外国籍の子どもたちへが日本で暮らすということ~高校受験の特別対策が急務~

2019-11-14 20:50:33 | 教育
東村山市内の小中学校の外国籍の生徒たちに日本語を教えている。

この頃は、日本語を教えるだけでなく
この子たちの将来のことについても考えざるを得なくなってきた。
中学校三年生がいるからだ。来年受験である。
この生徒が、高校に入るかどうかは
日本人の生徒よりも将来を左右すると、この間学んだ。
そうしたら、今月のはじめ
朝日新聞が、『にほんでまなぶ』と題し、
外国籍の子どもたちの学ぶ環境について三回のコラムを掲載した。

一回目は 在留資格の壁 である。
丁度先に学んだ際も、
高校に入学し、大学に入らなければ滞在資格がなくなると聞いていた。
記事は、ある生徒の在留資格がネックで将来の見通しが立たないと書いている。
それは、父親に扶養されることが前提の「家族滞在」だからという。
その上、学費の壁も立ちはだかると指摘する。

二回目は 教える場作り である。
外国から日本へ来て、小中学校に通う子どもたちへの
日本語を教える体制が整っていないことを指摘している。
日本語教育推進法は 国と地方自治体に、
日本語を学びたい外国人に日本語を教える責務を課したが、
自治体が整備する教育環境の程度や予算の確保など問題が山積しているとも。

三回目は 情緒と思考は母語が育成するという。
幼い時に日本へ来て、幼稚園や保育園で育ち、
自宅においても母語での会話が成り立たず、
また母国の文化にも接することが出来なければ、
そのことが、情緒や思考にも影響を及ぼすという指摘である。

いずれも この間、私たちを指導してくれている先生に導かれ、
また、子どもたちに接して、考えてきたことである。

日本で教育を受けようとしても、
日本語ができるようになってから来いと
門前払いをしている自治体もあるらしい。
幸いなことに、当東村山市教育委員会はしっかりと受け入れているようだが。

しかし、その子どもたちに日本語を教えることについては、
あまり重要性を感じてはいないようだ。

いずれにしても、今後ますます外国籍のお子達は増える。
その時代に、一刻も早く日本語教育の体制を整え、
高校受験の外国籍生徒への特別対策を実施し、
安心して受験できるようにすることは急務である。

待ったなしの政治の責任であると思うのである。

教育現場で 子どもより 事務の煩雑さの方を優先

2018-06-04 10:37:48 | 教育


今日の東京新聞の記事である。
見出しを見ただけで憤りを感じた。

神戸市の市立中学校の女子生徒が自殺した事件で
市教委が直後に聞き取り調査をした内容のメモを
首席指導主事と校長が謀り
遺族に「存在しない」と隠ぺいしたらしい。

理由は
情報開示請求されたら処理が煩雑になるから。
は~ である。

子どもが自ら命が絶ち、
その理由を調査した結果、いじめの事実が明らかになったにも関わらず、
『処理が煩雑になるから』隠蔽した?

この者たちには
生徒の命を失った悲しみより
事務の煩雑さの方が重要だったわけだ。

それなら
今すぐ 教育現場から離れた方が良い。
というか
こういう教育委員会に安心して子どもを預けることはできないと思うのだが・・・

どうして教育現場で 子どもファーストが常識にならないのだろうか。

神奈川県大磯町の中学校給食デリバリー方式中止に思う

2017-10-29 18:56:30 | 教育
テレビで大きな話題となった大磯町の中学校給食
その残菜率がまず注目され
次に 異物混入が数多く認識され
最後に不味さが認識された?
実際の順番は違うかもしれない。
しかし、本当は
残菜率 ⇒ 不味い 
で問題にされ 改善を実践されなければならなかったはずだ。
順序は不明だが
一応メニューなどの改善はされたようだ(9/20発表)。
だが結果として中止(10/12発表)を余儀なくされ
事業者を募集するも応募がなく
中学校給食の再開は見通しが立てっていないらしい。

大磯町の教育委員会の発表(9/20)を見てみた。
曰く
デリバリー方式の導入理由は
「初期投資が抑えられるから」
わが東村山市の理由と同じだ❢
残菜率
 2017年5月12日~7月11日 平均26%
最高残菜率 55.29%
因みに
食品ロスに関する調査の回答自治体の平均は6.9%
一応改善策は実施したらしい。
メニューのリニューアル、汁物の施行など
しかし、決定的な問題の解決はできなかったのだ。
それは、デリバリー方式の致命傷と言えるものである。
と私は指摘したい。
が、それはとりあえず置いておく。

異物混入 84件(学校からの報告)
毛髪、繊維、虫、衛生害虫、植物、ビニール、プラスティック、金属片、その他等々である。
そしてこれらの内
ほとんどの種類が(件数の膳部ではなく)工場内で混入したことが明らかだという。
記者発表による内容では
業者に改善を求めたがなぜ改善できなかったのかは明らかにされていない。
そして 
同町の中学校給食は中止となり、事業者選定も困難となっている。

さて、わたくしが この問題を取り上げたのは
我が東村山市の中学校給食は今はどうなっているか
と思ったからである。
わが市も デリバリー方式である。
わが娘は 
「お母さん 今日も給食に異物が入っていたんだよ」
先生に言ったの?と聞くと
「先生は 言っても取り合ってくれないもん」
と よく言っていた。
そして、彼女にとってより重要だったのは
『不味い❢❢』
ということだった。
先に述べた致命傷というべきものがこの『不味い』ことなのである。
娘曰く
「ご飯は中途半端に暖かい。生暖かい。そしておかずはとても冷たく、合わせて食べると気持ちが悪い」
のである。
つまり
ご飯は冷たくはないが暖かくなく
 おかずは 冷凍ではないが とても冷たいのである。
どうしてこうなるのかというと
デリバリー方式は
作ってから2時間以内に届けることになっている。
ご飯はその必要がないが、
おかずは腐敗を避けるために急速冷蔵することになっている。
だから冷たいのである。
そうでなければ給食を提供できないのだ。
試食した議員たちの中には 意
外においしい と言った者もいたが、
毎日食べる子どもたちの身になっていたのかと言いたい。

私は、娘に食べ続けてもらった。
おもえば デリバリー給食導入当時の教育委員会の課長が
この給食方式に反対していたわたくしに
「福田さんは 子どもさんに給食食べさせないのでしょう」
と言い、
わたくしは
「何を言うのか。他の子どもたちと同じものを食べさせますよ」
と答えたが
それは我が子を特別扱いしたくなかったという思いだった。
今は 反省している。
わが市の中学校給食は
今日の今日給食が必要なお子さんには役に立たない。
2週間前に注文をしなければならないからだ。
お母さんが具合が悪く弁当が作れないときはコンビニ弁当にするしかない。
また、予め口座に給食費分の入金をして居なければならず
生活費が困難な世帯には利用も困難になるのである。

かつて 自民党の議員が 全員が喫食できる方式にすべきだと主張していたが、
未だに 一顧だにされていない。

中学校給食の実態がどうなっているのかは 一市民には調査のしようがない。
わが市の中学校給食の実態はどうなっているのだろう。
大磯の実態は 対岸の火事なのだろうか?

日本語教室 ボランティア2カ月目

2017-06-02 12:33:02 | 教育
暇になったので
2月から子どもたちへの日本語支援のための講座を受講
4月からは 実際のボランティアが始まった。
週2回の教室のうち 1回を恒常的に受け持っている。

日本語指導の教科書に沿って教え
聞き取りで書くことや
読むこと
練習問題や単位ごとのテストで定着を確認していく。

子どもの進行具合に合わせて
自分でもテストの回答をし、講師に採点をしてもらうのだが
結構間違える。
難しい~ と痛感しているこの頃である。

講師の中山先生が代表を務める「東京の日本語教育を考える会」が
5月28日 集いを開いた。
残念ながら参加できなかったが、
赤旗(17.6.2)に記事が載っていた。

日本で生まれ育ち、外国籍とつながる子の学習権をどう支援するか
がテーマであった。
講演をした石井恵理子東京女子大教授は
「コミュニケ―ション能力は高いため、学習を支える日本語力の貧困さが見えにくい」
と指摘している。
確かに、話せる子はいる。
しかし、学校で教科のテストでは正答できているだろうかと思われる子どももいる。

そして石井教授は
母語を習得する言葉の発達段階を踏むことが日本語の取得にも必要で、
親の母語でもよいから、親子で会話や絵本を楽しんでほしいとも話していたという。

今 市の日本語教室に来ている子どもには
小学校や中学校に、
母国から転籍をする子や
父親の母国は日本であるが、その仕事の都合上外国で生まれ育ち帰国した子
などがおり、
年齢も幼稚園児~中学3年生までと幅広い。
母語を習得せずに来日し、学校へ入ったものの、授業ではお客さん状態になっているだろうなと想像できる子は多い。

講師の中山氏は、外国とつながる子の年齢がそうだからと言って
いきなり中学3年生に編入させるのはやめてほしいと言う。
日本の高校受験は、外国につながる子どもが合格できるような配慮がされていないからだという。

先の集いの記事では、
三鷹市のNPOが日本語の学習や子育ての相談ができる場の運営をしていることや
支援の輪が広っがていることも伝えていたが
東京で見てもまだまだ深刻な状態にある。

このボランティアに関わって、講師の中山先生の考えを聞く機会を持ち
支援のあり方など考えさせられることが多くなった。
まだまだ、自分でも日本語そのものの学習と教授法を勉強しながらのボランティアであるが、
市内での支援が広がって行ければ・・・と考えつつ取り組んでいる.。

取手市教育委員会で『重大事態でない』とした議決に反対した委員はいなかったのか?

2017-06-01 10:35:39 | 教育
昨日
TV報道で取手市の教育委員会が文部科学省からの指導を受け
いじめを示唆して自殺した少女の両親に謝罪したことを知った。

TVを見ながら「この輩は・・・」と思ったが、今朝の新聞報道で改めて怒りを感じた。
このブログで度々
いじめ問題での学校現場の対応を嘆き、変わってほしいと書いてきた。
が、
こうした問題がマスコミを通じて明らかにされる度に情けない思いを抱く。

2015年11月亡くなった少女は
「いじめられたくない」と書き残していたのに
教育委員会は
わざわざ彼女の自殺は「重大事態ではない」という議決をしたという。
まず、
この議決が行われたということ自体に怒りを覚えると同時に教育委員会への不信感を抱く。
議決の際、委員の中に「これは重大事態である」と主張する委員は一人もいなかったのか
と思うのである。
文部科学省の調査を受け一転議決の撤回をしたが、それで教育委員会の信頼が取り戻せるはずがない。
次に
市が渋々発足させた第三者委員会である。
この第三者委員会は、いじめはなかったとの認識で調査。
両親は、
「娘がなくなって傷ついているのに、さらに傷つけられた。不信感しかない」
と、
中立性や遺族への配慮に欠ける第三者委員会の解散も求めている。

いじめを訴えて自殺した少女の死を
重大事態ではないと決めつけた上で設置された第三者委員会が
第三者の役割を果たさないのであれば解散要求は当然であると思う。

学校こそ 子どもの人権を 守る場所に

2017-05-28 12:39:42 | 教育
今日の東京新聞に、
2012年 兵庫県川西市の県立高校の男子が自殺した問題で、
高校がいじめとの関連を明記した追加報告を県教委に提出した
と報道されていた。

2012年9月 自殺直後
高校は いじめとの因果関係を判断できない としていた。
しかし、両親が提訴した損害賠償請求訴訟において
2016年3月 神戸地裁が「悪質ないじめがあった」と認定していた。
また今年 スポーツ振興センターが給付を決めた。
およそ5年もたっており遅すぎる報告である。

学校におけるいじめに起因した自殺があると、
その学校は、判で押したように
初めは因果関係を認めない旨の談話を発表する。
そして、
社会の声や遺族の厳しい批判の前に
いじめとの因果関係を認めざるを得ない所へ追い込まれ
やっと認める報告をするのだ。

なぜだろう。

学校の評判を考える?
校長や教職員の責任逃れ?
しかし、そのことそのものが責任逃れと隠ぺい体質を明らかにする。
学校の評判は子どもの人権を守ってこそ上がるということが
なぜ教育関係者の共通認識にならないのだろう。

私は10年ほど前
川西市の子どもオンブズマン制度を視察したことがある。
子どもと保護者と教職員から相談を受け
双方、あるいは三者間の調整をし
また他機関の力を借り、
寄せられた相談の解決の支援をするのである。
2008年10周年を迎え、レポートが出されている。

高校生からの相談も寄せられていると報告させられている。

高校は県の管轄であるから市の責任ではないが
なんで川西市で・・・と一瞬思った記憶がある。

子どもたちの現状から目を逸らさず、
いじめ問題を放置することなく、
学校こそ、子どもの人権 を守る取り組みを積極的にしてもらいたい。
隠ぺい体質を改善してもらいたい。

学校は管理強化より子どもの人権を守ることを最優先に

2017-02-14 17:20:29 | 教育
以下の記事はいずれも本日・14日の東京新聞である。


上記の記事は1面に掲載されていた。
横浜の教育委員会が、原発避難のお子さんの金銭授受を一転 ”いじめ” と認め謝罪したというものである。
曰く
「文科省のいじめ基本方針で、子どもの気持ちが第一と書いてあるから」というものである。
今までの会見当事、この基本方針読んでいなかったのか?
それよりも、そう書いてあるから本当は認めたくないが、認めることにしたと聞こえるが勘ぐりすぎか?
お粗末である。



更に福島と愛知でのいじめ自殺について報道している。



福島のお子さんは、学校が行っているアンケートにいじめがあると回答している。
学校はお子さんへの対応が適切ではなかったというが、
それなら、子どもたちが必死でアンケートに答えることの意味はどこにある。
子どもたちのSOSがまた見過ごされたのである。
学校現場は
『なぜ?』という疑問に答えなければならない


愛知のお子さんは
報道によれば、担任によるいじめによって自殺したという。
学校は本人と保護者からの訴えで
担任と本人の接する機会を減らすべく取り組んだが、
徹底されなかったという
ここでも学校は『なぜ?』という疑問に答えなければならない。

「徹底していなかった許してください。」という言い訳は日本全国で聞き飽きた感がする。

学校は子どもたちが主人公の現場である。
将来に向かって自分を実現し、社会の中での自分らしい役割を獲得する場所の一つである。
その現場が子どもたちを「生きていたくない」と思う所まで追い詰めるのである。
そして、訴えられた学校が結局そこから救い出すことができない。

全国では真剣に取り組んでいる学校があることも事実かもしれない
しかし、こうも毎日のようにいじめが原因で自死を選択するお子さんがいることを知ると
学校自身の真剣な取り組みを信じることができなくなる。

子どもの権利条約は学校現場でどのように受け止められ、実践されているのだろう

子どもの人権はどのように教えられているのだろう
「他人の人権を大事にせよ」
「障害のある人の、高齢者の・・・」
耳にタコができるほど、子どもたちは道徳の時間に聞かされてきたはず

でも、何度も言うように
「あなたの人権を学校が守るよ」「あなたたちの人権が大切よ」
となぜ教えない。

人は、自分を大切に思う人々と接して始めて他人の人権をも思いやることができるはず。

保育所不足も相まって、子どもの貧困問題等々
先進国と言われる日本が、一番子どもを大切にしていないと痛感する。

なるほど! 日本語、その仕組みを知ってこそ 外国籍の子どもに教えることができる。

2017-02-08 21:24:23 | 教育
外国籍の子どもさんの教育の支援の一助になれば

市役所の主催する日本語講座を受講。
今日で2回目。

今日は、「ぼく  日本人 です。
というフレーズを教えるという想定で、私の所属する班がその指導方法を一番に発表。
結果は、惨憺たる有様。

我が班は まず 日本人 の概念を教えるべく
世界地図日本地図 と のイラストで
「日本人」 を教えたつもり

そして 「ぼく」 
ぼくと対義語の「わたし」 を 男の子と女の子のイラストで
男はぼく 女はわたし を示し教えることに

でも、講師曰く
そもそも「世界地図」わかっていない人多い
ぼく わたし も一般的な表現は何? 「わたし」 よ
つまり わたしは が一般的 それを覚えた後 ぼくは 男の子の表現だと教えればよいと…

そして、被支援者(子)に日本人と覚えさせるのではなく
文体の仕組みと 被支援者の出身国、若しくは国の名前だと誰でもわかる国
つまり
アメリカ
カナダ
フランス
日本

出身国
を表記し 国という概念を認識させることが必要である。
等々

我々が何気なく使っている日本語の
「これ」「それ」「あれ」 という語の意味(文法的な)など
改めて 自分自身が認識しなければ 日本語指導はできないのだと
被支援者の意欲をhきだすことはできないのだと納得した。

やはり 専門家の講義は受けるものだ。

京大学長が入学式で「未知の世界に遊び、楽しまれることを願う」と

2016-04-09 10:42:02 | 教育
先日
学校は楽しいところではない
と言った小学校の校長先生の話を紹介した。

今朝の新聞によれば
京大の総長が
「未知の世界に遊び、楽しまれることを願ってやみません」
と、新入生に歓迎の辞を述べたとある。

学校での勉強とは、苦しいものではなく
本来は
未知のことを知る楽しみの中にある
ということだと私は受け取った。
その意味で
全ての新入学の皆さんに
改めて おめでとう を伝えたいと思う。


この間のノーベル賞受賞者たちも
決して、苦しみの中で勉強したのではないと語っている。
部活や仲間との交流を楽しみながら
その中で自分がやるべきことを見出し努力した結果だと。

やっぱり
学校を楽しいところにして、後の社会で自分なりの人生を見つけ出せる素地を
保護者、教育関係者、地域住民で作ってあげたいものだと
改めて思った。

さて、京大総長は、先の歓迎の辞に続き
1943年11月20日
京大から4500人もの学生が戦争に駆り出され
264人が戦没者と確認されていることも紹介。
自分たちの意思ではなく、上の世代の決定によって戦争に駆り出されたこと
をしっかりと心に留め
18歳選挙権について
みなさんの意思によって揺るぎない未来を築くために確かな1票を投じてください
と語ったとか。

学校は、
小学校から中等教育、高等教育などの幾多の場面を掛けて
楽しく勉強し、自分の夢を探す足がかりを作るところであると同時に
誰でも その存在が掛け替えのない者であることも互いに理解し
みんなが幸せであるためにはどうすればよいかを考える基礎を学ぶところでもある
と私は思う。
この教育の機会を、「楽しくない」と思う子どもが一人もいないようにしてもらいたい。
我が子が「楽しくなかった」と振り返る反省を込めて…

そして、今ある子どもたちの未来が
平和であるよう祈るとともに
京大総長の言葉に示されたように
政治の方向性についての責任を忘れず
自分たちの未来を自分たちの手で作る
政治に参加する権利の一つとしての選挙権の行使を
若者に望みたい。

かの ウルグアイ前大統領が
政治の放棄は少数者の支配を許すことにつながる
と学生の前で述べたことと
京大学長の言葉はリンクする

4月 入学の季節 学校は楽しいところですよ!

2016-04-07 19:09:19 | 教育
サクラも満開で、入学式にも少しは華やかさを添えてくれ
とりわけ新一年生には楽しい記憶として残ってくれればいいな~
と思いつつ、
しかし、もし我が子だったら
こんな学校に入学させたくないな~と思わされた出来事について以下苦言を呈する。

3月の終わり、行きつけの美容院で
「福田さん ○○小学校の校長先生は教育熱心なんだね」
と言われ、へ~なんで?と聞いた。
曰く
新一年生の入学説明会の日に、保護者に向かって
「学校は楽しいところではありません。間違えないでください」
と言う意味の講和(?)があったというのである。

それを聞かされたお母さんが大変不安そうに話したらしい。

それを教育熱心とは言わない!!
と断じた。

そうでなくとも我が子が初めて学校に上がって
「勉強好きになってくれるかしら」
「いじめに合わないで、毎日元気に学校に行ってくれるかしら」
など
多くの不安を持って説明会に参加した保護者である。
先の言葉は
その保護者の不安を煽ることはあっても
安心して学校に我が子を預けていいのだとは思わせてくれない。

どこかのバカな(敢えて言う)学校長が中学生に
女は子どもを産むのが当たり前
と言ったとかで顰蹙を買っていたが
それに匹敵すると私は思う。

学校は、
友人との交流も 先達としての教職員に対しても
信頼を持って接し、
社会の中の一員として成長することを保障される場でもある。
従って 
教職員は 寄ってたかって
子どもたちの学校生活を楽しめる場にするために努力する必要がある。
本当は厳しい勉強だって
楽しく学べ、力をつける工夫があってしかるべきである。
いじめが無い みんなが認めあえる
一人一人の人権が大切にされる場所とするべく努力する義務がある。
なぜなら
子どもたちは勉強する権利を持ち
保護者や行政には
子どもたちに勉強を保障する義務があり
教職員は
それを体現すべき役割を持った公務員だからである。

かの校長先生がどんな理念を持って教育にあたっているかは知らない。
しかし、
少なくとも東村山市の教育員会には
学校は楽しいところだと子どもたちに思ってもらえる教育環境を整えてもらいたい
と希望するものである。

学校が
楽しく勉強をし、わかるまで教えてもらえる場であり、
生涯の友人を作るチャンスもあり、
また
一人一人の違いを認め合い、仲良くすることを学ぶ場となることを願ってやまない。