学校こそ 子どもの人権を 守る場所に

2017-05-28 12:39:42 | 教育
今日の東京新聞に、
2012年 兵庫県川西市の県立高校の男子が自殺した問題で、
高校がいじめとの関連を明記した追加報告を県教委に提出した
と報道されていた。

2012年9月 自殺直後
高校は いじめとの因果関係を判断できない としていた。
しかし、両親が提訴した損害賠償請求訴訟において
2016年3月 神戸地裁が「悪質ないじめがあった」と認定していた。
また今年 スポーツ振興センターが給付を決めた。
およそ5年もたっており遅すぎる報告である。

学校におけるいじめに起因した自殺があると、
その学校は、判で押したように
初めは因果関係を認めない旨の談話を発表する。
そして、
社会の声や遺族の厳しい批判の前に
いじめとの因果関係を認めざるを得ない所へ追い込まれ
やっと認める報告をするのだ。

なぜだろう。

学校の評判を考える?
校長や教職員の責任逃れ?
しかし、そのことそのものが責任逃れと隠ぺい体質を明らかにする。
学校の評判は子どもの人権を守ってこそ上がるということが
なぜ教育関係者の共通認識にならないのだろう。

私は10年ほど前
川西市の子どもオンブズマン制度を視察したことがある。
子どもと保護者と教職員から相談を受け
双方、あるいは三者間の調整をし
また他機関の力を借り、
寄せられた相談の解決の支援をするのである。
2008年10周年を迎え、レポートが出されている。

高校生からの相談も寄せられていると報告させられている。

高校は県の管轄であるから市の責任ではないが
なんで川西市で・・・と一瞬思った記憶がある。

子どもたちの現状から目を逸らさず、
いじめ問題を放置することなく、
学校こそ、子どもの人権 を守る取り組みを積極的にしてもらいたい。
隠ぺい体質を改善してもらいたい。

セッコク? 母の庭より

2017-05-28 09:12:41 | 


4月の帰省時、母の庭の草むしりをした。
ユリが蕾をつけ
シランやパフィオペディラムが咲いた跡があり
雑草も大賑わい

柿の葉が黄緑に輝き
ミカンの花が芳しい香りを放っていた。

草むしりが済んで
雑草に埋もれていた花が際立って目立つようになった。
その中に
香りのよい、白い蘭のような花があった。
何の花かはわからない。
が、突然ひらめいたのが

セッコク

インターネットで検索してみた。
たぶんそうだと思うのだが
チョット違う気もする。

母亡き後、庭は我々が帰省する時にしか世話ができない。
エビネやランや きれいな葉が好きだとサツマイモの苗など
何でも植えていた。

蕾をつけていたテッポウユリを観ることはできなかったが、
できる限り活かせるよう面倒を見たいものである。

認可外保育施設 本当に基準守られている?

2017-05-23 19:04:52 | 政治
5月22日付東京新聞は朝刊25面で、
2016年3月
生後6か月の赤ちゃんが亡くなった大田区の認可外保育施設は、
〇複数の保育者で子どもを見る
〇保育者の3分の1以上が有資格者
〇乳幼児突然死症候群の予防への配慮がある
などの重要事項で、
何度も東京都の立ち入り調査で不備を指摘され、改善を求められていたが
改善されないまま園児を募集、保育を続けていた。
(閉鎖命令で今年3月に閉園)
そして、そのことは保護者には積極的に知らされていなかったと
報道していた。

この報道を受け、
東京都福祉保健局のホームページで立ち入り調査の結果を見てみた。
本当に小さな字で、見にくい。

2016年度の中に東村山市の保育施設は入っていなかったが
わが娘の働く保育施設のことを考えるに
本当に、日常的に
複数の目で子どもを見る体制が確保されているか?
有資格者は、常勤でなくともよいことになっているのでそれで安全が確保されるのか?
有休を取ったらどうのように複数体制を確保するのか?
等々立ち入り調査の結果を疑おうと思えば疑える実態である。

基準に合っていても、有給休暇は取れない。
誰かが病気で休むと代替職員はいなくて保育に支障をきたすなど
現場の保育士は、ギリギリの人員の中で保育をしている。
こうした実態を自治体が厳格に把握し、
責任をもって子どもの命と安全が守られる保育施設になるよう取り組んでもらいたいと思う。
とりわけ、自治体が認可する小規模保育所が存在するようになったことで、
その責任はますます大きく、重大になったと思う。

ヒメキランソウ 九州南部より南に生える

2017-05-22 09:50:55 | 


奄美の実家の庭に咲いていた。
キランソウかと思ったが
葉っぱの色がちょっと違う。

『琉球弧の山の花』
によって ヒメキランソウであるということが分かった。

ヒメキランソウは
九州南部より南の砂浜に生える多年草。
走出枝は褐色を帯び、砂浜を這って、節から葉を出して根を張って広がる
と書いてあった。

まだ観たことは無いが沖縄県ではヒメキランソウが群生する場所があるらしい。
ネットで検索していまず目についた。

わが母の庭でも、砂浜の砂を敷いてあるので広がりつつある。
楽しみだ。

地獄の窯の蓋 という別名があるらしい。

本州にあるキランソウとの違いは
走出枝を出さず、茎が地を這って広がるらしい。
また葉の形がキランソウはギザギザだが
ヒメキランソウはちょっと鈍いギザギザのようだ。

シソ科の植物である。

「もう辞めるから」 ブラックな株式会社の保育園で5年

2017-05-17 14:18:16 | 政治
昨日は平日なのに、娘から買物に付き合ってと電話。
「いいよ」とアッシー君になる。
その車の中での会話

「今日は年休取ったの」
「年休なんか取れるわけないじゃん。土休の代替。
(保育士)5人しかいないのに休めない。」

「お母さんが杉並区に電話してやろうか。森友の保育園だけじゃないよ。
あんたんとこでも保育士不足している認証園があるよって」
「もう今年度が終わったら辞めるつもりだからいいけどね」

「保育士が不足していたんじゃ良い保育できないじゃない」
「とにかく危険を避けることだけ。一人ひとりに合った保育なんて無理。」

総合すると以下のようである。
例えば散歩、体調がすぐれない子がいれば
全員の散歩を取りやめ、部屋遊びになるという。
一人担任だから
無資格のパートさんに保育を頼むわけにはいかず、
有資格だからとパートさん一人に任せるわけにもいかない。

正職の保育士増やしてくれと言っても一向に変わらない。
早番で7時前に出勤しても帰れるのは夜8時。
等々怒りは収まらない。
これまでも「うちはブラック企業だから」と怒ってはいたが
いよいよ限界に来たらしい。

5月15日の東京新聞のくらし欄に
『保育士サービス残業常態化』という記事があった。
誕生会や発表会やクリスマス会など
時間外の準備となり、持ち帰りも多いと書いてある。
娘も全く同じだ。
発表会の衣装を家で夜遅くまで作っていた。
お母さんたちは作る時間がないからだと。
卒園式の前には、
歌う曲のピアノ伴奏を練習するために里帰りをしてくる。
土日の休みの日や夜間の練習である。
これに残業手当はつかない。

なぜそうなるかについて記事は、
保育士の仕事は保育をしていることに対する補助金だが、
時代と共に、連絡帳の記入や育児相談も重要な業務になってきたのに
補助金の増額がされてこなかったからだと書いている。
そればかりか
保育単価も幼稚園に倣って設計されているという。
幼稚園に子どもがいるのは4~6時間、開園日は200日
保育園は毎日11時間以上、土曜日も保育する。開園日は300日。
なのに
国は保育園の人件費を幼稚園とほぼ同じと見積もっている
と専門家が指摘している。

それでも取材を受けた保育園は
経営者も保育士の処遇を何とかしたいと思っていることが分かる。
ところが娘の保育園の経営者は
パートの人の賃金を上げるためと言って
正職員の基本給を下げたのである。

幼稚園は、子どもが帰った後、1日に2~3時間を準備や研修にあてられる。
預かり保育は別の職員が担当することが制度で保証されているらしい。
記事に登場する専門家はこれを手本にすべきという。
私もその通りだと思う。

しかし、そもそも
保育などの福祉の現場に株式会社の参入を許し
福祉に事業で利益を上げることを良しとした時点で、
また、公立保育園を限りなく減らし、
社会福祉法人も含め民間中心に制度を変えることにした時点で、
民間の保育士や福祉の職員の処遇が後退することは目に見えていたのである。

歴代の自民党政権が推し進めてきたこうしたやり方に
議員時代反対を表明してきたのだが
やっぱりそうなったと今思っている。

国は給料を上げると言っている。
が、それだけではダメである。
保育士の確保には、
研修の時間も、保育の準備の時間も、年休も保障される人の配置が求められているのである。
そして、非常勤でも無資格でも可とする職員の配置基準を変えるべきである。

娘の決意は固そうである。
今までは、子どもたちのために辞めたくないと言っていたのに・・・。
そして処遇の悪化に反対の意見も表明してきたのに・・・。
私は 娘の決断を応援する。

5月15日 沖縄復帰45年目に思うこと

2017-05-16 09:59:39 | 政治
昨日5月15日は、沖縄復帰の日であった。
新聞なども報道していたから認識した人もいるだろう。

1972年当時、私は上京し無認可の保育所で働きつつ
毎晩のように行われる沖縄返せのデモに参加していた。

昨日のNHKアサイチは、柳沢解説委員とアッキーこと篠山輝信さんが取材した沖縄の現状を報道し、共に考えようというものであった。
基本的には共感できるものであった。
なかでも、復帰以前から商売をしている地元の方が
「復帰前と何も変わっていない」
とおっしゃっておられたのが
ああ、やっぱりな~ と思わせるものであった。

そして、
沖縄戦の悲惨な体験や
占領下で米軍基地拡張のために次々に田や畑やお墓の土地まで強制的に、
否やを問わず、有無を言わさず取り上げられた歴史を知らない若い世代との意識のギャップがあることも事実だと感じた。

それでも、
米軍機が墜落した大学と基地はホントに近いし、
取材中に基地から飛び上がったオスプレイが飛ぶのは住宅地の上空である。
基地被害の危険といつも隣り合わせで暮らしている住民の不安を
映像を見ることで大きく感じた。

1972年当時、運動のスローガンは
『核も基地もない沖縄を返せ』であった。
しかし、アメリカ政府と日本政府の核密約などがあって
結果、基地も核兵器もある返還が実現。
政府を挙げてのお祝いの空気が醸しだされたが、
しかし今の現実は、
米軍関係の事件の捜査権は日本にはなく、
返してもらいたいと思っている土地も返還の予定はなく、
逆に基地の中の土地が売買されている始末。
まさに「復帰前と変わっていない」と感じる状況が続いているわけである。

復帰当時の佐藤首相は、これを理由としてノーベル平和賞を受賞したが
私は、沖縄で基地を理由とした事件が起きるたびに
このノーベル賞は返上すべきだと怒りをもって思う。

復帰45年がたってなお
復帰前と変わらないと住民に言わせる政治の責任は大きい。
政府の住民意思を無視した、自治体の権利をもないがしろにした基地移転は撤回すべきである。
本土に移設できない基地は沖縄にも置いてはならないのである。
もちろん本土にも基地はいらないことは言うまでもない。

沖縄県の隣の島で育ち、米軍機の低空飛行に悩まされた私は、
基地は無くしてほしいという沖縄の人々と同じ気持ちである。

沖縄復帰45年目に考えた。

東村山市内にもブラック企業が

2017-05-12 22:02:36 | 政治
厚生労働省が5月10日
労働基準関係法令違反に係る公表事案
所謂ブラック企業を公表した。
全部で334の企業である。

少ない とみる向きが多く
氷山の一角であるとの見解が強い。

その中に東村山市の企業があった。
(有)スカイ物流
である。
三六協定 いわゆる労基法36条違反だと言う。
労働基準法第36条は
従業員の過半数が加盟する労働組合と
それがない場合は、
労働者の過半数を代表する者との書面協定をし、それを行政官庁に届けた場合においては
第32条の労働時間、1週40時間、1日8時間労働制を守るべしとしているが
しかし、いわゆるざる法であり、
~第35条までの規定と関わりなく労働させることができる規定となっている。

そのザル法と言われたとしても
それに違反したとされたのが上記のわが東村山市に存在する企業である。
恩多町に存在し、都道に面してある会社である。

市民も働いているであろう企業の実態を
行政はどのように把握しているのであろうか?
それともそれは管轄外だと言って無視するのだろうか?

ブラックな働き方は
自己の人生をもなきものとしてしまう。
市内に存在する企業が法を遵守するよう求め
住民の働き方がブラックでないようにするのも
自治体の責務ではなかろうか?

管轄外というのだろうか?




憲法施行70年 憲法は国民の総意で守ろう

2017-05-03 10:33:56 | 政治
憲法記念日の今日
東京新聞は 1面に朝日訴訟、2面に憲法記念日に掲載してきた記事について振り返っている。

その中で、福祉を学んだものとしてまず目に飛び込んできたのが朝日訴訟である。
生存権を問うた朝日訴訟について、
一審判決を書いた浅沼裁判官が
「健康で文化的な」とは修飾語ではなく「人間の生活といいうるもの」
最低限度の水準は予算の有無で決定されるものではない
として原告勝訴の判決を書いたと紹介している。

今生活保護行政について、不正受給をことさら取り上げ
利用者の人権を貶めるようなキャンペーンが張られたり
自民党国会議員などの攻撃に端を発し
全ての利用者が不正受給をしているかのような印象がふりまかれた。
そして、
いわれなき攻撃や
生活保護行政に携わる行政職員の制度の理解の薄さによって
利用者の保護が打ち切られ自殺をしたり、
また制度利用を認められず餓死に追い込まれることも起きている。
しかし、
一方では子どもの貧困を憂えて、国民的な支援の輪が広がってもいる。
為政者と国民との乖離を覚えずにはいられない。

そして、2面には小さな帯で沖縄県の翁長知事のコメントも載っている。
記事は翁長氏の談話として
「本県に憲法が適用されて45年。わが国の平和と安全に大きな役割を果たした」
と評価し、その上で
「安全で安心な沖縄の未来を自らの意思で描くため、地方自治を保障する理念を十分に理解し、尊重することが重要だ」
と語ったことが掲載されている。

憲法94条は、地方公共団体の権能として「行政を執行する権能を有する」としている。
沖縄県における基地の建設に住民が反対し、その意思を知事の選挙で示した。
その意思に基づいて行政を執行する知事に対し、
基地建設をごり押しする国のありようは、
国家の政策を押し付け、戦争の動員に自治体職員を駆り立てた戦前のやり方とそうは変わらないと私は思う。

翁長知事の談話の隣には
最高裁長官の記者会見の内容として
「憲法が保障する国民主権や基本的人権の尊重との関係が問われる訴訟が増えてきた」理由として
「社会のさまざまな現象を憲法の観点から考える社会的な議論が深まってきたのではないか」との考え。
そして、戦後の裁判所の役割について冒頭
「憲法の基本理念である『法の支配』の実現が普遍の使命」
「これまで以上に社会の変化に対応していきたい」と述べたと書いている。

その割には、
裁判の行方も憲法の判断を避け、国の政策を推進するような判決が多いと感じるのは私だけであろうか。
沖縄の基地問題、反対する住民の長期間の交流決定
原発事故の責任を問い、再稼働に対する住民の反対を棄却するなど
三権分立に立脚した司法の独立より
時の政府の意向に沿う裁判所の姿勢が今問われているとも考える。

今、憲法を変えなければ国民の人権が守られないという事態にはない。
改憲を言う勢力は、9条を変えなければ世界平和に貢献できないという。
しかし、9条は戦争の厳しい反省の下で、二度と国民と世界の人々を戦火に巻き込んではいけないという国民の願いに基づくものであり、
これは、我が国国民の命を守るという基本的人権を保障する何よりの拠り所でもある。

今、時の政府の都合によって改憲が行われることのないよう
憲法は国民の総意で守り抜かなければならないのではなかろうか。
世界中の人々の幸福のためにも・・・