重度であっても意思を表明する手段を持っている それを受け取ることができるかは此方の問題です

2016-08-29 08:17:28 | 障碍のある人の生活
先日 ほぼ1カ月振りに更新

この夏 7月~8月第1週まで、社会福祉士の国家試験受験資格を得るため
八王子の障害者施設で実習をしていた。

その実習期間に 相模原の施設で重度の障害者が殺害される事件が起きた。
「自分の意思を示せない障害者は生きる価値が無い」と言うのが犯人の殺害理由であった。
そんなことは無いと私は報道を知って憤りを感じた。

私の実習先は、生活介護の施設であった。
私も、初めは
身体、知的、自閉症などの重複障害が多い利用者との
コミュニケーションを取ることに必要以上に困難を感じていた。
しかし、ある時突然、これが利用者の意思なのだということに気が付いた。
簡単なことであった。

ある利用者は、
音楽などのグループ活動中、私が隣に座ることを容認し、
彼女の手を叩いてリズムを取るのを黙って受け入れた。
そして、ニコッと笑うのだ。
彼女にとっては、それが 「この活動は楽しい」  と言うサインなのである。

また、自分の意に沿わない曲を私が口ずさむと
「う~ん」と手を放し、私を追いやる仕草をする。
それは、 「この曲は嫌い」  と言うサインなのだ。

また、支援者が
「Aさん、福田さんと手をつないで歩いて」
と声を掛けると
Aさんは 自分から手をつないだり、腕を回してくれる。
Aさんの  「一緒に歩いてね」  と言うサインだ。

問題は、そのサインを受け取るこちら側に、その力と意思があるか否かなのだ。

それが分かった時期にあの事件は起きた。
だから、余計に憤りを禁じえなかった。
当初マスコミは精神障害があるのではないかと言うような報道もした。
が、
私は瞬時に、そうではなくこれは人の命への差別の思想の表れであると感じていた。
かつての東京都知事が
重度の障害者施設を視察した際同様の発言をしていたことも瞬時に思い出していた。

日本国憲法第13条は すべて国民は個人として尊重される。
 同14条は すべて国民は、法の下に平等で(中略)差別されない。
と謳っている。
これは、障害があろうとなかろうと
生まれたばかりの赤ん坊であろうと高齢者であろうと
一人の人間として尊重されるべきで、生きる価値があると謳っているのである。

かの犯人には、この人権に対する認識が欠如していると言わねばならない。
「障害がある人は無い人に劣る」という思想が彼を覆っているのである。

人の価値観は色々である。
しかし、「他人の生きる価値」は万人が認めるべき価値である。
そこに一片のブレがあってはならない。

政治に携わり、福祉を勉強して
我が日本の社会には、
未だに 障害者への合理的配慮に欠けることが多々あると実感する。

法律すらそうである。
当事者たちが抜本改正を求め、その『合意』が存在するにも拘らず
障害者総合支援法が未だに改正されていないこともその一つの証であると私は考える。

先にも述べたが、重度の障害があっても、自分の意思を表明する方法を持っている
実習先の施設では、全ての支援員がそれを読み取る力を身につけて、
当事者個々のニーズと願いに添った支援を行っている。
「今は それをやりたくない」と言うサインを出した利用者には
その意思を生かして、ほかの活動が提供されているのだ。

生まれたその瞬間から全ての人は生きる価値を持った存在である
という人権意識を我々の内に育てたいものである。

台風9号 市内に爪痕 学園通りもやっぱり冠水

2016-08-22 18:55:34 | 災害について
台風9号に追いかけられ
本来今日までのはずの式根島の旅
昨日切り上げて帰ってきた。

今日は予報通り台風襲来
我が家は被害は無いが
西武多摩湖線の脱線、空堀川が危険水位を超えたとか
被害が心配される。

近所の状況は と考え野火止用水へ
富士見橋 暗渠の流水講に流木などが詰まり溢水の危険も
地域防災組織の方と一緒になったので
放置したら危ないかもね

役所へ一報を入れた。

後刻、廻ってみたら排水口が大きく確保されていた。
綺麗にしていただいたみなさんありがとうございました。

他方
近所で大雨でいつも冠水する道路がある。
富士見町の学園通りである。
排水溝に落ち葉が集まり、排水能力が無くなるからだ。
車が、歩道に人がいてもお構いなしに水しぶきを上げて通り過ぎる。

ここは、仕方ない、私の仕事だと考え
いつも排水溝のつまりを除くことにしている。
今日も案の定 冠水していた。
怪我の防止に長靴を履き通りに向かった。
泥水で排水溝がどこにあるかわからないので
足で探りながらあたりをつけ、落ち葉を溝の真ん中に寄せる
桜花女学院とさやま園、大規模マンションの両側の排水溝をなんとかするのに
一時間ほど掛かった。

その間、気の利いた車の運転手は、スピードを落としてくれるが
道端で仕事をしていることを横目に遠慮なく水しぶきをかけて行く車が・・・
品格と言うものを感じる

道路課や防災課が手が足りないのはわかっているから
ここは電話はかけない。
でも、通りの冠水を繰り返させるのはいかがかといつも思う。

この道路は、
桜花女学院の運動場や福祉施設敷地から水が流れ込む。
せめて、大雨や台風時、東村山市がお願いして、
その時だけは『排水溝の通水にご協力を頂く』なんてこと考えたらよいと思う。
施設や学校には緊急対応の人が必ずいるのだから
災害にならないうちに防止するための市民としての協力をである。

ずぶ濡れで帰宅しつつそんなことを思い

次の台風の時のことが思いやられてならなかった。