フクシマ

2015-11-12 09:37:38 | 原発問題について
10日付東京新聞4面、3・11後を生きるというタイトルの
楢葉町宝鏡寺の住職の決意『百年先のため人柱に』font>
と題する福島特別支局の記事だ

読んだ途端に何とも言えない気持ちになった。
腹立たしいというか
哀しいというか
悔しいだろうに…というか
自分でもとらえようのない気持ちだ

一方で このご住職の
元通りの町が再建されるなんてありえない
と地元の人間は肌感覚で分かっていた
という言葉に
やっぱりそうだよな~という気持ちも抱いた。





写真は 10月24日、25日の2日間
共産党後援会の皆さんと共に訪れたフクシマの風景である。

かつては豊かな米作や 畑作が営まれたであろう 営々と続く耕作地
今は 真っ黄色のセイタカアワダチソウが生い茂る荒れ地となっていた。
その風景が
走っている車窓に永遠に続くかと思うほど広がっていくのである。
見ていて ふつふつと怒りが湧き上がってくる。

今これを書きながらも何と表現してら良いかわからず
言葉を探し探し成しているのだ。



楢葉町を始め 浪江町にも避難指示解除が出されようとしている
地元の皆さんは、帰りたくても帰れないが
国や東京電力は
避難指示を解除することで
もう あんたたちには 補償金を払いませんよ
と言っているのだと怒っていた。

当然である。

上の写真は ある町の表通りだ
各家々の入り口には ゲートがあり 未だに入れない。


この地域の近くには、写真のように
未だに廃炉のめどがつかない福島第一原発の煙突が聳え
その隣には 再稼働も言われている
福島第2原発も残っている。
廃炉を決めていない原発が…である。

原発の煙突を車窓に見ながら走る国道6号線の沿道は
原発立地地域に入ると
人っ子一人いない荒涼とした風景が続き
立ち入り禁止区域の看板が町への入り口に立っているのである。

我々は、許可を得て浪江町に立ち入った。
広大な土地に ポツンポツン と囲いがある。
放射能汚染物質の仮置き場である。
かつて我々の食料を作り供給してきた田畑が
いま、いつまで続くかわからない放射能汚染物の仮置き場に変わりつつある。
そして、津波被害にあった建造物が放置されているのである。

避難指示が解除されても
いったいどこに帰ればよいのか 若い世代が本当に帰って大丈夫なのか
地元の方々の消えることのない問いである。


写真は人が住んでいない町の中心商店街である。
営業している店舗があると案内の方が言う。
除染作業などに関わる労働者のための金融機関と郵便局、そしてガソリンスタンドだそうだ。

先のご住職は
町は間違いなく消滅すると思う
が、
百年、二百年たち またこの土地に人が住み始めるかもしれないから
その人たちのために、人柱になれるような働きを私たちはするのだ
と結んでおられる。

この間、いくつかの町が首長選挙を行う。
人々は
実態のない町の選挙 やる意味があるのかわからない
と呟いた。
でも、きっとその方々は選挙に行くだろう
虚しさを抱えながら
ご住職の 将来の人々のために何とかしなければという思いと同じ気持ちで

こうした現実を押し付け、未だに 反省の色鳴く 原発の再稼働に突き進む輩(あえて使う)に
我が国の未来を託すわけにはいかないと
つくづく考えた旅であった。

フクシマ 必ず 見ておくべきである。

除染済みの田んぼです

2014-08-13 12:55:13 | 原発問題について


上の写真は 福島の除染済みの田んぼです。
表面を覆う真っ白い砂が 夏の日差しに照らされ まぶしいほどです。

しかし、本当は目前に広がっているべきは
真っ黒な肥沃な土に水をたたえた田んぼのはずです。

いま、あぜ道の緑で淵囲いされた真っ白い畑、田んぼを見下ろしながら
たまたま行き会った農家のご主人が
「この田圃返されたってどうして米作る?」
と、憤って話されました。

もともとここらの土地は
営まれている酪農の牛糞など有機肥料を使い
先祖代々営々と 何百年も土作りに励んできた土地だそうです。

その肥沃な田や畑の表土を重機ではぎ取り
そのかわりに真っ白な砂が入れられたというわけだそうだ。
行ってみて、
聞いてみて初めて分かった農地の除染の実態
除染とは 当面畑を使えなくすること と同義語でありました。

「この白い砂で、作物は育たない
ここから数年 元の肥沃な土地にするため
土づくりから始めなければなんない」
と、先のご主人は言う。

その間の所得補償はどうなるのだろう
国は東電と交渉しろというだけだそうだ。
国策として原発を福島に作ったのに
事故後の後始末は国の責任ではないと言っているのだ。

青い袋には 除染した土が1トン入っています。
この袋が 行く先々の道端、田や畑のわきに無数に積んであるのです。

福島の人々は
「何度でも見に来てほしい」と口々に言います。
11月に 3度目の福島被災地を訪れるツアーを計画しています。

それと知らなければ長閑な山裾の農村風景です。
でも知ればそこは原発事故の被災地です。
今後の営農の見通しも立たない土地にさせられていました。
農家のご主人の 口惜しさが 現地に立って実感できました。

福島第一原発で今何が 汚染水問題の現状

2014-07-31 12:46:47 | 原発問題について


自治体学校3日目の特別講演で
福島第一原発の汚染水問題の現状を柴崎直明福島大学教授が解き明かしました。
汚染水問題は 地形、立地上起こるべくして起こった問題でした。
本来、げwン発を建ててはいけないところに建てたということがよくわかりました。






福島原発の立地を地図で


配置図です。


汚染水タンクが森を削って並んでいく様子がわかります。






画面の黒々としたところは森でした。すっかりなくなってタンクが並んでいます。







以下は原発立地地域の地形の様子です。
元々豊かな地下水の土地で断崖からも地下水が海に注いでいたそうです。
その30mもの断崖を削り取って原発は建設され、
ますます地下水が流れ込んできやすい構造に























地層の把握も正確になされないまま
タンクが地番沈下で傾き
汚染された地下水が直列で配置された奥のタンクから漏れ出す
お粗末なミスが次々に繰り出されているのが
今の汚染水流出問題だそうです。

凍土壁も本当に凍るのか疑問だと柴崎教授

説明を聞けば聞くほど
科学的な裏付け調査など一切行っていない対処療法で
暗澹たる思いがしました。

原発の再稼働など以ての外です。 

福島第一原発でまた事故 いったいどれだけの人が犠牲になれば収束できるのか

2014-03-29 16:44:54 | 原発問題について
福島第一原発で

またまた事故
 
昨日のニュースでは

意識がないとつたえられたが

今朝の新聞によれば

作業員が死亡したとのこと

また!?

との感を持ってはいけないと思うが

また!?

と思わざるを得ない。

廃棄物の貯蔵場所の準備?に携わっていたらしい。

赤旗は

事故収束に当たっている作業員の死亡は7人目

と報道している。

危機管理能力のなさが

今回も露呈した。

ありとあらゆる種類の専門家を

金に糸目を付けぬ方策で

福島第一原発に派遣し

廃炉への作業を進めるべきではなかろうか

東電に任せておいては

作業員の命が危険に曝される

福島第一原発立地自治体からの避難者住民に教えられました。

2013-09-20 17:43:43 | 原発問題について
福島第一原発立地自治体からの避難者住民に教えられました。


被災地の避難者の皆さんと懇談もしました。

大熊町の皆さんは、3・11の当日
実は、その深夜に、まち境に大型バスが集結していたが
住民は何も知らされておらず
翌日、突然、バスに乗れと言われ
何がなんだか分からない内に、
乗ったら、そのまま家に帰れず、転々と避難生活が始まったと
憤りをもって話しておられました。

自治会長さんが、皆さんの声を代弁して、

見通しがもてないのが一番つらい
原発事故は人災なのだから
一言、まず謝ってもらいたい
それがあれば、前に進める気がするけど
結局誰も謝ってくれていない

と、なんとも言えないお顔で話しておられました。

そして、大熊町は多くの人が何らかの形で原発に関っており
すっきりと 原発反対と言えないけど 心の中では色々考えている とも。

大熊町は、全体が貧しく 冬は関東地方に出稼ぎに行くような暮らしだった。
そこに原発が来ることになって、働く場所ができた。
だから、原発を誘致した。

事故が起こるなんて考えていなかった。

聞けば聞くほど、
原発は、経済的にも苦しい、過疎の町に
働く場所ができることを条件と示し、
危険性は全く知らせずに
金に力を持たせて建設したんだな~との想いを強くし、

町の人々の あの時に反対しておけばと言う
心の奥底の想い、決して口には出せないであろう想いを知らされた気がしました。

原発は 全ての炉を みんなの力で 廃炉にすることこそ
立地地域の住民の皆さんの命と暮らしを守る道だと
改めて 考えました。

原発なくすリレートーク

2013-04-17 13:02:41 | 原発問題について
4月14日 日曜日 3時から
久米川駅で
原発なくそう!東村山の会 で
リレートークを行いました。

会では
様々なイベントを行っていますが
定期的な行動をしたいよね
という話し合いで

毎月1回 第3日曜日に行ウことにしました。
でも、4月は都合で第2日曜日に

なかなか会員以外のかたのトークはありませんが
続けることが大事と思っています。

この日は、6~7人がトーク
私も、中々収束しない福島原発事故の実態や
土曜日の地震のことなど
関連して話しました。

終わりごろに
福島のいわき市に住んでいるという女性が
署名のために寄ってきてくれました。
娘さんが大学進学で東村山市内に住むことになったそうです。

こんなこともあるから
やっぱり続けることが大切ですね!!