「じぇんごたれ」遠野徒然草

がんばろう岩手!

春 ラ!ラ!ラ!

2011-04-15 19:38:21 | 遠野

Ishino Mako - Haru !La !La !La

 

  石野真子の「春ラララ」・・・「春」という字は「三人の日」と書きます・・・と聴いて、思わず納得!と真面目に思った記憶があります・・・汗

 それにしても動画での石野真子、少し熟女さんになってからの映像ですが、歌がだいぶ上手くなって、美人さんになってますね・・・大汗

 

 

 ということで、まだ本格的に春の花は揃ってませんが、陽気に誘われ、春ラララ気分で春探しへ・・・。

 

まだ私の地元では梅は咲いてません。

 

宝飯爺商会へ顔を出しますと・・・

早瀬川堤防の紅梅が咲き始めたと教えていただき・・・

早速・・・。

満開にはもう少し・・・。

 

天気が良く暖かでしたのでバイクで徘徊・・・。

上郷まで・・・

大震災で運休して、全線復旧するも余震で、またしても運休。

 

そして、なんとか花巻~釜石間、復旧で鉄路が確保されております。

 

家のクロッカスは終盤となってますが、遅咲きのクロッカスは、もう少しだけ楽しめそうです・・・。

 

 

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 

 

 歴史ある遠野の古刹が焼失

 

なんとも残念でなりません。

 

福聚山 大慈寺 (曹洞宗道元派)

 寛永4年(1627)、八戸根城城主、八戸直義(遠野南部家)が遠野へ入部した際に大慈寺も共に八戸から遠野入りし、遠野南部家の菩提寺として70石の寺領を有していた。

 末寺には対泉院(八戸市)、対泉院(遠野市新町)、柳玄寺(遠野市新町)、長松寺(遠野市綾織町)、鳳泉寺(紫波町佐比内)、南陽寺(山田町)

 

焼失前の画像です・・・2009年12月撮影

 

こちらの復活もご祈念しております。

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俄か農民&附馬牛の変化

2011-04-13 18:49:34 | 遠野

 今月初めより境内の清掃が続いている福泉寺ですが、大まかな部分の清掃は、ほぼ終わって地震での修繕等が急ピッチで進められております。

落ち葉、枯枝、折れた木枝等が綺麗に取り除かれた参道

 

雪融け水(沢水)を集める池ですが、泳ぐ鯉の姿もみられ、水も温み始めている。

ザゼン草も昨年より、ちょっぴり増えた感じ?

斜面の方を向いて、こちらを向いてくれない・・・汗

 

 

ということで・・・

 

 例年、今頃となりますが、畑の耕作(はだげぶづ)を行いました。

  今年もセル3発でエンジン始動、年に一度しか使用しないテイラー君、すこぶる快調のようだ。

 例年、4月10日前後に自家消費用の我家の畑(約7a)の耕作を行っておりますが、かつて我家は稲作を主とする兼業農家でもありました。

 家の敷地周りには僅かですが畑があって、今は母親が主となって一般的な野菜を作っております。

 家庭菜園以上野菜農家未満・・・というところかな・・・笑

 

 

 曇り空の午前中勝負ということで、休憩なしの2時間の作業で終了となりました。

終わった後は水洗い、少しボデイーを乾かして油抜きして収納。

  1年後、また元気に稼働してくれることを期待して、しばしの眠りにつくことになります。

 

 畑の耕作前に附馬牛の知り合いの給油スタンドへ燃料を買いに行く・・・。

 3月11日の東日本大震災での被害なはずですが、遠野遺産の無残な姿・・・。

火渡の石碑群(附馬牛町)

 

本来は姿は・・・

 

 強い余震も頻繁ですから、早急に直すというは難しいかもしれませんね。

 でも、先人の思いも込められた史跡みたいなものですし、地域で伝え守るという意味合いもあるものだと思いますので、落ち着いたら早めに元の姿へ戻ることをご期待しております。

 

 そして・・・こちらは・・・

 

ブロガー仲間ではハウルのポンプ小屋と呼称してお馴染みですが・・・

 

なんか画像みて感じませんか?

 

以前は・・・

そう、おっけそうな(倒れそうな)ポンプ小屋だったのでした。

 

傾きが直っております・・・ホント。

 

地震で直ったのではなく、危ないので直したものと思われます。

つっかえ棒もしてありますが、今は意味がないようです・・・汗

 

できましたら後日、取材のうえ、詳しくレポートしたいと思います。

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杉花粉飛散、悲惨!

2011-04-12 19:29:40 | その他

 明け番ながら、ほぼ一日システム操作研修でPCと睨めっこ大会・・・汗

 

 新システム導入ということで、3月から研修が開催されていたが、東日本大震災で一時ストップ、新年度となって未受講者対象に研修の再開ながらも4月7日の強い余震で停電発生で、またもやストップ・・・。

 小生は研修が2度流れての今回の研修、残すところラスト3回の内に、なんとか受講となりましたが、頭が弱いというかアホなので研修にほとんどついて行けなかった・・・大汗

 

 さて、朝の交代前、出勤して来る同僚達の第一声は、山肌を黄色く覆う飛散物のこと・・・・・。

 とにかく花粉症の皆さんには、たいへんな光景で辛い季節の到来ですね。

 

 勤務を終え、帰宅途中の車内から・・・(上宮守)

 薄黄色というか、花粉とわかる光景が・・・・。

とにかく、みえる範囲の山々は、こんな状態・・・・・。

 

 

 小生は花粉症ではないと思っていたが、最近、涙腺が潤むというか涙目みたいな状態(涙もろくなったのも事実ですが・・・笑)・・・でもそんなにかゆいということもなく、鼻なんかもムズムズはしない・・・。

 しかし、画像のような光景をみれば、なんかタダでは済まないと思うんですよね・・・汗

 これはやばいかもしれない・・・汗

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なんとか・・・

2011-04-10 19:36:48 | その他

 愛車の点検で盛岡へ。

ついでに、電池がほしくて大型家電店やショッピングセンターを回ってくる。

 

岩手山

 

まずは県内でも最大級の家電量販店へ・・・

 

ボタン電池以外は皆無・・・汗

ここまで、酷いとは思わなかった・・・。

 

大型ショッピングセンターへ・・・

 

なんとか、お目当ての電池はあった・・・。

しかし、単1、2、3は皆無。

 

食料品売り場には納豆は無し、ヨーグルトも2、3種類が少々、間もなく売り切れといったところでした。

 

 

こちらは業務再開とか・・・。

岩手県釜石市の銘酒「浜千鳥」です。

岩手のお酒を、どうぞよろしくお願いします。

 

花見時期には小生も岩手のお酒で乾杯したいと思ってます。

 

 

ネネ

春眠なんとかをなんとかニャ~・・・

 

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明治三陸大津波と遠野人

2011-04-09 18:28:47 | 歴史・民俗

 2011年3月11日14時46分、東日本大震災発生!

  この大地震により北海道から千葉県までの広範囲な太平洋沿岸に津波が押し寄せ、特に千葉県~青森県の太平洋沿岸へは大津波となって沿岸各地に甚大な被害をもたらす大惨事となりました。

 その中でも三陸と云われる岩手、宮城の沿岸地域は壊滅的な大きな被害となり、よく比較され、さらに現代において多くの教訓となっているのが明治29年(1896)6月15日に三陸沿岸へ押し寄せた明治三陸大津波でありました。

 ここでは、明治の三陸大津波に関する簡略的な事項と、発災直後に三陸沿岸各地の被害状況を実際に調査した遠野人、山奈宗真の事績について、これまた簡略ながら記述いたします。

 

風光明媚な三陸海岸・・・浪板海岸(大槌町)・・・2010年 春

 

 明治29年(1896)旧暦5月5日(新暦6月15日)午後8時過ぎ、端午の節句の夜、三陸沿岸一帯は、轟音の共に大津波に襲われ、岩手県では南は気仙郡気仙村(陸前高田市)から北は九戸郡種市村(洋野町)までの約324キロ、当時でいう6郡37ヶ町村にわたった。

 電話等、通信手段やメディアによる情報伝達が発達していない時代でのこと、遠野ではそれでも翌日には、釜石では昨夜の地震で、大津波が来て町が無くなったらしいというクチコミが最初であったらしいですし、岩手県庁が大津波を知ったのは翌朝で青森県庁からの急電によるものであったらしい。

 釜石、大槌と同郡で隣接でもあり経済面でも密接な関係である遠野は、釜石、大槌が大津波で壊滅したとの報にて、直ちに町議会を招集して被災地救援を議決すると当時2百円の予算を以て、見舞い方々状況視察員を派遣すると共に同時に消防夫や車両、牛馬等の運搬用具を全て動員して食料、衣類、医薬品を送り救援に当った。

 県や国でも係官を被災地に送り、軍艦も動員され救援物資等の輸送に当ったとされる。

 大津波は、吉浜(現大船渡市三陸町)では波の高さ22メートルといわれ、同じく三陸町の綾里湾では38.2メートルという、とてつもない大波が来襲、3回にわたる大津波までは怒号の声や阿鼻叫喚の凄惨な響きが辺りに響いていたが、それ以降は人の声は全く聞こえなくなったといわれ、その後、翌日までに大小数十回の津波が来襲するといった凄まじいものだったと語られている。

 津波による死者は、全体で約2万2千人、岩手県では約1万8千人、全壊、流出家屋約1万2千棟、船舶流出約7千隻と甚大な被害となった。

 

浪板海岸・・・2010年春撮影

 

 山奈宗真が明治29年7月27日、明治三陸大津波による「三陸大海嘯被害地授産労法取調方」を県から委嘱され、気仙郡から九戸郡種市までの三陸沿岸300もの町村集落全てへの調査巡回に旅立ったのである。

 山奈宗真については・・・こちらをご参照ください。

 

 

〇三陸大海嘯岩手県沿岸見聞誌から(抜粋)

陸中国上閉伊郡釜石町(現釜石市・釜石、佐須、白浜、平田、嬉石、松原)

戸数・1,105戸・・・流出戸数等837戸

人口・6,986人・・・犠牲者3,765人・負傷376人

船舶・748・・・流出船舶等652

 

※当時は現釜石市では釜石町の他、鵜住居村があった。(唐丹は気仙郡)

 

 

陸中国上閉伊郡大槌町(現大槌町・)

戸数・1,172戸・・・流出戸数等523戸

人口・6,983人・・・犠牲者599人・負傷118人

船舶・240・・・流出船舶等224

 

 旧上閉伊郡ということで釜石と大槌の被害について掲載しましたが、釜石町にあっては人口の半数が犠牲となり、家屋も7割に及ぶ被害で、まさに壊滅というか全滅に近い被害であったことが伺われます。

 下閉伊郡田老村(現宮古市田老町)に至っては、家屋の9割が流されたり全壊し、人口の8割以上が犠牲となる凄まじさであった。

 

山奈 宗真

明治三陸大津波調査の時、49歳であった。

 

 平成の世に発生した大災害、「東日本大震災」での大津波では、犠牲者、行方不明者合せて約2万8千人の大惨事となりましたが、現在のように湾口防波堤、防潮堤も整備されてなかった明治29年の三陸大津波と比較して、設備、施設の備えやら遮蔽物があり、ましてや各メディアの発達、津浪予警報発令という迅速な情報伝達が構築されていた現在であったにも関わらず、多大な被害であったこと、いかに凄まじいエネルギーがこの度の津波にあったのかが伺われます。

 もちろん、明治29年及び昭和8年の大津波当時の三陸沿岸各地の人口数と現在の人口比較とでは差異はあると思いますが、当時の漁村が人々と共に全滅に近いという悲劇があったこと、これは紛れもない事実であったのです。

 

 山奈宗真は明治三陸大津波被害調査完了(日誌整理含)まで8ヶ月を擁したとされますが、その後、昭和8年(1933)3月3日、またしても三陸沿岸を大津波が襲った。

 この際も犠牲者、行方不明、負傷合せて3千5百人を超える大きな被害となっているが、山奈宗真が調べ上げた調査結果が後の世に活用されたか?あまり活かされた雰囲気は感じないとされる。

 歴史は繰り返す、三陸の津浪をみても何度となく、被害をもたらし、悲劇を生んでいるのは明らかである。

 先人の教訓を重んじるはもちろんであるし、2度と同じ悲劇は避けなければならないはず、私が言うまでもなく、今一度、防災も含め新たな町づくりをあらゆる面から考えることが必要であると思います。

 

 

参考図書「遠野が生んだ先駆者 山奈 宗真」遠野市教育文化振興財団

                                  著  田面木 貞夫

遠野市史4・・・他

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余震!

2011-04-08 19:48:28 | その他

 戦後最大規模といわれる東日本大震災での最大級の余震に襲われる。

 

 4月7日、23時32分、ちょうど寝いった頃合いに強く激しい揺れ・・・縦揺れから大きな横揺れか?震度4くらいの地震には反応しないというか、慣れたところですが、震度5を超える揺れには流石に身体も即反応して寝床から飛び起きた・・・。

 服を着ていると停電発生、3月11日での本震にも匹敵する激しく強い地震で、遠野では震度5強、遠野宮守は震度5弱・・・。

 家のことは嫁さんに任せて直ぐに灯りの消えた闇の世界を勤務地目指して駆け付ける。

 

 

 

  電力を使う機器は役に立たず・・・。

 今回も広範囲に停電発生・・・ようやく本震での難儀する生活から開放されて、以前のような暮しを取り戻しつつあるところへ、またもや・・・汗

 

 

職場では電力がなければ成り立たない場面もあって、非常用の他にも数台の発電機を作動しつづける・・・。

 

今回も、大きな被害はなかった・・・しかし、停電に関係する内容に振り回され、またもや激動の一日となりました。

 

発災2日目、約17時間後の16時30分頃に勤務地の停電が解消された。

今回は遠野の西側から順次通電したらしい・・・自宅は18時過ぎ電気が来たということで、前回はよりは早い対応となったようです。

 

ようやく、解散・・・

 

停電で車のヘッドライトだけが頼りの暗闇の道、やはり何処か怖く寂しい・・・。

電気の暖か味、ありがた味を感じずにはいられない。

 

 それにしても、震度5を超える強い地震をこの歳になってから数度体験するとは・・・。

 子供の頃は、十勝沖地震?が強い地震を経験した最初だったような?それでも遠野では震度4か?それが平成15年5月の宮城県沖地震を皮切りに平成20年6月の岩手、宮城内陸地震、同年7月、岩手県沿岸北部地震、そして今回の東日本大震災とその余震・・・中年になってからこれほど体験するとは・・・汗

 

 大鯰様、参りましたので、もうご勘弁を・・・・と言いたいです。

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タイヤ交換、腰がダルイ・・・

2011-04-07 17:09:03 | その他

 とらねこオヤジさんの愛車に続き、嫁さん専用車で我家のメインカーのタイヤ交換を行う。

 

 本来は宝飯爺黒ドーナッツ商会へ持ちこんでのタイヤ組み換えなのですが、以前の愛車のアルミホイール付きタイヤがあったので履いてみました。

 タイヤは前輪部分がだいぶ減っていたと思いきや、案外溝もあって7分程か?今シーズンはなんとか履けそうな雰囲気・・・。

 

 インチアップというのが出始めた頃、16インチを17インチにアップしておりましたが、あれから9年、この車の標準が17インチで丁度良いというか標準サイズ仕様となりました。

 

 冬タイヤを洗浄して乾かしてますと、猫の手を頼んでないのにネネの登場・・・。

「お呼びでないのかニャ~・・・」

 

洗車して、給油ついでに空気圧チェックをいただく。

実は扁平タイヤでタイヤ周りが心なしか一回り小さくなった感じが・・・?

まずは、とりあえず静かに乗ってみましょうということで・・・。

 

それにしても、ちょっと腰がダルイというか違和感が?・・・

「としょり」・・・笑・・・なのでやばいことにならなければ良いのですが・・・?・・・汗

 

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座禅草の里

2011-04-05 18:55:36 | その他

 氷点下5度に冷え込んだ朝でしたが快晴に近い空模様、本日はどうしても行って観たかった場所があったので、出掛けて参りました。

 

北上市和賀町藤根

 

座禅草の群生地

遊歩道が整備されている。

これは凄い!みえる範囲ビッシリと座禅草・・・!

 

 

 草花にはあまり興味がないし、山菜採りもしないしキノコ採りもしない、山菜類を食べる方だって、そんなに好きというわけではない。

 なのに何故、ザゼン草(座禅草)見物なのか?・・・汗

 座禅草を観たのは2年前、菩提寺福泉寺境内の池のほとり。

 なんか変わった草というか木みたいなのあるな?くらいに思ってましたが、よく観ると珍しい形というか、水芭蕉とも色が違うし・・・。

 気になってネットで調べると座禅草というらしい・・・そんな珍しいモノが菩提寺に・・・・・、早速、ご住職に聞いてみると、いつからあるのかは不明ですが和賀町の方が持って来て植えたらしい・・・とのこと。

 以来、草花には疎いですが座禅草撮りは、今時期の私の楽しみのひとつとなっている。

 

 ということで、そんなことで和賀辺りに座禅草の群生地とか、有名な処があるのでは?とアンテナを立てていますと、ネットでもヒット、北上の藤根というところに大群生地があるとのことで、ようやく行くことが出来たということです。

 

座禅を組むお坊さん、法衣をまとったお坊さん・・・の姿に似ているので「座禅草」というらしい・・・なるほどと納得する・・・。

なんとも愛らしい・・・。

 

 遠野の貞任高原の水芭蕉群生地を小さくした感じですが、見える範囲全てに座禅草が!・・・見応え十分で行って損はないと思いますし、平地の集落近くにあって、不思議な空間という思いもします。

 

 さらに東日本大震災で多くの尊い生命が犠牲となられましたが座禅草達が鎮魂を祈っているかのような光景・・・合掌。

見頃は今月半ば頃までか?

 

 

 群生地規模は東北一とも日本一とも・・・ひとつ言えるのは、確かに広範囲ですばらしい光景が広がっていること・・・、一見の価値有りだと思います。

 

 北上方面に行ったということで、久しぶりに「満にら」を堪能し、これまた久しぶりに湯っこへ・・・。

 しかし、天気が良過ぎたので空気が乾燥と云う場面、呼び出しも必至という天候なので、ゆっくりせずに午後早めに帰宅いたしました・・・汗

 

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春の匂い

2011-04-04 19:23:21 | 遠野

 まだまだ余震が続いておりますが、朝も相変わらず氷点下の冷え込みな日々。

 日中も、さほど気温も上がらず、時折陽射しがあるものの、雪も混じる・・・。

 

目まぐるしく変化する空模様・・・前薬師と早池峰山

 

 そんな中ではありましたが、普通タイヤに交換・・・汗

 4月とはいえ、降雪もあるのが通例の遠野、もう1週間程我慢すれば良かったと後悔しつつも、春めく気候を期待して・・・大汗

 タイヤが軽快となったところで試し運転。

 遠野駅前

旧農協ビルは改築工事中

3階建に生まれ変わり、遠野観光、文化の拠点になる予定。

 

サイクリングコース・・・松崎

おやっ、観光客か?

今日は自転車では少し寒かったと思いますが、間もなく観光シーズン到来、こんな光景が遠野で多くみられることを期待ですね・・・?

 

地元のバッケ群生地

春の匂いが漂ってました・・・。

 

ということで気になることがあって、いつもの菩提寺へ・・・。

福泉寺参道

ご住職夫妻、大槌町から避難中の近親者一家、お寺で働く方々総出で境内の環境整備中(大掃除)

 

本日は本堂までの参道の掃除

  カメラぶら下げてお気軽モードでしたが、住職の奥さんに見られたあげく、「こびる」(おやつ)の缶コーヒーをいただいてしまい、お手伝いする羽目に・・・汗・・・自分としては本日のお手伝いではなく、母親や伯母が参加する今週半ばの作業での参加予定でしたが、ここは素直にお手伝いに参入となりました。

 今年は、昨年大晦日からの大雪で木枝が折れて境内に散乱しており、いつもよりは難儀する場面も・・・。

 さらに地震での地盤面補修や建物の修繕作業も加わって、例年より環境整備期間がかかる模様で大観音(木彫り日本一の福徳十一面観音像)の拝観開始は少し遅れる見通しとなっている。

 今少しお待ちください・・・。

 

 水温む時期ですが、肌を刺すように冷たい・・・。

 

ちょっと気になっていたモノ・・・

座禅草

先週の観察より、だいぶ大きくなって、それらしくなってきた・・・。

 

我家の庭の花っこ

気温は低めですが、春の匂いが随所に感じることのできる季節到来です。

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遅れてきた?防災士

2011-04-02 18:30:42 | ファイヤー

 2011年度、新年度がスタートした。

 いつもと同じようで・・・?・・・いつもと違う雰囲気を感じつつも、4月、春の季節突入である。

 

野辺では小さな春達が・・・

 

路線バスも少し軽快に走っているような・・・?

 

 残雪の六角牛山

 自衛隊の車両とお六の組み合わせ、今や地元民としては違和感がない風景となっている。

 

 ということで、小生宛てにレターバックが・・・ 

はて?

 

差出人をみると・・・

「ありゃ、まさか?思い出した・・・!」

 

タイミングが良いというか悪いというか?それでもこのご時世に相応しいお届けモノ・・・汗

 今年の1月だったか?2月に入ってだったか忘れたけど、「防災士」の認証を受けるべく申請していたんですが、今回の東日本大震災で、すっかり申請したことを忘れておりました・・・汗

 差出人の記名をみた瞬間に思い出したのですが、震災の影響で事務手続きが取れず、こちらからの書類一式が差し戻しか?と実は思ったのが本音でした。

 中を開けてちょっとびっくり、防災士として目出度く認証されたようです。

 

 

 まっ、小生の職種ですと、ある程度の経験年数やら階級によって試験無しで認証される制度もあってのこと、職業として防災分野に大きく関わっておりますので、防災士資格の有無は無関係に近いのですがね・・・。

 将来、この資格が発揮されないよう大きな災害等が起きないのが一番なのですが、現場職の経験を活かしつつも、テキスト等を熟読しながら自己研鑽に勉められたら・・・と思うところです。

 

 

 4月ということで自分としての区切りとして、いつまでも自粛モードではいけないということで、少しずつブログも従前どおりに・・・。

 

鉄撮り

カマー撮り(釜石線)・・・綾織新里から

 しかもホント久しぶり・・・流し撮り・・・汗

 

 

 JR釜石線は、花巻~遠野間で運転再開となっている。

 釜石までの全線復旧が待ち遠しいですし、撮鉄も少し加速させて参りたいと思ってます。

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