障がい者就労支援事業=厚生委員会の視察の報告

2010-01-28 23:14:25 | Weblog
1月21日~22日
厚生委員会の視察を行いました。
視察地は、
神戸市=障がい者就労支援センター
北九州市=病児・病後児保育及び緑地保育センター事業
の3テーマです。

今日は 神戸市の障害者就労推進センターの報告です。

神戸市は1996(H8)年度
●障害者就労支援センター=他法人(2003年4月現法人受託)
●ワークセンター兵庫(知的障害者通所授産施設)=現法人
を開設、大きな実績をあげてきました。

現法人が引き受けた来た事業所の実績だけを見ても
1996(H8)年~2003(H15)年度までの就業者数は合せて100人
2004(H16)年度~2008(H20)年度263人

各年に直すと30人~70人に上ります。

この実績の表わすものは
何よりもハローワークとの連携と、職種や職場との個々人の相性をどのように見極めるかよるということだそうです。

就労支援センターでは
実際に障がいのある方々の労働の場面の訓練風景を見せていただきました。
私たちが、部屋に入っていくと
「こんにちわ!」と皆さんが声をかけて下さいました。

職員の説明で
挨拶、報告、連絡、相談ができるよう徹底しており、それを理解しての行動だということが分かりました。

また、訓練生たちは、高めの台について、立ち作業で袋張りをしていました。
一日6時間の労働に耐えられる体力があるということを
就労する事業所に分からせると同時に
学校を卒業して入所される、どちらかと言えば体力のない障がいのある方々の体力づくりのためだと言っていました。

そして、訓練生たちは、自分の一定の目標枚数が出来たら
「10枚できました」とか
「これはどうした良いですかとか」
指導の当たる職員に報告をしたり、相談をしていました。

こうした訓練を通して、一般就労の際に能動的に仕事に取り組むことが出来、
継続して働くことが出来るのだそうです。

所長さんはじめ、主任さんが絶えず口にしておられたのが
「就職して終わりではなく、それを継続できるかどうかが重要」と言うことでした。

従って、自立支援法では就労後のサポートは6ケ月となっているけど
わがセンターでは、2年のフォローをしますとも・・・
もちろん、事業所への足を運んでの支援も含めてです。

継続が肝心ですと言われる通り、結構継続して働いておられるようでした。
しかし、もちろん不幸にして職場に適合しなかった方もおられ、
その方については、再度訓練を受けていただき、ご自分に合った新たな職場への就労につなげるべく支援をされるそうです。

そして、「障がいのある方々の就労支援に何より力になるのはハローワークである」ということも強調されました。
職場を開拓するのはやはり、専門であるハローワークで
施設の職員が心を砕かなければならないのは、その職種に度の方が向いているかを多方面から検討し、支援をすることだと も、何度も何度も語っておられました。

自立支援法は
簡単に、障がいのある方々に自立しなさい、働きなさいと言うけど
こうした極めの細かい支援を、保証するものにはなっていません。
また、この法人もご多分にもれず、日額補助(つまり訓練生の通所した日数によっ補助金が支給される)のために、施設の運営が厳しくなっているそうで、これでは障がいのある方々を支援する事が困難になってしまうこともあるかもしれません。

自立支援法の問題点を改めて感じながら、
それでもハローワークと連携して就労とその継続を支援する先進的なとりくみは大いに参考になりました。
わが市でも、障害者就労支援室が昨年稼働しました。
しかし、今回の視察で、『室』ではなく訓練も含め
多数のスタッフの常駐する、センター が必要であると痛感しました。

わが東村山市の支援室も、障がいのある方々の就労の実績を持つ法人に委託されました。
より一層充実できるよう、議会でもとりくまなければならないと痛感しました。

医療的ケアが必要です

2010-01-27 14:40:14 | Weblog

1月23日、東村山市内で“地域での医療的ケアの必要性”を説く学習会が開かれ、呼びかけに応えて参加しました。
主催は、東村山市内の福祉施設あゆみの家成人部です。

正直、初めはその表題の意味がわかりませんでした。
しかし、事は大変重要な課題だったのです。

医療的ケアとは、呼吸器障害や摂食・嚥下障害のある方への
呼吸管理=痰の吸引や酸素吸入、人工呼吸器使用
栄養管理=胃や腸へ直接栄養補給を行うこと
排泄管理自己による導尿や介助導尿
その他、静脈栄養など
学校や施設で行われるケアのことです。

特別支援学校では、20年間のとりくみでノウハウを培ってきたと
講師の飯野順子先生がその とりくみを話されました。

また、調布市の障害福祉課長山本雅章さんは、ご自身の体験、
吸引や人工呼吸器使用など医療的ケアが必要な方の、
地域の施設への入所を断った経緯から地域の施設における医療的ケアが必要と、その後の取組みを進めたことを紹介して下さいました。

お二人が異句同音に話されたのは、
医療的ケアを行うことによって、障害を持つ子どもさんや人々がその人らしく育ち、生活できる
医療的ケアを行うことによって自らの意思を伝えることができるようになるなど学校生活や、地域生活を豊かにする
ということでした。

もちろん、医療的ケアを実施するには
看護士の配置が必要不可欠であり、職員の研修も重要です。

我が地域でも、医療的ケアの必要な障がい者の入所を受け入れるためのとりくみが直ちに行われるべきだと感じました。


どこ行ったの? 薬師寺です。

2010-01-26 14:00:51 | Weblog
唐招提寺からすぐの薬師寺にも行ってみました。
薬師寺の東塔は解体修理中でした。


薬師寺は、唐招提寺と違って真っ赤な建物の美しい様相をしています。
東塔は、1300年前に作られたものが残っているそうで
そのお色も、風雪に耐えた色なんだな~と感じますが、今回は残念ながら拝見できませんでした。
薬師寺金堂には、薬師如来、日光菩薩、月光菩薩が安置され、
また、15日であったために、吉祥天女の画像が拝見できました。


写真は西塔です。
昭和51年再建されました。鮮やかな色彩は奈良時代当時の色彩だそうです。
西塔の仏像を拝見することはできませんでした。


写真の鬼瓦は、薬師寺のお隣に、
西遊記で有名な玄奘和尚を祀る玄奘三蔵院があり、その伽藍を取り巻く土塀におかれた鬼瓦です。

以下は玄奘三蔵院伽藍についての薬師寺HPから参照させていただきました。

「昭和17年(1942)に南京に駐屯していた日本軍が土中から玄奘三蔵のご頂骨を発見しました。その一部が昭和19年(1944)に全日本仏教会にも分骨されましたが、戦時中でもあり、埼玉県岩槻市の慈恩寺に奉安され、その後ご頂骨を祀る石塔が建てられました。薬師寺も玄奘三蔵と深いご縁のある事から、遺徳を顕彰するため全日本仏教会より昭和56年(1981)にご分骨を拝受し、平成3年(1991)玄奘三蔵院伽藍を建立しました。平成12年(2000)12月31日に平山郁夫画伯が入魂された、玄奘三蔵求法の旅をたどる「大唐西域壁画」は、玄奘塔北側にある大唐西域壁画殿にお祀りしています。」

この平山郁夫氏の大壁画を拝見しました。
撮影禁止のために、現地へ行ってのお楽しみです。

二日間の奈良の旅は、車でもない、みんなと足並みを合わせる必要もない
ゆっくりとした時間の中で、仏像や古代の歴史に思いを馳せる旅でした。

あさ、9時ごろから拝観したのですが、気がついたら午後の2時になっていました。
京都駅のデパート地下で、
我が家族のお気に入りのお店の、京都名物ちりめんじゃこを購入し家路に着きました。
以上、奈良に行ってきましたシリーズ一挙報告終わりです。

どこ行ったの? 唐招提寺です。

2010-01-26 11:12:51 | Weblog
奈良行きの二日目は 唐招提寺と薬師寺です。
唐招提寺は、7~8年前に行ったとき解体修理中で拝見できませんでしたので
今回ぜひ拝見したいと思ったのです。

写真は唐招提寺金堂です。
この威風堂々とした建築が好きです。
入場の再いただいた説明には鑑真和尚が作ったとありましたが、
最近の説はお弟子さんたちが作ったということらしい
もっとちゃんと勉強したいと思っています。
奈良時代の盧遮那仏坐像、千手観音立像、平安時代の薬師如来立像が祭られていましたが撮影禁止なので残念。


鑑真大和尚の座像は拝見することができませんでした。
散策しているうちに、鑑真さんのお墓に出会いました。
幾度も幾度も渡航を阻まれながら、それでも意志を貫いて来日した鑑真和尚の生き様に改めて感動しました。
帰りの新幹線で井上靖氏の 天平の甍 を改めて読み直しました。


寺院のあちこちの巨木の足元を、この万両が飾っていました。
見上げるような大きな樹木はいつ植えられたのか・・・


唐招提寺の伽藍、金堂などの軒、四隅に鎮座します鬼瓦です。
悪の入ってくるのを阻んでいるのでしょうか?

金堂の屋根の鴟尾は金色に輝き新しくなっていますが
宝蔵には 奈良時代の大きな鴟尾が保存されていました。

どこ行ったの? 平城京です。

2010-01-26 10:43:27 | Weblog
14日、奈良に・・・以来ご無沙汰ですが
このごろ、奈良はどこ行ったのと聞かれるので報告です。
一日目は平城京でした。


奈良は平城京遷都1300年祭に向かって準備中です。
私はそれを意識したわけではないのですが
奈良に向かう電車から いつも朱雀門が見えていて
いつか行きたいな~ と思っていました。
今回をそのチャンスと
まず、近鉄の西大寺駅で下車、平城京跡を目指しました。
写真は朱雀門前です。


ひろ~い平城京の中を散策しました。
四月の祭りに向けて 突貫工事の最中で無粋なブルドーザーや生コン車が動いていましたが
それでも近所の散策の人々、視察にこられたのかな~と思える人々がいました。
写真は大極殿です。
中には入れませんでした。
とても大きな建造物で、奈良時代の人々が当時それこそ天皇の命令で突貫工事を行った証でもあります。
その技術のすごさもわかります。


散策中、池の中にいた たぶんゴイサギです。
枯れ草の中に寒そう(?)に首をすくめたようにたっていました。


朱雀門に沈む夕日です。
一人旅でしたので、ゆっくり、夕日が朱雀門に懸かるのを待ちました。

この平城京跡は、江戸の昔から開発の危機にさらされてきたとか、
それを住民が守ってきた歴史があるということを帰ってきて赤旗の日曜版で知りました。
朱雀門の内側を近鉄の線路が走っているのもそういうことなのでしょう。

この朱雀門を後に、JR奈良駅までは徒歩で行くことにしましたが
時間にしてどれくらいかは覚えていません。
大きな道路も建設中で
このお金はどこが負担しているのだろ~と
翌日、タクシーの運転手さんに聞いたら 県道とのこと、奈良県の遷都1300年祭にちなむ建設のようでした。

この日の歩いた歩数は16000歩を超えていました。

奈良に向かっています

2010-01-14 15:35:59 | Weblog
今 京都から奈良に向かう電車です。
諸事情により 京都までの往復キッブを使わなければならず、期限が17日なので~
せっかくなので 唐招提寺に行くことにしました。
以前は 工事中だったので楽しみです。
今は 平城京跡に向かっています。

東村山市が計画しているリサイクルセンターとは

2010-01-13 23:54:26 | 秋水園リサイクルセンター
東村山市が計画中の秋水園リサイクルセンターの概要は
★施設建築物の概要
 東西53m、南北93m 高さ=3階建て 面積5000㎡
★計画日程
 H22年度=生活環境調査、H23年度=設計、H24~25年度 建築
 H26年4月 稼働
★事業費
 全体事業費=24億7800万円
  内・既存施設解体工事=1億3800万円
  〃・施設建設工事費=23億4000万円
 ☆財源内訳
  交付金(国)= 6億6300万円(交付対象率85%の場合)
  借金=   15億6015万円
  一般財源=  2億5485万円(現金)    です。
 
東村山市は、秋水園のびん缶選別施設などの老朽化、
周辺人口増に伴う環境への配慮を理由に、
秋水園内にリサイクルセンターの設置を計画(概要は別記)。

昨年11月に、秋水園リサイクルセンター整備基本計画検討会を立ち上げ、
今年3月までの予定で、月2回のペースで検討会を行っています。
市が公開している検討会議事録によれば、
「何故今こんな大規模な施設が必要なのか」、
「ごみの減量計画はどうなっているのか」等々、厳しい指摘が多く見受けられ、
その是非や規模の適性などについて精力的に議論をしています。

こうした時期に、
東村山市議会与党は、昨年の12月議会で突然
特別委員会の設置を提案、その要否の検討も十分行われない中、
『秋水園リサイクルセンター計画に関する調査特別委員会』が設置されました。

特別委員会設置の目的が奈辺にあるのか不明ですが、
作られたからには、少なくともリサイクルセンター建設に議会がお墨付きを与えるものとならないよう、徹底した議論をする立場で臨みます。

私の個人的な見解としては、
リサイクルセンターの建設を考えるよりも先にやらなければならないこと、
市民と共にごみを減らしつつ循環させる(生ごみの堆肥化も含め)仕組みを作り上げることだと考えます。

東村山市のごみ量の推計(リサイクルセンターの取扱ごみ)は
H19年度を基準に、施設稼働のH26年以降
120%(H26)へと増えていく推計です。
増えることを前提に施設を作れば大規模化は避けられません。

少ないお金を、市民の施策に優先して使いながら、
それでもリサイクルセンターを作らなければならないというのであれば、
施設規模を限りなく小さく、
最大限財政負担を抑えるためにどうするか
こうした徹底した議論が必要ではないでしょうか。

第1回目の特別委員会は、2月8日午後に行われるそうです。


娘の成人式

2010-01-12 14:53:19 | Weblog
昨日1月11日、東村山市の成人式が執り行われた。
私は 基本的に成人式には行かないことにしている。
祝われている人々のマナーの悪さに閉口するからである。

下の娘が成人式に参加するという
友達に会うためである。

振袖は着ていかないが着物は着ていくというので
わがふるさとの工芸品でもある大島紬で着物を作ってやった。
大島紬は本来は 普段着であり 晴れ着ではないが
現代では着物そのものが普段着とはいい難く
あまり気にせずに、着せることにした
着付けの先生が、お祝いだからね と帯を華やかに結んでくれた。

赤ちゃんのときから育てていただいたなかよし保育園の園長先生宅に
兄弟のように育った友人と挨拶に伺い
その後会場まで送ってやった。

会場周辺の
美しく着飾ったお嬢さん方の顔は晴れやかで
着物はやっぱり着せてあげたいな~と思い
凛々しいスーツ姿の若者たちもいた。
そうした姿を見るのはうれしいものではある。

式典に参加する娘に
人が挨拶や話をしているときに、友達同士おしゃべりをするんじゃないよ
と、大人に言うにはおよそ不似合いの注意をして送り出した。

帰ってきて、どうだったと聞くと
うるさかった・・・と言う

成人式の日は必ずテレビで荒れた成人式の模様が判で押したように報道される。
テレビは荒れた成人式を待ち望んでいるかのようにである。
そんなことを繰り返す成人式を行う意味がわからないな~と思う。

ディズニーランドでの成人式のどこに大人の自覚を求める要素があるのかもわからない。
実施しなければならないのであれば、成人式の意味を問い直し、
そのあり方も問い直したほうがよいと、議員になって以来思っている。

あゆみの会親子新年会に参加

2010-01-10 21:05:01 | Weblog
今日は
肢体不自由児・者父母の会、あゆみの会親子新年会に参加しました。

議会厚生員会に所属して以来
お招きをいただき、できるだけ参加してきました。
今日も、獅子舞やフラダンスに
楽しそうに身体を揺らしたり
声をあげている子どもたち
それを 嬉しそうに見守っている
保護者や、家族や、ボランティアの方々や、施設の職員や
特別支援学校の校長先生たちや
社会福祉法人の役員の皆様や

その中の一人でいることに
心地よさと 嬉しさを感じるひと時です。

同時に、障害者自立支援法の無情を感じる時でもあります。
特別支援学校を卒業し、
文字通り自立して生活をすることを目指すときに
その生活を 親や保護者に頼らなければならない悲しさ

たとえ僅かであっても自らが稼ぎ
不足する部分については、政治が憲法に基づいてそれを保証する
そうしてこそ、親や保護者の庇護から自立する事ではないだろうか

自立を! と言いながら
実際には、自立をするための作業所の利用を有料にし
稼ぐお金をさらに僅かな額に 福祉の制度がしてしまう

ハンディを補い ハンディを持たない人と同じ生活をするためのサービスに
平等の名のもとに 費用負担を求める福祉の制度
このどこに ノーマライゼーションの精神が生かされているというのか
障がいのある方々の不当を訴える話を聞くたびに
怒りが沸き起こります。

日本は 未だに障がい者の権利条約を批准していません。
国連が定めたこの条約を批准すれば
今の自立支援法は条約違反に問われることがはっきりしています。

政権が変わって
選挙では この自立支援法廃止を声高に叫んだ政党が政権についたのだから
速やかに、色々な理由をつけずに
さっさとサービスの利用を無料とし、そのうえで新しい制度を急いで作り上げるべきだということを
参加者のお顔を拝見しながら
強く強く思いました。

障害を持っておられる方々が
その障がいを苦にすることなく、生きられる制度の創設を目指して
共に 文字通り『共』に頑張らなければなりませんよね