「じぇんごたれ」遠野徒然草

がんばろう岩手!

雨の慕情?

2007-04-13 15:40:00 | 遠野
 「雨、雨 降れ降れもっと降れ・・・」では困るのすっ・・・。

 本日も一箇所、どうしても探訪しておかなければならない城館跡があったのですが、雨天順延・・・・それでも現地までは行ったんですがね。

 小雨模様ということで、ひょっとして雨が上がるのではないかと期待して、しばしの休憩箇所にと入り込んだ道路脇の小道・・・おそらく旧道跡かと思いますが、石碑群がございましたので、画像をゲット・・・。




 古の人々、地域の先人達の思いと願いが込められた石碑



 金比羅大権現に三峰、山ノ神、愛宕山・・・
 奉庚申には寛政12年建立の文字と共に地元の方々と思しき2名の名が刻まれていた。
 寛政12年は西暦1800年、個人2人で石碑を建立、結構地域でも財力のあった家々なのかもしれませんね。


 さて、雨降りで焦っているわけでもありませんが、遠野郷の館跡探訪、ここ4年で実際に山野に分け入り、調査した館跡は、今現在で45箇所、ウエブサイトで公開したもの、しているもの含めて40箇所となっております。

 遠野市における城館跡約160に対しての40箇所余り、阿曾沼時代に限定すれば100程度と思われますが、それでも半分に少し足りないくらい、4年でこれですから、さらに4年はかかる計算になり、とにかく一巡をしたいが本音ながらも、なかなか体調やら気力、さらに天候と上手くかち合わないもどかしさを感じる今日この頃でもあります。

 また1度の探訪では満足のいく結果を得られるものでもなく、既に複数訪れている館跡も半数にのぼっている現状、まだ見ぬ館跡の存在を気にしながらも、確実にこなそうという矛盾もございます。

 館跡探訪の時期が時期だけに、雨の休日は、まさに私的に「雨の慕情」?かもしれません。

 ・・・・「私のいい人、連れて来い」


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愛宕山館跡&怪しい親父

2007-04-11 15:57:37 | 歴史・民俗
 遠野の愛宕神社といえば、町外れといいますか、綾織町新里との境にある愛宕神社が第一かと思いますし、遠野ブロガーさん達も何度かご紹介しておられます。

 当ブログでは初登場となりますが、私は館跡という観点にて、このほど探訪してまいりました。




 大きく立派な社殿を持つ愛宕神社
 遠野市綾織町新里・・・・創建は明らかではないと伝えられるも、阿曽沼広郷時代の建立とも語られる。
 江戸時代の延宝7年(1679)遠野領主、八戸直栄(直義)が再興したとされる。
 石段は正徳6年(1716)新町の豪商、両川覚兵衛が寄進とされる。

 さて、城館跡関連の資料に愛宕神社も館跡である旨の記述があり、やはりこちらも以前から気になっていたところでもありました。

 境内の広くなっているところは愛宕社を建立した際或いは後の時代に広くしたものと思われますが、猿ヶ石川沿いの急傾斜地の上部には所々、帯郭的な平場が点在、さらに社殿背部の1段高い山野の西側には帯郭が配され、さらに社殿横のこんもりとした山野にも2段からなる帯郭が取り囲んでいるのが確認できる。


 社殿背部の山野にある三角点


 東南側の帯郭


 社殿脇の山野、東南側から西側へかけて帯郭が取り囲んでいる。

 空掘は確認できなかったが、帯郭等の階段状の平場は、はっきり確認できる状態であり、明らかに館跡を示す痕跡が残されている。

 築館年代は阿曽沼時代か?、信仰的な内容も考えられるも、やはりひとつの拠点というべき砦的な役割を感じてしまう。

 いずれ、少なくても阿曽沼時代後期には館は停廃され、愛宕神社が建立されたものと推測されます。


 風の丘方面と猿ヶ石川


 清流猿ヶ石川




 それではもうひとつのお題・・・

 実は上郷方面と綾織方面の館跡調べに出かけたのですが、今回は、あくまでも資料による場所調べ、いわば下見というやつですが、それでも上郷方面では、兼ねてから早期に探訪したいと考えていた平倉舘跡は、実際に山野に分け入って探訪の腹つもりでもありました。

 早速目星をつけていた山野に突入、林道を利用して愛車ごと突入となりました。

 しかし、何処まで行っても、車から降りて徒歩で行こうとも、それらしき場所に至らず、仕切り直しを考えて一旦麓まで降り、近所の御宅へ声掛けを行なう。

 確か、職場後輩の奥様のご実家と思ったが、留守のようでした。
 そこへ乳母車を押したご年配の女性がやって来ましたが、まずは聞いてみることに・・・・

 私「あのなっす、このあだりで館跡があると聞いだども、しらねすかっ(あの、この辺りに館跡があると聞いたのですが、知りませんか)」

 老女「はっ、おら何もながんすちゃ(私、何もありません)、何もいらねすちゃ(何もいりません)」

 私「ちがうす、館跡、お城跡さがしです」

 老女「おら、しばらぐ、白粉もつけでねがら、化粧品はいらねがんす(私、しばらく白粉はつけてませんので、化粧品はいりません)」

 私「城跡です。知りませんか」

 老女「城跡、みだごどもきいだごともながんす」

 
 完全に私は物売りとかの怪しい人物と思われたらしいです。


 私「山の中に城跡があるそうですが、それを見たくて聞いてます」

 老女「おら、山もねばっ、きっこもえっこどながんす(私、持山もなければ木も全くございません)」


 今度は山林関係か何かで木を売ってくれとか山を売ってくれと最後に語る山林ブローカーか何かと思ったらしい・・・。
 これはダメだっ・・・と思い・・・

 私「あそこに見える鳥居はなんですか」

 老女「お稲荷さんでがんす、個人のお稲荷さんだども、誰のだがはすらねっす、ほだがらよ、誰もこねがら、賽銭もあがってながんすちゃ(お稲荷さんです、個人のお稲荷さんですが、誰のものかはしりません、誰もきませんからお賽銭はないです)」

 今度は賽銭目当ての怪しい輩となってしまった・・・・ここまでとぼけられる態度はすばらしいと思います・・・・笑
 昨今は悪徳訪問販売もございますからね、むやみに人を信じてはいけないと私も思います・・・笑

 ということで、丁重にお礼を述べてその場を後にしました・・・怪しく映ったかもしれませんが、物売りでもなければ、泥棒でもございません。
 これだけは信じてください・・・・汗

あっ、別れ際、ご年配の女性は、この間も誰か調べに来たようです。地区センターに行けば教えてくれるものと思います・・・みたいなことを仰ってました。
(最後はこちらの趣旨が理解できたようです・・・涙)




 仕切り直しで綾織砂子沢へ・・・・とある高台から石上山方面を撮影
 
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角地山の謎

2007-04-10 15:25:35 | 歴史・民俗
 角地山(かぐじやま)・・・「かぐずやま」と伝えられる山野には、館跡がある。

 昭和59年、遠野における城館跡を調査されたお二人の郷土史家が調査報告書としてまとめられた資料に記述がされておりますが、「かぐじ」とは「角地」という文字に表されるかは不明とあり、全くの当て字にて表現したようでもあります。

 今回、附馬牛町東禅寺大萩にあるという角地山館跡を探訪して参りました。


 館跡山野中途から撮影・・・大萩地内
 中央の杉山は大萩大館、隣の低い山は小館と思われます。


 さて、お二人の調査内容からすると市内に「かぐじ」と呼ばれる地名の箇所が何箇所か存在するらしいが他に土淵町栃内のみで確認はしていない。
 「かくじ」とは家の裏という意味があるらしいが、この大萩の場合、大萩大館と小館の館跡の存在が語られるも、この「かぐじ」に関しては、地名のみで誰も館跡の存在を知らなかったという。

 まさか自分の家の裏山が館跡だったとは・・・そんな場面に遭遇したものと思われますが、この「かぐじ」と呼ばれる地名の場所には必ず館跡があるという、お二人の郷土史家の先生も今後の研究課題ということにしたようですが、その後、どうなったのかは不明でもあります。


 大萩のかぐじ・・・・角地山館跡のある山野


 大萩大館、小館の探訪と思い、大萩地区に来てはみたが、大萩大館らしき山野を遠巻きにみると難儀しそうな感じがして、思わずその気力が失せてしまったが正直なところでした。

 しからば隣の小館か・・・と思うも、どうせなら二つまとめて探訪しないと意味がないということで、急遽、以前から気になっていた角地山に変更、その舘山探しが始まった。

 資料には、熊野、権現、稲荷の三つの社があると記されている。確かに綾織方面に向かって右手の山野には権現社が、さらにかなり手前には赤い鳥居も見える。
 熊野は何処か?、はっきり言って三つの社がまとまって鎮座しているものと思ったが、どうやら違う雰囲気、ここは長年の勘にて、常福院近くの山野に見える赤い鳥居側の山野から攻城を始める。

 赤鳥居はお稲荷さん、まさにそのとおり、稲荷社の背後の山野に分け入り、比較的歩きやすい雑木林を進むと、凹凸の形状が見え始める。
 う~ん、それらしい雰囲気はあるもイマイチ、少し斜面を登ると土塁と堀跡のような形状が飛び込んできた。

 「おっ・・・ここだ」我ながら「ぴったしカンカン」に自画自賛、埋もれかけた堀跡、西側の峰を断ち切る堀切、土砂が少し堆積はしているが数段の帯郭、まさに館跡がそこに広がっておりました。




 空堀跡

 雰囲気からすると遺溝の残存度は低めながらもその形跡は十分確認できる範囲、戦国時代のものか?と言いたいところであるが、遺溝の感じからしてもう少し年代は古い時代か、いずれ「かくじ」の名と共にその事績は皆無、向いの大館と小館との関連は?古刹東禅寺との関わりは?各地に残される角地との関連は・・・・まさに謎、館そのものの構造と共に民俗宗教的な事柄、このことも踏まえて考察しなければならない典型といったこともいえる館跡かもしれません。


 最後に、角地山館としているのは私のみです。地名が「かぐじ」ということで、資料には「かぐじ(角地)」としているに過ぎません、強いて言えば「かぐじの館」とでも申すべきかとは思いますが、あえて角地山館といたしました。
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盛岡仙北町の湯

2007-04-08 18:49:44 | 湯っこ・鉄道・旅・・・
 県知事、県議会議員の選挙投票日、どちらもひとつの椅子に複数の立候補者が争う激戦模様、果して勝利の女神、勝利の美酒は・・・・。


 松崎町駒木地区投票所

 
 さて、山の神さん専用の自家用車「陽炎お銀 紅アッパ猫号」の12ヶ月点検ということで、紫波の車屋さんへ・・・・



 正味1時間半で点検完了、早期に部品交換しなければならない箇所があるとかで、また来週辺りに来なければならない羽目に、しかも諭吉さん3人程必要とか・・・任意保険料や税金を納めなければならない時期に痛い出費でもある・・・涙

 
 ということで、本題が後にきましたが・・・・
 家族は盛岡南のイオンへ買物と食事、私は先月開業した盛岡市内の天然温泉施設が気になっていたので、温泉施設が見える通りで下車、別に何を買うでもない、女子供の買物につき合わされるのも、最近は疲れ気味でもあって、2時間の約束で自由行動にさせていただきました・・・汗


 盛岡市仙北町・・・盛岡市街地にある珍しい天然温泉

 泉質は炭酸泉とか、血行を良くし、美肌、美顔効果があるらしい・・・おまけに長い友達が気になる方に朗報、育毛効果も認められるとか・・・笑

 サウナに露天風呂、足湯にミルク、電気、寝湯、壺湯・・・役者はほとんど整っている温泉施設でもあります。
 またもうひとつの売りは岩盤浴とか、今回は岩盤浴は利用しませんでしたが、機会がありましたらいずれまた・・・・。

 昼食は・・・とんかつ定食(味噌風味の名古屋風とか)


 まあまあ~かな・・・。

 なかなかいい施設ながらも、食事時に小さな子供が食堂内で放置プレイ・・アイスを片手に食べている私を覗きこんだり、背中に接触したり、初めは笑みを浮かべてそれとなく対応しておりましたが、限度というものがある、後ろの席では若い母親が携帯メール三昧、今時の親は・・・・怒・・・人のことは言えないけど、注意する勇気もなく、ただこの場から早く出たいの気持ちが強く、ここの温泉施設には申し訳ないですが、最後のこの思いでわざわざ遠野から出かけてみたいという気持ちは消え失せてしまった。

 でも施設は立派でなかなかですよ・・・。
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海上八幡神社

2007-04-07 17:12:35 | 遠野
 長男の高校入学式に行ってまいりました。


 創立106年目、岩手県下では三番目に古い歴史と伝統を誇り、2万1千名以上の卒業生を輩出し、各方面で活躍、名を残す先人も多い。


 162名の新入生、これから始まる3年間の高校生活、おそらく高校生活で出会った友は、かけがえの無い一生の友人と成りえるものと思います。
 校風である「修徳尚武」ある意味では「文武両道」すなわち勉学にスポーツに大いに頑張れと云わんとするものとも心得ます。

 己の夢に向かって頑張っていただきたい・・・です。


 思えば数十年前、男子生徒は皆坊主頭、県内有数のバンカラスタイル、質実剛健そのものを身体で感じた私の新入生の頃・・・、今時の・・・・は禁句なのですかね・・・。


 さて、本題・・・・

 松崎町駒木・海上にある八幡神社



 創建は詳しくは伝えられていないが、前九年合戦で敗走する安倍軍を追って遠野へ来た八幡太郎義家(源義家)が安倍軍と矢合戦を行い、その戦況を山から眺め、座して休んだことから、辺り一帯の山野は八幡座と呼ばれたとも伝えられ、さらに家臣井手氏が安倍氏が去った遠野を一時治めた際に、舘と共に源氏の守神、八幡神を祀ったとも語られます。

 また、阿曽沼代官の宇夫方氏による創建説、天正年間、八幡館主であった本姓菊池氏、駒木豊前広道が舘の北方の小高い現位置に勧進したとも伝えられている。

 いずれ初詣には地元民が参拝し、宵宮も営まれて賑やかな時代もあったそうですが、県道工事により斜面は削られ境内も狭くなり、賑やかだった頃の面影を偲ぶには寂しい光景でもあります。


 八幡沢(はちまんじゃ)

 八幡太郎縁の地として名付けられた沢なのか、それとも八幡社が鎮座する近くを流れる沢であったため名付けられたかは不明であるが、八幡沢、八幡座と共に義家伝説が語られる地であるのは間違いない。


 境内から遠野方面を望む・・・中央に五日市館跡がある山野が見える。


 八幡沢にひょっこり現れた天然記念物「あおすす(ニホンカモシカ)」



おまけ

 本日も懲りずに喜○へ

 今回は大盛りといたしました・・・・汗



 前回、皆さんから寄せられた定番メニュー「チャーハンと五右衛門セット」確かに来店のお客さんのほとんどが注文しておりました。
 これにギョーザという方々も多かったですね・・・・。
 
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リニューアル

2007-04-05 18:34:05 | 遠野
 末娘の中学入学式、土曜日には長男の高校入学式、先月からの卒業式連荘につづき、入学式が続きます。

 親子共々、期待と不安を抱えながらも希望だけは失わず、前向きにまずは頑張る、まさに気持ちも新たに・・「リニューアル」ですかね・・・。


 
 遠野中学校、140名の新入生・・・・
 まさに「若駒の如く健やか・・」


 さて、こちらもリニューアル

 土淵の早池峰古参道跡にある云わば遠野を代表とする景色・・・・鳥居が修復されておりましたので、ご紹介いたします。



 鳥居の横木が真ん中から折れ、番線でしばらく補強されておりましたが、どうやらそれも限界だったらしく、違和感なく修復されたようです。




 以前の鳥居・・・・2007年2月頃


おまけ

 今日のお昼は、入学式終了後、遠野でも人気店のひとつへ・・・



 毎日通る道路沿い、いつも昼時間は駐車場が満車、今日は五右衛門でも食べようかと思って、満席を覚悟で立ち寄ろうとするとお休み、なかなか自分との思いとはすれ違いが多いのですが、本日は車の数の割には、中に客は居なかった・・・ラッキーというべきか、高校生の頃からよく食べていた炒ソバを注文、やはり美味い・・・・大盛りでもよかったかもしれません。



 お好みに応じてラー油、少々のソースをかけていただくと、さらに美味しいですよ。
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北酒場・・に辿り着けず

2007-04-03 16:30:19 | 遠野
 本日もこれから飲み会ということで、町へ出かけてまいります。
 本日のお題は「北酒場・遠野編」遠野の夜の顔の一部をご紹介予定です。

 詳しくは後ほど(22時前帰宅予定・・・笑)



 といういことで、行って参りましたが、結局は酒場に辿り着けず・・・それでも22時ちょっと過ぎに帰還、千鳥足までには至りませんです・・・汗


 いつもように夕方のバスに乗り込もうとバス停で待つこと15分、全然バスが来ない・・・・汗・・・・乗り遅れた感覚は全くない、だって5分も前にバス停に立っていたし、バス停は家から僅か数十メートル、そんなことは全くない・・・。

 午後5時、附馬牛に上る逆側のバスが来た、運転手にバスが来ない旨をジェスチャーで訴える、すると運転手さんは近所のO氏、わざわざバスを止めて私に駆け寄り、北小学校が春休みの時は運休と伝えられる・・・「なんで・・」いずれバスは来ない、家に戻ってタクシーを手配して町へ向かう羽目に・・・・。



 駅前の農協ビルに備え付けられている地元ケーブルテレビのカメラ・・・夜中中、遠野駅前の様子をダイジェストで放映しているが、今日は私が前もって逆取材・・・汗・・・千鳥足で駅前を通る姿を捉えられてはたまったものではない・・笑


 さて、今日は職場の歓送迎会、二次会は設定されたようですが声はかけられなかった・・・というか伝えられた記憶がない。

 仕方がないので後輩と親不孝方面に歩みを進めるも、各自分かれた同僚とも連絡がとれず、夜食を食べて〆となった次第です。


夕方の親不孝通り入口


 待っていろよ親不孝め・・・・が実際は入口を見ただけとなりました。


 最近嵌っている長崎ちゃんぽんが美味しい駅前の食堂・・・今日はカツ丼の気分ながらもT屋はお休み、よって長崎ちゃんぽんをいただく・・・・。

 明日は勤務日、翌日に支障のない範囲に留め今回は勇気ある撤退となりました。
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封印

2007-04-02 14:20:35 | ファイヤー
 黄砂な遠野、辺りは黄色味かかった世界となっていますが、2月の強風で倒壊した福泉寺との境界である塀、先日から新たなる塀の建設工事が始まってる。

 少年の頃に出来た塀、数十年ぶりに素通しの福泉寺敷地が見えます。








 さて、先月31日、共に50数年の歴史と伝統を数える遠野市遠野消防団、旧宮守村消防団であった遠野市宮守消防団の閉団式というべき団旗の返納式が行なわれ、新年度の本日、新たに統合された遠野市消防団として発足いたしました。

 消防団幹部の辞令交付式の後、懇親会が盛大に開催されました。


 まさに市民の安心、安全そして生命財産の保全を目的とする地域の最強部隊である消防団、その指導的立場でしかも指揮者である幹部各位の懇親会、防火防災の誓いを新たにいたした次第でもあります。

 遠野市長を筆頭に市三役も遅れながらも見えられ、俄然その意気も高揚、大いに盛り上がる。



 さて私は一事務局員、この場では裏方でもある。
 また、職務においても啼かずと飛ばずの平職員の立場、無論これが私の表の顔であり、これで生活の糧を得ている身でもあり、多くは語れない。

 市三役や団の幹部へ裏の顔「とらねこさん」をアピールすることは叶わず、またそのことを知る人も皆無であろう・・・・とらねこ士長、ここにありは封印せざるを得ない立場、とらねこの名で飯を喰っているものではないので封印やむなしということかもしれません。

 明日も歓迎会、本日は早めの帰還とあいなりました・・・汗
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