委員長報告作成 肩が凝る~

2014-09-28 17:19:26 | 東村山市の政治、議会
今日、議会最終日へ厚生委員会の委員長報告を作成中

4本の議案に、6本の請願陳情の審査結果の報告である。
反訳されたとりあえずの議事録を脇に
まとめること
かなり大変

まだ完成ではない。

明日
最後の陳情の結果報告をつくり、
もう一度読み返し、不要なものを削り
わかりやすくしなければならないが
これが
本当に難しい

しかし、今日は疲れたし
ほぼ一日椅子に座っていたのでおしまいにする

NHK朝のTV小説 花子とアン が終わってしまった

2014-09-27 22:17:12 | 今読んでいる本
赤毛のアン は
わたくしの愛読書でした
学校の図書館のアンシリーズを片っ端から読みました。

アンシリーズを読み終わった時
なんでこれで終わるの
続きはどうしたの
と 腹立たしい思いになった記憶があります。
アンの娘のリラの物語で終わったと思いますが
違っていたら指摘して下さい。

今日
NHK朝の連続TV小説 ❝花子とアン❞ が終わった。
いつかは終わる物語だけれど
6か月は短い
本当はまだ何かあるんじゃないの
と言いたい思いだ。

このTV小説を視聴しながら
村岡花子さん という人となりをわかり
赤毛のアン
が どのような経過で私の目に留まるようになったかが
よくわかってうれしくなった。

赤毛のアンの出版は1952年5月である
私が生まれたのは その2か月先なのだが
小学校、中学校時代の愛読書が
生まれた年に発行の栄に属したのだとは
このTVを見るまでは知らなかったので
感慨ひとしおだ。

私は、長じて母子家庭となった。
長女であり、第一子であった私は
小学校高学年には 母親代わりの家事を任された。

その際の心の支えが
マーガレットの表した一連の小説だった。

妹たちに優しくできない自分の姿を鏡のように映し
優しくありたいとと 心底思い
赤毛のアンに
空想する力 明日を夢見る力を得た。

本は私の生きる力だった。

その本を初めて与えてくれたのは
自分一人で6人の子を育ててくれた母だ。
母に感謝しつつ
赤毛のアンを心の友として
読書三昧に身を投じた小中学校の図書室を思い出した。

実はTV小説の原作を 毎日のように本屋で見ているが
買っていない。
TVが終わったら買って読んでみたいと思っているからだ。

私に 赤毛のアン を引き合わせてくれた
村岡花子 さんの人生を改めて学びたい。

そういえば大阪吹田市に国際児童文学館があった。
橋本知事が廃館を提案しているというので訪ねたことがある。
今はなくなっている。

赤毛のアンの 初版本があった
今はそれらの本はどこにに行けば読めるのだろう
図書館を廃止する知事の文化水準の低さを改めて思った。

赤毛のアン
わが娘たちは読んでいない模様
残念の極みである。


女郎花 おみなえし

2014-09-26 12:44:38 | 薬用植物園の季節


秋です。

薬用植物園
久しぶりに お使いの帰り立ち寄ってみました。

夏の名残のスイレンがポツポツと咲いていましたが
秋の花も・・・

女郎花がそこここに
黄色いにぎやかな花を見せていました。

身の回りにはなかなかありませんが
植物園では
植えられたであろう場所以外にも咲いている。

女郎花あつけらかこんと立てりけり
 一茶

今日決算委員会最終日

2014-09-24 09:13:44 | 東村山市の政治、議会
決算委員会のせめて自分の分を
タイムリーにお知らせしようと思うのだが
休憩時間や開会前の時間を利用しても
なかなかその中身を伝えにくい

今日は委員会の最終日
一般会計の教育費から質疑に入る
今日のトップは私からだ

午後の初めに賛否の討論
もしかすると午前中にも?

午後は国保、介護、後期高齢者医療、下水道の4特別会計決算の審査だ

多くの会派が持ち時間の残りが少ないため
残業時間もそれほどは長くないと思う

因みに
審査に使う各会派の持ち時間は議員数に応じて
自民党 92分
公明党 92分
共産党 67分
良くする会 67分
一人会派は 32分
である。

膨大な決算書の疑義を質すには
なんと短い時間かと
予算決算の度に思う

議論する議会には
時間の点だけで言ってもまだまだだと私は思う


今日の新聞赤旗に一茶の句が掲載されていた
自分では詠めないが
今の秋の気配を感じる私の気分のピッタリなのでお借りする

秋風や むしりたがりし 赤い花

曼珠沙華の花がぴったりと彼岸に合わせてそこここに咲いている
亡き人たちを思い出す

決算委員会3日目です

2014-09-22 09:45:34 | 東村山市の政治、議会
今日は決算委員会3日目です。
民生費の続きです。

私の質疑は金曜日に終わりました。

成年後見制度がどうなっているのか
幼児相談室の専門職の配置を
ホームページなどに掲載するよう求めました。

また、児童虐待の通報を受け一義的に対応しなければならない
東村山市の子ども家庭センターのとりくみを質し
虐待件数が増えていることを改めて認識

子どもの命が守られる自治体へ
成果を上げてもらいたい

今日は三田の方で地域福祉と災害ソーシャルワークのスクーリングです

2014-09-20 19:53:17 | 勉強
今日と明日
大学のスクーリングで
三田に来ています。

朝9時から夜7時まで
がっちりと勉強三昧

この後 たまたま宿が一緒だった
千葉の方と夕食に出かけます。

災害時の避難jなどでのソーシャルワークのあり方を学びます。

広島のボランティアなど
先生方が実践的にボランティアに取り組んだ中から
課題を探し出し

要援護者への支援
災害発生時の役所の時系列の対応
住民の行動
社会福祉説の対応など
盛りだくさんでした

頭の整理が必要です。

決算審査2日目 ~歳入が終わりました~

2014-09-19 09:25:56 | 東村山市の政治、議会
昨日18日 決算の一般会計歳入の質疑が終わりました。

歳入は、多くの会派が総括的に質疑をします。
日本共産党は保延議員が質疑に立ちました。

市民住民税個人分は
92億円余で ここ数年横ばい状態
予算審査の折に
個人所得の回復は遅れていると言っていたが
結果としてどうであったかとの質疑に

H25年の課税ベースの調査で
0.6%課税ベースの所得が減っている
所得税の課税対象人員は0.5%増えているが
一人当りの所得は330万円で前年度比3万9千円、1.5%減っており
市民所得は減少傾向が続いていた
という答弁がありました。

法人分は少し伸びていますが
しかし市財政に大きな影響を与えるほどではありません。
それは景気動向が悪いことと同時に
東村山市は住宅都市であって
やはり歳入の主役は個人の所得に課す住民税で
それに関する固定資産税などの税収であることに要因があります。

こうした歳入の特徴をしっかりと見据えた
市政運営に資するべきだと考えるのである。

東村山市の2013年度決算の状況

2014-09-18 16:01:52 | 東村山市の政治、議会
2013(H25)年度決算の状況は

一般会計
  歳入  51,370,761千円
歳出 -)497,06,407千円
   差引 1,664,354千円
翌年支出予定額 -)108,222千円
実質的な黒字 15億5613万2千円
です。

歳入(1年間の収入)の最も基本となる収入は
市民税(個人住民税と法人住民税)です。
市民税は2012年度比 2181万1千円減って
101億869万7千円

その次に収入の大きなものは
固定資産税と都市計画税で
合わせて1億4013万3千円増えて
93億8574万円

これらを中心に東村山市の財政は賄われています。

当然不足しますから
国からの地方交付税、
国や東京都の仕事をしていることに対する
国庫支出金、都支出金
などが補完しています

歳入の審査で
住民税の納入率を上げることが財政を豊にする方策だと
質疑答弁が交わされました。

そのために滞納の取り立て
財産差し押さえ、競売などで納入率を上げ
それを根拠に国などからの報償的お金も出る
という仕組みです。

税金は当然払うべきです。

しかし、生活困窮で払えない人がいるのも事実です
むやみに差し押さえをしているわけではないと信じますが
困った人が相談に訪れることのできる
敷居の低い窓口対応も心がけてほしいと思います。

今日から2013(H25)年度の決算が審査されます

2014-09-18 09:31:07 | 東村山市の政治、議会
きょうから決算委員会だ
18,19,22,24日の4日間の長丁場である

自分の出番は少ないのだが
それでも決算委員会や予算委員会は
各議員の力量が問われ
各議員や会派の問題意識も明らかになるので
面白い

なるほど と同感したり
そこは違うだろう と心の中で揶揄したり

また自分たちの持ち時間は限られているので
他の会派が議論した結果を
決算書に書き込んでいくのも重要な仕事である

次の予算委員会時に
決算書を参考にどんな議論がされたか思い出しながら
それを下敷きに議論を積み上げることもできる

従って 私は 
委員会での全ての発言と答弁を書き込むことに集中する
緊張を強いられる委員会でもある

しかし、時折
こんなこと聞かなくても 
資料に書いてあるのにと思えるところは
集中が切れる

人のことを言っている場合ではないが
質の高い議論をしたいといつも思っている

10時から開会だ
ユーストリームでライブ配信もしているので
ぜひみてほしい

さてガンバロ- 

大好きな母を忘れそう-被災地の子どもに向き合う体育実践より~その4~-

2014-09-16 16:32:17 | 災害について
ある生徒の作文

あの震災から1年以上が過ぎました。今思えば震災について本気で考えたことがありません。いつもどこかに綺麗事をまじえて考えていたような気がします。

私たち3年生にとっても中学校としても最後の運動会の日、最後の企画で風船を大空に飛ばしたとき、涙が溢れてきました。風船には未来の願い、辛さや悔しさ、様々な思いを込めました。風船を飛ばすことで願いが叶えばいい、辛さや悔しさが無くなればいい、そう考えていました。
けれど、なかなか風船を放し空へ飛ばすことができませんでした。理由はわからなかったけれど、今考えるとわかるような気がします。

私は大好きな母を忘れそうになっています。忘れたくない、そう思っているのに少しずつ消えてしまいます。震災が起きる朝に交わした言葉も、声も顔も動作も。思い出せないことが多くなっています。それがとても怖いです。母が私の中から消えそうで怖いです。そして忘れていってしまう自分が嫌でしようがありません。

風船をなかなか飛ばせなかったのも「忘れてしまう」と思ったからだと思います。

大好きな人が死んでしまう-私にとってそれは非現実的なものです。正直、母は死んでいないと思っています。いつかひょっこり現れて、何事もなかったかのようにいつも通りの生活に戻る。私の名前を呼んで、他愛もない会話をしたり、私の成長を見て笑ったり泣いたりしてくれる。こんなこと考えてもどうしようもないと思いますが、私はそういった普通の幸せに夢を見て、いつか叶うと信じているのです。そう思わなければ、いつか自分が不安で悲しみで押しつぶされそうになる気がします。

この間、3年生にとって大切な進路説明会がありました。私は進路説明会があるというお知らせを父や祖母に渡せませんでした。父は仕事だと知っていましたし、祖母は学校に来るのが大変でしょう。一番後ろの席に座り、私だけでも大丈夫と思っていました。

けれど、みんな親がきて隣に座る。それを見た瞬間、少しだけ泣いてしまいました。それだけで泣いてしまう自分が情けなくて、母がいないことを改めて実感させられたような気がしてとても悲しかったです。


母に会いたい気持ちが溢れてきます。自分の嫌なところやダメなところがどんどん見えてきます。人に頼りたいけど、そうすると相手が困ってしまうから相談できない。そう自分に言い聞かせていますが、本当はただ自分が相談したくないと思っていて。母を想う気持ちは私だけのものであり、それを他の人には言いたくないのです。こんな矛盾に嫌気がさします。

そして辛いことや悲しいことがあっても大半は誰にも相談しないで自分の中に詰め込みます。小さい頃から相談するのが下手でした。だから、自分の中に溜めることに慣れてしまい、それが私にとって普通なのです。

よく友人に「無理するな」だとか「背負い込みすぎなんだよ」と言われます。そんな優しさに泣きそうになります。この頃、少しずつですが人に頼れるようになったような気がします。今ならあまり相談することのできなかった母にも頼れる気がします。

けど、もう近くにいないから母親がいる家庭が少しだけ羨ましいです。甘えることのできる母親がいて、心配されて、愛されて、成長を見届けてくれる母親がいる家庭。

去年の運動会も、今年の運動会でも、精一杯頑張りました。けれど、いつも最後にぼんやりしたなにかが残ります。一生懸命練習してきたことが一日で終わってしまう寂しさかと思っていました。たぶん、そういう寂しさもあります。でも、もしかしたら母親がいないからどこか心にぽっかりと穴があるのかもしれない。母と一緒に喜びたい、褒められたい、そんな願いがあったのかもしれません。

私にとって、母は尊敬する人であり、大好きな人です。そんな母がもういないからといって、前に進むためには忘れることはできません。母のことを時間が経つにつれ、忘れてしまうのだったら時間なんて経ってほしくないです。

そんなことを言ったら母に怒られるでしょうけど、これが私の本音です。けれど以前母に「生きている人を大切にしなさい」と言われました。母が大好きで、死んでしまったことをまだ理解できなくて、不安で怖くて。そんな思いでいっぱいでしたが、私には母だけではないのです。心配してくれる人や笑い合ってくれる友人、慕ってくれる後輩。全ての人が大切で、私を支えてくれています。

母は死んでしまったけれど、まだ生きている、いつか会えると信じます。信じていても生き返ることはないし、母を忘れてしまう恐怖感はまだあります。けれど、その気持ちが私にとって前に進むための理由になります。

これから大切な仲間とともにたくさんのことを体験し、自然と涙が溢れる、心に残る思い出にしていきたいです。そして、母に会ったら自慢して、一緒に笑いあいたいです。

以上が作文全文です。
先生は、これをパソコンに入れていた時に涙が溢れて仕方がなかったと行っています。
ご自分の「非当事者性」に愕然としたともいっておられました。

私も、これを読んで涙が止まりませんでした。
当事者である子どもたちの負っている大きな苦しみを
本当には理解していなかったのだと
自分の「非当事者性」に苦しみました。

被災地の子どもたちすべてが、何らかの苦しみを抱えて生きており
それを覆い隠し、自分でもどうしたらよいかわからずに
それでも前を向いて生きようとしている
そのことをわかっただけで
今年の夏の自治体学校に参加した意義があったと
制野先生の報告にお礼を言いたいです。

長文を最後まで読んでいただいたみなさんありがとうございました。