日々の覚書

MFCオーナーのブログ

久々に日本シリーズを観戦してあれこれ思う

2021年11月23日 11時12分13秒 | スポーツ

今年もプロ野球日本シリーズが始まった。パ・リーグはオリックス、セ・リーグはヤクルト、という組み合わせは、思い起こせば1995年以来26年振り! あの時、両チームの監督は、ヤクルトが野村克也氏、オリックスが仰木彬氏で、今は共に故人である。1995年のその日本シリーズに選手として出場したヤクルトの高津投手、オリックスの中嶋捕手が、現在それぞれがそれぞれのチームの監督を務めていて、日本シリーズで対決するとは、何か因縁めいたものを感じるなぁ、と思っていたら、テレビの中継でもアナウンサーが同じ事言ってた(笑) 正直言うと、現役時代の高津・中嶋の双方とも、将来監督になるなんて、全く想像もしていなかったな^^; 野村氏或いは仰木氏の教えをちゃんと受け継いでいるのだろうか?

今年のシリーズの話題は他にもあって、前年のシーズンで最下位だったチーム同士の組み合わせというのもシリーズ史上初らしい。昨今あまりプロ野球を見てないので知らなかったが^^;、今年優勝したヤクルトもオリックスも、去年は最下位だった。しかも、両チーム共、2年連続の最下位である。そのリーグ戦2年連続最下位だったチーム同士が日本シリーズで対戦するという訳だ。そりゃ盛り上がるよね(笑)

僕が一番プロ野球を見ていたのは、1980年代から90年代。80年代までは日本のスポーツ中継と言えば、ゴルフか相撲か野球だった。プロスポーツも少なかったし。90年代に入ると、Jリーグが発足してサッカー人気が盛り上がり、スポーツ観戦が多様化し始めて、プロ野球も色々と変わっていった気がする。例えば日本シリーズである。

かつて、日本シリーズというのは、ナイターがメインのリーグ戦と違い、デーゲームで行われるものだった。巨人のような人気チームは、リーグ戦は休日でもデーゲームではなくナイターで、巨人のデーゲームなんて、オープン戦か地方巡業でナイター設備のない球場で試合をする時くらいのものだった時代にもかかわらず、日本シリーズはデーケームだったのである。巨人が一言申し入れればナイター開催にも出来たはずと思うが、何故かデーゲームだった。日本シリーズが現在のようにナイター開催になったのは1994年のシリーズから、と記憶している。

この年、セ・リーグは巨人、パ・リーグは西武という組み合わせでの日本シリーズで、第1戦・2戦及び6戦・7戦がデーゲーム、3戦・4戦・5戦がナイターだった。つまり、休日の試合はデーゲーム、平日の試合はナイター開催という変則的なスタイルだった。で、翌1995年のヤクルトとオリックスによるシリーズは、全試合ナイターで行われた最初のシリーズとなった。以降、日本シリーズは全てナイターで行われているはずだ。

何故、長い事デーゲームで開催していた日本シリーズを、この頃からナイター開催に変更したのか。もちろん、僕は理由は知らない。確かに、平日のデーゲームだと、昼間家にいないサラリーマンや学生は試合が見れない。土日でも、デーゲームなので昼間用事を作る訳にいかず、結局休日は日本シリーズだけで終わってしまう。見る側からすると、こういう問題がある。視聴率だってデーゲームよりナイターの方が高いだろう。選手だって、慣れてるナイターの方がやりやすいのでは。けど、日本シリーズはデーゲームだったのだ。

ただ、昔は、日本シリーズというとリーグ戦とは違う、なんというか、緊迫した雰囲気が漂っていたのは確かで、もちろん日本一を決める、という最終決戦だから当然なのだが、普段と違うデーゲームというのが、普段と違うムードを醸し出していたのも事実のような気がする。そんな一種異様なムードに呑まれて、選手は普段の力が出せない、監督はシリーズ用にオーダーをいじったりした結果自滅、なんて事になったりして、正に何が起こるか分からなくてハラハラドキドキ、それが日本シリーズというものだった。日常的に行われているリーグ戦とは全く違う試合が行われていたのである。

日本シリーズがナイター開催になった1994年以降、ハラハラドキドキを感じる事が少なくなっていった気がする。おそらく、デーゲーム開催という非日常感が、日本シリーズに緊張感をもたらしていたのだろう。

余談だが、80年代の日本シリーズは、だいたい10月下旬から11月上旬にかけて行われていた。僕の印象では、学生の頃、日本シリーズは学園祭の時期と重なっていた。つまり、10月最後の週から始まって11月3日頃まで。毎年必ず同じ、というのでもなかったけど。この時期だと、たとえ昼間でも昔はそこそこ寒かった。ドーム球場も少なかったし。だから、ナイターではなくデーゲームにしてたのだろうか。昼間なら夜よりは暖かいだろう、ってな感じで(笑) 

久しく日本シリーズ見てないけど、ナイター開催が当たり前になってからシリーズ開催時期が遅くなった気がする。もちろん、リーグ戦130試合だった昔と違い、今は交流戦とかもあって、試合数も増えてるだろうから、遅くなるのは仕方ないのかもしれないが、反面、雨で中止になる試合は圧倒的に少ないはずなので、試合消化のペースは昭和の頃よりずっと早いはずだ。開幕も昔よりは早いし。という訳で、11月の野球観戦はドーム球場でないと寒くて厳しいと思うので、なるべく、日本シリーズは10月開催にした方がいい、と思うのであります(笑)

ついでに言ってしまうと、昨日沢村賞が発表された。オリックスの山本投手である。今シーズンの成績は申し分のないものだったので当然であるが、何故この時期に発表するのか、というのが疑問。昔の話ばかりで恐縮だが、リーグ戦の表彰選手(MVP、ベストナイン、沢村賞等)は日本シリーズが終わってから発表されていたような気がする。それに、いつ頃からかは分からないが、ドラフト会議もシリーズ前にやってるね。なんかヘンな気がするけど、ま、いいか。

という訳で、今年のヤクルト-オリックスの日本シリーズ第3戦は、今日神宮球場で行われる。絶対寒いと思うので、選手も観客も防寒はしっかりして欲しいと思う。思い起こせば、この2チームが前回対戦した1995年の日本シリーズは、10月終わり頃の開催だったかと思うが、第1戦と2戦の場所は当時オリックスの本拠地だったグリーンスタジアム神戸で、ここ結構山の中にあるので、ナイターは見るからに寒そうだった。テレビでも伝わってきたくらい^^; あの時、オリックスはイチローが封じられた事もあって、ヤクルトに歯が立たず、1勝しか出来ずに敗退した。今年は26年越しのリベンジなるか?! 

思い出したついでに(笑) 1995年の日本シリーズでオリックスは1勝しか出来なかった、と書いたが、その1度だけ勝った試合、確か神宮球場での第4戦で、ヤクルトが3連勝で早くも王手をかけていて、なんとなく圧倒的な力の差を感じてたので、ヤクルト4連勝で日本一になるのでは、というムードが漂う試合でもあった。ま、細かい試合経過は覚えてないので省くが(笑)、同点のまま延長戦となり、10回裏あたりのヤクルトの攻撃で、得点圏にランナーを置いてオマリーが打席に立った。ご存知、阪神で活躍し首位打者にもなったが、優勝を経験したい、とヤクルトに移籍したビル・クリントン似の選手だ。オリックスのピッチャーは小林だったと思うが、おそらくこの場面、誰もがオマリーがサヨナラヒット打ってヤクルト日本一、と想像してたに違いない。実況もそんな雰囲気だった。いや多分、選手たちもそう思ってただろう。でも、結果はオマリー三振。誰もがヤクルト日本一が決まる、と思ってたけど、実はバッテリーだけはそんな事微塵も考えてなかったのだ。凄い場面だった。そしてオマリーが三振してチェンジになった時、僕はオリックスのバッテリーに申し訳ない気持ちになった。不利な場面ではあったけど、バッテリーは冷静にオマリーをアウトにする事だけに集中していたのだ。正にプロ。その次の攻撃でオリックスはついに一点勝ち越し、ヤクルトの4連勝を阻んだのである。バッテリーが圧倒的不利の中オマリーをアウトにした事で、諦めかけていた選手たちが目を覚ました事で呼び込んだ1勝だったと思う。先日の実況の時にも、アナウンサーが1995年の名場面として、小林-オマリーの対決について触れてたけど、マジ名場面と僕も思う。地味だけど^^;

今年の日本シリーズも、そんな名場面に期待してます^^ 両チームの選手の皆さん、頑張って下さい。寒いと思うけど(笑)


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