバムを出してるらしいが詳細は不明。

その後、21世紀になってから、“21世紀の精神異常者バンド”を結成してツアーしてたのは、皆さんご存知の通り。日本にも来たよね。

やや地味だけど、イアン・マクドナルドは非常に才能あるミュージシャンだった。目立つのが好きでないのか、作品も少ないのは事実だけど、今回の訃報に際し、あちこちのニュースの見出しの大半が、クリムゾンとフォリナーだけの人、みたいな感じで、かなり不満はあるが、一般的な認識はその程度かも。ま、仕方ないと言えば仕方ないが、それではあまりにもイアン・マクドナルドが気の毒なので、これを機に再評価されることを望みたい。

ところで、プロデューサー等の裏方としても活動していたイアン・マクドナルドだが、なんと、90年代にはゲーム音楽を手がけた事もあったらしい。飲み仲間(笑)のゆーじさんが教えてくれました。こちらでそれに触れられていますので、是非ご覧下さい。

という訳で、また一人偉大なミュージシャンが、この世を去った。何度も言ってるけど、我々はその現実を受け止めていかねばならない。悲しいことだが。

余談だけど、イアン・マクドナルドが作曲したフォリナーの曲の中では、個人的にはこの曲が一番好きである。『ヘッド・ゲームス』収録。

Do What You Like

合掌

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