今日は住民投票がどのように否決されたか
その議会における舞台裏をお知らせします。
長いけど
私は、12月20日、午前8時30分頃に市役所に付きました。
市民のみなさんが、傍聴券を求めてすでに大勢並んでいました。
遅くなってゴメン
議長室、議長応接室がどういう意味かドアが開閉しないように封印してありました。初めてのことです。つまり、中から鍵が掛けてあったのです。
9時15分から会派代表者会議の予定だったが、開催されず。10時近くなってやっと開催。(このとき修正動議については一切報告なし)
その後議会運営委員会を開き、通常通り、本会議の時間制限について図られるなど打ち合わせて、本会議へ
本会議開会して、まず政策総務委員会の委員長報告。議案の委員会結論を粛々と進め、議案第100号住民投票条例についての報告へ
政策委員長はコレも、議論のポイント(?)、討論のポイント(?)を説明し、
政策総務委員会に所属していない佐藤議員(希望の空)が、質疑の内容について質問。
そのあと、議長が「他に・・・」といったとたん、市民自治の会の島崎議員が
「議長動議」と声を発した。
本来動議は、本人以外に2人の賛成が無ければ成立しないのに、どこからも声は出ず
しかし、その時はどういう風の吹き回しか、議長が「議長には聞こえた」といって島崎議員が、「住民投票条例の修正案を提出する」(正確ではないが)旨発言。
それでも、どこからも賛同の声は出ず。
議長が、ある会派を促して、やっと「賛成」の声、
その後、「議員が勉強していない」と議長が議会運営委員会開催を要求
私もメンバーである議会運営委員会では、初めは
『動議は成立していない』というのが大勢であった。
ところが島崎議員が、議会運営委員会にねじ込み、議長、副議長、議会運営委員長、同副委員長と別室で話し合った結果、
『動議は成立した』ことに
議長が、「本会議を再開して、動議を改めてやり直して休憩に入る」旨宣言。
私は、訳が分からず
「何で、休憩前に100号議案の決着を付けないのか」聞いたが不明。
それでも、12時をはるかに超した時点で、それでもドタバタと茶番を演じて、動議を成立させた(今思えば、本当に茶番だったのである)
昼の休憩を挟んで、議会運営委員会が三度目開かれた。
そして、あらかじめ、修正案を含む100号議案の時間配分を各会派いずれも6分と決めた。
私はその時点で初めて、コレは仕組まれたことなのだということに気が付いたのである。
今までの議会では、わが日本共産党が動議を提出するには、あらかじめ議長に届け、代表者会議にはかり、手順を十分に打ち合わせて初めて成立させられ、しかし、大方議事日程には賛成少数でのせられなかったが、
今回は、修正動議は、直前まで日本共産党には知らされなかった。議長は知っていた(あるいは与党会派も)
ま、それはいい、動議は本来自由に出せてしかるべきであるから・・・
なんと、島崎議員と草の根の「住民投票条例」の修正を議事日程にのせる動議が、自民党も、公明党も賛成して成立したのである。(
天地がひっくり返るような驚きであった。今後の議会運営に期待したい物である)
市民17291人が、現計画のままか、立ち止まるのかを 問うと署名をした本質を、議会が勝手に変えて
『推進かストップか』に投票の中身を替えようという提案である。
自分で、見直しは今更出来ないと散々発言しておきながらである。
日本共産党は、市民と相談もしないで、本質を勝手に変えることは出来ないから反対した。当然である。住民投票条例案は署名用紙にコレでいくよと市民に示して賛同を得たからである。
修正案が提案され、質疑もほとんど行われずに賛否が明らかにされ、
結果、島崎議員が、反対に回り、12対12となって、
市長、再開発推進派には メデタク 住民投票は否決となったのである。
私は、この2006年12月議会を決して忘れないと思う。
住民が税金の使い方の是非をめぐって、せめて、『市民と共に見直しのテーブルについて欲しい』と願った、初めての取り組みを、
法定数の7倍もの声があった市民の願いを踏みにじった議会を、胡散臭さが漂う議会を
22日、本当にご苦労様でしたの心からのお礼を伝えて署名代表請求人の解任が行われた。
しかし、今後も再開発がどのように進むのか、談合は本当にないのか、みんなで監視をし、税金の正しい使い方を求めようと語られた。
署名に取り組んだ受任者の皆さん、
署名をして下さった皆さん
本当にお疲れ様でした。
今後も、出来ることを市民が主人公を合言葉にご一緒に取り組みましょう。
新たな決意を込めて・・・