大塚恵美子さんとの奄美旅 雨 あめ 最後に晴れ 三日目(5/17)

2022-05-21 22:08:46 | 
5月17日 今日も雨

ホテルを出立して 大和村周りで瀬戸内へ
海岸の風景を観ながら国直集落へ入る。
家々の周りをフクギという防風林が囲んでいる集落だ。
そして、フクギの並木「カミミチ」がある。
神をもてなす道ということらしい。

私が是非見せてあげたかったのが
徳浜の断崖である。



鎌倉時代の大地震によって出来たものらしい。
岩層は瀬戸内町の太平洋側まで続いているという。
5億ねんまえの地層だと
立て看板に書いている。

大和村から宇検村に入り
宇検食堂で奄美のソウルフード
アブラソウメンを堪能し
アランガチの滝へ

奄美に数多くある滝の一つで、
比較的手軽のみられる滝で、結構かわいい
この間の雨で水量が多くなっていた。
アランガチ とは 新小勝という地名からきているそうだ。
源流は 奄美で一番高い山 湯湾岳らしい。

さて、あとは瀬戸内町へ。
トンネルの多い道だが 旧道を行き
嘉徳集落へ

嘉徳浜は
今 浸水対策の工事を行うとして、反対運動が起こっている。
県は 集落に波が押し寄せて被害が起こることを想定、
これを防ぐために工事をするという。
だがこれに反対の人々もいて、見張り小屋が立っていた。

その後は実家へお土産を渡し、宿へ
宿は瀬戸内町の嘉鉄集落にある 我が実家からは二つ東に行った集落だ。
海人スタイルあまみ という。
漁師がオーナーで 自分で獲った魚が夕食の膳に登る。
夕食は おいしかった。





大塚恵美子さんとの奄美旅 雨 あめ 最後に晴れ 二日目(5/16)

2022-05-21 21:29:07 | 
5月16日 今日も雨

今日は マングローブをカヌーで行くツアー
麻 10時に旧住用村の役勝川のほとりに集合。

ツアーの前にスマホの所在を調べなければならないので、
所沢の西武バス営業所に☎。
有った。しかし、すでに連絡をいただいているという。
えっ 私 今初めて電話しましたけど・・・

福田しん・・・
夫が連絡したんですか?
はい、』協取りに来るそうです。
あ~ 分かりました。ありがとうございます と電話を切った。

何で夫が連絡したんだ?

後日、私の友人が私に電話をかけて、忘れ物センターにあることが分かり
自宅に連絡しくれたことが分かった。

と まぁ こんなことが有りつつ
ツアーである。

カッパを買い、救命胴衣を着けて、こぐ練習をして出発
これも 写真はない。何しろ 雨である。カメラが大事。

マングローブの中をカヌーで散策

上の写真のようなところを
流れに乗ってカヌーを漕いでいく。
しかし、何しろ二人とも初めて
右に左に 右往左往するばかりでなかなか前に進まない。


因みに インストラクターは私の高校の同級生、3年1組であった。
彼が、汐が引いたマングローブに中を案内してくれた。
上記の花はメヒルギの花である。
高校時代に 生物の大野先生から
メヒルギの北限が奄美だと聞いた記憶が・・・

人が大勢入るようになって、海辺の生き物も少なくなったとインストラクターが
観光でにぎわうことによって影響を受けるのだ。

今年は 世界自然遺産に登録されて観光客の増加も著しい
自分が行きながら、心配である。

帰りは流れに流されながら必死で漕いでツアー終了。

午後も雨のため、予定を変更して
翌日に計画していた ハンセン病療養所和光園へ。
しかし、コロナ感染防止のためなkへ入れず、資料館の見学できなかった。
資料だけいただいて帰る。

笠利をドライブしてホテルへ
雨なので 夕食はホテルのダイニングで。


大塚恵美子さんとの奄美旅 雨 あめ 最後に晴れ 1日目(5/15) 

2022-05-21 20:17:21 | 
5月15日から18日まで
大塚恵美子(元東村山生活者ネットワーク市議)さんと奄美へ
田中一村の絵を観たいから奄美へ行きたいと前々から言われていらが、
今年2022年2月、彼女の家へフキノトウをいただきに行った際
いつ行く?と問われ、計画を立てた。



5月15日 
既に梅雨している奄美は雨
しかも、この日、私は スマホを無くしてしまった。
しかし、友人が楽しみにしている旅行である
精一杯もてなさなくては

上記の写真は晴れていれば美しい笠利の海岸の風景。
実はスマホがないので写真は殆ど撮れず。
カメラは持っていったが雨に濡れるのは困るので車の中で待機。
従ってかつて撮った写真を流用。

この日は奄美空港に着いてすぐ
奄美パークの田中一村の常設展示を観る。
ゆっくりと一村の絵を見ていく。
昨年12月にも 友人を案内して来たが、
展示物が案外地味だという感じがした。


この日、旧笠利町と竜郷町の境
大島本当の首のような場所を丘の上から眺められて
太平洋と東シナ海の両方を観られる丘
加瀬間峠に行ってみることに
レンタカーのナビが当てにならず
疑心暗鬼で坂道を登ってやっと着いた。
アプローチの入り口から意外に遠かった。

曇って、鈍色ではあったが
良く見えて 良かった。

午後6時過ぎに宿到着
今日の泊りは 旧名瀬市のウエストコート

夕食は屋仁川通りの纏で
美味しかった。

あこがれの銀山温泉

2020-08-10 21:48:18 | 
7月 山形県の銀山温泉に行った。
以下の写真は宿泊した宿の表に施された鏝絵である。
長年の風雨にさらされているが、一年の季節の行事が描かれているらしい。
正月、節分、ひな祭り、花見、端午の節句、稲刈り、七五三などが掲げられている。
十枚あった。
また、私たちが泊まった部屋の外には宝船の鏝絵があった。








着いた時は雨
散策に出たが、本降りになってきた。
銀山温泉は旅番組などで見るのよりはるかに狭い。
なるほど駐車場は温泉街の入り口にしか作れない地勢である。
人が二人並んで歩くと道幅いっぱいといった様子だ。

本当は銀山というくらいだから、坑道跡にも行ってみたかったが、雨なので断念した。








思いがけなく予約できたあこがれの銀山温泉に行くことが出来て満足。
しかし、残念なことは、外湯に行く気力がなかったことである。
何せ雨なので。

宿泊しなくても、外湯に浸かり、散策するだけでもいいかも!!

コロナ禍で ベニバナ祭りも中止に

2020-08-03 22:10:35 | 
蔵王でトレッキングを楽しみ、温泉も楽しんだ翌日、
この時期だからこそ
人気温泉で宿に空きがありました。

出掛けるに当たって、山形の地理を調べていて、人気の銀山温泉が近いことを知りました。
一緒に行く妹に、銀山温泉に行く?
と言ってみました。

妹が銀山温泉の宿を予約してくれたのです。
やったと、移動日はレンタカーを借りて観光に徹しました。

時期がチョット遅れたのですが、紅花が咲いている時期だから、それを見に行こうと!
山形市内の紅花畑の地域へ
紅花はm終わりに近かったのですが
畑でこのように作っているんだということと、
紅花は、江戸時代の昔から、この地域の経済を支えた作物です。
その時期、これで作った口紅は吉原の花魁の頂点に立つ太夫の化粧を作っていたのです。





紅花畑の帰り、山寺がその沿線にあることが分かりました。
山寺寄ってみようよ!
ということになり、寄りました。
近くの民間駐車場に車を止め、
立谷川の橋を渡り、山寺に向かいました。

立石寺は道の際にありました。
本堂にお参りをし、足を考えて上まで行くことはやめました。









この紅花畑は 立石寺がこの地域を活性化させるために栽培を進めたそうです。
まだ盛りでした。



そして、ついでにと言ってなんですが、
東沢バラ園 にも寄ってみました。
バラはほとんど終わっていましたが、この近辺は自然が豊かで、もう一度ゆっくり回ってみたいと思いました。









さあ 銀山温泉です。
車のナビは山道を案内します。
その途中、棚田に出会いました。



時間に縛られず、ゆっくり自然を満喫できる旅ができる日が早く復活できることを祈りたい!!

カンボジアを訪ねて まとめ

2019-04-04 16:17:14 | 
カンボジアを訪ねて
その世界遺産のすごさに驚き、感動し、
でも、ポルポト時代の惨劇というか悲惨さを
ガイドの方が話される度に 思い出しました。


カンボジアの人々は
子どもたちの学校不足に心を痛め
貧しいながらも懸命に働いて
学校を作る活動もしている人がいます。
その活動を日本人が支援しています。


史跡を守り、修復してくれる
日本の大学などの支援に大きな感謝を寄せてくれています。


帰ってきて、最近のテレビ報道で、
日本人観光客がカンボジアのタクシーの運転手さんを殺して、強盗を働いた
と知りました。
情けなさと、申し訳なさでいっぱいになりました。
謝りたくなりました。
私が 誤ってもどうしようもないのですが・・・

カンボジアの報告は今日で終わりです。
また いつか今度は雨期に訪ねてみたいと思います。





カンボジアを訪ねて―密林の遺跡ベンメリア

2019-02-16 11:37:49 | 
ベンメリアである。
ベンメリアとは クメール語で 蓮池と言う意味らしい。
これは インターネット調べ。
因みにこれまでの説明は
ガイドさんからの受け売りに、その後図書館から借りた
現代カンボジア風土記(今川幸雄氏著)と
アンコール・ワットと癒しの旅(矢羽野晶子著)
を勉強させていただいた。

アンコールワット建設以前に建てられたものらしい。
荒廃が著しく、建造物には樹木の根が巻き付き
また、落下した回廊の屋根なども放置されていた。


上の写真の 立札は 地雷が撤去された区域であると書いてあるそうだ。

下は 寺院の入り口に立っている(?)守り神コブラの頭だそうだ。
クメール人は奇数が良いとしており、頭は5つ、7つなどとなっていた。
きれいに残っている貴重な像だとガイドのホーさんが言っていた。



以下の写真は 中央棟や経蔵などの建造物の現在の様子である。
塔の上に、高いガジュマルと思える木が聳えている。
天空の城ジュピタのモデルとなったと言われているらしい。









ここにもヒンドゥー教の女神の像がレリーフで描かれていた。



広~い遺跡を巡っていると
のんびりと 鶏がヒヨコを連れて散歩をしていた。
警備に関わる職員が買っているらしい。


また池では 鯰などの川魚の漁を投網と思われる方式で獲っていた。
しかし、残念ながら我々が見ているうちには収穫はなかった。

ベンメリア遺跡の門前町と言うか
通りにはお土産や土地のくだものなどを売る店も軒を連ねていた。



この土産物屋と遺跡の入り口の間には堀が回らされており、
これまでの遺跡と同様、大きな濠と回廊で囲まれた寺院であったらしい。
下が その堀である。雨期に水が張った状態を見てみたいと思うようだった。

カンボジアを訪ねてーアンコール・ワット(アンコールの寺院)

2019-02-11 11:27:01 | 
所要で奄美へ出かけていたのでカンボジア関係のアップ遅れました。
早く これを終了させたいので、写真の一挙掲載である。

今日は
アンコール・ワットである。アンコール=都 ワット=寺院
12世紀前半にスーリヤヴァルマン二世によって建設された。
ヒンドゥー教のビシュヌ神を祭っているそうです。



ビシュヌ神 の像です。
像は盗掘の対象となり、腕が切り取られていました。


首都の中で残っているのが石造りの寺院ということらしい。
この広いグランド(?)には かつて多くの人々が城下町、寺町を形成していたらしい。
あくまでも私流の乱暴な説明であるが。


下は 池である。乾季のために水が少ないが
アンコール・ワットの象徴でもある三つの塔が水面にきれいに映っている。
人気のスポットらしい。




第一回廊に施されたレリーフである。
これらは当時の王の神格化に一役買っていたらしい。
神話や伝説が 事細かに書かれていた。






経蔵




王が沐浴をする場所らしい。


江戸時代の寛永9年(1632)正月に森本右近太夫一房が書いた落書きが柱に残っている。
はるばる祇園精舎を目指してきたらしいが、間違えていたらしい。
鎖国時代であり、日本には帰れなかったそうで
日本人村?に墓があると、ガイドさんが説明してくれた。






参拝する階段の急なこと






女神たちのレリーフが至る所にあります。
意味があるらしいのですが、分かりません。












塔を作っている石組の中は 太陽光で焼いたレンガです。


マンゴーの花である。
そこら中に生えていて、実もたくさんなっていた。






回廊の屋根などが崩れ落ちています。
修復にはかなりの時間がかかります。


巨大な環濠が廻らされているアンコール・ワットです。
入口は 浮橋が作られていました。

カンボジアを訪ねて アンコール・トム④ タ・プローム

2019-02-01 20:56:57 | 
タ・プロームはご覧のとおり
遺跡に 樹木が絡みつき まさに密林の中の遺跡と言える。
それでも 木の根を取り除くなどの修復が「進んでいるが
遺跡を巡ると 遺跡に沿って崩れた伽藍の壁面や屋根の石がそのままにしてある。

映画のシーンに使われたらしい。

タ・プロームは12世紀~13世紀にかけて建設
ジャヤーバルマン七世の建造
大乗仏教寺院

















下の写真の中心の赤は レンズの光の偏光によります。