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MFCオーナーのブログ

Keep it Shinin' On!

2006年04月23日 00時09分01秒 | 音楽ネタ

Grandfunk

文句をたれつつも(苦笑)毎号買い続けるレコード・コレクターズ(以下レココレ)、今月号の特集は「70’sアメリカン・ハード・ロック」である。マジで近頃ネタないみたい(笑) 以前にも「パブ・ロック」「ジャーマン・ロック」「パンク/ニュー・ウェイブ」「ソフト・ロック」などなど、ジャンル別の特集が組まれていたが、そのジャンルのお薦めアルバムなんてのを紹介する時、あれもこれもと引っ張り出してくるので、結局焦点が絞りきれず、訳分かんなくなってしまうのが常だ。今回もその例に洩れず、70年代に活躍したアメリカのバンドは、ほとんど引っ張り出されている。さすがにイーグルスやドゥービーは入ってないが、良心が咎めたのだろう(笑) レーナード・スキナードまでハード・ロックの括りに入れるかねぇ。そりゃ確かに、当時の日本では、ロック・バンド=ハード・ロックという扱いだったけど。フォリナーやチープ・トリックのデビュー時にも、「ハード・ロックの新星」なんて謳っているメディアもあったくらいだ。ま、ジャンルの細分化・固定化が進んだ80年代以降はともかく、70年代のバンドなんて、才能あるバンドであればあるほど、色々な要素をそのサウンドに取り込んでいたから、どんなジャンルにも分類可能な訳で、でもそれをやりだしたら収拾つかなくなるし、結局ジャンル分けなんてものは無意味なのだ(やや意味不明)

とはいえ、アメリカン・ハード・ロックを語るのに避けては通れないバンド、というのがいくつか存在するが、グランド・ファンク・レイルロード(以下GFR)もそのひとつだろう。というか、明らかに70年代前半のアメリカン・ロックを代表する存在だったと言っても過言ではない。もちろん、今回のレココレでもGFRについては触れられている。だが、触れられているだけだ。前にも言ったけど、レココレってかなり偏りがある雑誌で、レココレ的に重要でないアーティストについては、まともに触れようとしない。ハード・ロックという括りでいくと、彼らにとって最重要なのはツェッペリンなのだが、今回はアメリカン・ハード・ロックがテーマなので、GFRあたりは適当にあしらって、MC5とかストゥージスとかカクタスとかに紙面を割いている。つまり、レココレ的にはGFRなんてどうでもいいバンドだし、語る必要もない、ということだ。レココレ編集部及び執筆陣の平均年齢は50歳前後と思われるが、この年代はリアルタイムでGFRを聴いているにもかかわらず、GFRを評価しようとしない。おそらく、GFRなんて単に音がデカいだけのバンドで、俺たちみたいな本格派ロックファンからすると子供騙し以外の何者でもない、と思っているのだね。ツェッペリンを聴くのが通で、GFRなんてお子様。似たような事があったねぇ。クイーンは女子供のロックで、本格派はツェッペリンだぜ、なんて堂々と言われてたような。ま、そういう“ロックを聴いてるヤツは偉い”という選民意識がこの年代、つまり今50歳前後の連中にはある。こういうヤツらが、後にビッグセールスを記録するバンド達を「産業ロック」とか「AOR」とか呼んで、さげすんだりしたのだ。これは全て渋谷陽一が悪いかのように言われてるけど、当時人気も影響力もあった渋谷の発言を利用して、影で世論操作を試みたのはその他大勢の評論家たちだった、と僕は思う。何故なら、渋谷は著書の中で、“どんなに優れていても売れなければ意味がない”と明言しているからだ。彼はフォリナーやジャーニーというバンドが好きでなかっただけで、否定していた訳ではないのだ。

と、前置きが長くなってしまった(笑) つまりGFRである。個人的には大好きなバンドだ。3人組時代の、ゴリゴリにハードに押しまくる彼らも好きだが、4人組になってポップ味を加えた彼らも好きだ。実際、60年代末から70年代にかけて、一大ブームとなっていたハード・ロックに於いて、アメリカ産のハード・ロックとして最初に成功したのはGFRだ。デビューしてからアッという間にスターダムに駆け上がったGFRは、スタジアム級の会場で最新のPAシステムを使って、テンション高いライブを繰り広げる。世界で最も音のデカいバンドとして、ギネスに載った事もあったらしい(笑) 音もイメージも何もかも分かりやすいのが、GFRの特徴であった。今回のレココレにも、GFRを評して「ロックの最も原初的なカタチ」と言っているが、それはその通りと思う。ロックの初期衝動を単純に音にして、そのままぶつけてくる。ある意味、とてもピュアなバンドであり、ロックであった。ただ、残念なのは、GFRがそれ以上の評価をされずに終わってしまった事だ。 

GFRは単純明快なハード・ロック・バンドには違いない。だが、中心人物のマーク・ファーナーは同時に優れたソング・ライターでもあった。3人組時代のオリジナル曲は、ほとんど彼が書いている。「ハートブレイカー」「アー・ユー・レディ」「タイム・マシーン」「パラノイド」...どの曲もフックがきいて実に印象的な曲ばかりだ。この頃の彼らは、シングルヒットは少なかったけど、アルバムは全てTOP10に入るベストセラーとなっていた。ライブの人気がレコードセールスに結びつかない例は多いけど、GFRはそんな事なかったのだ。パフォーマンスだけでなく、その音楽も評価されていたという証明である。
また、アルバムを聴いてみると分かるけど、ブルースマナーに則った曲や、アーシーな雰囲気を漂わせている曲も多い。R&Bに影響されてるのも分かる。つまり、マーク・ファーナーは、ルーツ的な要素も取り込みながら曲を書いていたのだ。単にスリーコードでわめき散らしていたのではないよ。そう考えると、GFRは実にオーソドックスなアメリカン・バンドだったのだ、と言える。ハード・ロック・バンドとしての一面ばかりが語られるが、それだけではGFRの本質は見えてこない。

その後、GFRはキーボードのクレイグ・フロストを加えて4人組となり、トッド・ラングレンのプロデュースのもと、「アメリカン・バンド」「ロコモーション」を全米No.1ヒットにし、名実共にアメリカのトップバンドとなる。この頃のGFRは、ドン・ブリューワーが作曲&ボーカルも担当するようになり、音楽の幅を広げてスケールアップしたサウンドを聴かせている。キャッチーで分かりやすく聴きやすいロック。これこそ、後に「産業ロック」と呼ばれる事になるロックのプロトタイプである。キッス、チープ・トリック、ジャーニーといったバンドたちに道を開いたのはGFRだったのだ。これは、意外と語られる事のない功績である。

僕がGFRを知ったのは、1976年『驚異の暴走列車/Born To Die』が出た直後の頃。このアルバムからシングルカットされた「テイク・ミー」をFMで聴いて、あまりのカッコ良さにブッ飛んでしまったのが最初だ。悲しいかな、このとき既にGFRの全盛期は過ぎており、その後間もなくして解散してしまうのだが(後に再結成)、それより以前の曲も色々聴くうちにすっかりファンになった。以来、ずっと好きなバンドのひとつである。周囲にGFRのファンがいなかったせいか、余計に好きであり続けたのかもしれない(ここいらはフォリナーの例と似てる...爆)。周りにファンが大勢いると盛り上がる人と冷めてしまう人がいると思うが、僕は完全に後者だ(笑) ま、それはともかく、非常にいいバンドと思うので、皆さんにも是非聴いて貰いたいと思う次第である。お薦めは全部!と言いたいが(笑)、個人的には4人組時代のアルバムを特にお薦めしたい。中でも、ホーンセクションなども導入してファンキーな色合いを強めた『輝くグランド・ファンク/Shinin' On』『ハード・ロック野郎~世界の女は御用心/All The Girls In The World BEWARE!!!』の2枚は群を抜いて素晴らしい。聴いてちょ。

そんな訳で、GFRは最高のアメリカン・バンドなのである。

Keep it Shinin' On!

コメント (21)
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