子どもの貧困連鎖(新潮文庫) 子どもに関わる全ての人の一読を期待する

2015-06-30 08:35:46 | 今読んでいる本
書店の店頭で見つけた。
共同通信社が取材、配信したものを文庫化したものだそうだ。
本文庫の発行は2015年6月1日

この取材は、2010年4月~2011年2月に行われたらしいが、
現状は全く変わっていない。

本書の構成は
第1章 お金なくても学びたい―定時制高校で学ぶ若者の実態
第2章 貧困の連鎖を断ち切れ―給食費や学校納付金の未納問題から子どもの家庭の実態にせまる
第3章 保健室からのSOS―朝食を食べてこない子の背景に見る家庭の実態
第4章 幼い命育む砦に―保育園における園児と保護者の実態
となっている。
いずれの章も、実態とその現場の大人が子どもたちと保護者を支援する取り組みも伝えている。
だから読んでいる途中、一定救われた思いがした。

第1章の定時制高校に通う子どもたちは
『お金がなくても勉強したい』『高校だけは卒業しないと将来につなげない」
と必死に頑張っている。
高校生でありながら、同時に家計も支え手の一人でもある。
朝、昼、深夜 の3つのバイトを掛け持ちで学費と生活費を稼ぐ。
当然居眠り、遅刻、健康を害するなど
バイトも長続きしない
本人の任に期さないが 周りには本人の気のゆるみと映り、首になる

文字通り体力の限界を超えて働き
体をボロボロにし、
それでも高校を卒業したいと必死に働いている。

民主党政権が高校の無償化を実施したが、
授業料は無料でも、給食費などのその他の費用は有料で、それも子どもには重い負担である。
自民党・公明党政権は そうした子どもたちの現状に追い打ちをかけるように
所得制限を設け 教育の機会均等を投げ捨て
生保世帯の全日の高校生の奨学金を所得認定する。
冷たい仕打ちが
貧困対策法の実行に責任を負うべき国と自治体の福祉の部署で行われているのだ。

第2章 貧困の連鎖を断ち切れでは
大阪市の中学校の弁当代未納問題から実態が告発されている。
請求しても払ってもらえない。
こうした地域の学校では
貧困の連鎖の解消と子どもの社会的自立の支援を教育課程の中心に据え、
地域とのネットワークを活用し支援に取り組んでいる
救いを感じるゆえんである。

子どもの家計の実態を知り、就学援助の手続きの支援
保護者の精神疾患にもよりそい、受診をさせることで
家庭の自律も支援する取り組みなど
これらは
学校現場に各校1人ずつのSSW(スクール・ソーシャルワーカー)の必要性を如実に示している。

学校給食命綱ともなる子ども時代
大阪市は
弁当と給食の併用だったが
保護者負担の公平の観点から給食を廃止し全員弁当持参に変えた
結果
弁当を持ってこられない子は業者弁当を注文することに
(わが東村山市の方式と酷似)
そしてこの章冒頭の弁当代未納につながるのである。

取材の中で担当教諭が
「給食は、栄養面だけでなく精神面でも安定して周りの子と一緒に食事ができる。
経済的な貧困は、人間関係をつくれず孤立するもっと深い貧困へと子どもたちを追いやる
と語っているが全く同感である。

第3章 保健室からのSOS では
小学校の保健室に
朝御飯を食べてこなかった児童たちが養護教諭の到着を待っている風景から始まる。
ベテランの養護教諭は
学校の保健室はこどもたちのSOSに気付く始発点
だという。
そして、本気で子どもの貧困に向き合う。
保健室で給食の残りのパンと牛乳を食べさせ、
家庭にも介入して家族にもお節介をやき
福祉に繋げるなど、
学校があげて一人の児童、生徒のしあわせを願って支援をしていた。

学校も決して暇ではない
が、
目の前の子どもの抱えた問題を見過ごさず、その解決へ支援の手をチームで差し伸べる」。
そこに救いがある。

貧困のために大事な子ども時代を奪ってはいけない
と養護教諭は取り組みを続ける。

第4章 幼い命育む砦に は
シングルで子どもを育てる母親の二重三重の仕事や健康、精神的困難の実態を明らかにしている
そして
保育園がその子どもの命を守る砦としてはたしている役割を紹介している。
家族で車に寝泊まりし生活をしている家族
養護施設に結局預けられる子ども達
それでも
お母さんと暮らすことを望む子どもたち

シングルで孤独に耐えながら子育てする母親
それを保育園がつなげ
シングルマザーの会を園で立ち上げ
お互い励ましあう関係を構築するとりくみ

ここでも
一人一人の子どもの幸せのために頑張ってくれる保育士たちがいることに救われる。


子どもの貧対策法は生まれや育ちで子どもの将来が決まってはならない
とその理念で謳っている。
しかし、
子どもの貧困対策大綱が決定されても
貧困を減らす数値目標や対策は具体化していない。
そして現に
生まれや育ち、家庭の所得格差が、子どもの上に大きな影を落し
将来の希望を持てない子どもたちが大勢存在しているのである。

各省の終わりに有識者からの提言なども掲載している。

この本を読みつつ
わが東村山市の子どもの実態とリンクさせ
わが東村山市においても、配置されたSSWが子どもの生きづらさに心を寄せ
家庭の支援も含めて
一人の子どもが幸せになることができる支援を期待したいと切実に思った。

教育委員会、学校関係者、議会の皆さんが絶対読むべき書籍であるとおもう。

特別養子縁組で虐待を無くす 広がってほしい

2015-05-26 07:41:03 | 今読んでいる本
今日も東京新聞より

不妊治療に取り組む夫婦に
治療にあたっている病院が
特別養子縁組や里親という選択肢もあるとお知らせしているとの記事を読んだ。

しばらく前に読んだ光文社新書のー「赤ちゃん縁組」で虐待死をなくすーを思い出し
ひっぱりだした

愛知県の児童相談所の職員矢満田篤二さんが始めた
望まない妊娠など
生みの親が育てることができない赤ちゃんを
その妊娠中から出産に至るまでを
親となる夫婦と共にがんばり
出生後
実施として入籍する
特別養子縁組
の取り組みを紹介した本である。

虐待死をなくす
というタイトルにひかれ買った書籍である

読んでみて
こうした取り組みがもっと広がってほしいと感じた

子どもが大きくなった際の夫婦の対応も実際のことが書かれていて
特別養子縁組がよくわかる

最近も
マンションの窓から我が子を落として死亡させた
などの報道もなされている
そうした報道に接するたびに
この本のことを思い出していた。

児童養護施設で育つ子どもたちも
里親や養子縁組で
自分を『親』として可愛がってくれる家庭で育てば
幸せになれる可能性がある

子どもが欲しくて、授かるために必死で頑張っている
夫婦に
親に愛されたい
親の愛を受けて育つべき親のいない赤ちゃんが
廻りあうことの意義は大きいと考える。

色々な批判もあろうが
私は、今日の記事と
先の書籍に
生まれて来た全ての赤ちゃんが
幸せになる兆しを感じる一人である。

ルポ保育崩壊(岩波新書) 小林美希著を読む

2015-05-09 13:53:43 | 今読んでいる本


本屋で偶然見つけた ルポ『保育崩壊』
9日、電車の中で一気に読んだ。
背筋が寒くなった。
保育現場が想像以上に崩壊しているらしい。

とりわけ小泉内閣の保育「改革」以来、
株式会社の参入が可能になり、営利が目的とされ、結果、人件費が削減され、
保育現場で働く多くの人が非正規となり
あるいは 子どもが可愛がられることのない現場にいることに嫌気がさして
保育士がバーンアウトしていく。

全ての保育現場がそうであるというわけではないだろうが
少なくとも 子育てを応援する施設
とりわけ乳児期から幼児期の
子どもの発達にとって重要な時期を過ごす子育ての現場に
一つでもあってはならない現場の実態を読んで途方に暮れた。

本書は
第1章で親子の視点から現場で何が行っているかをルポ
第2章で、保育士の労働実態に焦点を当て
第3章で、上場企業の決裁書や有価証券報告書、現場の園長や業界関係者などの証言から保育所の経営実態に迫る
第4章で、共働き時代の親子関係の質を問い
第5章で子どもの人生のスタートが豊なものになるか、貧しいものになるかを決定する保育の構造問題を改めて問う
という論だてになっている。

示された現場の実態を少しだけ紹介する

朝お母さんと別れて泣き叫ぶ子どもが誰にも声もかけられず放置されている。
給食時 早く早くとせかされ 挙句に 保育士が子どもの口にいやおうなしに食事を運び込む
登園の遅い子は散歩に連れていかず置いてけぼりにされる
子どもの動作が遅いことを「何年たってもできない子ね」と保護者の面前でいう

等々である
保護者の側と 保育士の側からの告発である。

保育関係者(経営者、保育士等)、保護者、自治体の担当所管、議員などに
必ず読んでほしい本である。

わが娘は 保育士である。
この娘が先日 うちの現場は年休取得率100%で
そのために 施設長が努力してシフトをくんでくれている
そのことを知った本部の役員が
そんなに暇なら ヘルプで他の現場に応援をよこせ
と怒ったらしい
お母さん変でしょ と娘は言う

こうした娘の保育園の現状を聞く度に
やっぱり 
営利を目的とした団体の参入を子育ての施設に許してはならない
ということを痛感する。

また、本書を読めば
公立保育園の持っている重要性をより認識できる。
東村山市が計画している公立園の民営化は
絶対に許してはならない

なぜなら
公立の民間化は 経費の削減が大目的だからだ
保育士の処遇問題は子どもの処遇に連動する
他の民間保育施設の子どもと保育士の処遇にも連動するのである。

待機児を生まないために
緊急に保育が必要な子どもと保護者のために
その受け入れ態勢を確保しておく上でも
公立保育園は、7園すべて残すべきである。

いや、不足している認可園は公立でこそ作るべきである

そのことも 本書は教えてくれる。

福祉関係諸氏の一読を期待するものだ

小田切徳美著『農山村は消滅しない (岩波新書)』 一読をお勧めする 

2015-05-04 11:15:14 | 今読んでいる本
“自治体が消滅する”というショッキングなレポートが発表され、
全国の自治体の多くが右往左往している。

東京郊外の多摩地区に存在するわが東村山市も例外ではない。
生き残りをかけて、若い層に選ばれる自治体づくりへと称し『都市マーケティング課』なるものを設置。
一部の議員たちは評価している。

しかし、
選ばれる自治体となって、隣接自治体から、あるいは他道府県から人口が流入し、
わが市は生き残ったとしても、それで問題が解決されるだろうか。
何も本質は変わらないのでは?と幾人かの議員仲間と話をしていた。

東京26市の市議会議長会主催の研修会で、自治体消滅論を唱えた当の増田氏の講演も聞いた。

私は、昨年、日本福祉大学の地域再生のスクーリングを受講。
その後、限界集落の地域の取り組みに関する書籍などを次々に読み漁っているところに、この本に出合った。
この本は、増田レポートの、「幾つかの地域が消滅する」という脅しに、
「そうではない」 と
限界集落といわれている地域の再生への取り組みを紹介しながら、批判し、
決して、農山村が座して消滅を待ってはいないことを示しているのである。

その方向は、決して理論優先ではなく、
各自治体や集落の住人自身の取り組みの中から学び取ったものであるというところが違っている。
信頼するの足りると思うのである。
65歳以上の住人が全ての自治体であっても、次世代の、60歳を過ぎ、仕事をリタイアした後継ぎが
集落に戻って暮らしたいと思うことを、実行できるようにする取り組み。

これらの努力の後ろには、都会から一定期間地域に派遣された若者の力も大きく、
その挙句に移住してきて、
農村暮らしを始める若者の存在が少なくないことなど、
希望を持たせてくれる。

つまりこの本は、
他の自治体と違うことで目立って、選ばれる自治体づくりをすることではなく、
その自治体や集落のありように誇りを持って、
同時に若い世代を柔軟に受け入れ、その居場所となっていくところに地域再生の力がある
といっているのではないかと思うのである。

65歳以上がほとんどを占めていても、
「それがどうした、80代でも、90代でもできることはある」と、
その地域の衆が誇りを持って生きているのだということをわからせてくれる。

この本には
 地方消滅論が見落とした、農山村の可能性
という帯がついている。

限界集落と言われる地域の衆は、決して悲観的に生きているのでは無いということを示しているのである。

自治体の運営に関わり、その方向を合議体として議論をする議会の面々にも
一読が必要な書ではなかろうかと思う次第である。

希望って何ですか 下野新聞取材班「貧困の中の子ども」を読む

2015-03-11 09:41:09 | 今読んでいる本
下野新聞取材班が著した
「貧困の中の子ども」
“希望って何ですか”
と問うこの本

貧困の中で
次々に希望を失っていく子どもたちの姿を
否応なく私たちの目の前にさらしている。

取材に、名前も顔も晒して応じている当事者に感服する
困り果て、
希望を失い、
支援者と出会い
何とか頑張っている
そのことを知ってほしいとの気持ちからだろう。

子どもの貧困問題が指摘されて久しい。
国もやっと対策法を策定し、
2014年8月には対策大綱を閣議決定している。

しかし、その具体的取り組みはほとんどないに等しい。

本書でも指摘しているが、
高校受験に合格しても、授業料が無料でも、
制服や教科書を買うお金がなければ、
高校に進学することができない。

体を壊している親が、
ダブルワークで必死に働いているから、
その子もまた働いて家計を支えることが一義的であり、
自分の学費にまでは回らず
「夢」をあきらめなけらばならない現実。

打ちのめされ、
希望を持つことができなくなる子どもたちの苛立ち、
あきらめ・・・。

住民の一番身近な政治が、そこからまた距離を置く。

虐待問題には必死に取り組んでいるが、
その後背に貧困問題が潜んでいることからは
目をそらしているように思えてならない。

下野新聞取材班は、取材を経て、
すべての子どもが希望を持ちながら大人になれるよう5つの提言をまとめている。

1、見えにくい「子どもの貧困」、その存在の認識を
2、発見、支援の最前線の充実を図れ
3、教育費の負担を軽減し、学ぶ意欲を支えよう
4、現金給付の拡充による所得保障は急務
5、政治や自治体のリーダーシップ発揮を
というものである。

本書を読めばその意図するところはすぐにわかる。

我々自身が、子どもの貧困に気付く目を持ち、
支援をすることができる地域を作る必要があると痛感した。

わが東村山市では
次年度(2015年)から学校にスクールソーシャルワークを置くという
その職種は退職教師である
とんでもないことだ

学校現場に今必要なのは
福祉の専門的知識と それを基礎に福祉の現場で
当事者の支援をしてきた経験を有する人である。

子どもの問題の背後にある
その子を取り巻く環境に福祉の視点で目を向けることのできる
専門職である。

こうしたことを理解しない行政や教育委員会の認識に
子どもの貧困や
生きづらさをへの共感を期待することはできないとまで思うのである。

本書の一読をお勧めしたい。

NHK朝のTV小説 花子とアン が終わってしまった

2014-09-27 22:17:12 | 今読んでいる本
赤毛のアン は
わたくしの愛読書でした
学校の図書館のアンシリーズを片っ端から読みました。

アンシリーズを読み終わった時
なんでこれで終わるの
続きはどうしたの
と 腹立たしい思いになった記憶があります。
アンの娘のリラの物語で終わったと思いますが
違っていたら指摘して下さい。

今日
NHK朝の連続TV小説 ❝花子とアン❞ が終わった。
いつかは終わる物語だけれど
6か月は短い
本当はまだ何かあるんじゃないの
と言いたい思いだ。

このTV小説を視聴しながら
村岡花子さん という人となりをわかり
赤毛のアン
が どのような経過で私の目に留まるようになったかが
よくわかってうれしくなった。

赤毛のアンの出版は1952年5月である
私が生まれたのは その2か月先なのだが
小学校、中学校時代の愛読書が
生まれた年に発行の栄に属したのだとは
このTVを見るまでは知らなかったので
感慨ひとしおだ。

私は、長じて母子家庭となった。
長女であり、第一子であった私は
小学校高学年には 母親代わりの家事を任された。

その際の心の支えが
マーガレットの表した一連の小説だった。

妹たちに優しくできない自分の姿を鏡のように映し
優しくありたいとと 心底思い
赤毛のアンに
空想する力 明日を夢見る力を得た。

本は私の生きる力だった。

その本を初めて与えてくれたのは
自分一人で6人の子を育ててくれた母だ。
母に感謝しつつ
赤毛のアンを心の友として
読書三昧に身を投じた小中学校の図書室を思い出した。

実はTV小説の原作を 毎日のように本屋で見ているが
買っていない。
TVが終わったら買って読んでみたいと思っているからだ。

私に 赤毛のアン を引き合わせてくれた
村岡花子 さんの人生を改めて学びたい。

そういえば大阪吹田市に国際児童文学館があった。
橋本知事が廃館を提案しているというので訪ねたことがある。
今はなくなっている。

赤毛のアンの 初版本があった
今はそれらの本はどこにに行けば読めるのだろう
図書館を廃止する知事の文化水準の低さを改めて思った。

赤毛のアン
わが娘たちは読んでいない模様
残念の極みである。


本屋さんが無くなっている?

2009-04-21 23:16:34 | 今読んでいる本
今、推理小説、時代小説に嵌っています。
推理小説は、若い頃は海外物を読んでいました。

子どもの頃の、シャーロックホームズ、アルセーヌルパンから
エラリークイーンとか、ペリーメイスンシリーズとか・・・
その他、シリーズ物を探して読んでいます。

30~40代に、西村京太郎(鉄道ミステリー)、内田康夫(浅見光彦シリーズ)
最近、松本清張も1~2冊・・・

本屋で物色し、面白そうなものを探し出すのが好きです。
ところが今、本屋さんが次々に姿を消しているのです。
私の自宅周辺には、本屋さんはありません。
近くの商店街にあったのに、無くなってしまいました。

電車に乗るとき、昼食時、本が手元に無かったら
まず、本屋さんによって本を買ってから、目的の行動をする
これ、私の常識です。

でも、いまや本は、大型スーパーか、駅前の商店街行かなければありません。
また書籍の品数も大小あり、ほしいものが無く困ることも間々あります。
それでも、本屋さんには物色する楽しみがあります。

こんな話を行きつけの美容院で話したら、
奥さん曰く「今、若い人はインターネットで本を買うから問題ないんだって」
と言うのです。
タイトルを選んで注文すればすぐに手に入り、
自宅に届くからいいのだそう・・・

え~、本屋さんで、これかな、アレかなと 選ぶ楽しみあるじゃないね~
それが楽しくて、お気に入りの本できるんじゃないね~
と、二人で意気投合しましたが
感覚は決して若くないと言うことなのか

でも、身近なところに本屋さんが無くなる
売れなければ止めるしかないのだけれど・・・
なんだかそんな社会の現状に、胸の内がザラザラとする感じを覚えてしまいました。

今と全く同じ 大正時代に書かれた『貧乏物語』ー河上肇著ー

2009-01-30 11:41:28 | 今読んでいる本
大正時代の経済学者、歴史の時間に学んだ 河上肇先生が書かれた
貧乏物語 を読んでいます

写真の本です
その下にあるのは 日本共産党のしんぶん赤旗で連載された
子どもと『貧困』 と言う記事です
1月26日から29日まで 4日間掲載されました

河上肇先生曰く
当時の イギリスの貧困層の子どもたちを
給食が救った 給食が実施されて 子どもたちの顔が明るく元気になった
イギリスの大臣が 海軍の増強と 子どもたちの給食実施に
富裕層への増税を 反対を押し切って実施する 国会演説なども掲載されているが

なんと、この件(くだり)は 連載の現代の子どもたちの現状と瓜二つなのである
連載初日は 学校で給食を食べることが唯一の食事
長期休暇になったら 物乞いをするしかない子
自ら 児童相談所に行く と言わざるをえないこの実態を報道していた

学校で乱暴者だったA君が 実際は給食だけで生きており
2泊3日の 自然教室で 3度の食事が取れたとき
見違えるような 元気な トラブルを起こすことも無い子のなっていたが
給食だけしか食べられない生活に戻り 彼の態度も元に戻った
結局 施設に入った

冬でも夏服ですごさざるを得ない子ども
母親も疲れきっており お風呂も焚くことが出来ない家庭

僻地の学校では 朝早くから 学校を解放し
子どもたちの居場所にする取組み
お医者さんにも罹れない子どもたちの現実に 心を痛め
何とかしたいと 取り組む教職員集団

こうした 世界第2位の経済力を誇る現代日本の中の
子どもの貧困の実態が 赤裸々に報道されていました

記事と平行して読み進んでいた 貧乏物語は
まさに 大正時代の 世界一金持ちと言われた イギリスで
貧困により 子どもらしい活き活きとした顔や
勉強の意欲も失われる 子どもたちの実態がある
この貧困 貧乏を何とかしなければならず
そのために 経済学的に 一体何をなすべきか
と 説いているのである

残念ながら 河上肇先生は 第二次大戦下で
時の特高警察に捕まり
終戦まもなく 1946年1月30日 
まさに 今日亡くなったと 本の最後のページに
大阪市立大学名誉教授 林直道先生が紹介しておられます

河上肇先生が 本書を現して100年近くたった今なお
お医者さんにも掛かれず 給食でしか命をつなげない
貧しい子どもたちを生み出す政治が続いていることに
改めて怒りを禁じ得ません

今年は 二つの選挙があります
世の中を変えて 社会的に生み出される貧困を
根絶できる 社会にしたいものだと考えています

いま 若草物語 再読しています

2009-01-08 12:51:58 | 今読んでいる本
良いお天気が続いています
あちこちで 火災が起こり 多くの命が失われていると聞くと
少しは 雨が降った方がいいのに と考えるのは私ばかりではないと思います
どうぞ雨が降りますように とお祈りしたら 困る人がいるでしょうか

さて いま 仕事の合間を縫って
小学生のころに読んだ 若草物語 を読んでいます
意味はありません

実は 本屋で物色中に 第三若草物語 と 第四若草物語 を見つけたのです
第三、第四があったことを知らなかったので購入してみました
読み始め 第2はどんなだったっけと考え 思い出せず
遂に 初めの一冊から購入し 読み始めたというわけです
いまは 4巻目をよんでいるところです

読み返して 小学校 中学校時代の自分の気持ちを思い出しました

小学校2年生のとき 両親が離婚し
母が働いていたので 4~5年生の時には 一定の家事をするようになりました
川での洗濯 水汲み ご飯を炊くこと 兄弟の面倒を見ること などです
この仕事がとてもいやで 辛いと思っていました
何で私が 長女って損 もっとおお金持ちの家になぜ生まれなかったか
いつも思っていました

そうしたときに これらの本を読むと
本の中の子どもたちが 両親を助けて仕事を分け合って頑張っているんです
そのことに感動し わたしもがんばろう と思えたのです

なかでも エレナ・ポーターの『スー姉さん』 という本は
総領娘が 歌手になりたいという自分の夢を諦め 妹達を育て 成人させ 良い人と結婚させ
その後 自分も幸せをつかむ という物語でしたが
自分も そのお姉さんのようになりたいと思ったものでした

もちろん そのようにはなれなかったのですが
それでも どんなに貧しくても 自分を貶めることだけはしまい
どんなときも堂々と生きたい という思いはこれらの本から学びました

私が 本というものを初めに手に入れたのが
母が 買ってくれた ピノッキオ でした
その本で 魅力に取り付かれて以来
当時の少年少女文学全集は殆ど読みました
学校図書館の本を片っ端から読み漁りました

一人の作家を次々に読むのが私の読み方で
それは今でも変わりません
もちろん漫画も大好きでした

思えば推理小説の読み始めは アルセーヌルパンです
男の子達と先を争うように読んでいました

いまでも バッグの中には何かしら本が入っています
喫茶店で コーヒー片手に本を読むのがストレスの解消です
電車には 本を持たずに乗ったことはありません
本は 生涯の 大親友です