僕の家の近くに子供の頃から、何かと世話になっている開業医があります。そこのドクターが亡くなりました。83才。
小学生の六年生か中学生くらいの頃だったと思います。風邪だかなにかでその医者にかかった時でした。
診察を終えた後、ドクターはジロリ僕を見て厳しい目をして、「おい、お前、負け犬になるなよ!」と重たい声で言いました。
その時は気圧されて「はい」と返事をしたように思います。
僕が負け犬だったのか、あるいはドクター自身が何か勝負事に中にいたのか、ドクターの周辺の人に歯がゆい思いでいたのかは判りません。
ただ、子供の自分に突然、「おい、お前、負け犬になるなよ!」なんて云われて面食らったのは確かでした。
その後、長くなんでそう云われたのかわからずにいました。
十年くらい前に「昔、先生に負け犬になるなと云われたのですが、あれはなんだったのですか?」と聞いた事がありますが、そんな事は全く記憶にないようで、仏頂面で「なんだったかなあ、そんな事言わないだろう」と仰りました。
それでも投げかけられた言葉というのは重いもので、僕が困惑の中にある時に先生が仰った「おい、お前、負け犬になるなよ!」
を思い出して、厳しい側の選択をしてきた事も多い様に感じます。
言葉というのは不思議なものです。
合掌
小学生の六年生か中学生くらいの頃だったと思います。風邪だかなにかでその医者にかかった時でした。
診察を終えた後、ドクターはジロリ僕を見て厳しい目をして、「おい、お前、負け犬になるなよ!」と重たい声で言いました。
その時は気圧されて「はい」と返事をしたように思います。
僕が負け犬だったのか、あるいはドクター自身が何か勝負事に中にいたのか、ドクターの周辺の人に歯がゆい思いでいたのかは判りません。
ただ、子供の自分に突然、「おい、お前、負け犬になるなよ!」なんて云われて面食らったのは確かでした。
その後、長くなんでそう云われたのかわからずにいました。
十年くらい前に「昔、先生に負け犬になるなと云われたのですが、あれはなんだったのですか?」と聞いた事がありますが、そんな事は全く記憶にないようで、仏頂面で「なんだったかなあ、そんな事言わないだろう」と仰りました。
それでも投げかけられた言葉というのは重いもので、僕が困惑の中にある時に先生が仰った「おい、お前、負け犬になるなよ!」
を思い出して、厳しい側の選択をしてきた事も多い様に感じます。
言葉というのは不思議なものです。
合掌