カンボジアを訪ねて アンコール・トム③ 象のテラス、ライ王のテラス

2019-01-31 19:15:15 | 
さてアンコール・トムの三回目は
象のテラスとライ王のテラスである。

まず ゾウのテラス
その名の示す通り、バプーオンから続くなが~いテラスの横の壁面に、像のレリーフがたくさん描かれている。
ガイドのホーさんの説明によれば
このテラスの正面に勝利の門があり、戦場に赴く時、凱旋する時
兵士たちはこのテラスで、王の激励を受けたり、戦勝の褒美をもらったりして、故郷に帰るものだったという。


テラス正面




最後の写真は癩王のテラスである。
何の写真かこれだけではわからない。
本当はこの上にライ王のレプリカがあったようであるが、時間がなくて登れなかった。
ホーさんの説明によれば
王がライ病に罹り、静養したというか隔離された場所だという。
しかし、諸説あり、ハンセン氏病に罹ったヒンドゥー教の神、閻魔大王の神との説も。



カンボジアを訪ねて アンコール・トム② バプーオンとピミアナカス 

2019-01-31 18:38:12 | 
今日はアンコール・トムの中の寺院 バプーオンとピミアナカスである。

下の写真はバプーオン
バプーオンとは隠し子と言う意味だそうで
当事のシャム王とカンボジア王との確執の伝説があるそうだ。


ピミアナカス寺院に至る道はその前にあったであろう建造物の壊れたあとなのかごつごつした石の塊がそちこちにあった。


寺院は ラージェンドラヴァルマン二世の建立。
三層からなるとても急な構造で、王の支配力の強さを示すものであったらしい。
上まで行くには急傾斜の階段を上らなければならない。
残念ながらその時間はなく、とても見晴らしがよいとのガイドブックの記述に「そうだったのか!」と思うのみである。


下の池は池にあらず
男性用の風呂だったそうで、反対側には女性用もあった。


とにかくカンボジアの遺跡巡りは歩く歩く
そして足場も悪いからくたくたになる。

写真が正確でなく、1/31 8PMに書き換えました。

カンボジアを訪ねて アンコール・トム①

2019-01-29 10:21:31 | 
アンコール遺跡群から今日はアンコール・トム

アンコール・トムは ワットの30年後に建設された都である。
帰国後読んだ本によれば、
クメール人の王朝は その昔は世襲制ではなく
王に名乗りを上げた有力者が闘い、勝利したものが継承するものであったそうだ。
乱暴に言えば、
そのために、新たに王位に就いた者は
自身の王都を築き、寺院を建て、そして自信を神格化することで国を治めていったそうだ。


従って、アンコール・ワットはジャヤーバルマン七世が建設したが、
トムの建設は18代目の王、スールヤヴァルマン二世である。
今では王宮が失われ、石造りの寺院だけが残っている。

南大門に至る橋の入り口にに立つコブラの像は都城を守る神
片側はアシュラ、もう片側は神々の像があったそうだが盗まれて、売られたりしたそうでレプリカがあった。


寺院の正面を見ると尖塔が幾つもつながった寺院であることがよくわかる。
寺院の名はバイヨン。大乗仏教の寺院だ。
意味は仏像又は王の寝台を置く場所の意だそうだ。

緑色の幕は 修復途中の工事現場ある。日本が受け持っているとの事。
壮大な伽藍であることが分かった。

第一回廊の一部。一面彫刻が施されている。

下の写真は、闘犬、その下は闘鶏が行われていたことを示しているそうだ。



アンコール・トムもワット様式と言われるように
幅200mの大きな堀が回らされている。
この堀では、近所の漁師が投げ網でナマズなどを獲っていた。


寺院は中央棟を巡る三重の大回廊、
天空を見上げるような急な(斜度60度とも70度とも)大階段、
空に聳える大きな尖塔。

どれもが迫力を持っている。
また、塔の一番上の四面には仏像の顔が彫られ、下二枚目の写真は一番鼻が高い像だそうである。


さらに 幾体もの女神像が施されていた。



長年の雨や樹木の生育などにより多くのか所で崩れ落ちた石が詰まれていた。
修復は困難なようであるが、それでも各国の支援を受けて少しずつ進んでいるとガイドのホーさんが説明してくれた。

カンボジアを訪ねて 今日は日程

2019-01-28 10:55:04 | 
カンボジア旅行の日程を記す。

1/16 11時 成田発
1/17 午前中 王宮観光
   昼食後 セントラルマーケットで買い物兼観光
   午後  空路シェムリアップへ
1/18 早朝 アンコールワットの日の出鑑賞
   朝食後
    アンコール・トムへ
       南大門(王族のための門)、
       パプーオン(シヴァ神を祭る寺院)、
       像のテラス(勝利の門から凱旋した
       戦士をたたえるテラス)、
       ライ王のテラス(ライ王の座像実は地獄の神)
       ピミアナカス(ヒンドゥ教寺院、天上の寺院)
    タ・プローム遺跡
   昼食後 アンコール・ワットへ
   夕方  プレ・ループ遺跡で夕日鑑賞
1/19 午前 ペン・メリアへ
       ガジュマルに埋もれた巨大遺跡
   午後 平和博物館で地雷撤去の活動など勉強
      トンレサップ湖(東南アジア最大の湖)
       クルーズで水上生活の人々の暮らしを垣間見
1-20 朝食後 スピアンコンポンクディ(古代の橋)
        13世紀に建造。レンガ造り
       サンボープレイクック
        六世紀~八世紀に造られた都と寺院
   などに立ち寄りバスでプノンペン空港へ
1/21 日本時間6時過ぎ成田着 バスで所沢へ

カンボジアの旅は、半そででもよく、暑いけど風が吹けば涼しく、でも暑い旅でした。
一番いい季節と言いながら、乾季なので舗装されていない部分は赤茶色。道路の街路樹の葉もホコリッぽく気の毒な気が。でも、一旦雨期に入ればこれらの木々も生き生きとしてくるのだろうと想像する旅でもありました。

カンボジアを訪ねてーアンコール・ワット(アンコールの寺院)

2019-01-25 18:48:11 | 
1月16-20日まで カンボジアを訪問した。
もちろんアンコール遺跡群の観光目的である。

カンボジアの歴史の始まりは 前史時代はともかく
クメール王朝に入ってからが顕著となる?

ジャヤーヴァルマン二世(802年-854年)がアンコール王朝をひらいた。
9世紀末、時の王がアンコールのヤショダラプラに都城を建設
そのころ日本では 源頼朝が義経追討を行い鎌倉幕府へと向かっているところらしい。

1113年 時の王が自身の墓・アンコールワットを建設
また、ヒンドゥー教寺院も建設した。

1181年 ジャヤ-ヴァルマン7世 8メートルの高さの堅固な城壁の「輝ける新都城」アンコール・トム(1190-1431)を都として造成した。

この辺りの遺跡群がアンコールワットとアンコールトムであり、
観光の中心もここである。

今日は アンコールワットを


アンコールワットなどは周囲に大きな堀が回らされている。
この堀に掛かった橋を渡らなければ都城内に入ることはできない。





全景は もちろん撮ることは不可能である。
それでも東西南北に長~い回廊を持つアンコールワットは
クメール王朝時の王ヤショヴァルマン1世がアンコールに都を作り、
その後 スールヤヴァルマン2世が自分の墓として建設したものらしい。



上記仏像は信仰する神をまつった寺院に安置されているが、手などが盗難にあっている。



何しろ アンコールワットを囲む城壁内はとても広い。
この中に、当時は様々な人々の住居もあったと説明が・・・。


カンボジアと言う国が確立したのはこのクメール王朝からだろうか。

現地ガイドのホーさんは
日本の鎌倉時代に、カンボジアでは すでにレンガ(日干し)を焼いて王朝や寺院を作る技術があった 
と自慢していた。
誇りをもっていることが分かった。

次回は アンコール・トム