東村山市の小中学校に通う外国籍のお子さんたちに日本語を教えて三年がたった。
議員引退後一年間、社会福祉士の国家試験目指して猛勉強。
2016年の国家試験が終わると同時に、することが無くなり、明日から何をしようと考えている時に、偶々市報のボランティア養成講座に応募したのが始まりであった。
自分の勉強と共に日本語を教えることの難しさ、
日本語への知識の浅さに辟易しながらも続けているのは、
三年間教えてきて、単に日常会話を教えるだけではなく、
日本語で書かれた教科書を読み解く力をつけるための支援がどれほど重要であるかを実感してきたからである。
その意味で、
市民相談・交流課・多文化共生係が
こども日本語教室の取り組みを始めたことに敬意を表するところである。
さて、本日の本題である。
昨日の東京新聞コラム欄に前川喜平氏が『外国籍の子どもの学習権』と題して寄稿している。(下記記事写真参照)
そこでは、
外国籍のお子さんの学習権の保障について、どこまで必要かということに言及している。
現在、外国籍のお子さんの就学については、自治体によって受け入れが違っているらしい。
私の知識は、新聞報道によるが、例えば、日本語が話せることが基準となっているなどである。
幸いなことに、我が東村山市においては、希望するすべてのお子さんの就学を認めてるらしい。
しかし、就学を認めることと、学習権の保障は別物であると私も思う。
というのは、
学校に入学させたからと言って、そのお子さんが勉強に取り組めるとは限らないからである。
日常会話は大丈夫でも、日本語の教科書で行われる授業についていくのは並大抵のことではない。
おしゃべりが上手なことと、ひらがなやカタカナを読みこなす力はイコールではないからである。
同時に、最近外国籍のお子さんの母語の習得と母国の文化の習得はどうなっているのだろうと考えさせられることが多くなっている。
母国の年間行事の時期に、お国へ帰ってその行事に参加し、民族の文化を学べるお子さんたちはあまり問題はないであろう。
しかし、お国に帰ることが出来ない事情で、未就学前から日本でくらし、母国の文化を享受できない子さんたちの場合、そのアイデンティティはどのように確立されるのだろうと思うからである。
未就学時代に、例えば日本なら昔話や年齢に合った絵本などの読み聞かせで、文字や言葉を習得していくが、外国籍のお子さんたちはそれをどのようにしているのだろうと、私は強く懸念するのである。
記事を抜粋した下記の前川氏の指摘に、全面的に賛同するゆえんである。
以前に、新聞に連載された記事中で、大阪の私立の学校が前川氏の指摘のような取り組みをしていると紹介された記憶がある。
本当は、外国籍のお子さんを受け入れるすべての学校で実施されてほしい。
そのために、国の財政支援が必要であることは論を待たない。
国の税金はこうしたところにこそ優先して使ってもらいたい。
議員引退後一年間、社会福祉士の国家試験目指して猛勉強。
2016年の国家試験が終わると同時に、することが無くなり、明日から何をしようと考えている時に、偶々市報のボランティア養成講座に応募したのが始まりであった。
自分の勉強と共に日本語を教えることの難しさ、
日本語への知識の浅さに辟易しながらも続けているのは、
三年間教えてきて、単に日常会話を教えるだけではなく、
日本語で書かれた教科書を読み解く力をつけるための支援がどれほど重要であるかを実感してきたからである。
その意味で、
市民相談・交流課・多文化共生係が
こども日本語教室の取り組みを始めたことに敬意を表するところである。
さて、本日の本題である。
昨日の東京新聞コラム欄に前川喜平氏が『外国籍の子どもの学習権』と題して寄稿している。(下記記事写真参照)
そこでは、
外国籍のお子さんの学習権の保障について、どこまで必要かということに言及している。
現在、外国籍のお子さんの就学については、自治体によって受け入れが違っているらしい。
私の知識は、新聞報道によるが、例えば、日本語が話せることが基準となっているなどである。
幸いなことに、我が東村山市においては、希望するすべてのお子さんの就学を認めてるらしい。
しかし、就学を認めることと、学習権の保障は別物であると私も思う。
というのは、
学校に入学させたからと言って、そのお子さんが勉強に取り組めるとは限らないからである。
日常会話は大丈夫でも、日本語の教科書で行われる授業についていくのは並大抵のことではない。
おしゃべりが上手なことと、ひらがなやカタカナを読みこなす力はイコールではないからである。
同時に、最近外国籍のお子さんの母語の習得と母国の文化の習得はどうなっているのだろうと考えさせられることが多くなっている。
母国の年間行事の時期に、お国へ帰ってその行事に参加し、民族の文化を学べるお子さんたちはあまり問題はないであろう。
しかし、お国に帰ることが出来ない事情で、未就学前から日本でくらし、母国の文化を享受できない子さんたちの場合、そのアイデンティティはどのように確立されるのだろうと思うからである。
未就学時代に、例えば日本なら昔話や年齢に合った絵本などの読み聞かせで、文字や言葉を習得していくが、外国籍のお子さんたちはそれをどのようにしているのだろうと、私は強く懸念するのである。
記事を抜粋した下記の前川氏の指摘に、全面的に賛同するゆえんである。
以前に、新聞に連載された記事中で、大阪の私立の学校が前川氏の指摘のような取り組みをしていると紹介された記憶がある。
本当は、外国籍のお子さんを受け入れるすべての学校で実施されてほしい。
そのために、国の財政支援が必要であることは論を待たない。
国の税金はこうしたところにこそ優先して使ってもらいたい。