残念ながら三部咲
でも、迫力はありました。
たくさんの方々が訪れていました。
やっぱり満開であってほしかったのですが
何しろこの間の冬のような気候で花が縮こまってしまったのでしょう。
いつか万回の滝桜を観に行きたいと思います。
福島県三春町の滝桜を見に向かっています。
娘と一緒です。
いつも 有名な観光地に そのこと観光の目玉に季節を外れて行くということが多いので
ポイントを目指して行こうと思い
バスの旅を予約したのです。
今 東北自動車道を走っています。沿道に 雪が残っています。
三春も雪が残っているようですが 桜は咲いているようなので楽しみです。
予算を理解するために市が作った参考資料があります。その中に各種の基金があります。今日は、アメニティ基金についてお知らせします。
アメニティ基金とは、ごみが有料化された際、市民が負担したお金はこの基金に積み立てて、環境のために使うのであって、決して第2の税金として勝手に使うものではない。
また、ごみの有料化も減量のために実施するのであって、最終処分地のペナルティ金を回避するためのもの。ごみが減れば料金が減ることも・・・などなどさまざまな口当たりの良い説明がされました。
市民の皆さんは覚えていらっしゃるでしょうか?
私は、この間幾度も、予算決算の度に指摘をしてきました。ごみ手数料は、文字通り第2の税金と化していると・・・
さて、そのアメニティ基金です。
●H19年度末の基金の残高 5億7126万4千円
●H20年度積立額は 2億0277万2千円
同 取崩額は 2億7327万円
同 年度末基金残高 5億0076万6千円
●H21年度積立額は 1億7119万3千円
同 取崩額は 2億9490万3千円
同 年度末基金残高 3億7705万6千円
●H22年度積立額は 1億1182万9千円
同 取崩額は 2億9742万千円
同 年度末基金残高 1億9146万5千円
ご覧のとおりついに2億円にまで落ち込みます。
これには、自民党からも枯渇するのではないかとの声が出ました。
何故こんなことになっているかと言えば、ごみの収集手数料は結局、ごみ処理経費にどんどん使われているからです。
日出町の最終処分地の費用も
H14年 3億9142万円 ごみ有料化
H15年 4億6499万円
H16年 4億2073万円
H17年 3億4412万円
H18年 4億2242万円
H19年 4億3048万円
H20年 4億3140万円
H21年 4億3100万円
H22年 4億3498万円
有料化の際、私たちが指摘した通りの事態が起こっています。
私たちが有料で買わされるごみ袋は、それ自体が大変高い製造費を払っていますが、より高い付加価値が付いて、今や第2の税金と化しているのです。
ごみ袋を売っているお店屋さんも、買わされる市民も誰も得をしていません。
ごみ袋を製造する企業が儲け、行政は滞納のない効率的な『税金』を集める事が出来ているというわけです。
リサイクルセンター建設と合せて、
行政は、住民の皆さんに、どうしたらごみを減らすことが出来るのか、ともに考え実行する事をこそ呼び掛けるべきだと思うのですが違いますか?
心豊かな子どもの成長を願う市民の集会が開かれました。
一部は あしたにトライ と題して 成田真由美さんが講演
二部は 市立中学生による合唱と生徒会活動の報告でした。
成田真由美さんの講演は、大変感銘を受けました。
彼女の話は数回聞かせていただきましたが、
決して 単なるサクセスストーリーではない
生を受けて、今に至る様々な困難の名から
どのように希望を見出し、自分を生かす道を見つけてきたか
そのために 周りの理不尽なことにどのように闘って(?)来たか
その目標が、オリンピックであったということ
同時に、その生き方の中で遭遇した
いわれのない障がいのある方々への根強い差別と思いやりのなさ
見た目で判断して 一方的に避難をする社会のあり方
障害があるがゆえに、その行動を逐一事前に通告をしなければ
自分らしく行動できない、当然の支援を受けられない理不尽さ
こうしたことを、私たちに明るく、気づかせてくれました。
二部の 子どもたちの取り組みも発表され
各生徒会が、がんばっているな~と感心しました。
厚生委員会の視察を行いました。
視察地は、
神戸市=障がい者就労支援センター
北九州市=病児・病後児保育及び緑地保育センター事業
の3テーマです。
今日は 神戸市の障害者就労推進センターの報告です。
神戸市は1996(H8)年度
●障害者就労支援センター=他法人(2003年4月現法人受託)
●ワークセンター兵庫(知的障害者通所授産施設)=現法人
を開設、大きな実績をあげてきました。
現法人が引き受けた来た事業所の実績だけを見ても
1996(H8)年~2003(H15)年度までの就業者数は合せて100人
2004(H16)年度~2008(H20)年度263人
各年に直すと30人~70人に上ります。
この実績の表わすものは
何よりもハローワークとの連携と、職種や職場との個々人の相性をどのように見極めるかよるということだそうです。
就労支援センターでは
実際に障がいのある方々の労働の場面の訓練風景を見せていただきました。
私たちが、部屋に入っていくと
「こんにちわ!」と皆さんが声をかけて下さいました。
職員の説明で
挨拶、報告、連絡、相談ができるよう徹底しており、それを理解しての行動だということが分かりました。
また、訓練生たちは、高めの台について、立ち作業で袋張りをしていました。
一日6時間の労働に耐えられる体力があるということを
就労する事業所に分からせると同時に
学校を卒業して入所される、どちらかと言えば体力のない障がいのある方々の体力づくりのためだと言っていました。
そして、訓練生たちは、自分の一定の目標枚数が出来たら
「10枚できました」とか
「これはどうした良いですかとか」
指導の当たる職員に報告をしたり、相談をしていました。
こうした訓練を通して、一般就労の際に能動的に仕事に取り組むことが出来、
継続して働くことが出来るのだそうです。
所長さんはじめ、主任さんが絶えず口にしておられたのが
「就職して終わりではなく、それを継続できるかどうかが重要」と言うことでした。
従って、自立支援法では就労後のサポートは6ケ月となっているけど
わがセンターでは、2年のフォローをしますとも・・・
もちろん、事業所への足を運んでの支援も含めてです。
継続が肝心ですと言われる通り、結構継続して働いておられるようでした。
しかし、もちろん不幸にして職場に適合しなかった方もおられ、
その方については、再度訓練を受けていただき、ご自分に合った新たな職場への就労につなげるべく支援をされるそうです。
そして、「障がいのある方々の就労支援に何より力になるのはハローワークである」ということも強調されました。
職場を開拓するのはやはり、専門であるハローワークで
施設の職員が心を砕かなければならないのは、その職種に度の方が向いているかを多方面から検討し、支援をすることだと も、何度も何度も語っておられました。
自立支援法は
簡単に、障がいのある方々に自立しなさい、働きなさいと言うけど
こうした極めの細かい支援を、保証するものにはなっていません。
また、この法人もご多分にもれず、日額補助(つまり訓練生の通所した日数によっ補助金が支給される)のために、施設の運営が厳しくなっているそうで、これでは障がいのある方々を支援する事が困難になってしまうこともあるかもしれません。
自立支援法の問題点を改めて感じながら、
それでもハローワークと連携して就労とその継続を支援する先進的なとりくみは大いに参考になりました。
わが市でも、障害者就労支援室が昨年稼働しました。
しかし、今回の視察で、『室』ではなく訓練も含め
多数のスタッフの常駐する、センター が必要であると痛感しました。
わが東村山市の支援室も、障がいのある方々の就労の実績を持つ法人に委託されました。
より一層充実できるよう、議会でもとりくまなければならないと痛感しました。
また変えました。
文字が読み取りにくいな~と思ったからです。
今日のは、かわいらしい女の子がメインで
ふんわりとした感じ
岩崎ちひろさんの絵みたいで素敵でしょ!!
以上
1月23日、東村山市内で“地域での医療的ケアの必要性”を説く学習会が開かれ、呼びかけに応えて参加しました。
主催は、東村山市内の福祉施設あゆみの家成人部です。
正直、初めはその表題の意味がわかりませんでした。
しかし、事は大変重要な課題だったのです。
医療的ケアとは、呼吸器障害や摂食・嚥下障害のある方への
呼吸管理=痰の吸引や酸素吸入、人工呼吸器使用
栄養管理=胃や腸へ直接栄養補給を行うこと
排泄管理=自己による導尿や介助導尿
その他、静脈栄養など
学校や施設で行われるケアのことです。
特別支援学校では、20年間のとりくみでノウハウを培ってきたと
講師の飯野順子先生がその とりくみを話されました。
また、調布市の障害福祉課長山本雅章さんは、ご自身の体験、
吸引や人工呼吸器使用など医療的ケアが必要な方の、
地域の施設への入所を断った経緯から地域の施設における医療的ケアが必要と、その後の取組みを進めたことを紹介して下さいました。
お二人が異句同音に話されたのは、
医療的ケアを行うことによって、障害を持つ子どもさんや人々がその人らしく育ち、生活できる
医療的ケアを行うことによって自らの意思を伝えることができるようになるなど学校生活や、地域生活を豊かにする
ということでした。
もちろん、医療的ケアを実施するには
看護士の配置が必要不可欠であり、職員の研修も重要です。
我が地域でも、医療的ケアの必要な障がい者の入所を受け入れるためのとりくみが直ちに行われるべきだと感じました。
薬師寺の東塔は解体修理中でした。
薬師寺は、唐招提寺と違って真っ赤な建物の美しい様相をしています。
東塔は、1300年前に作られたものが残っているそうで
そのお色も、風雪に耐えた色なんだな~と感じますが、今回は残念ながら拝見できませんでした。
薬師寺金堂には、薬師如来、日光菩薩、月光菩薩が安置され、
また、15日であったために、吉祥天女の画像が拝見できました。
写真は西塔です。
昭和51年再建されました。鮮やかな色彩は奈良時代当時の色彩だそうです。
西塔の仏像を拝見することはできませんでした。
写真の鬼瓦は、薬師寺のお隣に、
西遊記で有名な玄奘和尚を祀る玄奘三蔵院があり、その伽藍を取り巻く土塀におかれた鬼瓦です。
以下は玄奘三蔵院伽藍についての薬師寺HPから参照させていただきました。
「昭和17年(1942)に南京に駐屯していた日本軍が土中から玄奘三蔵のご頂骨を発見しました。その一部が昭和19年(1944)に全日本仏教会にも分骨されましたが、戦時中でもあり、埼玉県岩槻市の慈恩寺に奉安され、その後ご頂骨を祀る石塔が建てられました。薬師寺も玄奘三蔵と深いご縁のある事から、遺徳を顕彰するため全日本仏教会より昭和56年(1981)にご分骨を拝受し、平成3年(1991)玄奘三蔵院伽藍を建立しました。平成12年(2000)12月31日に平山郁夫画伯が入魂された、玄奘三蔵求法の旅をたどる「大唐西域壁画」は、玄奘塔北側にある大唐西域壁画殿にお祀りしています。」
この平山郁夫氏の大壁画を拝見しました。
撮影禁止のために、現地へ行ってのお楽しみです。
二日間の奈良の旅は、車でもない、みんなと足並みを合わせる必要もない
ゆっくりとした時間の中で、仏像や古代の歴史に思いを馳せる旅でした。
あさ、9時ごろから拝観したのですが、気がついたら午後の2時になっていました。
京都駅のデパート地下で、
我が家族のお気に入りのお店の、京都名物ちりめんじゃこを購入し家路に着きました。
以上、奈良に行ってきましたシリーズ一挙報告終わりです。