メーデー 労働者の祭典

2020-05-01 11:50:51 | 平和
今日は メーデー❢ 労働者の祭典です。
100年前に始まったメーデー 
1886年アメリカのシカゴで、労働者が8時間労働制を求め、ストライキを行ったことが始まりという。
24時間の内 
8時間は働き、
8時間は労働のための睡眠、
残りの8時間は自由な行動のための時間に 
というのがスローガンだったという。

この8時間制の要求
今と全く変わらないではないかと私は実感する!
過労死で多くの人が亡くなり、
命の保障がないのは昔と変わらない。
今も 労働者の権利より、
大企業が儲けることの方が重視され、命よりも優先される。

さて、本来なら 
今頃は井の頭公園で行われる集会に言っているはず。
今頃は パレードに出発しているはず。
なのですが、緊急事態のもとで変則開催となり、参加ができないので、
横断幕作ったから何かやろうとの仲間の呼びかけに
組合事務所に集まり、いる人だけで写真を撮り
組合のホームページや、夫々のFacebook、ブログなどでアピールすることに❢(⌒∇⌒)

わたしが相談員を務めるコミュニティユニオン東京・三多摩協議会のアピールである。
〇コロナの検査体制の拡充
〇医療者への支援
〇フリーランスへの補償
〇働き方改革で苦しめられている労働者の駆け込み寺として闘う
〇安倍政権による憲法改悪は許さない


この横断幕を持ってメーデー会場で歌いたかった
メーデーの歌を以下紹介する。
今も口ずさみながらこれを書いている。

晴れた五月
  作詞:江森守彌
  作曲:関 忠亮

晴れた五月の 青空に
歌声高くひびかせて
進む我らの先頭に
なびくは赤い組合旗

歴史も長いメーデーの
血でそめられたこの旗は
ああ万国の労働者
団結せよと叫んでる

人民解放戦線の
前衛われら労働者
たたかい抜こう勝ちぬこう
かかげよ高く赤旗を

1946年のメーデーから歌われたこの歌は、
メーデーの歴史や労働者の権利を勝ちとる多くの運動の中で、
時の権力から労働者が弾圧され、殺された、そうした歴史も反映している。

今も世界にはこうした事態も起こっている。

日本においても、労働争議ではないが
沖縄の辺野古埋め立てを許さないと座込んでいる人々に
機動隊が襲い掛かり、座り込みをやめさせようとしている。

国民の基本的人権を本当に守ると、
全ての政府関係機関が考えていれば、
こうした事態は起こらないはずである。

いま、コロナ対策の緊急事態宣言の下でも、
互いの権利を守るための取り組みを、
私たち国民が要求すべき時ではないだろうか
とメーデーの今日思いを馳せている。

ふるさと奄美に自衛隊基地?

2017-03-27 11:15:59 | 平和

表紙

裏表紙

上記写真のパンフレットが高校の同級生から届いた。
発行は 戦争のための自衛隊配備に反対する奄美ネット とある。

『子(クヮ)や孫(マッガ)に残そう島の自然と平和』
と題するパンフレットである。


送ってくれたのは神奈川県座間市に住む盛岡茂美(高校講師、作家)だ。
地元の新聞に掲載された本人の3回に渡る反対の投稿もついていた。

曰く、
誘致をした側は、自衛隊が来ることの経済効果を説き、
自衛隊側つまり防衛省は、領土奪還のためと説く。

しかし、盛岡は
領土奪還時期 とはすでに奄美が中国に占領されている状態を差し
その前の自国民、つまり奄美諸島の住民の避難計画は念頭にないこと
結局戦前の沖縄戦に見られるとおり
軍隊は、国民の命よりも国家の安全を守ることが一義的な役割であり
自衛隊でもそれは変わりが無いことを指摘する。

そして、上中下と掲載された投稿の最後に
20年、30年後、「昔は平和な島だったけど、ジィもバァもそんなシマよりもお国のために戦争準備をするシマにしたんだよ」と胸を張って言えるかどうかを自分の胸に問うべきだ。
と呼びかけている。

3月18日、25日のNHK・ブラタモリは奄美大島がその舞台であった。
2週目の先日、奄美には固有種の動植物が群を抜いて多いこと
それには島のそもそもの成り立ちや、
手つかずの自然が残っていることなどが重要な要因だと
専門家が説明していた。

沖縄の辺野古移転と同様
自衛隊基地は新たな地域に建設される
自然破壊は免れないであろう
さらに訓練と称して、弾丸が撃ち込まれ、騒音が鳴り響くことにでもなれば、
動物の生きる環境も悪い方向に変化することは想像に難くない。

それやこれやを考えると
自衛隊基地が 経済効果を大きくすると考える方が無理がある。

世界自然遺産への登録を2018年に目指している奄美の社会である。

パンフレットの表紙を
ルリカケスやアカヒゲ、アマミノクロウサギ(国の天然記念物)
アマミイシカワガエル(国内希少野生動物)
などが飾っているが、
こうした貴重な動植物が今後も生き残れる自然環境を守ることこそ
観光資源としての経済効果となるであろうことを
冷静に考えてもらいたいと考え
戦争のための自衛隊配備に反対する奄美ネット
の活動に賛同する。

アメリカの基地は女性の人権より、国民の命より重要なのか

2012-10-18 12:11:19 | 平和
沖縄でまた 女性の人権が 米兵によって踏みにじられた

テレビや新聞など マスコミは
憤りを感じたかのような報道をしている。

かのような とは

その報道の後に、いつも
「いつまでも沖縄だけにこんな思いを押し付けていいのか」
とのコメントが付くからである。

それはつまり、
日本のほかの地域にもって行けばよいといっているのと同じである。

しかし、米軍基地はどこに持って行こうと
その地域が犯罪の被害者になることは同じである。

この事件や、これまでの米軍犯罪被害者の怒りを
本当に 自分たちのものと受け止め
真実を報道し、社会を写す公器としての自覚と誇りを持つなら
日本のマスコミ界は
挙げて、米軍基地の日本からの撤去
日米安保条約の廃棄
を主張すべきである。

しかし、原発問題でもそうであるが
日本の歴代政府と同様
どうも、アメリカと財界には腰が引けて物をいえないというところであろう。

女性に対する蔑視と
沖縄の人々に対する蔑視と
占領軍であるというおごりが
沖縄や米軍基地のある地域での犯罪がなくならない温床だ。

防衛大臣も、政府も 一応
米大使館に抗議をしたが
抗議でこうした犯罪がなくなるなら
これまでに なくなっていなければならない

国民の人権がこんなに踏みつけにされてもなお
米軍基地はもう出て行って といえない
安保条約は廃止しましょう といえない

歴代政府と、現政府は
やっぱり 国民の命よりも
アメリカとの関係を重視することを選択しているらしい

一番許せないのは
口先だけでけりをつけてきた米政府と
こうした状況を作り出している
日本の政府である。

核兵器禁止へ市と市民の共同とりくみ

2011-08-26 13:08:08 | 平和
今 いきいきプラザ一階で
核兵器廃絶と平和展が開かれています。
市と市民の実行委員会で開催しています。

今日はお昼に、サロンコンサートが行われ、
ちょっと参加しました。


展示は、広島の被爆の実態、
東京大空襲を 絵で残したもの
広島や長崎の被爆の実相を描いた書籍
等々がありました。


また、市民が描いた絵手紙も展示されていました。

今日の、コンサートのオープンには
東村山市長も挨拶を行いました。





フルート演奏は
国立音大出身の 原田佳菜子さん と
同じく国立音大出身の 福田将史さんで
1、メヌエット
2、シチリアーノ
3、マドリガル
4、夏の唱歌メドレー
5、見上げてごらん夜の星を
6、少年時代
7、ふるさと
などが演奏されました。

とても素敵な柔らかい音色の演奏でした。

知ってましたか?房総半島にたくさんの戦争遺跡

2010-09-29 23:56:04 | 平和
10月の土日 房総館山の戦争遺跡を訪ねる旅を企画しました。
房総半島、とりわけ内房の木更津や館山にかけて
戦争中のたくさんの遺跡があります。

特攻隊は戦争の悲劇として有名ですが
その他にも 終戦間際 様々な
今にして思えば陳腐な作戦があったようです。

海軍の特攻作戦では 訓練もそこそこに
行きの燃料しか積んでいない戦闘機で
敵の軍艦空母に体当たりする特攻隊などは日本中に知られています。

私は、昨年2009年8月9日の 長崎原爆投下に合わせて開かれる
原水爆禁止世界大会に参加しました。
その帰り、長崎空港で見つけた文庫本
今年は あらゆる書店で店頭に平積されていた
『0(ゼロ)』というタイトルの本を読みました。

特攻に出て、無駄死にを避けてきた隊長
いつもその航空技術で難を逃れ帰還していたその人が
部下の特攻機の異常に気づき、
それを取り替えることで
自分が戦争の犠牲になった

命を救われた部下は
隊長の家族を引き受け、慈しむ人生を送るが
孫たちが 本当の祖父の人生を発掘するというストーリーである。
是非一読を勧めたい

この特攻以外に
海軍の人間魚雷が有名である。

潜水艦から発射される人間魚雷
カプセルの中に 人間が入り 敵の潜水艦や空母に海底から体当たりして撃沈する事を目的にしている
この回天の格納庫も存在するのである。

房総の戦跡を巡り 勉強して
平和への願いを紡いで行きたいと思っている

広島へ平和をつなぐ行進ー暑い暑い行進でした

2010-07-25 22:20:54 | 平和
昨日 核兵器廃絶を願う広島へ向けての平和行進が東村山市内に入りました。
富士見町サミットストア前から
東京街道~府中街道~東村山市役所~新青梅街道~恩多街道~全生園
を行きます。


炎天下 みんな水をのみのみ、
核兵器の廃絶を 沿道の人々に訴えました。



東村山市役所前では
東村山市長が 土曜日の休日にも拘らず
激励の挨拶にお出でいただき

市民と共同で行う
非核平和展のことなどを話されました。

私は、1時半の 富士見町から 恩多辻を越えたあたりで
4時からの生活相談のために 抜けましたが
ブラウスの背中は 水を浴びたようになっており、
エアコンの中では とても寒い思いをしました。

あの8月6日と9日も
とても暑い日だったとか
悪魔の兵器に焼かれた人々の暑さはこんなものではない
命も失う熱さを二度とどこの国の人にも体験して欲しくない
被爆者の皆さんの思いをつなぐ平和行進です。