Jun日記(さと さとみの世界)

趣味の日記&作品のブログ

うの華 17

2019-07-17 13:56:37 | 日記

 今までも、あれをしろこれをしろと、父から指図されて色々な事を習い覚えて出来るようになった私だったが、更に自分の人生がこの先努力の連続だという事に気付かされた。私は未だこの世に生を受けてから間もない、そう思うと、今迄の苦労や努力の何十、何百、数の倍数は分からなくても、気の遠くなるような果てしない努力の連続が目に浮かぶように想像できた。今の私はへいこら言いながら喘ぎ喘ぎ示された問題に取り組んでいるのだ。

 『あー、堪った物じゃない。』

私は思った。確かに、最初難しくて全く出来なくても、せっせと取り組むうちに何時しか難しい事も出来るようになった自分だったが、本当にそれは大変な思いで達成して来た事だった。しかも、私はそれらの努力の行程を確りと自分の脳裏に焼き付けていた。出来ない時のイライラ感、癇癪も起こしたし、出来ないと声を上げて泣き散らしもした。それでも、父や祖母、家の大人に代わる代わる言葉を掛けられ、宥め空かしたりされる内、気を取り直して取り組んでいる内に、何時しか私は示された事が出来るようになっていたのだ。しかし、その出来ない時の焦燥感、鬱屈した胸の内を私は今甦らせていた。

 あの苛々した身にべっとりと纏わり付くような嫌な気分、焦燥感という物だ。それがずーっと永遠に続くのだと私は考えた。私は生まれてから現在までの過去と、これから自分の前に続く未来を考えると、自分の未来の方が遥かに時間的に長く、あの嫌な気分をこれからもずーっと自分は味わい続けるのだ、という事が簡単に予想出来た。私は悲嘆に暮れた。過去はよい、過ぎた事だ。だが、これからの未来はまだ来ていない時間だと思うと、どうにかしてあんな嫌な気分にならない方法はないだろうか?私はそんな事を考え始めた。

 出来ない事をするのは、出来るようになって出来ない子に勝つためだ。何でも出来て1番になるのが良いのだ。1番になるために頑張って何でも出来るようになるんだ。父はそんな事を言って頑張って何でも出来るようになれと私にあれこれと教えてくれたのだ。

 では、と、ここで私は閃いた。それでは、勝とうと思わなければ、何でも1番になろうと思わなければ、無理して何でも出来る様にならなくていいんじゃないかなぁ。私はそんな事を考えた。折角努力して出来るようになって誰かに勝ち、たとえ1番になっても、さらに苦しい努力は続くのだ。もっともっと出来るようになる為に、負かした相手に負けない為に、益々努力して苦しまなければいけないなんて、それでは何時休む事が出来るのだろう?。

 また、人と人がそんなに何時も争っているのなら、大人達が言っている平和な世はまだ来ていないんじゃないのかな?。私は幼いながらに父の言う事と、今現在の私の住む世の中の矛盾という様な物に気付いた。こんなに幼い私が誰とも分からない戦う相手の為に苦労して努力しているのだ。争いの無い平和な世の中なら、私と争う人などいないのではないか。それなら何も無理して何でも出来る様にならなくていいんじゃないかな。私はこう思った。折しも、首を捻り脳む私の元へ、台所から祖母がやって来た。私は目に映った祖母の顔を見上げると問い掛けた。

 「お祖母ちゃん、今は平和な世の中なんでしょう。」

祖母は一瞬きょとんとした。子供が平和を口にするのが珍しかったのだろうか。程無くして祖母はそうだよと答えてくれたので、私は続けた。

「平和って言う事は争いの無い世の中だという事だよね。」

父の受け売りである。祖母は微笑んで、ええ、ええと頷いてくれた。

「何故、私は人と争う事を考えて何でも出来るようにならないといけないの。」

「何故、人と争って私は何でも1番にならないといけないの?。争いの無い平和な世の中なのに。」

そう言って私はにこやかに微笑むと祖母の返事を待った。 


うの華 16

2019-07-16 11:30:22 | 日記

 史君と住職さんが話を続ける間、私は家に帰ったら父に何と言お礼の言葉を言おうか、また、謝罪の言葉は何と言ったらよいかとそればかり考えていた。この頃は父の気質も存外に分かり、私は父が気持ちよく上機嫌になる言葉の組み合わせ等考えていた。

 ああ言えばよいかな、こう言ってからこう言うともっと喜ぶに違いないとか、礼を先に言うか、謝罪が先か、等々、様々な父と私の会話の場面を想定して、私は父の感情の起伏から喜ぶ過程に至る迄で、彼に一番の歓喜をもたらすに違いない会話順や物言いを想像した。父の喜ぶ姿を想像すると、私は自然ニヤニヤとにやけてしまう。

 「慢心してはいかん。」

住職さんの声が私に向かって発せられた。私はその声の急な大きさにハッとして彼の方を見た。彼は私の方に顔を向け私を確りと見据えていた。はたして、それは私に向けられた言葉だと私は理解した。

「どんな時に置いても、決して慢心してはならん。」

続けて住職さんは言った。私はその言葉が分からなかったが、慢心だよ、慢心と住職さんが繰り返してくれたので、即、覚えて家に帰って父に問い掛けた。勿論、史君の処遇へのお礼と、自分の外出時の父への非礼を詫びてから後の事だった。

 「慢心とはなぁ。」

小さい子に言葉を教えるのは難しくて、そうぼそぼそ不平を言いながら、父はまあ、それはだなと、勝って兜の緒を締めよというようなものだと教えてくれた。どんなに相手より優位な立場に立っていても、喜んで油断してはいけないという事だ。そんな事を言って、分かったかと言う。兜は分かっても、兜に何故尾が付くのか?本物の兜を見た事が無い私には想像が付かなかった。唯、私の顔色を見て、父はうんうんと、「勝っても負けた相手には油断するな、負けた相手はその後うんと頑張って、次には勝った相手が負かされるかもしれない、勝った人間は、勝っても今までと同じにちゃんと努力して行かないといけない。」そんな事をつけ足してくれた。

 勝っても努力は続けないと、その時負けた相手に、次か、何時かその内に負けるかもしれない。負けた相手は尚更に、今迄以上に努力しているものだ。だから、勝った相手も何時も努力していないといけないんだ。そんな父の説明の言葉に、私は果てしない抗争の労力や苦労が思いやられて、想像するだけで苦しくなり、気の遠くなるような酷い疲労感を覚えるのだった。


今日の思い出を振り返ってみる

2019-07-16 11:11:45 | 日記
 
土筆(130)

 若い方の男性はふふんとニヒルな感じで曖昧に笑って見せました。彼はしばらく無言で俯いていましたが、間も無くふっと気付いたように「否、そうじゃないよ。」と、顔を曇らせると沈ん......
 

 今週は、こちらも梅雨空に覆われそうな週間予報でした。梅雨明けは遠そうですね。


うの華 15

2019-07-13 11:29:37 | 日記

 その日2人は連れだって、私の父が言ったように寺へとやって来た。何も言わなくても、史君と私は申し合わせたように墓所へと足を向けた。何時もの場所に差し掛かると、果たして住職さんがその場所にいた。が、今日は本堂の上の場所、欄干の内側、木の板が並べられているその上に立っていた。

 「来たかね。」

そう朗らかに住職さんが言った。私はにこやかに無理無く、おはようございますと朝の挨拶をした。私がお寺に遊びに来るには早朝と言える時間で、境内には未だ少しひんやりとした空気が残っていた。本堂にどっしりと足を据えた彼は、私の父から聞いていると言うと、私にではなく史君の方に話が有ると言う。

 そこで私は2人から離れた場所に行こうと釣鐘堂の傍らにより、彼等には背を向けてお堂の上を見上げた。そしてしげしげと釣鐘堂の造りを眺め出した。この頃の私はそろそろか鐘には飽きた頃だったのだ。屋根の裏側に渡されている、桁や桟の様な木材の造りを眺めて見た。こうやって屋根の内側を見るのは私には初めてであり、酷く興味深く面白かった。

 程無くして、

「聞けばお前も不憫な子だ。」

住職さんの声が私の耳に聞こえた。私が振り向いて彼等の方を見ると、「その子のお供で寺に来るという事で、」と、彼は私の方を顎で指し、視線を私に向けた。そして

「この寺への出入りは許可しましょう。」

と史君に告げた。

 その言葉を聞くと、私は言われた意味を理解して何だか誇らしく嬉しくなった。満面の笑みを顔に浮かべて住職さんを見やった。そして次に史君を見た。

 史君は最初、私の目には元気無く項垂れた感じに見えた。が、一呼吸して彼がぐっと顔を上げて私の方を見詰めて来るその顔を窺うと、そう取り立てて普段と表情は変わっていない様に私には見えた。彼は元々いつもまじめな感じの顔をしていた。目も何時もくりっとして見開いた感じでいた。そんな何時もの彼の表情だった。

 住職さんの言葉に笑顔になった私は、この時、私のお陰で史君は私と共にこの境内で遊べる事になったのだ、と優位を感じていた。また、父がそう便宜を取り計らってくれたのだと一人合点し、非常に嬉しくなり満面の笑みになった。そして今朝出がけに父に邪険な態度を取った事を後悔した。

『家に帰ったらお父さん謝ろう。お礼を言っておかなくちゃいけない。』

云、そうしよう。私はこくりと頷くと、住職さんと史君がまだ何やら話している様子を眺めて、その場でその儘静かに傍観していた。

 が、2人の話し合いは思ったより長く、退屈して来た私は再び目を展じ、今度はお堂に吊り下がっている大きな塊を見上げた、青銅の大きな鐘に刻まれている文字や刻印、凹凸の模様、等見詰めてみる。

 私は父から聞いた宗教についての話を思い出した。その時の私の目には釣鐘が神々しく見えた。私は家の宗教である仏教ってよい物だなと感じていた。険悪だった住職さんと史君の仲が良くなったのだと考え、世の中が平和であり良かったと感じていた。朝の清涼な大気の恩恵を受け、しみじみと嬉しく幸福を感じていた。

 当時は終戦後未だ戦禍の覚めやらぬ時代と言え無くもなかった。大人は未だ平和の尊さを謳っていたし、折に触れて戦争の悲惨さを嘆いていた。2度と再びと口にしながら、またいつ何時戦争が起こるだろうかを恐れていた。私は常に、周りの大人から平和が一番だと教えられていた。そして周囲の大人は戦中と比較して、今の世の中が如何に平和になったかを述べると、「ありがたいねぇ。」という言葉で締め括った物だ。


今日の思い出を振り返ってみる

2019-07-13 11:25:03 | 日記
 
土筆(129)

 しかし結局、兄嫁は病院へ向かう途中、家の事が心配だから、自分の長男が風邪を引いているからと説明すると、別れ道で彼と別れて自分達の家へ1人帰って行きました。 『他所の子より自分......
 

 こちらは日照が不足するという感じでもないのですが、太平洋側は日照不足と低温で作物が生育不足なんですね。来週辺りから前線が北上して来れば、こちらも豪雨続きになるかもしれません。