茶髪=基本的なしつけできていない?

2015-12-30 08:42:55 | 教育
今日の朝日新聞には
10月30日の投書 『しつけとは我慢を教えること』と題する中学校教諭への反応が掲載されていた。

曰く
茶髪や奇抜な髪形の子を見て
親の基本的なしつけができていない
学校での指導が大変だろうと嘆く
また 曰く
個性の尊重は悪くはないが
それは基本的なしつけがあったうえでだという

これに対する反応をアサヒは賛否両論各二題ずつ掲載し
日大教授広田照幸氏の
教育する側の独善性が子らに与える影響と
親の生活自体が厳しくしつけをするどころではないという状況にも
教育をする側が思いを致すべき
とのコメントが掲載されている。

この記事を読んで
娘の高校受験のことを思い出した。

当時は石原知事の下、都立高校に1位~びりまでランクが付けられ
どの都立高も、いわゆる『底辺校』からの脱却を目指している時期であった。
娘と共に伺ったある都立校の説明会で
説明役の教諭が
「わが校は今年から茶髪は禁止にしました。違反は停学です。」
と説明した。

私はその後の個人的な質問で
「私も我が子の茶髪は許していません。しかし、子どもたちが茶髪にするには訳があると思う。
そういう子どもに対し、どのように指導されるのか」
と聞いてみた。

その教諭は、ただ
「もちろん1週間で直ちにということはしません。2週間は待ちます」と回答した。
私は、こうした教師集団に我が子の貴重な3年間を託すことはできないと判断
「万引きは退学。それ以外の校則はありません。」という私立の学校へ進学させた。
娘はそこで伸び伸びと3年間学び、貴重な友人や先生方と出会い、社会人となった。

思春期の子どもたちの心理はさまざまである。
子どもたちが何に悩んで、何に憤りを感じ、何を言いたいと思っているのか
その心のありように思いを寄せ、葛藤に寄添うのも教師の大事な仕事だと私は思う。

茶髪の子を見て、その子を疎ましく思う心は
およそ教育とかけ離れているのではなかろうか?