待機児対策で分園(認可保育園の)推進?

2009-11-29 21:19:52 | Weblog

東村山市は、待機児対策として
東村山市内認可保育園(NPO)から申し出のあった分園を受け入れたいとの意向を示し
児童育成推進部会の意見を求めました。
傍聴をさせていただきましたが
待機児解消について職場の環境からみれば保育所は欲しいが
分園とは何? 分園で保育の基準はどうなる など
危惧する声が大きく聞こえました。

私は、東村山市議会厚生委員会で分園化の話を一応聞いていましたが
どこのどの法人がということも知らされず聞き置くのみとなっていました。
インターネットで検索すると
保育所分園の設置を認めている市町村数は302で、
保育所のある市町村の9.8%
実際に分園を設置している保育所のある市町村は20であり、
保育所のある市町村の0.6%となっているそうです。

そもそも保育所分園の設置については
厚生労働省の全国児童福祉課長会議(保育課長関係)の説明資料によれば

3 保育所分園の設置運営について
 保育所分園は、認可保育所の設置が困難な地域における保育の実施を図るために、本年度より設置運営要綱に基づきモデル的に実施されているところである。
 更に積極的に実施できるように設置運営要綱の一部改正を行うこととしているところである。(参考:別紙「保育所分園設置承認状況」)

(改正内容)
 分園の土地及び建物については、設置主体が所有権を有していることを原則とするが、次の要件を満たす場合には、貸与を受けたもので差し支えないものとすること。
 ア 継続的安定的に事業が実施できる程度の期間について、その地上権又は賃借  
  権を設定し、かつ、これを登記しなければならないこと
  ただし、事業実施に合わせ、登記を行うことが出来ない特別の事情がある場合 
  において、分園における事業運営が困難となった場合に中心保育所において保
  育を行うことができることなど適切な対応がとられている場合はこの限りでない。  
 イ 賃貸料が適正な額であり、その賃貸料を支払いうる確実な財源があること

となっています。

その設置運営については
認可保育所の設置が困難な地域における保育の実施を図ることを目的
  なぜ東村山市に認可保育園設置困難なの?
新設法人が分園を設置することは認められない
  新設法人の意味は?
一分園の規模は30人未満
  児童の年齢で30人は多いのでは
児童福祉最低基準第33条に規定する職員を配置すること
  これは当然ですが、看護師は?
嘱託医及び調理員については、分園には置かないことができる
  30分も離れていたら利用できない
分園において安全を確保する観点で常時2名以上の保育士を配置する
  児童一人でも2人以上ということは当たり前
中心保育所と分園との距離は、通常の交通手段で30分以内を目安
  30分という距離は保育の対象時には離れすぎ
調理室及び医務室については中心設けないことができる
  離乳食という観点はどこに?
  子どもにとって安政のできる空間、医務室はかけてはならない物では?

です(赤字はfy管のつぶやき)。
 
私は、分園を導入できるのなら
一番の理想、公立保育園の設置
社会福祉法人立の認可保育園の導入に力を入れるべきだと思います。

東村山市農業者クラブ研修会に参加

2009-11-29 01:15:30 | Weblog
 11月27日、東村山市農業クラブの研修会に同行させていただいた。昨年に続き二度目の参加である。午後1時30分、金山神社に集合。会長の小町勉氏のご挨拶の後、総勢79人で早速圃場見学へ。
 体験農園、減農薬栽培圃場、野菜圃場、椎茸栽培、野菜ハウス、花卉栽培、広い野菜畑など、7軒の農家の見学をしました。参加者は農家と議員。
 私は、昨年に続き二度目の参加。とても勉強になりました。

とりわけ驚いたのは、椎茸の栽培農家
ハウスの中で、種菌を植えられたブロックに立派な椎茸がにょきにょき
一日に100キロも収穫するとか
下の写真がそのハウスの中の椎茸栽培の様子です。


下の写真は花卉栽培のビオラ
やはりハウスの中でパンジーと共にたくさんのポット苗が出来ていました。
出荷間近なのでしょうか。
花苗は、1ポット100円などで買うことが多いのですが
景気によっては、市場で10円にしかならないこともあるとか
農家の所得の不安定さがわかります。


各農家の圃場で、減農薬で栽培するも、収穫量が安定しないこと、
収穫後野菜の屑を山の落ち葉と共に土に鋤き込み養分にする
自動的に湿度を保つ機械化をしても、結局手動で行なうことになる苦労
同じ東村山市内でも、地域によって土の性質が全く違うこと
などなど、今年もまたたくさんのことを勉強させていただきました


国庫補助金があるから公立保育園の民間委託?

2009-11-23 23:02:50 | Weblog
東村山市は 公立(市立)保育園の民間委託を進めようとしています。

来年度の保育所入所申込者に
市立保育園は民間委託がされ、どの保育園が対象になるか分かりませんという文書が、
申し込みを行った保護者に渡されました。

東村山市は、9月議会で市長の所信表明で、
国庫補助金がある民間保育園にすることが財政的にも助かるからと
市立保育園の民間委託を H24年4月を目処に進めると明言しました。

いま所管部では、その準備に追われています。
児童育成計画推進部会で、そのための要綱作りが行われているそうです。

民間委託の口実となっている『国庫補助金』は、小泉構造改革の三位一体の改革以前は、当然公立保育園にも有りました。
法律で、保育に欠ける子の保育の実施責任は国にあることがはっきりしていたからです。
ところが小泉構造改革で、国の補助金改革で公立保育園への『補助金』をなくしてしまいました。
これは、国の子どもの保育に対する責任を回避したものです。

こうした理不尽な補助金制度のありように対して
これを改革することを求めるのではなく、
私立保育園には補助金があるから、東村山市何の保育園はみんな私立にするというのは
子ども達の利益を後景に追いやるもので許されるものではありません。
こうした補助金制度のあり方を改革して、
公立保育園に対しても国の財政責任を明確にするよう求めることこそ
自治体が緊急にしなければならないことです。

小泉構造改革を 金科玉条に、それを鵜呑みにして自治体の政策を変えることは
地域住民の利益を損ねることで、許されません。
政権が変わった今、こうした当然の要求にこそ耳を貸しなさい、と
自治体の首長は要求すべきです。

でなければ 何のために国民が政権後退を実現したか分からなくなります。

市財政の困難を、国の責任でこそ解決させるよう取り組むのが
東村山市の市長たる責任ではないかと思います。

私は、公立保育園の民間委託は絶対に容認できません。

記事には関係ありませんが、市内保育園の運動会の風景です。 

小池あきら参議院議員東村山市に

2009-11-22 20:30:57 | Weblog
今日 22日 東村山市に国会中継やテレビの政治討論でおなじみの
小池あきら参議院議員がやってきました。

日本共産党東村山市委員会と本町後援会の要請に応じ、
午後1時半からは、市民センターで本町の皆さんと懇談50人が参加

また午後3時30分からはスポーツセンターの大会議室で140人が参加してくれました。

小池あきら参議院議員は、最近の国会情勢を話された後、
会場からの質問に答えて

温暖化25%削減問題で
その提案は大賛成だが、経済界を巻き込み協定を結武必要があること
民主党がそこまで腹をくくることが出来るかが実現のカギだと話されました。

保育園では 今でも25㎡の保育室に24人の子どもと保育士4人がいて日々の保育をしている。最低基準の廃止や緩和で、今以上に保育は危なくなる。最低基準は引き上げることこそ必要との発言に
「5歳の子どもを保育園へ送っていくことが一日の始まり」と、小池さんは自身の保育所入所の大変さを語りながら、
保育問題の国会論戦で、保育所を増やすことこそ肝心だと答え

建設業で親方の死亡の一番の原因が自殺。仕事がない、ダンピングで採算が取れない。どうしたらよいか・・との声に
八ッ場ダムなど大型公共事業の無駄は見直す必要があるが、生活道路の建設や補修、建築物の耐震化事業、保育所の建設など生活に密着した建設事業を増やす必要がある。事業仕訳の方向も問題があると答えていました。

アルコール依存症の人々の共同作業所では、自立支援法になって応益負担や施設への日割補助で大変困っていると、インフルエンザが蔓延し、作業所を閉所すれば補助金が入ってこないと窮状を訴える声に
障害者自立支援法は、応益負担と日割補助の見直しを直ちに行う必要があること、
同時に自立支援法を廃止すると精神障害者のサービスが、法以前の劣悪だった状態に戻るので単純ではないと、よりよい制度に改善へ取り組むと話されました。
さらに、後期高齢者医療制度は廃止が何よりだとも・・・

商売をしている人は、融資制度などはNPOは対象にならず経営が困難になることなど、営業資金の対策に頭を痛める中小業者の声に
金融安定化法は、銀行の努力を求めているもので実効性があるか疑問としながら、
仕事がない、受注ないが機械の維持費はかかる、こうした中で潰れる、
潰さないために直接支援と休業補償が必要
3大メガバンクは、中小企業融資を4兆円も削っている。貸し渋り、貸しはがしをやめさせることも重要。
また制度融資の業種指定も無くすことが必要と答えていました。

介護保険は、今、家族のためのサービスはできない。あれもダメ、これもダメと言われ、介護サービスを受ける手続きに疲れる。本当に改善してほしいとの声に
認定の在り方やサービスの制限など、今の制度の問題点を改善するために
介護保険について国会で一番質問し発言しているのは私だと言いつつ、
今後も、がんばると決意を語ってくださいました。

参加者は、テレビで見ている小池さんを直接見れて良かった・・
来て良かったと、口々に感想を話されながら帰路につかれました。
参加者の皆さん、ありがとうございました。




視察に、研修に、旅行に、署名、10月、11月は最高に忙しい日々でした

2009-11-15 12:29:15 | Weblog
11月7~8日は浜畑家(私の旧姓)の家族会旅行でした。
ここまでの10月後半からの忙しかったこと

10月26~28日は甲賀市への視察と、議員研修会への参加で滋賀県へ
翌週の10月31日~11月1日は後援会の皆さんと秩父事件を学ぶ旅へ
そして、翌週家族会旅行というわけです。

家族会旅行は、私の妹達の家族4組10人で
時には 奄美の母や甥も参加する大旅行となります。

伊東のハトヤホテル(山側)に
ハトヤは 再開発の研究集会で何度も利用したことのある施設ですが
プールはついぞ使用したこともなく
でも、25mのプールだそうで、夫や娘たちは堪能したようでした

我々姉妹は、大室山の展望へ
山頂は1周20分ほどの散策ルートになっていて
旧火山の様相が十分にわかることと360度の景色が美しいところでした。

写真は妹たち、顔の見えないのがみそ

はるか向こうには、富士山も見えていましたが
天気が良すぎてかすんでしまっていました。

翌日は、娘たちはサンハトヤの色々なプールと海底温泉を楽しみ
私は 妹たちとみかん狩りへ
食べ放題とはいうものの、食べられる個数は3個~4個が限度
でも、みかん畑の中にある柿の木に
目白が寄って来ていて、その写真を撮るのに妹たちと必死
なかなか良い写真が取れました。


肝心のみかん狩りは、我々は
枝の高いほうが お日様が当たってきっとおいしいよね
と、踏み台を使って収穫したのですが
お土産も買って帰ったら、実は、
下の枝の先についた実が甘いんだよ ゆうべのテレビで言っていたよ
と聞かされ、がっくり

でも、ミカンはおいしくいただきました。

こうした忙しい間にも
もちろん日常的には
清瀬小児病院の存続を求める都議会への請願署名の取り組みも
住民の皆さんと精力的に進めました。

サイクルトレイン??

2009-11-08 19:22:40 | Weblog
先日 甲賀市へ視察で伺った時
米原から 近江鉄道に乗りました。

黄色い電車で、何だか見たことがあるよな~と思っていたら、
我々におなじみの、西武鉄道の黄色い車両でした。
ちょっと感激!!
そう思って街を眺めると
ライオンのマークのついた西武バスも見つけました。

1時間30分ぐらいの列車の旅、
景色をぼんやり眺めたり、乗り降りする人を見るともなく見ていたり
一番前のドアしか開かない駅があるんだ~
などと、何をするともなくキョロキョロしていたら

写真のような車内の掲示を見つけました。



始め、レンタサイクルがあるんだ… と思いました。
しかし、よ~く見ると
サイクルトレインのご案内 と書いてあります。
サイクルトレイン? 近寄ってよく見ると

朝の9時から 午後の4時まで
自転車と一緒に乗ってもいいですよ と書いてあるのです。
しかも 運賃は人の乗車賃のみ。

ただし、グループで乗車するときはあらかじめ連絡ください
と書いてありました。

私たちが目的地に着くまで 誰か自転車とともに乗ってこないかな~
と、ワクワクしていたのですが
残念ながら 自転車は見ることができませんでした。

なかなか乗車率が悪くて、近江鉄道として様々な努力をしていることの一つだそうです。
オモシロイ取り組みです。
是非多くの人が利用してくれればいいのにな~と願いました。

秩父事件ゆかりの地を巡り、長瀞へ行ってきました

2009-11-02 15:24:57 | Weblog
10月31日と11月1日の2日間
地域の皆さんと秩父へ旅してきました。

秩父事件を学ぶことを主要な目的に
初日は、10時から15時まで
専門家の案内で ゆかりの地を巡り
125年前、時の明治政府の大増税政策と
不況で苦しむ養蚕農家に高利で金を貸し付け暴利をむさぼる金貸しへ
返済の猶予を求め、入れられなかった農民の闘いを学びました。

板垣退助によって結成された自由党
この自由党員となった人たちが指導し、
政府に要求を突き付けて戦ったのですが
時の政府はこれを暴徒として鎮圧

多くの犠牲を払った秩父事件

明治政府の軍備拡張の犠牲になったのは
まさに、必死に地面を這いまわり経済を支えてきた農民や
劣悪な条件の下、工場で長時間働かされてきた労働者であったこと

資本主義列強との競争に、その庶民を犠牲にして勝とうとした時の権力

現代の日本の情勢を鏡で映したようでした