やっぱり 8月の10日から週の開示だそうです

2009-07-30 13:58:37 | Weblog
前回 2008年度(H20)の決算の状況調査表の開示請求について報告しました。
先日電話があって、
修正がかかるかもしれないから 8月10日からの週の開示になる
今は 請求された文書は不存在なので・・・
と、おっしゃる。

つまり
お金の出し入れの出納閉鎖は 5月31日 だが
それ以後 歳入歳出の項目などの移動、修正は 7月31日が期限で、
従って、今月の31日を過ぎて初めて
正確な数値が明らかになる。

さらに 財政健全化法の関係で
さまざまな 指標が 特別会計や 一部事務組合の決算によって変動するので
7月31日を過ぎないと 確定できない。
従って、開示ができるのは8月の10日からの週だと言うのである。

財政健全化法で あらゆる数値を公表するようになった
住民に知らせなければならなくなったと言いつつ、
その情報が 限りなく速やかに公表されるのでなく
情報公開請求されて初めて
それでもなお、時間がかかると言うのはどうなんだろうと首を傾げてくなるのだが
これは 私の言いがかりだろうか?

ちなみに、今年の第3回定例会(9月議会)は8月27日から始まる。
従って、昨年度の決算は8月20日に議案として議員に配布される。
その後の日程は、

議案中 
◎議会初日の8月27日に審査される議案の質疑通告締め切りが8月24日
◎常任委員会や決算特別委員会で審査される議案の質疑通告締め切りは9月2日

常任委員会付託議案がいくつ出るか不明であるが
少なくとも 一般会計と5つの特別会計決算の通告まで議案が配布されてから8日間しかないのである。
この中には、他の議案の検討の時間も含んでいる。

少なくとも、決算を審査する上で 重要な指標くらいは前もって知りたい
それを 実際の決算の検討に役立てたいと思うのである。
間違っているだろうか。

財政問題の学習会などで、研究者から8月はじめにはできているはずだよ
と、聴いているのですが、すんなりと出てきたことはほとんどありません。
開示請求がされなければ これらの指標は 決算書と一緒にしか渡されない。
他の自治体では、どうなっているのだろうか

情報の限りなき開示を

2009-07-27 00:16:01 | Weblog
今年も 7月の中旬もこえ
東村山市の財政運営も 2008年度、H20年度の財政運営についても決算数値が出そろわなければならない時期である。

市財政の決算状況を知りたいと
財政担当所管に 決算カード(決算状況)をほしいと電話をした。
しかし回答は 8月下旬でなければ提示できないという回答であった。

8月下旬ということは
第3回定例会が 8月21日告示となるので
その日の 決算の議案として あんた達には渡すことになっているということであろう。

決算カードは 市の財政運営を知る 重要な資料の一つである。
財政分析も この経年的な数値を積み上げて行う。

他の市では 決算状況が議会直前でなければ公開できないということはない。
仕方がないので、情報公開請求を行った。
もしかすると 8月下旬までは 文書がないと回答が来るかもしれない。

東村山市の財政は 5月末で 締めが行われる。
5月31日を境に 決算数値を動かすことはできない。
それから 2か月 コンピューターで作業を行っているわけであるので
決算数値は 瞬時にはじき出されるはずである。
そうでないというなら コンピューターを導入した意味はない。

決算状況は すでに東京都を経由して 総務省に提出済みであるはずで
それを開示できないとは
行政が 情報開示をできるだけ 遅くし、住民の目を眩ませようとしているとしか思えない。
違うというなら 速やかに情報を開示すべきである。

財政健全化法が施行され、国の監視が強化されているとき
地域住民、ひいては住民代表の議員には
財政運営の情報が積極的に開示されるべきと思う。

情報公開請求をされて初めて 開示するなど
市長の意識水準の低さを物語っているようなものである
と思うのであるが どうであろうか

奄美の皆既日食と今は亡き妹をしのぶ

2009-07-24 23:46:40 | Weblog
天文ショー
興味はあるけど 結局接することができない
これが 今までの私の人生

今回の皆既日食
「奄美で見るために今や飛行機のチケット予約は不可能よ」
と、聞かされたのが 2008年11月の高校の同級会
「え、皆既日食? それって よその島のことでしょう?」と私
「お前バカか(とは言わなかったがそういう雰囲気)古仁屋(実家がある)でも見られるんだよ」
「え~ 知らなかった・・・」

と言うのが去年の話

すっかり忘れていて、テレビが騒いで
中継で“アヤマル岬”の中継を映しているので気がついた。
奄美大島の風光明媚な観光スポットのひとつ
小学校の修学旅行、高校時代の遠足、帰省の際に訪れる好きなスポットでもある。

テレビ中継で 奄美の皆既日食の様子を見ることができて 嬉しい

なんの脈絡もなく
マー子さん(槙子)が生きていたら きっと 帰っておいでと言っただろうにな~
と、思った。

マー子とは若くして亡くなった私の3番目の妹である。
熊本大学の薬学部を卒業し、薬剤師として働いていたが、
難病で帰らぬ人となった
能力も高く 私など足元にも及ばない、自慢の妹であった。

洋裁(私のウエディングドレス、娘たちの洋服政索)、手芸、その他さまざまな趣味もあった 星の観測もその一つであった。
夏の大三角形 などのことを教えてもらったものである。

今度の天文ショー の 騒ぎを見聞きしながら
マー子は どんなにか 興味津々で
姪たちにも見せてやろうと 帰省を強く勧めたであろうに・・・
と、天文ショーが終わってから 気がつく
馬鹿な姉なのである

聴覚障害の方々と市長との懇談=パート2

2009-07-23 23:08:37 | Weblog

聴覚に障害をお持ちの方々と市長との懇談の続きです。

「娘も聞こえない。しかし、娘は指文字やキュード(*)でコミュニケーションをとる方法を学んでおり、親の自分とも会話が通じない」
 *キュード=口で母音、体の一部を使って子音をあらわす方法らしい。たとえば鼻を押さえ 「あ」という口の形で 「は」となるらしい。

「中途失聴の方で手話ができる人はどれくらいか」
との市長の問いに、手を挙げた方は参加者の中で1~2人。

前代表の方が
「中途失聴には高齢者が多い、手話マスターしにくい。6~7年勉強してやっと読み取れるようになった。できるだけ手話を覚えてほしいと話している」
と話しておられました。

以上のような当事者からの実情が話されたあと、聾協の会長から、区市のコミュニケーション派遣事業についての取り組みについて説明が行われ、なぜ無料にしてほしいと訴えているかという説明がさらました。

曰く
①基本的な権利に当事者負担はおかしい。
 コミュニケーションは生きるための権利。他の障害への支援もその人々の権利。生きるための権利に自己負担を強いる法律が間違っている。

②福祉サービスの低下に直結。
 無料で行われていた事業が、法律になったからと有料になるのは問題。厚生労働省も東京都福祉保健局も「これまで無料で合ったサービスは無料が望ましい」としている。有料化はサービスの低下。

③コミュニケーションは相互利益。
 手話通訳や要約筆記を利用するのは聴覚障害者だけではない。病院では説明責任が問われる医師こそ利用者。後援会主催者こそ利用者。つまりコミュニケーションは社会全体で負担すべき。

と、まったくその通りだと思いました。

ある方が
「就職で面接に行く、手話通訳の派遣費10%の他に、通訳者の往復交通費の半額が聴覚障害者の負担になる」
と、サービス費以外の負担が生じることも明らかにしました。

こうしたやり取りの中で、今すぐ無料ということが無理なら、無料の範囲を拡大できないか、という要望も出されました。

市長は、
「コミュニケーション事業は相互利益ではあるが、他の障害がサービスを受けるのに有料で、すべての障害へのサービスを無料にするのは財政的に無理。悩むが、今後の法律の行方を見たい。無料を広げることについては検討する」
と、答えていらっしゃいました。

この他、
○要約筆記事業についてのPRの問題、
○市役所職員がぜひ手話を学んで窓口で生かしてほしい
○手話の講座を今後も維持してほしい
○要約筆記の講座も東村山市で開いてほしい
○防災無線が聴覚障害者にも分かるようにしてほしい
など、切実な要望が告げられました。

コミュニケーション 一口に言うけど
聞こえない人、話せない人の中に、さまざまな段階と、個々人のコミュニケーションの方法とレベル(手話力など)が違っていること、この権利を守ることは、やはり公の仕事であろうということの意を強く感じた日であった。


聴覚障害(ろう、中途失聴、難聴)の方々と市長との懇談、傍聴しました

2009-07-21 21:58:41 | Weblog
今日 21日夜行われた
聴覚に障害をお持ちの方々と市長との懇談を傍聴させていただきました。
とても 勉強になりました。

私は、6月議会で 手話通訳派遣事業などのコミュニケーション事業を無料にすべきと質問をしたが、それを裏付ける話し合いでした。

Aさんは
「子どものころから聞こえず コミュニケーションは手話。
でも、家族は手話できない。
聾学校では手話は禁止、口の形を読む教育を受けたが、先生の細かい説明は理解できず、勉強も遅れた」

Bさんは
「小学校から高校まで 通常の人より2年ぐらいは勉強が遅れる。
先生が手話を使わないので授業も理解できなかった」

難聴のCさんは
「自己紹介できる、健聴者と同じに見える。
でも、人にものを尋ねることはできるが 答えは聞こえない。
だから 要約筆記制度要望し、昨年4月から発足し、
集会やタウンミーティングで活用されるようになってうれしい」

難聴のDさん
「中途失聴は病気、薬害、職業病、加齢による、年齢は一定ではない。
中途失聴は 自分の声は聞こえない 難聴者は 多少は音が聞こえる。
コミュニケーションの方法も、言葉、文字(要約筆記、筆談)、手話、補聴器などいろいろ
聴力レベルも 高い音が聞こえる人、低い音が聞こえる人と個々に違う
話せるが 相手の話が聞き取れなくて 会話のキャッチボールができない
こうしたことに 精神的な苦痛を感じ 閉じこもりになる人もいる。
障害者同士でも 相手がどこまで理解しているか分からない。悩む!!」

と各々話され、聴覚障害の実態が明らかにされました。

手話は なぜか 聾学校等では採用されず
口の形を読み取ることや
キュードと言って 口で母音、他の個所で子音を表す読み取り方を学ばされ、
その結果、
家族同士でも コミュニケーションがとれない実態
家族同士で 共通の言語を持つことができない悩みの深さを実感しました。

続く 

18日 平和行進が行われました

2009-07-20 00:31:48 | Weblog
7月18日 東村山市内の平和行進行われました。

毎年、5月6日 北海道の礼文島を起点に出発する平和行進
広島に原爆が落とされた 8月6日
長崎に原爆が落とされた 8月9日を目標に

日本列島をいくつかのコースに分けて
核兵器禁止を訴えて リレーで行進をつなぎます。
東村山市は、毎年この時期で
今年も 東大和市の清水郵便局前付近で引継を行い

東村山市民が受け継いで
東京街道~府中街道~市役所~恩多街道~全生園までを歩きます。

沿道の方々に 核兵器廃絶を訴えます。
今年は、礼文島から日本列島を縦断する行動に参加した
東大和市の男性が 更新の先頭を歩いていました。

私も 諸般の事情で東村山市内の全行程を歩きとおすことはできませんでしたが
一部を みんなと一緒に歩きました。

景気は底をついた これからは上向きって 本当?

2009-07-18 10:09:38 | Weblog
最近 久米川駅近くの商店の方々が
毎年取り組んでこられた阿波踊り 
今年はやらないらしいと聞きました。

私の住んでいる 町の商店街の夏祭りも
その実施について相談をしたらしいのですが
今年も実施するとのこと ホッとしています。

でも、その費用負担が結構大変らしいですよ
商店主の方々から いろんなことを聞かせてもらいました。

曰く
「街灯もね 2つの灯りをつけるところ 1つにしているのよ
電気代の補助もあるけど 各お店の負担も大きいのよ」

「イベントの費用捻出のために 緑の祭典とかに参加して
1万円でも稼ぐために 商店会役員が努力しているのよ」

「タバコ組合は、今でこそ禁煙で売り上げが落ちているけど
これまで 沢山の税金を東村山市にもたらして来たはず
なのに 業界への補助金も減らされて 運営も大変なんだよ」

「中元福引を毎年行うのだけど、補助金の算定が変わって減っているので大変」

「商売をやめたいけど 年金だけでは暮らせないからやめられないんだよ」

等々です。

日本共産党の都議選の候補者だった
尾崎あや子さんが言っていました。

消費税が導入される前は、商売をしている人は
サラリーマンより 少し 収入が多かった
でも 消費税が導入され 所得が目に見えて減ったのよ・・・と

町から 個人商店がなくなれば 暮せなくなるのは
年を取って、動くことがだんだん叶わなくなる私たちであることを
どれほどの人が知っているだろうか

商売をしている人の苦労
サラリーで暮らしている人の苦労
派遣でしか働かせてもらえず 収入が不安定な人の生活
農業だけでは暮らせない人の苦労を
互いに理解しあうことが必要だとつくづく痛感します。

なんかとりとめもないのですが そんなことを考えています

誤解を与えてごめんなさいー原爆投下の日で

2009-07-14 10:13:25 | Weblog
ご無沙汰いたしました
また、多くの皆さんに 誤解を与えてすみませんでした。
たくさんの方々が 記事掲載直後から教えてくださっていたのに
今日の今日まで 自分のブログを見ていなかったのです
申し訳ありませんでした。
先日の記事は修正をしました。

直前の記事の、「核兵器廃絶の署名のお願い」の記事の本意は

原水爆禁止東村山協議会の皆さんが
原爆が落とされた 8月6日(広島)、9日(長崎)に ちなんで
毎月、6日、9日に市内の駅頭で署名活動に取り組んでおられ、
その 6日に参加したよ
という意味だったのです。
言葉足らずで 誤解を与えてしまいました。

多くの皆さんから 訂正をした方がいいよ という
コメントが寄せられていたのですが
今日やっと 目にすることができました。
コメントを寄せて下さった たくさんの皆さん
本当に 本当に ありがとうございました。
対応が遅れたことも すみませんでした。
コメントを全部公開しようと思ったのですが
同じ内容で 注意を喚起して下さっていましたので
一部を公開しました。お許しください。

また、誤解を招くような記事にしてしまい
申し訳ありませんでした。
深く反省し 書いた内容をよ~く注意して見直し、アップするようにします。

私は、今年 8月7~9日に開かれる
原水爆禁止世界大会の長崎大会に参加します。
長崎大会は 高校生の時以来で40年ぶりくらいになります。

世界には アメリカ、ソ連など核実験で被爆し
甲状腺癌などに罹っている子どもや大人がたくさんいます。
以前に 広島大会でこの方々の体験もお聞きしました。

兵器として使われ、それによって被爆したのは 日本だけですが
核実験による 被爆者がいるということの衝撃は大きいものがありました。

ビキニ環礁の水爆実験で
日本の漁船が被爆したのですから
その後の実験でも 被曝が繰り返されたのは当然と言えば当然なのですが
それを 想像する力に欠けていたということを
痛感したものです。

今年は 長崎大会で 核兵器廃絶へ大きな一歩が踏み出せればいいな~と
切に願っています。

昨日 久米川駅で 核兵器 廃絶署名に取り組みました(ご注意をいただき修正しました)

2009-07-07 00:47:27 | Weblog
1945年8月6日 広島に 原爆が落とされました。

昨日6日、広島に原爆が落とされた日にちなんで
久米川駅で 核兵器廃絶の 署名のお願いをしました。

60人を超える方が 署名に応じてくれました

原爆の被害は
広島や長崎で 当日被爆した人々

翌日 翌々日
被爆の後の支援 家族を捜すなどの目的で 
広島や 長崎に入った人々 にも及んでいます。

ことし アメリカのオバマ大統領が
「核兵器を投下した国として 核兵器廃絶に努力する」
と 表明したことが 大きな希望になっています。
「核兵器を使用した国として」云々 という言葉があるからです

オバマ大統領の この言葉を
被爆国の マスコミは 何も感じなかったのでしょか?

わたしは へ~ と思いました
本当に アメリカで 変化が起っているのか 
と、思ったからです。

紆余曲折はあります。
でも 唯一の被爆国日本の国民として
この発言を歓迎する 鋭い気持ちこそ必要だと、

年々 お亡くなりになる 被爆者団体の方々の無念の気持ちを
この言葉が 慰撫する  と感じるのです。

核兵器を無くす。
不可能ではないと 感じさせる流れが起こっていることが
感動です

7月1日は誕生日でした

2009-07-04 00:55:25 | Weblog
7月1日は 誕生日でした
娘たちが 手袋と図書カードをプレゼントしてくれました。

我が家では 3月17日の娘の誕生日から
4月は 夫の誕生日、
5月は 娘の誕生日と母の日
6月は 父の日
7月は 私の誕生日と 続き
娘たちに 気を使わせます。

夫は 何の気にもしていませんが
さすがに 娘たちの誕生日には とりあえずお金を渡しているようです。

ブログの書き換えを
1日に しようと思っていたのに 失念し
気がついたら 今日になっていたのですが
3日の日付変更前に 始めようと思っていたのに
友人から 電話がかかり 4日になっています。

誕生日 年を重ねて 
どれだけ 他の人々の苦労を理解できるようになったか
どれだけ 利口になったか
と、振り返ります

大した進歩はないのではないかと思いますが
それでも 多くの方々の 今の苦しみや 今の悩みを
思いがけず 見たり、聞いたりすることで
その方々への 手助けができることや
どうすればよいかという 自分の思考を深めることで
さらに 経験を積むことができる
年の効だと 考えます

誕生日 
それは 父が 女の子はひらがなだと言って
私に かづこ と名付けたひであり
母が 基本の1の字を使って 一子(かづこ) と名付けたかった日です

いま、かづこ という名前が気に入っていますが・・・
離婚して 母に育てられたとはいえ
私たち 兄弟6人が
生まれてきたことに喜んでくれた父母に感謝する日が7月1日です