「家」 @ 鎌倉七里ガ浜 + 時々八ヶ岳

湘南七里ガ浜(七里ヶ浜とも)から発信。自分の生活をダラダラと書きとめるブログ。食べ物、飲み物、犬の話題が多い。

トイレ考@七里ガ浜自宅(2) オトコの「尿はね」問題とリモコン

2009-07-12 04:00:52 | 内装・インテリア
便器という商品は最近ではどんどんハイテク化と電子化が進み、改良が加えられて新商品が目白押しである。まるで「便器革命」とも呼べる状況だ。しかし住宅内の数ある機能の中で、生活の根幹に係わる部分を「故障したら終わりで、取り替えるか、あるいはかなりやっかいな修理をするしかない」ような高度な機械にまかせることを、私は嫌う。床下暖房などはその最たるもので、設置にかかる費用と壊れた時の修理のやっかいなことを思うと、恐ろしくて導入出来ない。微妙な機械ほどやがて壊れる。そんなものを床下に延々と這わせることに、私は不安を覚えるからだ。

便器も同じだ。何でも電化する傾向は勘弁願いたい。自宅で私がトイレに入ると、たちどころにセンサーが私の存在を感知し、便座の上のふたが勝手に開く。私が便座の上に座ると脱臭装置が作動する。さらに私が「座りションベン」を終えて立ちあがると、その動作すら絶妙なタイミングで感じ取り、ふたを閉め、水を流す。すべてを勝手にやってくれるのだ。楽と言えば楽だが、いったいそこまでやる必要があるのかねぇ。ふたくらい自分で開け閉め出来るし、水も自分で流せるのに。



しかしそれが嫌なら、センサー機能をOFFにしてしまえばいいだけのことではある。便座の上にあるふたを開ける閉める。便座を上げる下げる。全部自動化されているが、それらを全部自分の手でコントロールすることも出来るのだ。トイレ内の壁に取り付けられたこの装置のボタンやレバーをその都度自分で操れば良いだけのことだ。それも嫌なら手動に切り替えることも可能だ。

悪いことばかりではない。この方式のトイレにも優れたところがある。前回の投稿の最後に紹介した参考記事にある、1日男性ひとりあたり2300滴の「尿はね」に対してもそれは有効なのだ。我が家ではこの操作器は便器のはるか上方にあるため、「尿はね」攻撃から無縁でいられるからだ。

ピュン! ピュン! トイレ内の便器、その周辺の壁、床の至る所が、その「尿はね」攻撃の射程範囲内にある。しかし多くの家庭のトイレでは、便器の本体側面の低い位置に、温便座機能やウォシュレット機能の操作レバーとボタン類が並ぶ。つまり多くの家では1日男性ひとりあたり2300滴の一部が、温便座やウォシュレットの操作レバーやボタンにも直接的にピュン!攻撃をしているわけだ。あなたは家族あるいは知人のそれとは言え、自分以外の「尿はね」攻撃を受けたボタンを素手で押したいと思うだろうか。私ならご免こうむりたいと思う。



センサー式最新トイレなら、水を流すにも何も触れないで済ませられる。あるいは便器のはるか彼方の上方にあって「尿はね」攻撃を受けていないボタンを押せば済む。こうしたことも電化のメリットなのである。尤も、我が家には立ったままの小用による「尿はね」攻撃で家人を危険にさらす野蛮な男性はいないけれども。

用心深い人なら、この操作器をもっと上に移動させるかもしれない。なにせこれはリモコンなのだ。壁からはずして、隣の部屋で操作することすら可能なのである。ついでにトイレのドアも自動化しようか。

このように、頑固な座りションベン拒否派男性の「尿はね」にある程度対抗出来るような電化のメリットが存在する。しかしこのメリットは、あらゆる男性が「座りションベン」を甘んじて受け入れるなら、もはやメリットではなくなるくらいの些細なことでもある。



ウォシュレットも万全だ。ボタンもいっぱい。「おしり」「やわらか」「ビデ」「乾燥」そのあたりまではよくわかるが、「ムーブ」や「マッサージ」のボタンがある。さらに「水勢」や「洗浄位置」の調節や、「パワー脱臭」。あぁ~ら気持ちいい。

操作器のふたを開けると、もう大変だ。ボタンの嵐である。いちいち書いていられないが、様々な微調整機能がついている。おしりに心地よりトイレなのである。しかし本当にこれらは皆必要なのだろうか。



温便座が最初に登場したのは1980年頃だったと記憶する。ウォシュレットの登場はその少し後のはずである。温便座にその後大きな変化はないが、ウォシュレット機能はその後も変化を続けた。今20代の人々のほとんどすべてが、幼少時からこうした高機能トイレに馴れ親しんでいたことと思う。

しかしそのことをもって、日本人が以前に比べて清潔になり進化したと言えるのだろうか。ウォシュレットの利用が、人々の健康を増進したと言えるのだろうか。TOTO社は米国にウォシュレットを輸出しようと相当苦労しているが実績があまり上がらないし、欧州にはほとんど輸出が伸びないままである。彼の地の人々のほとんどは温便座すら不要と考える人達だ。ウォシュレットなど尚のこと不要だろう。ではそれらをもって欧米人が日本人より清潔でないと言えるのだろうか。因みにアジア地域へは温便座・ウォシュレットの輸出が少しは伸び始めているらしい。しかし類似品の生産も多く、やはり競争が大変だとも聞く。

話を混ぜっ返すようだが、私はやたら「清潔、抗菌」を振りかざす人間ではない。むしろ私はややその逆の傾向を持つ。日本人の「清潔好き」は有名であるが、その程度は「過度」であると確信している人間だ。日本人はやたら「抗菌」を有難がり、ギョウチュウやカイチュウもほぼ根絶された。しかしそのことと、新種の病が日本でやたら多いこととの関係も指摘されている。

話があらぬところに飛んでしまった。かように、優雅な「座りションベン」はいろいろなことを考える時間を与えてくれるのである。
コメント (2)
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