秋の七草 勉強してみました

2017-09-20 00:05:21 | 
思い立って 秋の七草を探しに 小平市にある東京都薬用植物園へ行きました。

秋の七草 について 歌があったな~ とうろ覚えに思い出したので
インターネットで調べてみたら

「秋の野に 咲きたる花を 指折り かき数ふれば 七草の花」
「萩の花 尾花 葛花 瞿麦の花 姫部志 また藤袴 朝貌の花」

山上憶良が詠んだとされ、秋の七草を指定した? 由来ともいわれています。

二つ目の歌をかなで書くと
はぎのはな すすき くずばな なでしこのはな おみなえし ふじばかま ききょうのはな
となります。


萩は 知らない人はいない秋の花です。
でも、萩と名の付くものにもたくさんの種類があります。
私が知っているだけでも
ミソハギ ヌスビトハギ コマツナギ 等々
しかし、これらはいずれも草のようである。
因みに ミソハギは わが故郷のお盆に仏様用の箸や楊枝に使う。
精霊花 と祖母が言っていたのを思い出した。

その謂れを知らなかったが、今回調べたら
「漢字で「禊萩(ミソギハギ)」と表記するが、
お盆に作る精霊棚のごはんの横に配置される。これは、お盆で供養する餓鬼は、のどが狭くごはんが食べられないことから、水とのどの渇きを抑える作用のあるミソハギを添えておくためである。」
とあった。
我が先祖を 餓鬼 とは言いたくないが、そういうことらしい。


ススキは植物園ではまだ咲いておらず 車山で見つけたのを入れています。


葛は 荒れ地などでよく見られますが、草刈りの対象になるので花がななか身近で見られません。
高速道路ののり面などでよく見かけます。
写真は薬用植物園です。
葛は 葛湯の原料でもあるのですが、今は奈良県が主要産地です。
また 葛根湯 も葛が原料です!
 

撫子は カワラナデシコ
撫子 って意外と身近にない。
自然の多いところに行くとみられる。



女郎花は 意外と身近に見られる。
女郎花 と書くようになったのは平安時代だとか。
それまでは 女郎飯 と言っていたらしい。粟めつぶのようだからだとか。花を観れば納得。
米は 男飯 といっていたことに倣った?

また、おみな はおんな えし は古語の『へし』で美女を圧倒する美しさから名付けられたそうだ。



花の色が藤(ふじ)色で、花弁の形が袴(はかま)のようであることから、この名前になったらしい。
藤袴は 絶滅危惧種 に指定され なかなか本物にお目に掛かれません。
写真は 植物園で園芸種と説明書きがされていました。
野原でも 似たような植物にお目に掛かることが有りますが 違う植物のようです。



私は アサガオは ききょう だと以前に学んでいました。
いまは ムクゲ ヒルガオ という説もあるようです。
しかし、牧野富太郎博士は 『植物一日一題』で このアサガオをムクゲとする説には反対だと名言している。
曰く ムクゲは中国から渡来したもので 七草にするにはふさわしくないというのである。
もちろん ヒルガオ 説にも反対を表明しておられる。
従って 私も アサガオ=桔梗 だと信じる所以である。

現在のアサガオは もともと中国から遣唐使が薬用として持ち帰ったそうです。

彼岸花もさいて 秋の風情が楽しめる季節になりました。

アマミホシゾラフグ

2017-09-18 11:14:15 | 故郷 奄美大島


しわくちゃにしてしまったが
今日の赤旗の記事である。
新種のフグが海底で作る不思議なミステリーサークルのなぞを解き明かすというもの。

数年前から話題ではあった。

お盆の帰省中に 町の図書館に伺った際
新種の魚などの展示があって
奄美大島 大島海峡 瀬戸内町の近辺で見つかったものなど
多くの展示があった。

その後でのこの記事である。



地図は 奄美大島と 南端の瀬戸内町の位置を示している。
このミステリーサークルが見つかったのが
大島海峡である。
奄美本島と加計呂麻島の間の海だ。

この中で20年も前に水中写真家の大方洋二さんが
海底に不思議なサークルを見つけたそうだ。
そしてさらに6年前
 小さな魚がサークルを作っているところを目撃

その後その体長10センチほどの魚が新種であったことも判明。
 アマミホシゾラフグ と命名された



写真が見にくいが
サークルづくりの初めの一歩も観察され



このサークルが産卵のための物であったことも判明。

まだまだ究明すべき課題もあるという。

遠い奄美の海の生物の生態解明に
千葉県の県立中央博物館の研究者たちが関わっているというのも
研究者であるから当然と言われればそれまでだが
不思議である。

奄美の住人達は 何もないからね~ とよく言う。
いやいや
不思議なことや まだまだ見たこともないとが多くある島である。

まだまだ 知らない所があった 奄美

2017-09-16 10:39:19 | 故郷 奄美大島


上の地図は奄美大島のほぼ全景である。
右上 北の方に奄美空港があり
左下 南の方にわが故郷の瀬戸内町がある。

そして 今日の話題は 北側の竜郷町の美しい風景である。

数カ月前 NHKの❝ブラタモリ❞で奄美大島が紹介された。
その時 タモリさん一行が訪問した先に
奄美自然観察の森
があった。

今回の里帰りで 妹たちとそこを訪ねて出会ったのが以下の風景である。

上の写真は 竜郷湾に突き出た半島である。
観察の森の ドラゴン展望台から見た景色だ。

因みにドラゴンとは 竜郷町 という地名によるらしい。
私の撮り方が下手なので そのようには見えないが
肉眼で見ると まさに 二つの角を持った竜が 海に横たわっているように見える。


奄美は 写真のような深い森におおわれている。
ほぼ原生林である。
春先や初夏には美しい花が咲いているのも見えるだろうと思う。
向こう側に見えるのは多分笠利崎であろうと考える。




そして 旅をする蝶 アサギマダラである。
中々 止まってくれず 数回の出会いでやっと写真に納まってくれた。
アサギマダラは タラノ木の花に群がる と母が教えてくれた。


暗い森の中で 白い花を見つけた ノシランである。
暗いのでよく目立っていた。
日本の各地で普通に見られる。
物の本によると 東海地方より西に生え 原産地は日本と韓国らしい。
式根島にもあった。


最後は 奄美自然観察の森の入り口である。
なぜ最後かというと、
我々は 駐車場から即森の中に入ったので。
道路に出て初めて 入口 というか門があることに気付いたのだ。

この自然観察の森は 開演されてから幾年経つか不明にして知らない。
ブラタモリで その存在を始めて知った。
そこに行くことを決めて 冒頭の美しい風景に出会えた。

いつもなら空港に降り立ち、バスやレンタカーで竜郷町役場を右に見て左に進路を取る。
今日の風景は 右に進路を取らないと出会えないのである。

空港に降り立つ度に あちこち寄り道をしていくことにしているが、
まだまだ知らない 土地や風景があることを思い知らされる。

わが故郷 奄美大島は 小さな島だが 奥行きは広いのである。

奄美のお盆

2017-09-09 21:18:45 | 故郷 奄美大島
9月1日より一週間 母の初盆で帰省した。

実はその一週間前に ご先祖様たちをお迎えする七夕の準備で妹の一人が先乗りした。
島の七夕は 大変重要な行事である。
ご先祖は七夕を目印に返ってくるとされ、旧の7月7日早朝に先を争って立てるのである。

島のお盆はお供え物というか 仏様への食事作りが大変だ。
特に、私は 昨年まで20年以上、
お盆の時期に帰省することが出来なかったのでその仕来りの知識は皆無。
母方の祖母のお盆の支度を手伝ったものだが、すっかり忘れてしまった。

お盆の少し前に、わが故郷では『型菓子』という落雁を自宅で作った。
しかし今はお店で買ってくるのが主流になった。
この季節の子どものおやつになった。
型菓子は
米の粉などに黒砂糖の粉や水飴などを混ぜ、お湯で練り合わせ
松竹梅の型を掘った 木型に詰め、大きなテーブルに ポンと打ち出し
ざるの駕籠などに詰めて保存し
仏様のおやつやお茶請けとして供する。

さて、9月3日(8/13)初日は 午前中の早い時間に墓にご先祖様をお迎えに行く。
そして、仏壇からお位牌を出し、テーブルに並べ、供物を並べ、提灯を灯す。


2日目からは、
手前にご飯と呉汁(落花生、青物)、
真ん中に漬物(梅干し)、
奥に煮物(結び昆布、生揚げ、手綱こんにゃく、干しシイタケ)とさしみ(冬瓜のワタの部分を薄切り)
の5種類を足つきの膳に乗せて供える。

これがとても大変だ。
というのは、先祖用の食事は小さなままごとのような塗りのお椀に入るよう
小さく小さく作らなければならないからだ。


お供えの食物は 基本的に精進料理である。

これを繰返し、3日目の送りの膳を作り、夕方送りの墓参りに行く。
この送りの時は、子どもたちは新しい浴衣を着て出かけるのが常であった。
わが兄弟姉妹も、祖母の縫ってくれた浴衣を着せてもらったものである。

三日間本当に忙しい。でもその中心になったのは
毎年夏と冬 母の支度を手伝うために寄生していた妹であった。
母亡き初めての盆の支度は、彼女が撮ってあった写真を参考にした。

伝統は 毎年実行してこそ受け継がれていくものだと痛感した。