先日 ほぼ1カ月振りに更新
この夏 7月~8月第1週まで、社会福祉士の国家試験受験資格を得るため
八王子の障害者施設で実習をしていた。
その実習期間に 相模原の施設で重度の障害者が殺害される事件が起きた。
「自分の意思を示せない障害者は生きる価値が無い」と言うのが犯人の殺害理由であった。
そんなことは無いと私は報道を知って憤りを感じた。
私の実習先は、生活介護の施設であった。
私も、初めは
身体、知的、自閉症などの重複障害が多い利用者との
コミュニケーションを取ることに必要以上に困難を感じていた。
しかし、ある時突然、これが利用者の意思なのだということに気が付いた。
簡単なことであった。
ある利用者は、
音楽などのグループ活動中、私が隣に座ることを容認し、
彼女の手を叩いてリズムを取るのを黙って受け入れた。
そして、ニコッと笑うのだ。
彼女にとっては、それが 「この活動は楽しい」 と言うサインなのである。
また、自分の意に沿わない曲を私が口ずさむと
「う~ん」と手を放し、私を追いやる仕草をする。
それは、 「この曲は嫌い」 と言うサインなのだ。
また、支援者が
「Aさん、福田さんと手をつないで歩いて」
と声を掛けると
Aさんは 自分から手をつないだり、腕を回してくれる。
Aさんの 「一緒に歩いてね」 と言うサインだ。
問題は、そのサインを受け取るこちら側に、その力と意思があるか否かなのだ。
それが分かった時期にあの事件は起きた。
だから、余計に憤りを禁じえなかった。
当初マスコミは精神障害があるのではないかと言うような報道もした。
が、
私は瞬時に、そうではなくこれは人の命への差別の思想の表れであると感じていた。
かつての東京都知事が
重度の障害者施設を視察した際同様の発言をしていたことも瞬時に思い出していた。
日本国憲法第13条は すべて国民は、個人として尊重される。
同14条は すべて国民は、法の下に平等で(中略)差別されない。
と謳っている。
これは、障害があろうとなかろうと
生まれたばかりの赤ん坊であろうと高齢者であろうと
一人の人間として尊重されるべきで、生きる価値があると謳っているのである。
かの犯人には、この人権に対する認識が欠如していると言わねばならない。
「障害がある人は無い人に劣る」という思想が彼を覆っているのである。
人の価値観は色々である。
しかし、「他人の生きる価値」は万人が認めるべき価値である。
そこに一片のブレがあってはならない。
政治に携わり、福祉を勉強して
我が日本の社会には、
未だに 障害者への合理的配慮に欠けることが多々あると実感する。
法律すらそうである。
当事者たちが抜本改正を求め、その『合意』が存在するにも拘らず
障害者総合支援法が未だに改正されていないこともその一つの証であると私は考える。
先にも述べたが、重度の障害があっても、自分の意思を表明する方法を持っている
実習先の施設では、全ての支援員がそれを読み取る力を身につけて、
当事者個々のニーズと願いに添った支援を行っている。
「今は それをやりたくない」と言うサインを出した利用者には
その意思を生かして、ほかの活動が提供されているのだ。
生まれたその瞬間から全ての人は生きる価値を持った存在である
という人権意識を我々の内に育てたいものである。
この夏 7月~8月第1週まで、社会福祉士の国家試験受験資格を得るため
八王子の障害者施設で実習をしていた。
その実習期間に 相模原の施設で重度の障害者が殺害される事件が起きた。
「自分の意思を示せない障害者は生きる価値が無い」と言うのが犯人の殺害理由であった。
そんなことは無いと私は報道を知って憤りを感じた。
私の実習先は、生活介護の施設であった。
私も、初めは
身体、知的、自閉症などの重複障害が多い利用者との
コミュニケーションを取ることに必要以上に困難を感じていた。
しかし、ある時突然、これが利用者の意思なのだということに気が付いた。
簡単なことであった。
ある利用者は、
音楽などのグループ活動中、私が隣に座ることを容認し、
彼女の手を叩いてリズムを取るのを黙って受け入れた。
そして、ニコッと笑うのだ。
彼女にとっては、それが 「この活動は楽しい」 と言うサインなのである。
また、自分の意に沿わない曲を私が口ずさむと
「う~ん」と手を放し、私を追いやる仕草をする。
それは、 「この曲は嫌い」 と言うサインなのだ。
また、支援者が
「Aさん、福田さんと手をつないで歩いて」
と声を掛けると
Aさんは 自分から手をつないだり、腕を回してくれる。
Aさんの 「一緒に歩いてね」 と言うサインだ。
問題は、そのサインを受け取るこちら側に、その力と意思があるか否かなのだ。
それが分かった時期にあの事件は起きた。
だから、余計に憤りを禁じえなかった。
当初マスコミは精神障害があるのではないかと言うような報道もした。
が、
私は瞬時に、そうではなくこれは人の命への差別の思想の表れであると感じていた。
かつての東京都知事が
重度の障害者施設を視察した際同様の発言をしていたことも瞬時に思い出していた。
日本国憲法第13条は すべて国民は、個人として尊重される。
同14条は すべて国民は、法の下に平等で(中略)差別されない。
と謳っている。
これは、障害があろうとなかろうと
生まれたばかりの赤ん坊であろうと高齢者であろうと
一人の人間として尊重されるべきで、生きる価値があると謳っているのである。
かの犯人には、この人権に対する認識が欠如していると言わねばならない。
「障害がある人は無い人に劣る」という思想が彼を覆っているのである。
人の価値観は色々である。
しかし、「他人の生きる価値」は万人が認めるべき価値である。
そこに一片のブレがあってはならない。
政治に携わり、福祉を勉強して
我が日本の社会には、
未だに 障害者への合理的配慮に欠けることが多々あると実感する。
法律すらそうである。
当事者たちが抜本改正を求め、その『合意』が存在するにも拘らず
障害者総合支援法が未だに改正されていないこともその一つの証であると私は考える。
先にも述べたが、重度の障害があっても、自分の意思を表明する方法を持っている
実習先の施設では、全ての支援員がそれを読み取る力を身につけて、
当事者個々のニーズと願いに添った支援を行っている。
「今は それをやりたくない」と言うサインを出した利用者には
その意思を生かして、ほかの活動が提供されているのだ。
生まれたその瞬間から全ての人は生きる価値を持った存在である
という人権意識を我々の内に育てたいものである。