北国の待望の春は、桜なしには語られないだろう・・・。
知らず知らずに桜前線は東北を一気に北上、沿岸釜石、宮古に到達という情報、待ち遠しかった桜開花の便りが、今年は例年よりトーダウンという状態ですが、それでも春はやって来る、やって来た、ということで遠野も間もなく桜が咲き、遠野での桜の名勝地である福泉寺も桜花が咲き誇る季節到来が楽しみでもあります。
福泉寺参道
天気は良いものの、気温が低め・・・。
お天気しだいですが開花は4月24日の週あたりか?
日当りの良い斜面には、たんぽぽの花が少々・・・。
さて、本日の本題へ・・・
今日のお昼過ぎ、母親と伯母を連れて、市内の遠戚宅へ出掛けてきました。
そのお宅の前当主様の葬儀ということでしたが、葬儀等のお知らせがあったわけではなく、親戚伝いに情報が入って、「どうしたものか?」と少しだけ悩んでますと・・・、伯母は是非に故人にお線香のひとつも手向けたい意向のようだし、母親も父親が亡くなった際にお悔みをいただいているので、自分の代としての最後の付き合いとして、葬儀には行かなければならないという考えらしく、それならばということでお悔やみに出掛けてきたというしだいです。
我家というか大正期、明治期の系譜は少し複雑で、ここでは語れませんが、今回は、私からみた曾祖母が再嫁したお宅の葬儀ということになります。
曾祖母は曾祖父に嫁いできました。女子ひとり(祖母)を生みましたが、祖母が3歳になった時に曾祖父が若くして病死、幼い祖母を残して一度実家へ帰された後、再嫁したのでした。
再嫁した家では、祖母と異父弟、妹が生まれ、姉弟妹としてお付き合いはあったということですし、伯母や父親にとってみれば祖母であり、その子達は叔父であり叔母であるので、冠婚葬祭でのお付き合いもあったということです。
今回、亡くなられたのは私の父親にすれば従姉妹の旦那さん(お婿さん)ということになりますが、曾祖母が存命なら120歳を超え、私の祖母(故人)も100歳を過ぎており、そのお宅の兄弟達も鬼籍の人となっております。(唯一、祖母と異父弟である前々当主の奥様は存命)
父親が亡くなった時、さらに親戚等の葬儀に少し関わり、葬儀等のお知らせを回す時、どの範囲までにお知らせするのか・・・ということをちょっとだけ勉強というか注視して親戚での古老達の采配なんかをみてきたつもりですが、父親の葬儀の場合、曾祖母の生家にも今回で最後ということでお知らせをし、忌明け法要、会食までご案内していた経緯がありましたが、4代100年前の親戚なので、当時は其処まで遡るのか?と思ったものでしたが、故人である父親にとっては祖母にあたる人の関係ということで、最後という言葉を受け入れた経緯があります。
今回の場合は、私からすれば曾祖母が100年以上前に再嫁した家のことなので、当然、我家にはお知らせは来ないで仕方ないと思うし、そのお宅もそこまで遡る必要もないと判断したか、或いは全く意中になかったかもしれません。
いずれ、こうして親戚付き合いが年月を経て薄くなっていって、そして縁が切れるということなのかもしれません。
都会では考えられない、地方というか田舎特有の事かもしれませんね。
でも、私の祖母の法要やら、そのお宅でのご兄弟の法要では、伯母2人が存命のうちは互いに往来はあると思うし、しなければならないとも思っております。
結局、本日、火葬後に葬儀を行うという情報までは聞いてなくて、お宅ではまだ火葬から戻ってなくて、時間も遅れ気味であるということで、お悔やみのみ置いて帰って参りました。
ちょっと寒かったけど本日も福泉寺散策
ザゼン草も最盛期かな?
水芭蕉も咲き始めた
水辺には不動明王様
春の訪れ、招き猫もスタンバイOK・・・笑