北海道新聞に連載している「碓井広義の放送時評」。
今回は、ドラマの打ち切りと視聴率の関係について書きました。
ドラマ打ち切りと視聴率
最後まで見る権利ある
最後まで見る権利ある
ドラマ「家族のうた」(フジテレビ)が3日で打ち切られた。理由は視聴率の低迷だ。特に、5月6日の第4話で3・1%まで落ち込んだことが致命傷となった。オダギリジョー演じる元人気ロックミュージシャンが、突然現れた〝わが子〟と暮らすことで成長していく物語。日曜夜9時枠と内容のマッチングなど問題はあったが、ドラマとしての出来が極端に悪かったわけではない。
もう1本、「クレオパトラな女たち」(日本テレビ)も6月6日放送分で打ち切りとなる。主演は佐藤隆太。美容外科クリニックを舞台に医師や患者の人間模様を描いてきた。大石静の脚本はやや露悪気味だが、整形する女性たちの心の闇に迫る野心作だ。しかし、視聴率は7%台で推移していた。
珍しい2本同時
ドラマ2本が同時期に打ち切りになるのは珍しい。それぞれ内容に課題を抱えていたとはいえ、視聴率が低くなければ最終回まで放送されたはず。その意味では視聴率が命運を決めたと言っていい。
では、番組の生殺与奪を握る「視聴率」とは何なのか。ひとことで言えば「どれくらいの人に見られたか」という視聴の「量」を示す数値だ。サンプル世帯に測定機器を置いて調査する。全国27の地区で行われ、一般的に視聴率として語られるのは関東地区600世帯の数字だ。関東のどこかに存在するわずか600世帯が、「家族のうた」などを終了させたことになる。
実は視聴率調査では統計上の「標本誤差」が生じる。10%で±2・4%、20%で±3・3%。「視聴率20%」は、本当は23・3%かもしれないし16・7%かもしれないのだ。「数字のひとり歩き」という言い方があるが、視聴率も絶対的なものではいと認識する必要がある。
いや、それ以上に重要なのは、視聴率が番組の「質」や「価値」を直接表すものではないことだろう。番組提供やスポットCMなど企業からの広告収入はテレビ局の経済的基盤であり、「視聴率が高い」=「多くの人が見る」ことで、より高額な値付けが可能となる。自局の「時間の価値」を下げる低視聴率番組は邪魔物なのだ。
途中ありえない
小説や映画が、読者や観客に物語の途中までしか提供しないことなどあり得ない。民放は無料だから勝手が許されるのか。しかし、年間1兆7千億円を超すテレビ広告費は商品価格に組み込まれており、間接的に視聴者が支えているのだ。どんなドラマも最後まで見る権利くらい主張してもいい。
(北海道新聞 2012.06.04)