以下の記事はいずれも本日・14日の東京新聞である。
上記の記事は1面に掲載されていた。
横浜の教育委員会が、原発避難のお子さんの金銭授受を一転 ”いじめ” と認め謝罪したというものである。
曰く
「文科省のいじめ基本方針で、子どもの気持ちが第一と書いてあるから」というものである。
今までの会見当事、この基本方針読んでいなかったのか?
それよりも、そう書いてあるから本当は認めたくないが、認めることにしたと聞こえるが勘ぐりすぎか?
お粗末である。
更に福島と愛知でのいじめ自殺について報道している。
福島のお子さんは、学校が行っているアンケートにいじめがあると回答している。
学校はお子さんへの対応が適切ではなかったというが、
それなら、子どもたちが必死でアンケートに答えることの意味はどこにある。
子どもたちのSOSがまた見過ごされたのである。
学校現場は
『なぜ?』という疑問に答えなければならない
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/e1/165a9aa64876c0e2142a9b3acbed32a5.jpg)
愛知のお子さんは
報道によれば、担任によるいじめによって自殺したという。
学校は本人と保護者からの訴えで
担任と本人の接する機会を減らすべく取り組んだが、
徹底されなかったという
ここでも学校は『なぜ?』という疑問に答えなければならない。
「徹底していなかった許してください。」という言い訳は日本全国で聞き飽きた感がする。
学校は子どもたちが主人公の現場である。
将来に向かって自分を実現し、社会の中での自分らしい役割を獲得する場所の一つである。
その現場が子どもたちを「生きていたくない」と思う所まで追い詰めるのである。
そして、訴えられた学校が結局そこから救い出すことができない。
全国では真剣に取り組んでいる学校があることも事実かもしれない
しかし、こうも毎日のようにいじめが原因で自死を選択するお子さんがいることを知ると
学校自身の真剣な取り組みを信じることができなくなる。
子どもの権利条約は学校現場でどのように受け止められ、実践されているのだろう
子どもの人権はどのように教えられているのだろう
「他人の人権を大事にせよ」
「障害のある人の、高齢者の・・・」
耳にタコができるほど、子どもたちは道徳の時間に聞かされてきたはず
でも、何度も言うように
「あなたの人権を学校が守るよ」「あなたたちの人権が大切よ」
となぜ教えない。
人は、自分を大切に思う人々と接して始めて他人の人権をも思いやることができるはず。
保育所不足も相まって、子どもの貧困問題等々
先進国と言われる日本が、一番子どもを大切にしていないと痛感する。