三太郎峠の茶屋跡 

2020-04-05 19:06:24 | 故郷 奄美大島
三月 法事で帰省した。



わが故郷奄美大島は 北から南へ車でおよそ二時間の小さな島だ。
私の実家は
奄美空港から 国道58号線を南へ一時間半
最南端の瀬戸内町(せとうちちょう)にある。

子どものころは 実家から旧名瀬市まで、バスで二時間半
名瀬市から奄美空港まで一時間と
とても長い時間かかった。

しかもその国道たるや 七曲は当たり前
坂道をくねくね幾度も幾度も曲がりながら登って、
次は同じだけ幾度も幾度もくねくねと曲がりながら下る。
それが一つではないから厄介だった。
往き帰り必ずバス酔いをする有様だった。

でも、この頃はトンネルが十くらい彫られ、ほぼ真っ直ぐになり、
車酔いなど全くと言っても良いほど聞かなくなった。

しかし、それはそれで峠からの海を眺める美しい風景は見られない。
そこで、わが姉妹は帰省の度に旧道をドライブするのを趣味にしている。

ここの所 昔、三太郎茶屋と言うのがあったというが、どこにあるのだろうね
と言うのが興味の対象になっていた。
そこで、この三月、探してみることにした。

三太郎峠は 先のバス酔いの最たる峠だった。
この峠を越える旧道を行って、三太郎茶屋を探した。
三太郎茶屋跡の目印を見つけ曲がったものの、なかなか見つからず、
環境省(?)の職員に行き会い、
この先いけますか と聞いたら、「行けますが麓まではその車ではいけません。」と言う。
行かれるところまで行ったが見つからず、
仕方なく引き返したら、下の道にでるところで見つけた。
それがしたの写真である。







島から帰って、三太郎峠について調べてみた。
インターネットでも色々な人が書いているが、
その昔三太郎というお爺さんが住んで茶屋を開いたから三太郎峠と言うらしいことは分かった。
そして、その三太郎翁について書いたものがあることが分かった。
まず、柳田国男の『海南小記』である。
東村山市の図書館で借りて読んだ。
が、三太郎翁の来歴やなぜ茶屋を開いたのかはわからなかった。

もう一冊の書籍『奄美の森に生きた人』はそれを解き明かしているらしい。
が、出版社にはなかった。
鹿児島大学の図書館が所蔵してたが、貸し出しはだめであった。

インタネットを駆使し、手を尽くして探したら、
奄美のある店に在庫があり、4月3日、手に入れることが出来た。

ここ二日間で読んだ。

三太郎峠はその昔、海路しかなかった奄美に、
1890(明治20年代)年代、現奄美市住用町の人々が、住民の力で切り開いた道であったらしい。
県は請願に対し許可したが、お金は出さなかったそうだ。
道ができた後、その峠を 自ら切り開き茶畑やみかん畑やシイタケ栽培などをしながら
道行く人々の役に立つ休憩場所にしようと考えたのが、鹿児島川辺郡出身で農業指導員であった
畠中三太郎であったという。

当時は美しいみかん畑や茶畑があり、麓の少年たちのあこがれの地であったそうであるが、
今は、その気配もない。
今度行ったとき、もう一度よく見たいと思う。

しかし、茶屋ができてまもなく、バスも通る道路計画が持ち上がり、
1917年、三太郎茶屋をさけて開通した。
それでも、麓の人々は 飲み水五十六運んでやったり、薪を運んでやったり、
日用品を運んでやったり、峠の茶屋の夫婦を世話し続けていたそうだ。

三太郎翁は昭和七年三月、布団で冷たくなって夫人がおろおろしているところに
当時の郵便配達の少年が通りかかり、麓の人々に知らせ弔ったそうである。
そのご夫人も後を追うように亡くなったという。

三太郎峠は 三太郎翁の61歳の時にその名が地図に記されたという。
大正11年に母が生まれたずっと以前の話である。
母は4年前に亡くなったが、
そんな歴史があったなど思いもよらないから来歴など聞いたことは無い。
聞いて置けばよかったと思う。

奄美で生まれ育ち、高校生までいたのに、知らないことのなんと多いことかと今更に思う。

これからも、通ったことのない道を探し、
見たことのない風景を見つけるために、奄美に帰省し続けたいと思う。

フナンギョ(舟行)の滝 

2018-01-10 11:21:07 | 故郷 奄美大島
国道58号線を空港に向かう。
道路沿いに フナンギョの滝 という看板が。
「行ったことある?」
「いや ない」
「行ってみようよ」
「そうする?」
と妹たちと衆議一決。
道案内の看板に従って集落の奥へ奥へと進む。
駐車場らしきちょっとした広場があって
そこから先は徒歩らしい。

車を降りたって
進行方向に目をやると 見えた
滝だ❢❢

山と山の谷になっている辺りに 遠く 小さく 流れ落ちていた。

ヒカリヘゴの立ってる間を縫って歩を進める。
道はあるにはあるが、石がゴロゴロでとても歩き易いとは言い難い。
しかも、当り前だが 登り坂なので息切れもする。
途中で山肌から流れ落ちる小さな流れも見つけた。
雨量の多さが分かる。

まだ?
もうチョット?
と泣き言を言いつつ歩くこと20分(?)
滝が見えた。

水量も多く
上からほぼ真っ直ぐに落ちてくる。
落差は不明である。
滝のすぐ下には橋があり
その橋をくぐって下流に流れている。






滝の下流である。岩がごつごつして荒々しい感じがする。


フナンギョの意味は何だ
と思いつつキョロキョロしたら
看板があった。

舟行 と書いて フナンギョ と読むらしい。
舟は 方言で ふねぃ と発音する。
昔、舟を作る大きな木を伐り出し 川で下流に流して運んだらしい。
つまり 
舟を作る木を伐り出すところにある滝
という命名らしい。
奄美の観光地には よくカタカナで名所が書かれている。
これは 方言を 表記したものだと思っていた方がよい。

マテリア=カトリック由来? 否 方言だった

大和村の名所に マテリアの滝 というのがあった。
カトリックとかに関係する地名なのかと思ったら
行ってみて 滝を見た母が
「ああ これは まてりゃ だわ」
という。
滝壺の上が ぽっかりとあいて 太陽の光がさしていた。
つまり 
真(マ)天(ティン)から太陽の光(ティリャ)がさす滝 
の意だというのである。
カタカナで書いてあると名前の来歴が分からないのが奄美の名所だ
という話。

さて、話しは戻って
帰り道
クワズイモの花が咲いた後を見つけた。
クワズイモは観葉植物として出回っているが
奄美ではバス道路などの道端でもよく見る植物である。
しかし、あまりまじまじと見たことは無かったが
花らしきものが目に入り立ち止まった。
初夏に仏炎苞の花が咲くという。つまり水芭蕉のような花である。
植生としては熱帯・亜熱帯地域で
日本では四国南部から九州~琉球列島に分布するらしい。
初めて花が咲くと分かった。

最後がサネカズラの実である。
常緑の蔓性の植物である。
花はあまり目立たないが 
果実はゴルフボール位に大きく赤いので目につく。

奄美に帰るたびに新しい名所を知る。
ふるさとを如何に知らなかったがわかると同時に
奄美は本当にいいところだと更に実感するのである。

ホソバワダン ホノホシ海岸にて

2018-01-05 19:06:36 | 故郷 奄美大島


これまで浜辺でよく見ていた花である。

ニガナやジシバリに似ている。
が、それらの花ではないことはわかっていた。
けど、これまで あまり気に留めていなかった。
が、オキナワギクやイソノギク を見分けるのに
図鑑を繰っていて
ニガナではないなら何だと気になり、調べることにした。

奄美の植物を集めた図鑑や山渓の図鑑を繰って
似た花を探す。
同じようなものが多くて中々探せない。
奄美の図鑑でほぼ特定し、合わせて山渓の図鑑で確認。

ホソバワダン であるらしいことが分かった。

キク科 アゼトウナ属 ホソバワダンである。

山渓のハンディ図鑑によれば
西日本の海岸の岩場や礫地に生えているという。
まさに
ホノホシ海岸の岩場、礫地に生えていた。

秋から冬の掛けて咲くらしい。

一面に群生するわけではないが
一群れ(?)に咲く花数と黄色という花色で
結構賑やかというか華やかに見える。






細葉 というからには細葉でないワダンもある。

似たような野草を細かく観察し、違いを見つける作業の後に
足元の草花の一つ一つに名前が付けられている。
先達の仕事に思いを馳せる。

奄美の景勝地 ホノホシ海岸

2017-12-30 15:36:49 | 故郷 奄美大島
ホノホシ海岸である。
前にも書いたが 景勝地である。
太平洋から登るご来光を拝みに行く場所でもある。

子どものころ、友人たちは親に連れられ、また友人同士で行っていたが
私は 朝早いのが苦手なのと 行動的ではないのとで
行ったことが無かった。

しかし、今回の帰省時
故あって 写真を撮りに行かねばならず
早起きをして3日間通った。
初日 曇っていたが 雲の切れ目からかすかに朝日が見えた。
あとの二日間は 残念ながら全く見えず。







ホノホシ海岸は 荒波が打ち寄せるので
浜辺の石が 丸い。
角が取れてツルツルである。
嘗ては お正月の支度に この石を採取して庭においたりもする家もあったが
今は国定公園に指定されているため
一木一草、一石たりとも 許可なく採取することが禁じられている。



護岸に止まっている鳥は イソヒヨドリである。
ホノホシ海岸に行った帰りに必ずこの護岸で出会う。
この近所に巣があるのであろう。

2日目の朝 気が付かずに 飛び去るところを見たが
3日目の朝 同じ場所に止まっていた。


いつか 初日の出を みたいと思っている。

オキナワギク?  奄美にて

2017-12-24 20:36:45 | 故郷 奄美大島
オキナワギクである。
奄美の故郷の地で見つけた。

図鑑によれば
海岸の岩場に生える
葉は 線形長さ4㎜ 茎葉はヘラ形
花茎は 単生10~30㎝
花期は 10月~11月 
とある。

撮影したのは12月中旬
でも花は終わりかけていたので合っているかと思う。

大島高校の生物の教諭であった大野先生が
生物の時間に、奄美には固有の植物について話してくれていたことを
この頃は特に思い出す。
オキナワギクは固有種ではないが
それでもふるさと圏域の花である。
見つけられて嬉しい。

まだまだ 見たことのない島の花を観るために通おうと思う。











岩と岩の小さな隙間からしっかりと花茎をのばして咲いている。
健気だと思う。

カワセミ 清水(せいすい)集落にて

2017-12-22 12:05:53 | 故郷 奄美大島




















言うまでもなく カワセミである。
実家の隣の集落(清水)の川にいた。

以前セイタカシギなどがいたので、もう一度行ってみた。

川の洲に鳥の姿を窺おうと、橋に至った瞬間、
川岸からぱっと飛び立った。

が、先の木の枝に止まってシャッターチャンスを与えてくれた。

今では珍しくもない鳥になったが
美しい物は美しく
出会えてうれしい物は嬉しいので掲載する。

ピンボケなのは腕前の未熟さゆえであるが
ピンボケだからと言って外すのも忍びないので( ^ω^)・・・

イソノギク 奄美の群落

2017-12-21 23:34:34 | 故郷 奄美大島
母の一周忌で 13日から帰省

奄美の景勝地ホノホシ海岸の日の出を見に3日間通った。
その海岸へ続く道に 菊の花がびっしり

地元の新聞に
イソノギクが咲いている との情報が載っていたので
これだと思い
翌日からは妹も誘って通った。





残念ながら チョット満開は過ぎた時期だった。

イソノギクは 絶滅危惧種BⅡに登録されているという。

一面に群落をつくっているこの風景も
この季節に来なければ見られなかった。


モダマ 世界最大の豆らしい 奄美にも自生している

2017-11-19 19:28:13 | 故郷 奄美大島
モダマ の自生地である。

 
世界最大の豆らしい
奄美大島の原生林で初めてみた

モダマの蔓(?)はこの太さ。
これで近くにある木々に絡みつき 長~い豆を下げていた。


これはまだ 全然小さい

電線にも絡みつき豆を下げていた。
上を眺めていると
ギャーギャー と声が
アッツと首をめぐらすと
ルリカケスが頭の上を飛んで行った。
やったね❢


これは 見上げているから正確ではないが1mはあるだろう。
最後は 熟した豆で ぺったんこになっていた。


東南アジアでは
お土産などに加工しているらしい。

モダマは 藻玉 と書くらしい。
これは 『海を漂った実が日本の浜に打ち上げられ
海藻の種子と思ったことに由来するらしい』
と記されていた。

『』は米村花きコンサルタント事務所の園芸豆知識で知ったものである。

食せるか否かはわからない。

奄美の自然はまだまだ知らないことばかりである。
行くたびに新しい発見がある。

今度は ぜひ 花の時期(いつだろう)に行ってみたいと思う。

奄美の花 浜辺でポピュラー グンバイアサガオ

2017-11-02 21:25:02 | 故郷 奄美大島
奄美のことを言いたくなった。

写真はグンバイヒルガオである。
奄美の海辺ではポピュラーである。

奄美の固有植物のことを初めて知ったのは
大島高校時代 生物の大野隼夫先生の授業であった。
アマミセイシカ など 奄美の名を冠する植物があるということを・・・
しかしその当時は全く意に介さなかった。
が、既にふるさと奄美より東京に住む方が長い今
奄美で見る風景はどんなものでも懐かしい。




さて グンバイヒルガオである。
奄美の固有種ではない。
が、大野先生の説明によると
本土では稀 奄美以南の代表的な要素
葉 肉厚で 光沢あり 先端がグンバイのようにへこんでいる という。
確かに。
名前の由来は この葉の形によるらしい。

基本的にどこの浜辺に行ってもこの群落がある。

写真は 今年9月だが 10月に行ったときにも咲いていた。
一年中咲いているのか
それとも葉も見ることのできない季節があるのか
分からない。

いつか調べてみたい。