若いころの友人5人で女子旅に出掛けた。
友人の一人が網走出身なので網走、知床を回ることになった。
初日、女満別空港からレンタカーで直行したのが網走刑務所資料館である。
資料館入り口に立っている看守。
近づいてびっくり、ドキッとしたのはなんと人形だったこと。
窓も何もない独房 一番ひどい罰らしい。
ガイドさんが歴史や建物の説明をしてくれました。
受刑者の居室が両側に並んでいる。
中央道路などの道路開削の際の受刑者のいでたち
網走刑務所の玄関の建物は洋風建築だが、
当時の受刑者たちが作ったそうだ。
網走刑務所は1890年(M23)、
中央道路の開削工事を行うため、釧路集治監から受刑者を移して開設。
中央道路は、
1891年までの1年間で網走から北見峠約160kmが開通した。
全て人力での作業であり、夏の暑さ、冬の雪の中での作業など
一年で160㎞を作るなどどんなに過酷な作業であったかは容易に想像がつく。
更に労働は 逃亡防止に両足に重い足鎖、
受刑者同士を縦につないでの作業だったそうで。
実際に、怪我や栄養失調などで死者は200人以上いたと言われている。
その後は 耕種・畜産・林業を営む農園刑務所に。
現在も 自給用を中心に馬鈴薯、南瓜、野菜類、金時豆、小豆、永年牧草、肉牛を生産しており、全国の刑務所でも使っているとガイドさんが説明してくれた。
網走出身の友人は
子どものころ、よく受刑者が畑で仕事をしていたのを見たという。
網走刑務所は
時の政権の言いなりにならない思想犯と言われた人も収監されていたり、
犯罪を犯した受刑者のいる場所である。
その囚人労働も含めた人権問題を考えさせられた場所でもあった。
玄関先で真っ先に目についた赤い花は
コウリンタンポポである。
観たいと思っていた花に会えた。
資料館の周りは色々な木々や草花が植えられ
素敵な空間ではあった。
しかしそれはやはり資料館だからであろうな~???
友人の一人が網走出身なので網走、知床を回ることになった。
初日、女満別空港からレンタカーで直行したのが網走刑務所資料館である。
資料館入り口に立っている看守。
近づいてびっくり、ドキッとしたのはなんと人形だったこと。
窓も何もない独房 一番ひどい罰らしい。
ガイドさんが歴史や建物の説明をしてくれました。
受刑者の居室が両側に並んでいる。
中央道路などの道路開削の際の受刑者のいでたち
網走刑務所の玄関の建物は洋風建築だが、
当時の受刑者たちが作ったそうだ。
網走刑務所は1890年(M23)、
中央道路の開削工事を行うため、釧路集治監から受刑者を移して開設。
中央道路は、
1891年までの1年間で網走から北見峠約160kmが開通した。
全て人力での作業であり、夏の暑さ、冬の雪の中での作業など
一年で160㎞を作るなどどんなに過酷な作業であったかは容易に想像がつく。
更に労働は 逃亡防止に両足に重い足鎖、
受刑者同士を縦につないでの作業だったそうで。
実際に、怪我や栄養失調などで死者は200人以上いたと言われている。
その後は 耕種・畜産・林業を営む農園刑務所に。
現在も 自給用を中心に馬鈴薯、南瓜、野菜類、金時豆、小豆、永年牧草、肉牛を生産しており、全国の刑務所でも使っているとガイドさんが説明してくれた。
網走出身の友人は
子どものころ、よく受刑者が畑で仕事をしていたのを見たという。
網走刑務所は
時の政権の言いなりにならない思想犯と言われた人も収監されていたり、
犯罪を犯した受刑者のいる場所である。
その囚人労働も含めた人権問題を考えさせられた場所でもあった。
玄関先で真っ先に目についた赤い花は
コウリンタンポポである。
観たいと思っていた花に会えた。
資料館の周りは色々な木々や草花が植えられ
素敵な空間ではあった。
しかしそれはやはり資料館だからであろうな~???